半世紀の契約
(12)美子の暴走②

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「この様に立派な着物一式を、ありがとうございました。予想以上に素敵な仕上がりで、一生物になりそうで嬉しいです」 「気に入って貰えて良かったわ」 「そうだな。それに良く似合っているし」 「本当ね。やっぱり若いって良いわねぇ。ところで美子さん。私達が頼んだ物も仕上がったから着てみたんだけど、どうかしら?」 (やっぱり来た! でも、変な事は言えないし……)  目にした瞬間から聞かれるだろうとは思ってはいたものの、咄嗟に上手い言葉が浮かばないまま、美子は下手に取り繕わずに正直に言ってみた。 「あの……、全体の印象としては、若々しく見えるのではないかと思います。それにやはりインパクトがあり過ぎて、怖がる以前に驚かれるのではないでしょうか?」 「そうよね。やっぱりこの格好で、外に出てみないと反応は分からないわよね」  それを聞いた美子は(さすがにその格好で外を出歩いたら、色々拙いんじゃ……)と思いながら、慎重に尋ねてみた。 「あの……、このお屋敷の中で、何人かの使用人の方とすれ違いましたが、皆さんはどんな反応をされたんでしょうか?」  すると桜が、如何にも残念そうに答える。 「それがね? これを見せてもそこの笠原を初めとして、殆どが無反応だったの」 「無反応、ですか?」 「ええ。この屋敷にいる人間は、表情筋が機能不全を起こしているみたいでね」 「ご期待に沿えず、申し訳ございません」  思わず振り返った視線の先で、先程自分を案内してきた後、そのまま部屋の隅で神妙に控えていた笠原が生真面目に頭を下げているのを見た美子は、内心で感嘆した。 (凄い……、これを見ても微塵も動揺しないって、使用人の鏡だわ)  そこで加積が、思い出した様に言い出した。 「ああ、でもあの三人だけは、ちゃんと反応しただろう?」  その台詞に、桜がおかしそうに笑う。 「そうだったわね。三人が三人とも、面白かったわ」 「何が面白かったんですか?」  これ以上余計な事を言わない方が良いとは思いながらも、つい好奇心に負けて美子が尋ねると、加積が笑いを堪える口調で説明してきた。 「一人は『ボケちゃったんですか? ボケちゃったんですよね? 脳波検査とMRIと知能検査を認知度検査をさせて下さい! 痴呆者の脳内活動のデータを、一度生で見てみたかったんです!』とファイル片手にウキウキと迫られ、二人目には『そういうプレイをしたかったら、幼稚園児の格好じゃなくて、ロンパースとよだれかけを身に着けて、おしゃぶりを咥えて下さい。年齢と服装設定を間違えてます』と冷え切った視線でぶった切られ、三人目には『まだそんなお年じゃないのに、何てお気の毒な……。安心して下さい。全くわけが分からなくなっても、最期まで下のお世話もちゃんとしますから』とさめざめと泣かれてしまってな」  苦笑しながら加積が語ったあまりと言えばあまりの内容に、美子が(聞かなきゃ良かった)と盛大に顔を引き攣らせていると、桜が上機嫌に会話に混ざってきた。 「本当に。誤解を解くのが、大変だったわね。三人とも、すっかりあなたがボケたと思い込んでいましたよ?」 「俺はそんなに、ボケそうな顔をしているか?」 「ボケそうに見えない人程、ある日一気にくるんじゃないんですか?」 「そういうものなのか?」 「さあ? 分からないから、あなた一回ボケてみて貰えません?」 「二回も三回もボケられるか。馬鹿者」  そんな事を言って楽しげに笑っている夫婦を見ながら、美子は激しく脱力していた。 (なんかもう……、何もコメントできない。だけどさっき話に出ていた三人って、加積さんがどういう人間か分かっている上での発言なのよね。この屋敷には、プロの使用人を上回る勇者が居るわ)  美子がしみじみとそんな事を考えているところに、唐突に声がかけられた。 「ところで美子さん」 「はっ、はいっ!!」 「漏れ聞くところによると、美子さんはサッカーが大変上手だそうだが」 「いっ、いえいえ、大した事では」 (漏れ聞くって、どこから何をどんな風に!?)  加積からの問いかけに美子は動揺しながら言葉を返したが、夫婦は更に彼女を狼狽させる内容を口にした。 「そんなに謙遜しなくても。ペナルティーエリア外からのシュートも、お手の物なんでしょう?」 「何でも自宅には、縮小サイズのサッカーゴールが備え付けてあって、日々シュートに磨きをかけているとか」 「その殺人シュートで、以前自宅に忍び込んだ泥棒を、半殺しにしたのよね?」 「今の話、最後だけ明らかに間違っていますから!!」 「あら、そうなの? おかしいわねぇ」 (どうしてここで唐突にサッカーの話が。それにサッカーゴールの事は、高校時代のサッカー部の部員と、家に出入りした事がある人位しか知らないのに。どう考えてもおかしいわよ!)  不思議そうに右手を頬に当てて首を傾げた桜を見ながら美子は自問自答したが、ここで加積がのんびりとした口調で話題を変えてきた。 「それでだな、美子さんがサッカーに興味がおありみたいだからと、うちに出入りしている人間に、桜が頼んでみたらしいんだ」 「それについて、美子さんの感想を聞きたいんだけど」 「……何についての感想でしょう?」  かなり警戒しながら美子が問い返してみると、加積から目配せを受けた笠原が、彼の側に置いてあった漆塗りの幅広の盆を恭しく持ち上げて美子の前に運んできた。そして彼女の目の前に置いてから、その上にかけられていた紫色の風呂敷を、静かに取り去る。 「これって!?」 「これなの。どう? 美子さん」  にこやかに桜から尋ねられるまでもなく、風呂敷の下からそれが現れた瞬間から、美子の目は釘付けだった。

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