「お待たせしました」 そうして谷垣の目の前に出されたお盆の上には、ご飯とお味噌汁は勿論の事、小皿や小鉢に六品並べた、質量共になかなかの物だった。 「うわ、久しぶりだな、こういう純和風のお惣菜。いただきます!」 「はい、召し上がれ」 空になった丼を回収して美子は自分の席に着いたが、その間も黙々と食べていた谷垣が、感心した様に感想を述べた。 「う~ん、胡麻和えも揚げ豆腐も、良い素材使ってますよね。一切手抜き感が無いのが良いなぁ。出汁もしっかり取れてるし」 「でもおもてなし料理とは、少し違いますでしょう?」 「いやいや、手の込んだ料理を食べたかったら、金を払って食べに行きますって。普段食べるなら、こういう寛いで安心できる料理ですよね。この茶碗蒸しも旨いですよ」 手に持っていた器を軽く上に上げつつ谷垣が述べると、美子は少し困った様に言葉を返した。 「ありがとうございます。でもご実家で食べておられた物の方が、美味しいのではありません?」 「それはまあ、食べ慣れている物の方が愛着はありますし。でもお姉さんの料理の腕もなかなかですよ?」 「それは嬉しいのですが、生憎美恵はあまり料理が得意ではなくて。私並みに作れると思われると、少々可哀相なのですが」 「……姉さん」 わざとらしく頬に右手を当てながらしみじみと述べた美子に、美恵は怒りの形相になり、その他の者は一斉に顔を強張らせたが、谷垣は平然と笑い飛ばした。 「そんな事はとっくに分かっていますから、大丈夫ですよ? 美恵は手抜き料理は上手いですが、手の込んだ物はいつも俺が作っていますから」 「……康太」 「あら、それなら良かったわ」 「ええ、安心して下さい」 一人顔を引き攣らせた美恵を無視するように、美子と谷垣が意気投合して「うふふ」「あはは」と笑い合い、傍目には問題なく谷垣が綺麗に料理を平らげていく光景を藤宮家の面々は眺めていたが、不穏な気配を隠そうともしない美恵を意識して(これで良いんだろうか?)と密かに頭を抱える羽目になった。 そして谷垣と美恵が帰った後、夜の時間帯になって美子の携帯に美恵から電話がかかってきた。 「今日のあれは、一体どういう事? 姉さん並みに料理ができなくて悪かったわね」 かなり棘のある口調にも動じず、美子は冷静に言い返した。 「本当に気にしていないみたいだから、良かったじゃない。それにやっぱり茶碗蒸しが好物みたいね」 「それがどうしたのよ?」 「結婚前に、先方の家にご挨拶に行くんでしょう? 一通り挨拶をしたら、谷垣さんのお宅の茶碗蒸しの作り方を教わって来なさい」 「は? 何よ、それ?」 いきなり脈絡の無さそうな事を言い出した姉に、美恵は困惑気味に問い返したが、美子は淡々と話を続けた。 「ご実家の料亭は、ご両親と妹夫婦で営んでいるから、未だにフラフラしている一人息子が万が一戻って来たりしたら、もの凄く面倒なのよ。分かるでしょう?」 「それは……、本人からも『帰省する度に肩身が狭い』とかの話は聞いてたし」 「だから自分で稼ぐから生活費の心配は要らない、風来坊の夫で構わない嫁なんて、家事がからきしでも諸手を挙げて歓迎してくれるわ」 「……何か今日で一番、ムカついたんだけど」 押し殺した声で告げて来た美恵に、美子が追い打ちをかける様に話を続ける。 「それにあなたは今まで周りからちやほやされる事ばかりで、仕事上では分からないけど、プライベートでゴマをすったり愛想笑いなんて芸当、まともにした事は殆ど無いでしょう?」 「ほっといてよ」 「だから茶碗蒸しのレシピを教えて貰いながら、それについての会話だけしていれば、無愛想な女なんて言われないわよ。それに『長く日本を離れた後に帰国した時位、美味しい茶碗蒸しを食べさせてあげたいので教えて下さい』とか言えば、なんていじらしい嫁だと泣いて喜んでくれるかもよ?」 そう言って小さな笑い声を漏らした美子に、美恵はもの凄く懐疑的な口調で問い返した。 「…………そんな事位で陥落させられる、チョロイ親だと思うの?」 「何か賭けましょうか?」 「止めておくわ」 即答した妹に美子は苦笑いしてから、口調を改めて話題を変えた。 「それから結婚したら、住む所はうちから徒歩三十分圏内にしなさい」 「何なの? その命令口調?」 「谷垣さんはあてにできないし、子供ができても働くんでしょう? 忙しい時や病気の時は預かってあげるわ。一人見るのも二人見るのも大差ないしね」 すると美恵は少し面白く無さそうに、ぼそりとある事を告げる。 「最寄駅の隣の駅から、徒歩五分のマンションを借りたわ。来月引っ越すから」 どうやら最初から当てにしていたらしいと分かった美子は、笑いを堪えながら、表面上は素っ気無く通話を終わらせた。 「そう。じゃあせいぜい頑張ってね。おやすみなさい」 そうして携帯を耳から離すと、正面に座って美子のやり取りを聞くともなしに聞いていた秀明が、苦笑しながら声をかける。 「あれはそれなりに気に入ったか?」 「そうね。蕎麦と言っても馬鹿にしないで、きちんと味わって食べていたし。何より食べ方が綺麗だったわ。汁物や掴みにくい煮豆をを食べたのに、箸も先から二cmしか濡らしていなかったし。料亭を営んでいる位だから、きっとご両親が厳しかったんでしょうね。稼ぎが無くても根性が曲がってないなら、大した問題は無いでしょう」 それを聞いた秀明は、正直(そんな事で納得するのか)と呆れながら感想を述べた。 「本当に、意外な所で豪胆だな」 すると美子は、何故か面白がる様な表情になって、僅かに身を乗り出しながら囁いた。 「ちょっとした秘密を教えてあげる」 「何だ?」 思わず内緒話をする様に、秀明も僅かに身を乗り出すと、美子は笑いを堪える様な表情のまま告げた。 「お母さんはね、お父さんの箸遣いが上手で綺麗に食べる所が、一番先に好きになったんですって」 その言葉に、秀明は一瞬当惑した表情になったものの、すぐに小さく噴き出した。 「なるほど。先達の教えに従ったって事だな。やっぱりお義母さんは偉大だ」 「そう言う事。美樹、くまさんは叔父さんになるみたいよ。今度来たらまた遊んで貰いましょうね?」 「うん! くま~!」 会話の内容は分からないまでも、また遊んで貰えると分かったらしい美樹が美子の横で元気良く頷き、秀明は(確かに子供にあれだけ懐かれるなら、変な人間ではないだろうな)と考え、次いでかなり自分らしくないその考えに、再度笑ってしまったのだった。
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