「いらっしゃいませ、江原様。お待ちしておりました。私は本日担当させて頂く、若松と申します」 ガラス張りの入口から入ると、予め話を通してあったらしく、臙脂色のスーツ姿の年配の女性が恭しく二人に頭を下げてきた。それに秀明は笑顔で応じる。 「今日はお世話になります。話をしたのは、こちらの女性になります」 秀明が手振りで美子を示すと、若松は早速仕事をする人間の目になった。 「いらっしゃいませ、新婦様。それでは早速、ドレスを選んでいきましょう」 「は、はい……」 彼女の迫力に気圧されながら美子が頷くと、若松は若干申し訳無さそうに秀明を振り返った。 「新郎様は少々お待ち下さい。新婦様のドレスが決まり次第、それに合わせて相応しい物を検討致しますので」 それに秀明は、苦笑いで応じる。 「花婿は添え物ですから、当然ですね。幾らでも待ちますよ。彼女を宜しく」 「お任せ下さい」 そして奥のソファーが並んだ一角に連れて行かれた美子は、若松から次々と質問を浴びせられた。 「まずお伺いさせて頂きますが、普段の既製品の服のサイズは何号でしょうか?」 「九号です」 「今回お入り用なのは一着とお伺いしていますが、色はカラードレスか白では」 「やはり白でしょうか?」 「裾の長さや膨らみ方、ウエストの切り替え等で考えると、これらの中のどのパターンが宜しいでしょうか?」 「ええと、ですね……」 若松は膝の上のノートパソコンに美子の答えをブラインドタッチで打ち込み、美子の正面にあるモニターに、該当するパターンのドレスの画像を次々映し出していく。それと同時進行で美子に根ほり葉ほり尋ねる事で、袖の長さ、襟ぐりの形や背中の開き方、レースやアクセサリーの使用度などを基準にデータを絞り込み、徐々に美子の好みに合致する物を選択していった。 「それでは新婦様のお好みに合いそうなドレスを揃えさせますので、少々お待ち下さい。新郎様がお待ちの所に、新婦様の分のお茶も、今準備させますので」 「はぁ……、ありがとうございます」 もはや何も言えない位精神的に疲労した美子は、素直に秀明が座っているソファーの所まで戻って行った。そして彼の正面に黙って腰掛けると、からかい気味の声がかかる。 「どうした? 話を聞かれていただけなのに、随分疲れているみたいじゃないか。これから着せ替え人形になるって言うのに、それで保つのか?」 それに美子が、げんなりとしながら言い返す。 「それを言わないで。今から戦々恐々としているんだから。それにどうして呼ばれ方が『新婦様』と『新郎様』なのよ?」 思わず美子が愚痴った内容を聞いて、秀明は軽く眉根を寄せた。 「それはやはり、ウェディングドレスを買いに来るのは、新郎新婦と相場が決まってるからじゃ無いのか?」 「『お客様』で良いでしょう、『お客様』で」 それを聞いた秀明は何を思ったか真面目な顔で考え込み、難しい顔になって頷いた。 「確かに女一人で買いに来たり、男一人で買いに来る様な痛々しい連中の場合、『新婦様』とか『新郎様』とか不用意に呼びかけた場合、ぶち切れて刃傷沙汰になるかもしれないな」 「どんな怖い人間が来店する所を想像しているのよ、止めてくれない!?」 「元はと言えば、そっちが言い出した事だろうが」 「違うわよ! 絶対、何か話題がずれたし!」 ムキになって言い返す美子を見て、秀明は堪えきれずに笑い出し、彼女はからかわれた事が漸く分かった。それで拗ねてしまった彼女は出された紅茶を黙って飲み、その様子を秀明も無言で面白そうに眺める。 「新婦様、ドレスの準備ができましたので、試着室にご案内します」 「分かりました」 その声に静かに立ち上がり、笑いを堪える表情の秀明に見送られて奥の試着室に向かった美子だったが、鏡張りの広いスペースの一方に、ズラリと三十着程の純白のドレスが横一列に掛けられているのを見て、一瞬目眩を覚えた。 「あの……、この中から一着を選ぶのかしら?」 一応尋ねてみた美子だったが、担当の若いスタッフ達が満面の笑みで頷く。 「はい! もうお好きなだけ、着て見て触って頂いて構いませんので!」 「試着した時にその姿を一着ずつ撮影して、画面で比較検討致しますから!」 「ご希望があれば、もっと他の物をお出ししますわ!」 「そうですか……」 もはや何を言う気力も無く、美子は黙ってドレスを選び始めた。しかし似た様な傾向の物を選んだだけあってどれも甲乙付けがたく、しかもどれある程度美子の好みの物であった為に、却って悩む羽目になった。しかし迷っているだけでは何も決まらない為、提示された物の中から取り敢えず八着を選び出し、試着してみる事にする。 「新婦様、先程のドレスのマーメイドラインは秀逸でしたが、こちらのドレスは全体的なバランスが良いですね」 「それに使用しているレースの柄が緻密で、同じ白でもベースの光沢のある生地で、それがはっきり見えますから」 「でも、こちらのドレスの方が、縁と裾に広がるパールやスパンコールを多用した金糸と銀糸の刺繍が素敵なんです!」 「そうね。次の試着はこれにしましょう!」 (ちょっと待って、勘弁して。頭が追い付かないから。どれもこれも同じに見えるし。でも、それにしても……) 本人以上に張り切って、あれやこれやと意見を述べる若手スタッフ三人に囲まれつつ、美子はドレスを着ては脱ぐ行為を繰り返していたが、何着目かの時ふとした拍子に、この店に入ろうとした時に感じた疑問を思い出した。
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