「あ、いた! ヤッホー! 和臣、久礼! 久し振り!」 その声に、前方で所在なげに佇んでいた男二人が、揃ってびくりと反応してから項垂れる。 「げ! 富川先輩に篠田先輩!?」 「年も押し詰まってから、このメンツかよ……」 富川と篠田とは違い、明らかに現役学生と分かる風体のその二人に、富川は上機嫌に美子を紹介した。 「お待たせ! この人が藤宮さんよ。恐れ多くも白鳥先輩の女さん。くれぐれも粗相の無いように。藤宮さん、こっちが後輩の君島和臣に本郷久礼です。からかってやって下さい」 その台詞に、当事者の二人が何か言いかける前に、美子が盛大に反応した。 「ちょっと待って! 『白鳥先輩の女さん』って何!?」 その抗議の声に、富川がきょとんとして問い返す。 「え? じゃあ一見れっきとした女性に見えるけど、男さんとか元男さんなんですか?」 「女に決まってます!!」 「じゃあ問題無いって事で。じゃあ後宜しく! これからデートだから。じゃあね~」 「それでは俺も失礼します。どうぞごゆっくり」 「何をどうごゆっくりなのよっ!!」 そんな美子の怒声もなんのその。二人は笑って彼女を後輩に押し付けて、明るく笑いながら去って行った。 (もう嫌……、何なの、この人達) それから必死に怒りを堪えながら、待つ事十五分。美子は押し殺した声で、側にいる二人に問いかけた。 「ねえ……。もう帰って良いかしら?」 「いや、困ります!」 「ここであなたに帰られたら、俺達もれなく制裁コースですから!」 「じゃあ、せめて場所を移動しない?」 「それが、先輩からの指示が」 「こに入るから、入口前で待っていろと言われまして」 打てば響く様に返された言葉に、美子の携帯を握り締める手に、より一層の力が籠る。 (全く……、さっきから電話は繋がらないし、メールも返信無しって。人をそっちの都合で寒空の下で待たせるなんて、何を考えてるのよ!) それから更に十分が経過し、幾らコートを着て寒さは凌げているとしても、精神的な問題から、美子は目の前の建物の中に向かって歩き出しつつ二人に断りを入れた。 「もう我慢できない。帰れないなら、先に中に入って待ってるわ」 「ちょっと待って下さい!」 「藤宮さんと中で待ったりしてたら、俺達確実に処刑コースですから!」 必死の形相で追い縋った二人だが、一応足を止めた美子は、周囲をぐるりと見回しながら怒りを露わにして怒鳴りつけた。 「そんな事、知った事じゃないわよ! 大体ね、ラブホの入口前で男女三人で佇んでるから、さっきから目の前を通る人から例外なく変な目で見られてるのよ? あなた達、全然気にならなかったわけ!?」 「勿論、それは気になってましたが!!」 「万が一、タチの悪い奴に絡まれた場合、二人一組じゃないと拙いとの判断で!」 「もうあんた達自体が、タチが悪いわ!」 「……うわ、否定できない」 「否定しろよ!」 思わず本郷が手で顔を覆って呻き、君島がそんな相方を叱咤している隙に、美子はさっさと建物の中へと入って行った。そして壁の片方にズラリと並んでいるパネルを見上げて、真顔で考え込む。 「取り敢えず、部屋ってここで選ぶの? フロントらしき場所が無いから、このパネルのボタンかしら? もうこの際人目が無くて、寒くなければどこでも良いわよ。 あ……、鍵が出てきた。じゃあ、この番号の部屋に行けば良いわけね?」 そんな自問自答をしながら、美子が適当に明るく表示されているパネルの下のボタンを押すと、そのパネルの点灯が消えると同時に横からカードキーが出て来た為、彼女はあっさりとそれを手に取った。その一連の動作を目にした君島達は、盛大に顔を引き攣らせる。 「何でそんなに思い切りが良いんですか!? 男らし過ぎる!」 「しかもビギナーっぽいのに、何あっさりチェックインしてるんですか!?」 「勘。さあ、行くわよ」 そしてずんずんと奥のエレベーターに向かって歩き出した彼女の手を、二人は両側から掴んで必死に押し止めた。 「ちょっと、離しなさいよ」 「本当に勘弁して下さい!」 「俺はまだまだこの世に未練が」 「和臣、久礼。お前達、何を騒いでいるんだ? それに俺は、外で待っていろと言った筈だが?」 そして三人が揉めていた背後から、突如として不機嫌そうな声がかかった瞬間、二人は即座に美子の手首から手を離して勢い良く振り返り、上半身を九十度近くまで折り曲げた。 「押忍、お疲れ様です!」 「ご到着を、お待ち申し上げておりました!」 「……やっぱり帰って良いかしら?」 如何にも体育会系的な挨拶をする二人から、美子は諸悪の根源であろう男に視線を向けて問いかけると、秀明はそれを無視して苦笑し、後輩達に声をかけた。 「今日はすまなかったな。彼女の相手をするのは大変だっただろう。もう帰って良いぞ」 「はい、失礼します!」 「どうぞごゆっくり!」 途端に顔付きを明るくして、再度一礼してから脱兎の勢いで走り去る彼等を見送ってから、秀明は美子に向き直った。 「その部屋が気に入ったのか? じゃあそこに入るぞ」 さり気なく美子の手の中に有るキーに目を向けた秀明は、そこに記載されている番号を確認して、突き当たりの奥にあるエレベーターに向かって歩き出した。そして仏頂面の美子が、その後に付いて歩き出す。 「こんな所で、一体、何の用があるわけ?」 「人目を気にせずに、ちょっと踏み込んだ話がしたかっただけだ。とは言え、俺の部屋に連れ込んだら、社長に良い顔をされないからな」 それを聞いた美子は、軽く眉を上げる。 「自宅でもラブホテルでも、大して変わらないと思うけど?」 「それはちょっとした見解の相違だ。それに近くで用があったから、移動の手間を省きたかった事もある」 淡々と説明しながらエレベーターに乗り込み、美子も乗るのを待って行き先ボタンを押した。 (何なのよ。全くもう! あれだけの人間をわざわざ動かして、何か大事な用があるんじゃないかとは思うけど) 色々怒りが突き抜けていた美子は、今自分がどういう状況にあるのかを正確に認識できないまま、秀明を睨み付けつつ、自身が選んだ形になった部屋に向かった。
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