半世紀の契約
(7)華麗なる転身①

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 秀明が謝罪の為に自宅に押し掛け、予想外のシュート対決をして、一見大人しく引き下がってから約二ヶ月後。  食堂で一家揃って朝食を食べていると、思い出したように昌典が言い出した。 「そう言えば、美子。この間すっかり言い忘れていたが、白鳥さんは経済産業省を辞めて、旭日食品に入社したからな」 「白鳥さん…………、はぁ!? 何それ!」  秀明の事など、訪問した翌々日には綺麗さっぱり記憶から消去していた美子は、一瞬戸惑ってから驚きの声を上げた。美実以外の者達も黙ったまま軽く目を見張ったが、昌典は淡々と話を続ける。 「何だと言われても……。彼が二ヶ月前に家に来た時、結婚を前提にした交際の申し込みをしてきた彼に、お前が『旭日食品に入社して、課長職以上になったら出直して来い』と、彼を追い返したんだろうが。彼はその約一ヶ月後に入社している」  冷静に詳細を告げてきた父親に、美子は自分の顔が強張っているのを自覚しながら、一応弁解してみた。 「あの、お父さん、ちょっと待って。確かに私はあの時、そう言った覚えはあるけど、それは言葉のあやと言うもので」 「因みに、はっきりと詳細を聞いた訳では無いが、彼が経済産業省を辞めるに当たって、ご家族と相当揉めたらしいな。父親の白鳥議員の逆鱗に触れて白鳥家の籍から抜けて、母方の江原姓を名乗る事になったらしい。それで江原秀明の名前で入社したから、最初彼の事が分からなくてな。その後社内でちょっと噂になって、それを確認する為に人事部長に聞いて、漸く彼の事が分かったんだ」 「噂って、どんな噂ですか……」 「まあ、色々だ」  思わず胡乱な目つきで問いかけた美子だったが、昌典は食事を再開しつつ、その視線と疑問を受け流した。そしてそのやり取りを聞いた美恵達が、それぞれ小声で感想を漏らす。 「美子姉さん……、傍迷惑で罪作りな女ね」 「あっさり親子の縁を切っちゃうなんて、本当にやるわね」 「じゃあ美子姉さんの事、真剣に考えてくれてるのよね?」 「別に無理に名前を変える必要無かったのにね。婿養子に入ったら嫌でも名前が変わるのに。変なの」 (皆、相変わらず勝手な事を!!)  予想外の事を聞かされた上、秀明の転職の責任をなすりつけられた様に感じた美子は、未だに学生である妹達を叱りつけた。 「皆、無駄話してないで、さっさと食事を終わらせなさい! 学校に遅れるわよ!?」 「はぁ~い」  それから美幸から年の順に慌ただしく出かけて行ったが、出勤時間に余裕がある昌典が居間で新聞を読んでいると、その前にお茶を出しながら、美子がいつもより低めの声で問いかけた。 「ところで、あの人は入社に当たって、何をしたんですか?」 「『何をした』とは?」  読んでいた新聞を畳みながら昌典が面白そうに問い返すと、美子は苦虫を噛み潰した様な顔で言葉を継いだ。 「一ヵ月前というと六月だもの。そんな中度半端な時期に採用だなんて、あり得ないわ。本来なら採用枠なんか無いでしょう?」  しかしその指摘にも動ぜず、昌典は湯飲みを手に取ってお茶を少し飲んでから静かに言い返した。 「『本来なら』な。だが、採用を決めたのは人事部長だ。社長の私が一社員の入社経緯まで細かく知るわけは無いが、白鳥議員以外のコネを使ったか袖の下を掴ませたか、それとも人事担当者の弱味でも握ったか……。彼についての情報を持って来させた時、人事部長の顔色が相当悪かったからな」 「お父さん……、笑いながら口にする内容じゃ無いわ」  最後はニヤリと意味ありげに笑った父親を見て、美子が心底呆れながら窘めたが、昌典は益々面白そうに言い返した。 「なんだ、そんなに彼の採用事情の詳細が知りたいのか? それなら人事部長に頼んで聞いてやるが」 「そんな事は一言も言ってません!」 「そうか」 (何よ、お父さんったら、その含み笑いは……)  美子が思わず声を荒げると、昌典は満足げに頷いて再び茶を飲んだ為、それ以上文句は言えずに黙り込んだ。そして迎えに来た社用車で昌典が出勤した後も、美子はモヤモヤとした気持ちを抱えながら一日を過ごす羽目になった。

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