半世紀の契約
(5)人生を変えるコスプレ②

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「そうだ。忘れないうちに、美子さんに渡しておこう」 「何でしょう?」  不思議に思いながら美子が彼に視線を向けると、加積はジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出し、その中の一枚を彼女に向かって差し出した。 「これを」 「加積さんの名刺ですか?」 「ああ。見ず知らずの人間から着物を貰った事で、美子さんが恋人に変に勘ぐられたりしたら申し訳ないからな。何か問題があったら、その名刺を見せて説明してくれ。こんな枯れた年寄り相手に、嫉妬する馬鹿は居ないだろうが、何か問題が生じたら俺が責任を持って対応しよう」  真顔でそんな事を言われた美子は、何とも言い難い表情になりながらも、取り敢えず手を伸ばして名刺を受け取る。 「いえ、恋人とかそういうのは……。取り敢えず、名刺は頂いておきますが」  そしてそれをバッグにしまうやいなや、桜が我慢しきれない様に声をかけた。 「それじゃあ美子さん。早速反物を見て貰える? 似合いそうな物を、次々出して貰うから」 「あ……、はい」  それを合図に、これまで静かに控えていた店の者達は、一斉に職務に勤しみ始めた。 「姿見はこちらです。実際に、肩に掛けてご覧下さい」 「素材も色々とご用意できますので、ご希望の物があれば、遠慮無く仰って下さいませ」 「お若い方ですから、やはり明るい色調の物が宜しいかと」  わらわらと美子を囲むように集まった店員にあれこれ勧められ、美子はかなり悩んだ末に一反を選んだ。それで話は終わりかと思いきや、口達者な桜と老練な店員に丸め込まれて、他にも色々と小物を選ぶ羽目になり、全て終了した時にはかなりの疲労感を覚えていた。 「それではこちらの仕立てに、二週間程お時間を頂きます。仕上がり次第ご連絡を入れて、自宅にお届けしますので」 「宜しくお願いします」  畳に広げたり並べたりしていた物を全て片付けた後、店から供されたお茶と和菓子を味わって漸く人心地ついた美子は、改めて礼を述べた。 「ありがとうございます、桜さん。着物だけではなくて、帯やバッグに草履まで揃えて頂いて」 「良いのよ。せっかく贈るんだから、ぴったりのコーディネートをして貰いたいし。帯とかは、ここまで足を運んで貰った迷惑料の代わりね」 「はい。ありがたく頂戴します」 (ここで納得しておかないと、もっと酷い事になりそうだもの)  鷹揚に頷いた桜に、美子は内心では色々思いながら笑顔を返した。しかしここで桜が片手を頬に当てながら、物憂げに愚痴らしき物を零す。 「本当に、美子さんの様な若くて綺麗なお嬢さんの物を選ぶのは楽しいし、似合う物が沢山あるけど、うちの人にはねぇ……」 「悪かったな。生まれつき人相が悪くて」 「え? どういう事ですか?」  苦笑の表情になった加積に美子が思わず口を挟むと、桜が少々忌々しげに言い出す。 「だって美子さん。この人った眉がつり上がってて目つきが悪くて、顔全体が四角くて柔らかさに欠けるし、髪も剛毛でピンピンはねるのよ? 目の前に小さな子供を連れて来たら、全員怖がって泣くわ」 「本当の事だが、もう少し言いようは無いのか?」 「……桜さん」  どうフォローしたものか本気で困惑した美子だったが、桜の愚痴っぽい訴えは更に続いた。 「少しでも知的で穏和に感じられる雰囲気にして、周りの人の好感度を上げられないかとこれまで色々試してみたんだけど、本当にコーディネートのしようが無くて。やるだけ無駄だったわ」 「挙げ句の果て、こいつは俺に『整形手術なさい!』とキレたんだが、幾ら怖そうに見えても、親から貰った顔を変える気にはなれなくてな。それが余計に気に入らないらしい」 「はぁ……、そんな事があったんですか」 (確かに怖そうだし、只者には見えないのよね。でも本人が嫌だって言うのに、整形手術を強要するのもどうかと思うし)  両者の言い分は分かるものの、正直どちらにも肩入れできずに困った美子は、ふと以前美恵が言っていた台詞を思い出した。そこで若干悪くなってきた雰囲気を何とかしてみようと、控え目に声をかけてみる。 「桜さん、ちょっとお聞きしたいんですけど」 「何? 美子さん」 「整形手術とかしなくても、周りの人から見た加積さんのイメージが怖くない様に、変われば良いんですよね?」 「ええ、そうね」 「じゃあ服装や髪型、小物のコーディネートと言うより、いっその事、誰がどこからどう見ても警戒心を抱かせないコスプレとかを、加積さんにして貰ったらどうですか?」 「警戒心を抱かせないコスプレ?」 「因みにどんな物かな?」  唐突な提案に、加積と桜は揃って不思議そうな顔付きで美子を見やると、彼女は落ち着き払って告げた。 「そうですね……。例えば幼稚園児のコスプレとかだったら、間違っても周囲の人は恐怖心を覚えないと思います。寧ろ幼稚園児に見せたら、自分達の仲間と思ってくれるかもしれません。ひょっとしたらそれだけで、人生が変わるかもしれませんよ?」 「………………」  そこで夫妻が無言で何度か目を瞬かせると同時に店内が静まり返り、美子は自分の予想と異なる反応に、内心で戸惑った。 (あら? 何か急に静かになったけど、どうして? ここは『嫌だ、美子さんったら、そんな冗談言って』とかって、笑うところじゃないの?)  そうやって軽い冗談で気まずい雰囲気を払拭しようと思ったつもりが、相変わらず加積夫妻は真顔のまま沈黙していた。そこでさり気なく周囲の店員や居合わせた客の様子を窺うと、真っ青になっている者、そそくさと視線を逸らす者、狼狽した様子で奥に引っ込んだり店から出て行く者などが目について、美子は密かに冷や汗を流す。  そんな中加積が沈黙を破り、落ち着き払った口調で美子に問いを発した。

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