半世紀の契約
(19)男女の機微②

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「まさか。ちゃんと持って来ているよ」  そう言いながら再び紙袋の中に手を差し入れ、中身を取り出した秀明は、それを手にして美子の方に膝を進めた。 「それでは美子さんの分は……、これになります」 「これって……」  美子に向かって軽く畳の上を滑らせた物は、海外の物と思われるDVDケース一つだけで、藤宮家の面々は意表を衝かれた。しかしそのタイトルを読み取った美子は、大きく目を見開く。 (あのドイツ語……、え? 十年前にクラウディオ・ジンガーが引退するのを記念して、所属クラブチームが特別に限定制作した特別編集DVD! あの仕事師クラウディオの死闘激闘、名プレーが収められて、コアなファンが頑として手放さない幻のDVDがここに!? 嘘!? 夢じゃないかしら!!)  現役時代に名MFとして名を馳せた彼のプレーに惚れ込み、時折放映される衛星放送の解説を直に聞きたい一心でドイツ語まで習得してしまった美子にとっては、以前から喉から手が出るほど欲していた物が目の前に出現した事で、一瞬現状を忘れた。しかし穏やかな秀明の声で、すぐに我に返る。 「幸い、ドイツと日本はリージョン・コードが同じなので、再生に支障はないかと思いますが、万が一お手持ちのDVDプレイヤーで再生が不可能なら、対応した物も併せてプレゼントします」 (夢じゃなくて、紛れもない現実だわ)  したり顔で言葉を重ねた秀明を見て、美子は項垂れたいのを必死に堪えた。そして何とか声を絞り出す。 「いえ、パソコンなら再生に問題はないかと思いますが」 「ああ、その手もありましたね」 (この男……、どこまで狡猾なのよ! 中身が見えない状態だったら、遠慮なく突っ返したのに。それを見越して他の物とは違って、これだけわざと剥き出しのままなんて……)  不敵に微笑んでいる秀明を見て、美子は膝の上に乗せた手を握り締めながら、内心で激しく葛藤した。そんな彼女の心情が手に取る様に分かっていた秀明は、飄々とした口ぶりで再びDVDに手を伸ばす。 「どうかしましたか? 美子さん。お気に召さないなら、これは止めて、何か別の物をお持ちしますので」 「あのっ!!」 「はい、何か?」  DVDに手をかけて引き寄せようとした秀明の手首を、美子は反射的に掴んで引き止めた。そしてかなり逡巡する素振りを見せたものの、全面的に降参する。 「…………せっかくですので、ありがたく頂戴致します」 「そうですか。どうぞ、お納め下さい」  そして勝ち誇った表情の秀明がDVDから手を離した為、美子も彼の手首から手を離した。 (勝ったな) (負けたっ……)  明らかに対照的な二人の表情を見て、この一部始終を目の当たりにしていた昌典は口元を押さえて必死に笑いを堪えた。そんな中美野と美幸が、無邪気に小声で囁き合う。 「少しハラハラしたけど、美子姉さんが受け取ってくれて良かったわ」 「本当。江原さん、良かったね」  しかしその感想に、上の二人が水を差した。 「そうでもないんじゃないの?」 「そうよねぇ……」 「え?」 「どうして? 美子姉さんが受け取ってくれて、江原さん、凄く嬉しそうだけど?」  途端に怪訝な顔になった下二人に、美恵と美実は顔を見合わせて苦笑する。 「まだまだ男女の機微ってものが、分かってないわね」 「ま、二人ともまだお子様だから、仕方が無いか」 「お子様って……。私、もう高校生なんだけど?」 「中学生は、子供じゃないでしょ!?」  互いに声を潜めてのやり取りではあったが、通常では十分聞き取れる至近距離であったにも係わらず、敗北感にまみれていた美子の耳には全く届いていなかった。

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