半世紀の契約
(3)雑音②

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「それが……、右側の末席の方に座っていたから、藤宮家の遠縁だと思うんだが、夫婦らしい中年の男女が話していたんだ」 「口の動きを読んでたのか。それで?」  悪友の知られざる特技の一つを思い出した秀明は、納得して話の続きを促したが、途端に淳が言い渋った。 「……怒らないか?」  その台詞に、秀明は半眼になりながら催促する。 「さっさと言え」 「人の頭越しだったし、全ての会話を確実に確認できたわけじゃ無いんだが……」 「淳」  弁解がましく言い出した淳だったが、最後通牒の如く低い声で名前を呼ばれて、抵抗するのを完全に諦めた。 「主に喋ってたのは女の方だったんだが……、『娘ばかり五人も産んで息子は一人もいないなんて、何て役立たずだ』とか『婿養子の分際で大きな顔をして』とか『再婚とかでこの家に変な女を連れ込まれたらどうするの』とか『涙一つ見せないなんて、母親同様、なんて可愛げのない』とか……」 「…………」  秀明から微妙に視線を逸らしつつ、ぼそぼそと告げてからも相手が黙っている為、淳は思わず彼に顔を向け、次の瞬間それを激しく後悔した。 「あ、あのな? その……、本当にその通り言っていたかどうかは、確証は持てないんだが……」  感情らしき物を一切感じさせない秀明の表情に、淳は盛大に顔を引き攣らせながら弁解がましく口にしたが、秀明は容赦なく追い詰めてくる。 「勿論それだけではなくて、他にも色々言ってたんだろうな?」 「ああ……、まあ、な。……一応、藤宮さんの耳に入れておいた方が良いか?」  恐る恐るお伺いを立ててみた淳だったが、その提案を秀明は腹立たしげに一蹴した。 「放っておけ。そんな下らん事を教えて、社長に不愉快な思いをさせるな。大体そんな輩は、泣いていたら泣いていたで『あんなに泣いてみっともない』とかほざく阿呆だ。まともに相手をするのは、時間と労力の無駄だ」 「確かにそうだな」  そこで秀明が再び歩き出した為、淳も(意外にこいつが冷静で助かった)と胸を撫で下ろしながら並んで歩き出したが、すぐに秀明が確認を入れてきた。 「その女、座っていた位置や特徴は覚えているな?」 「ああ。それが?」  何気なく問い返した淳だったが、それに冷え切った声が返ってくる。 「美実ちゃんに聞いて、それが誰なのかきちんと特定しておけ。家族全員の名前と住所と電話番号と勤務先は必須だ」 「……了解」  無表情で告げられた事で、却って親友の怒りが最上級であると分かってしまった淳は、(これは本気で怒ってるな……。もう俺は知らん)と、自らがの発言がきっかけだったにもかからわず、事態の収拾を完全に諦めた。  その後の藤宮邸では無事に通夜ぶるまいも終了し、深美とごく親しい者達だけが残って、祭壇の前で語り合っていた。そんな中頃合いを見て居間に籠っていた美子に、ドアを開けて美恵が報告してくる。 「奥の和室に布団を敷いて、叔母さん達に休んでもらう様に声をかけたわ。仮眠程度になるでしょうけど。交代でお風呂に入って貰う様にも言ったし」 「ありがとう、助かったわ」 「それから、美野と美幸の事は、美実に頼んであるから」 「そうね……、暫く付いてて貰って」  そこで物憂げに溜め息を吐いた姉の手元を見て、美恵が眉を顰めながら尋ねる。 「それで、姉さんは何をやってるの?」 「請求書と領収書と弔電と香典の整理。これが済んだら明日の朝ご飯の準備をしてから、叔母さん達にお茶でも持って行くわ」  かなりの分量で積み重なっているそれらを見やった美恵は、溜め息を吐いて姉に申し出ながら台所に移動する。 「炊飯器のセットとお茶出し位、私がやっておくから」 「あ、今日は泊まっている人が何人もいるから」 「その分はちゃんと多く炊くわよ!」  慌てて呼びかけた美子に、美恵は気分を害した様に言い返して立ち去り、美子は再度溜め息を吐いた。そこで何気なく壁に目を向けた彼女は、昨日受け取ってそのままリビングボードにおいてあったビニール袋に気が付き、立ち上がってそれを取りに行く。 「今日も、忘れないうちに飲んでおこう。確かにあまり眠くならなかったものね」  そうして箱を一つ取り出し、中の瓶の中身を勢い良く飲んでから、美子は残った一つを見下ろしながら呟く。 「後は明日の朝か。結構役に立っているかも」  そう言って、一瞬秀明の事を思い出しながら苦笑いした美子は、すぐに意識を切り替え、明朝からの段取りと準備を整える事に集中した。

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