「……何だ?」 それに美子が、面白がる様な口調で応じる。 「あら、ごめんなさい。ひょっとして寝ていた? ここで一つクイズです」 「ふざけるな。切るぞ」 「今私は、どこのお宅の玄関前に居るでしょうか?」 そう言い終るや否や、美子はインターフォンの呼び出しボタンを押すと、その場に「ピンポ~ン」と言う軽やかな電子音が響いた。そして若干のタイムロスを生じさせながら、電話越しに同じ音が聞こえてくる。 「答えが分かったら、直接答えて」 短く答えて問答無用で通話を終わらせた美子が、携帯電話をバッグにしまい込む。それから無言で待っていると、すぐにドアの向こうで焦った様に開錠する音が聞こえたのと同時に、もの凄い勢いでドアが開いた。そしてその前で待っていた女性にまともに激突し、当然の結果として、彼女が無様に廊下に転がる。 「きゃあっ! 痛っ!!」 「邪魔だ、五月蠅い。そんな所で何をやっている?」 彼女の身体が邪魔でドアが全開にならなかった事で、パジャマ姿で出て来た秀明はドアの裏側を覗き見て不機嫌そうに顔を顰めたが、彼女は憤然として立ち上がりながら、まくし立てた。 「何を、って! 秀明が昨日のデートをすっぽかしたから、心配して昨日から何度も電話をかけたけど繋がらなくて。やっと朝に電話が繋がって寝込んでるって聞いたから、仕事帰りに様子を見に来て」 「用は無い。失せろ」 まともに話を聞く気も無いらしく、冷たく言い捨てた秀明を怒りの形相で見上げた女性は、手に提げていたビニール袋を彼に投げつけて走り去った。 「もう二度と来ないわよ! この最低野郎っ!!」 (激しく同感だわ……) 彼女の捨て台詞に共感しながら、美子はたった今見事な鬼畜っぷりを披露してくれた秀明を、しげしげと見上げた。伸びたままの無精髭と、乱れた上に汗で額に張り付いている前髪で、どうやら熱を出して寝込んでいたのは本当らしいと分かったが、とても秀明を擁護する気分にはならなかった美子を、秀明が不審げに見やる。 「で? お前はどうしてここにいる?」 その問いに、美子は思わず溜め息を吐いた。 「父に様子を見て来てくれって頼まれたの。あなた今日、会社を休んだんでしょう? とにかく、中に入れて貰える? ろくに食べてないと思うし、何か作るから」 「……分かった」 一瞬顔を顰めたものの、気だるげに前髪をかき上げた秀明は場所を譲って玄関に入る様に促し、美子は廊下に落ちたビニール袋を拾って、秀明のマンションに上がり込んだ。 (レトルトのお粥に、スポーツドリンクとゼリー飲料か。彼女なりにコンビニで買える物で、それなりに考えてくれた筈なのに……) 廊下を歩きながらさり気無くビニール袋の中を覗き込み、その中身を確認した美子は、多少嫌な思いをさせられたものの相手の女性に軽く同情すると同時に、秀明に対する嫌悪感を募らせた。そして部屋の配置から1LDKの間取りらしいと判断しながらキッチンに入った美子は、台の上に持参した食材を置き、床に置いたバッグの中からエプロンを取り出して身に着け、戸棚や冷蔵庫の扉を開けて確認し始める。 「さて、作りますか。……だけど、やっぱりろくな食材は無いわね。ご飯も、念の為に炊いてきたのを持って来て良かったわ」 独り言を呟きながら頭の中で算段を立てていた美子に、ここで声がかけられた。 「……美子」 「気安く名前を呼ばないで欲しいんだけど?」 てっきりすぐ寝室に戻っていると思っていた秀明が、キッチンの入口のドアに背中を預けてもたれかかる様に佇んでいた為、美子は渋面になりながら言い返した。しかし彼女以上に苦々しい顔付きで腕組みをしていた秀明は、常よりも若干低い声で確認を入れてくる。 「本当に、社長がお前に『様子を見に行け』と言ったのか?」 「そっき、そう言ったけど?」 「あの陰険親父……」 美子が不審そうに見返すと、秀明は組んでいた腕を解いて拳を握り、舌打ちしながら苛立たしげに背後のドアを叩いた。その行為に、美子ははっきりと軽蔑の視線を送る。 「何? 父は親切心から言ったのに、そんな事を言うならもう帰らせて貰うわ」 「誰が帰すかよ!!」 「え? ちょっ……」 本気で腹を立てた美子が、食材をそのままに帰ろうと床に置いてあるバッグに屈んで手を伸ばしたところで、素早く距離を詰めた秀明に肩を掴んで突き飛ばされ、床に仰向けに転がった。
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