「終わったのね。どうだった?」 その問いに、佐竹はまだ幾分硬い表情ながら答える。 「取り敢えず、話には乗って貰えました。後は出された条件をクリアするだけです」 「そう……。頑張ってね」 小さく笑って激励した美子だったが、ここで佐竹は若干探る様な視線を向けてきた。 「藤宮さん。何か口添えして頂けたんでしょうか?」 「何の事かしら?」 恐らく加積が中座した後に話が纏まった事で、その間に自分が何か働きかけたのではないかと佐竹が推察しているのが分かった美子は、あくまでしらを切った。しかし佐竹はそれ以上その事には触れずに、頭を下げる。 「この度は色々とご助力ありがとうございました。つきましては、先輩には言い分があるでしょうが、些少なりともお礼がしたいのですが」 「お礼は一昨日して貰ったつもりだし、まだ譲って貰うと決まった訳では無いんでしょう? お礼を頂くにしても、首尾良く事が運んでからでないとね」 にっこりと笑って応じた美子に、佐竹も若干気を取り直したらしく表情を緩める。 「それでは万事上手く解決しましたら、そうですね……、今は五月ですから、お中元に何かお贈りするのはどうでしょうか?」 それを聞いた美子は、ちょっと考えてから答えた。 「お中元ね……。それなら永鐘堂の水羊羹を頂ける? 家の者は全員、そこの水羊羹が好きだから」 「分かりました。成功した暁には、必ずお贈りします」 そんなやり取りをしていた二人に、楽しげなこの屋敷の女主人の声がかけられた。 「美子さん、せっかくだからお茶を飲んでいって! その子はもう帰るから」 「ええ、用は済んだので、さっさと帰ります。色々忙しくなりそうなので」 「ええ、さようなら」 体よく追い払われた佐竹だったが、それは願ったり叶ったりだったのは明白で、互いに苦笑いしてその場で別れた。 それから広い和室で、予め用意してあった大きなぬいぐるみと格闘している美樹を微笑ましげに眺めながら、加積の妻である桜はおかしそうに美子に告げた。 「うふふ……、美子さんったら、あんな物を主人に渡しちゃって、本当に良かったの? 主人ったら、もう出したくて出したくてうずうずしてるわよ? 『あのしたり顔の若造の悔しがる顔が見たい』って」 その台詞にも動じることなく、美子は余裕で微笑み返す。 「申し訳ありませんが、本当にあれは1ヶ月間預かって頂くだけですから。主人に私の判断で使えと言われたので、使ってみただけですもの」 「あらあら。美子さんのご亭主は、随分あの子に肩入れしているのね。大丈夫かしら?」 「主人がやれると確信しているなら、私も信じてあげなければ駄目でしょう」 そう言ってすましてお茶を飲んだ美子を見て、桜は冷やかす様に声をかけた。 「相変わらず、仲が良いわね」 「桜さん達程ではありませんわ。年季が違います」 「確かにそうね」 そこで女二人は朗らかに笑い合い、そんな二人を見た美樹が「う?」と不思議そうに首を傾げたのだった。 「ただいま」 「お帰りなさい、秀明さん。今日は遅かったわね。すぐご飯にする?」 「ああ。そうしてくれ」 「それからあなたが出がけに言った様に、“あれ”を使ってきたから」 「そうか」 その日もいつも通り、帰宅した秀明を出迎えた美子だったが、自分の目の前に夕食を揃えている彼女の左手を見た秀明は、軽く顔を顰めた。 「……お前も指輪を渡してきたのか?」 しかしその問いに、美子は平然と言い返す。 「だってあなたが渡してるのに、私が渡さないなんて変じゃない?」 「二人同時に指輪を無くすなんて、周囲に怪しまれないか?」 「夫婦揃って偶々変な所に置き忘れて、忘れた頃に揃ってポロッと出て来るだけよ。でも……」 「何か問題でも?」 事も無げに言いかけて何故か急に口を閉ざした妻に、何事かと秀明が尋ねると、美子はくすりと笑って思ったところを述べた。 「『無くすのも見つけるのも一緒だなんて、よっぽど夫婦仲が良い』って、周囲から呆れられないかしら?」 「……確かにそうだな」 一瞬当惑したもののすぐに秀明は笑いだし、美子からその日の首尾を聞きながら、遅めの夕飯を楽しく食べ進めたのだった。 それから約二か月後。藤宮邸に宅配便が送り付けられた。 「藤宮さん、お届け物です」 「はい、少々お待ち下さい」 インターフォンで応対した美子が、玄関から出て「お待たせしました」と言いながら門の鍵を開けて戸を引き開けると、目の前の光景に唖然となった。 「すみません……、玄関まで運びますので、玄関を開けて頂けないでしょうか?」 「あ、は、はい!」 (何事? あの山積みは?) 何個も積み重なった平べったい箱を両手で抱えた担当者に懇願され、美子は慌てて玄関に掛け戻り、戸を開けて「こちらにどうぞ」と上がり口を手で示した。そして取り敢えずその荷物を置いて貰ってから、改めて配達員に確認を入れる。 「あの……、何かの間違いじゃありませんか? どうして同じ箱が十個もあるんでしょうか?」 「いえ、確かに伝票ではこの様になってまして……。送り主の名前に心当たりはございませんか?」 困惑顔で配達員が胸ポケットから取り出した伝票を覗き込んだ美子だったが、品名欄に《永鐘堂 特選水羊羹詰め合わせ三十個入り 十箱》、送り主欄に《佐竹清人》と記載があるのを目にして、了解の返事をした。 「……ああ、事情は分かりました。確かにうち宛で間違いありません」 「そうですか。それでは印鑑かサインをお願いします」 明らかに安堵した顔付きになった男から、美子は伝票とボールペンを受け取り、受領印の欄にサインを済ませた。そして元通り門と玄関の鍵を閉めてから、玄関の上がり口に積み重なった箱を見下ろして、うんざりした顔になって愚痴を零す。 「全く……。指輪をちゃんと返して貰ったから、上手くいったのは分かってたけど、奮発し過ぎでしょうが。でもこれ位しないと、秀明さんに変な難癖を付けられるとでも思ったのかしら?」 そこで呆れた様に首を振った美子だったが、早々に気持ちを切り替えた。 「まあ良いわ。せっかく頂いたし、叔母さんや叔父さん達のお家に配る分に、回せば良いわね。家で食べる分は、早速冷やしておきましょう」 そうして一番上の箱を一つ持ち上げた美子は、何事も無かったかのように家の奥へと戻って行った。
コメントはまだありません