半世紀の契約
(8)悪ガキの過去①

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

「おい、秀明!!」 「大丈夫か!?」  宴も終盤になってから、会場の一角で発生した男達の動揺した声を耳にして、美子と彼女を囲んで和やかに会話していた面々は、不思議そうにそちらの方に視線を向けた。 「え?」 「何かしら?」  すると人垣をかき分けて、良治が慌てた様子で美子に駆け寄って来る。 「美子さん、悪い! 秀明が潰れた!!」 「はぁ!?」  慌てて立ち上がって人垣に向かって走り出した美子に、周りの女性達も続く。そして人垣を掻き分ける様にして進んだ彼女達は、床に仰向けになって転がっている秀明を見下ろして、呆れ果てた声を出した。 「うわ……、完璧に酔い潰れたわね」 「あんた達、どれだけ飲ませたの!?」 「限度を考えなさい!」  しかし美子は文句は言わずに床に膝を付き、秀明の顔を覗き込みながら声をかけてみた。 「ちょっと、秀明さん! 大丈夫!?」 「うん? 美子…………、踏みたいか?」 「…………」  秀明が薄目を開けて脈絡の無い事を口走ると、周囲の者達は一斉に微妙な表情になって黙り込んだ。しかし美子は瞬時に怒りを露わにして秀明の喉元を掴み、ガクガクと激しく揺すりながら叱りつける。 「何を馬鹿な事言ってるの! とっとと起きなさい!! さもないと離婚よっ!!」 「美子さん、落ち着いて!」 「だけど、これは駄目だな。絶対自力で歩けないぞ」 「どうする? ここはあと三十分で閉めないといけないし。かと言って美子さん達が押さえてあるホテルまで行くのは、どう考えても無理だよな?」  周りから宥められながら、頭を抱える事態になった事を認識した美子は、目の前で如何にも気持ち良さそうに熟睡し始めた秀明に向かって、心の中で悪態を吐いた。 (気持ち良く飲んでいるならと思って、目を離していたらこんな事に。幾ら楽しいからって、羽目を外し過ぎでしょうが!)  すると先程まで一緒に喋っていた女性の一人である春日博美が、唐突に申し出てきた。 「美子さん。江原君共々、私の家に泊まりません? この公民館の隣ですし」 「えぇ!? そんなご迷惑は」 「隆弘! 江原君潰れてるし、家に泊めても良いわよね?」  慌てて固辞しようとした美子だったが、彼女が声を上げて会場の一角に向けて呼びかけると、どうやら夫も同級生だったらしく一人の男性が歩み寄って、苦笑いで秀明を見下ろす。 「何だ、寝ちまったのか? 確かに凄いペースで飲んでるとは思ったが」 「あの、さすがにご迷惑じゃ」 「大丈夫! 今日は二人とも飲むのが分かってたから、子供は明日まで実家に預けてるし。じゃあ先に戻って、布団の準備をしておくわ!」 「おう、任せた」  美子が何か言う前に、そのまま博美は駆け出してホールを出て行き、男達は秀明の移動方法を真顔で検討し始めた。 「どうやってこいつを運ぶ?」 「台車とか」 「それよりは、担架が良いがな」 「あ、災害訓練で使ってたよな? ここにも常備してある筈だが」 「思い出した。取って来るから、手伝ってくれ」 (何か、どんどん大事に……。どうして和やかに飲むだけで終わらないのよ!?)  そしてあれよあれよと言う間に、秀明は公民館に隣接した二階建ての家に運び込まれ、一階のリビングに敷かれた布団に横たえられた。そして秀明を運び込んだ男性陣が引き上げると、博美が申し訳無さそうに美子に言ってくる。 「余分な布団が無いから、江原君は布団で、美子さんはソファーに寝て貰う事になるんだけど……。階段を運ぶのが怖いから、下で休んで貰う事になるし、狭くてごめんなさい」 「博美さん、とんでもないです! こちらこそ、ご迷惑おかけします」  そして恐縮しきりで頭を下げた美子を連れて、博美は隣接したダイニングキッチンへと移動した。そして三人分お茶を淹れ、夫の隆弘と共に食卓で飲み始めると、彼がクスッと笑いながら呟く。 「しかし秀明の奴、強そうに見えたんだがな」 「酒豪の父と互角以上に渡り合ってますし、人並み以上に強いと思いますが……」  苦々しい表情で応じた美子を見て、博美が宥める様に言い出す。 「久しぶりに悪友どもに囲まれて、余程嬉しかったのね。成人式の時も来れなかったし」 「そうだな」  そこで物言いたげな美子の表情に気付いたのか、二人は説明を始めた。 「秀明は親父さんの意向で、同日に設定されてた地元の成人式への参加を強制させられたそうです。それで成人式の後のクラス会では、あいつのビデオレターが披露されました」 「『東成大現役合格の息子を自慢したいだけだから、すっぽかしてこっちに出る』って江原君は主張したそうだけど、勝俣君が『一応学費と生活費を出してる保護者だ。虚栄心を満足させる為の駒になるのは不本意だろうが、在学中は揉めるな』と説得したって聞きました。それで暫く勝俣君が、あちこちから文句を言われてましたね」  それを聞いた美子は、納得して頷いた。 「秀明さんの心情は理解できるけど、勝俣さんの主張は尤だわ。でも……、よくあの人が他人の言う事に従ったわね。『余計なお世話だ』と一蹴しそうなのに」  少し感心しながら、独り言の様に美子が呟くと、博美と隆弘が意味ありげに顔を見合わせる。 「秀明は靖史に、借りがありまして」 「借りと言うか、恩?」 「どういう事ですか?」  怪訝な顔で尋ねた美子に、二人は苦笑いしてから語り出した。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません