半世紀の契約
(16)事の発端①

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 正月気分もそろそろ抜けようかと言う時期の、月曜日の午後。自宅の固定電話にかかってきた電話に出た美子は、かなり当惑する事になった。 「美子、ちょっと頼まれて欲しいんだが」 「何? お父さん。忘れ物か何か?」 「江原君だが、今日休んでいるんだ。会議に出て来ないから部署に尋ねたら、土曜日から風邪をひいて、こじらせて寝込んでいるらしい」 「あら……」 (細菌だろうがウイルスだろうが、弾き返すか捻り潰すイメージしかないんだけど、意外ね)  咄嗟に言葉が出なかった美子が黙って話を聞いていると、昌典は予想外の事を言い出した。 「彼は一人暮らしの筈だし、面倒を見てくれる家族もいないだろうから、食べる物を持ってちょっと様子を見に行ってくれないか?」  その依頼に、美子は幾分皮肉っぽく言い返す。 「一社員の事を、随分気にかけるのね?」 「彼の事は、深美も随分気に入っていたからな。少し位世話をしても良いだろう」  全く動じることなく言ってきた昌典に、美子は小さく溜め息を吐いて応じる。 「分かったわ。早めに夕飯の支度を済ませてから、夕方彼の様子を見に行って来るから」 「頼んだぞ」  それほど抵抗なく請け負ったものの、現実的な問題で美子は一人考え込んだ。 (土曜日からとなると、丸二日? まだ熱が下がっていないのかしら? 回復期だったら良いけど、困ったわね。今の体調が分からないと、どんな物を持っていけば迷うわ……)  仕事で忙しい筈の父に電話をかけて尋ねるのも、かけても詳細までは知らないだろうと思って躊躇われ、美子は直接秀明にメールしてみた。しかし数分待っても返信が無かった為、情報収集を諦める。 「応答なし、か……。熟睡してるなら電話をかけて起こすのは悪いし、取り敢えず適当に見繕って行ってみましょう」  そして美子は手早く必要な物を買い揃え、夕飯の支度も済ませてから、帰宅した美野や美幸に後の事を頼んで、必要な物を持って秀明のマンションへ出かけた。  住所だけは把握していたそこに、迷わずに到着した美子は、入口を通ってエレベーターに向かい、目的階まで上がった。そして廊下に足を踏み出した美子は、進行方向を見て軽く首を傾げる。 「……あら?」  その視線の先には、美子が目指すドアの前で「ちょっと、秀明! 居ないの?」と声を張り上げつつ、玄関ドアを叩いたり、インターフォンのボタンを押し続けている女性の姿があった。それに色々思うところがあったものの、美子は何食わぬ顔で足を進める。 「……誰? あなた」  さすがに至近距離まで来た相手に気が付いたらしく、その目鼻立ちの整った女性が不審そうに尋ねてきた為、美子は淡々と答えた。 「こちらの住人を訪ねて来たんですが、あなたはお知り合いですか?」 「ええ、恋人だけど。あなたは? 単なる知り合い?」  堂々と宣言し、更に美子を上から下までジロジロと眺め回した挙句、優越感に満ちた眼差しを向けて来た相手に、美子は溜め息を吐いて言い返した。 「そうですね。ですが合鍵の一つも貰っていない、自称『恋人』さんよりは、よほど上手く人を使えると思います」 「何ですって?」 「取り敢えず邪魔なので、そこをどいて下さい」 「ちょっと! 何するのよ!?」  途端に相手は目つきを険しくしたが、美子は彼女を押しのけてドアの横に設置してあるインターフォンの前に立った。そしてドアの前でムッとしている彼女には構わず、バッグから携帯電話を取り出す。 (さてと。もの凄く馬鹿馬鹿しいけど。これで起きなかったら、この場で登録情報を抹消してやるわ)  表面上とは裏腹に、かなり腹を立てながら美子が秀明に電話をかけると、暫く待たされたものの不機嫌そうな声が返ってきた。

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