半世紀の契約
(22)密かな準備③

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「あの……、つかぬ事をお伺いしますが……」 「はい、ご質問ですか? 何なりとお尋ね下さい」  背中のファスナーを上げながらスタッフの一人が明るく応じると、美子は何気ない口調で切り出した。 「ここの店は、ウェディングデザイナーの真柴咲さんが、当初オーダーメイドでウェディングドレスを作製販売する為に設立しましたけど、数年前からより幅広い層を対象にプレタポルテとしてのドレスの販売を手掛ける様になったんですよね?」 「はい、良くご存じで」 「それで、ドレスのレンタルに事業まで業務を広げたなんて話は聞いていなかったんですけど、最近始められたんですか?」  美子としては素朴な疑問を口にしただけだったのだが、何故かその途端、スタッフ三人の手と口の動きが止まった。 「……え?」 「ええと……」 「そ、それは……」 「皆さん、どうかされました?」  何やら顔を見合わせて動揺している女性達を、美子は不思議そうに見やると、この間クリップボードを手にして壁際に佇んでいた若松が音も無く歩み寄り、クリップボードを床に落とした次の瞬間、いきなりガシッと美子の両肩を掴んで訴えた。 「新婦様!!」 「はっ、はいっ! 何でしょうか!?」 「新婦様が仰る通りです。レンタル業務は最近始めたばかりなのですが、実はそれを大々的に公表してはおりません」 「あ、ええと……、そう、なんですか」  怖い位真剣な顔で告げてくる若松に、気圧されながら美子が頷くと、若松はそこで急に痛恨の表情になって切々と訴え続ける。 「お恥ずかしながら、華やかなこの業界も不況の波には逆らえず……。一生に一度の事とはいえ、ドレスを購入して頂く方は減る一方。『このままでは業務縮小も止む無し、それよりは』と、先生がレンタル業務を開始するという、苦渋の決断を致しました」 「……お察しします」  思わず(このご時世、どこも苦労しているのね)と美子が同情した時、若松がくわっと目を見開いて、更に美子に迫った。 「ですが! それが公になれば、プレタポルテであっても高級感を売りにしている私共のブランドに、陰りが出るのは必定!! 故にご事情の有る方やお得意様に限ってのみ、極秘にレンタル業務を執り行っております。その代わりに口コミやお客様のご紹介をして頂くというシステムになっておりますので、新婦様におかれましては、決して今回のドレスをこの店舗からレンタルしたのだと言う事を口外して頂かない様に、くれぐれもお願い申し上げる次第で」 「分かりました。分かりましたから! 決して口外しませんので、安心して下さい!!」 「ご理解とご協力を頂き、誠にありがとうございます」  彼女の剣幕に恐れおののいた美子が慌てて頷いた為、若松はすぐに手を離して先程までの営業スマイルに戻りつつ、呆然としていたスタッフ達に声をかけた。 「ほら、あなた達、新婦様のお着替えを手伝って頂戴」 「はい! それではこちらが、セットの手袋になりますね。これは長いタイプになっていますので……」  そして美子の試着を続行させつつ、手の空いた者は美子に聞こえない様に小声で囁き合った。 「さすが主任。上手く誤魔化してくれたわ」 「私達は、あの域にはまだまだよね……」  それから全てのドレスの試着を終えた美子は、秀明と共に撮影した画像を見ながら相談して一着を選び、それに合わせた小物を一通り選んでから店を出たが、既に夕方に近い時間帯になっていた。 「あの……、家まで送ってくれるの?」  特に何も言わずに走り出した為、一応美子が確認を入れると、秀明はチラリと彼女の方に視線を向けてから、不思議そうに問い返した。 「家まで迎えに行ったのに、どこかの駅前で降ろすと思ったのか?」 「特に何も言っていなかったし」 「そう言えば、言っていなかったか?」  どうにも噛み合わない会話である事を自覚しながら、美子は溜め息を吐いて妹達に言われていた事を口にした。 「その……、皆から『夕方までかかって、家まで送ってくれるなら、お夕飯を作って待っているから江原さんにも食べて貰う様に言って』と言われているんだけど……」  控え目に美子がそんな事を口にすると、秀明は意外そうに答えた。 「へぇ? それはありがたいな。お相伴に与るよ」 「……どうぞ、ご遠慮なく」  面白く無さそうに美子が応じた為、秀明は苦笑いしながら指摘した。 「できれば遠慮して欲しいといった顔付きだな」 「そんな事は」 「だから余計、ご馳走になりたくなった」 「本当に性格悪いわね!」  憤然として美子が言い返すのと、運転しながら秀明が高笑いしたのはほぼ同時で、それから藤宮邸に到着するまで、秀明は笑いを抑える事ができなかった。

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