半世紀の契約
(9)祖父の薫陶②

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 美子の父方の祖母である倉田康子の誕生日を祝う席には、夫妻の娘二人と息子二人、加えてその伴侶と子供達が一堂に顔を揃え、賑やかに開催されていた。 「おう! 来たな、美子」 「はい、おじいちゃん、こんにちは。おばあちゃん、おたんじょうび、おめでとう」  両親と並んで、ちょこんと上座の祖父母の前に正座した美子は、持参した折り紙で作った小さな花束を、祖母に手渡した。それを受け取って眺めた康子が、嬉しそうに顔を綻ばせる。 「あら、嬉しい。これを私にくれるの?」 「うん。よしこがつくったの。おかあさんに、おそわったのよ?」 「上手にできたわね。凄く綺麗よ? ありがとう」 「どういたしまして」  にこにこと言葉を返す美子を、この家の主である公典は、慈愛に満ちた眼差しで眺めた。これまでに何人かの男孫は誕生していたものの、初めての孫娘である美子を溺愛していた彼は、何を思ったか急に沈鬱な表情になって、溜め息を吐く。 「本当に美子は可愛いな。将来、変な男にちょっかいを出されないか、今から心配だぞ」 「ちょっかい?」  聞いたことの無い言葉に美子は首を傾げたが、それを聞いた昌典は呆れ顔になった。 「親父……、美子はまだ三歳だぞ? 今からそんな心配をしてどうする」 「お前は黙ってろ。美子の下に妹も生まれたんだぞ? 益々油断できないじゃないか」 「あのな……」  完全に本気の父親に、昌典は疲れた様に溜め息を吐いたが、当の本人は大真面目だった。 「よし、良い機会だ。美子、ここに座りなさい」 「はい」 「あなた、何をする気ですか?」  トントンと自分の目の前の畳を叩いて示しながら、公典が美子に言いつけると、彼女は素直にやって来てきちんと正座した。訝しんだ康子が夫に声をかけたが、彼はそれを綺麗に無視して美子に言い聞かせる。 「良いか? 美子。お前は藤宮家の長子だ。長子という者は常に下の者を庇護し、正しく導く存在でなければならない。分かるか?」  そう問われた美子は、真っ正直に答えた。 「わかりません」 「何だと?」 「おじいちゃんのおはなし、むずかしいの」 「うぬうっ……」  困った顔になっている美子を見て、公典は子供が相手なのについいつもの調子で喋っていた事に気が付き、思わず唸った。それを見て康子は小さく笑ってから、分かり易い言葉で言い直す。 「美子ちゃん。さっきのお話は、お姉ちゃんは妹を大事にして、守ってあげなきゃいけないって事よ?」 「うん、だいじょうぶ、できる! よしえ、かわいいから、だいすきよ?」 「そう。美子は良いお姉ちゃんね」  元気一杯頷いた美子にその場がほっこりと和み、康子は笑顔で孫娘を褒めた。そんな中、公典が仕切り直しとばかりに軽く咳払いしてから、真剣な顔付きで再び美子に言い聞かせる。 「それでだな、美子。お前はまだ小さいから分からないと思うが、世の中は実に危険が一杯だ」 「きけん? いっぱい?」 「そうだ。それで、もし美恵と二人だけの時に危険な事があったら、お前が美恵を守って戦わなければいけないんだ。分かるな?」  そう言われた美子は、目をパチクリさせて固まった。そしてそのまま考え込んだが、周囲の者はその無茶振りに本気で呆れる。 「あなた……、何を言っているんですか?」 「戦うって……、親父。一体、どんな場面を想定してるんだ?」 (よしえとふたり……、きけん、いっぱい、まもる……)  大人達が顔を見合わせて溜め息を吐いている間、美子は一生懸命考えた。そして真面目な顔で宣言する。 「うん! よしこ、おねえちゃんだもん! たたかう!」 「良く言った!! それでこそ俺の孫!」 「……あらあら、可愛い事」 「盛り上がってるな、お義父さん」  美子の宣言に上機嫌に応じた公典を見て、美子の伯母やその夫達は必死に笑いを堪えた。すると益々公典が暴走する。 「よし、ここでお前の意気込みが本物かどうか見極めてやる。さあ、美子。どこからでもかかってこい! 俺を賊だと思って、殴るなり蹴るなり好きにしろ!」  そう言って立ち上がり、座布団から畳に下りた公典は仁王立ちになった。その祖父を、美子は不思議そうに見上げる。 「ぞく?」 「敵や悪者って事だ。さあ、俺をやっつけてみろ!」 「うん! がんばる!」  こちらもやる気満々で美子が立ち上がった為、流石に周りの大人達も止めに入った。 「あなた! いきなり何を言い出すんですか!?」 「親父! ふざけるのもいいかげんにしろ!」 「あ、あの……、お義父さん。美子も止めなさい」  そこで公典は妻と息子の声は無視したが、流石に嫁の深美に対しては安心させる様に声をかけた。 「深美さん、心配するな。美子の様に小さい子供に殴られたり蹴られたりしても、痛くも痒くも無いからな。この子の意気込みを見るだけだ」 「そう言われましても……」  どうしても不安を払拭できない深美の視線の先で、美子が難しい顔で公典の周りをぐるぐると回り始めた。 (どうやって、やっつけよう……。おじいちゃんおおきくて、て、とどかない。けってもよしこのあし、いたくなる。いたいの、やだなぁ……)  時々立ち止まり、公典を頭からつま先まで眺め直しては再び回り続ける美子を見て、さすがに康子が夫を窘めた。 「ほら、可哀想に。無理難題を言われて、美子ちゃんが困っていますよ? すぐに止めて下さい」 「それなら無理と悟って、『やり方を教えて下さい』と言えば良いだけの話だ。俺は美子に、適切な判断力を身に付けさせるぞ」 「……もう、勝手になさい」  平然と言い切った夫に、康子は完全に匙を投げた。そして他の者達がどうなるのかと、興味津々で見守る中、漸く方針を決めた美子が迷わず行動に出た。 (うぅんと……、よし、きめた。これ!)  そして公典の横で足を止めた美子は、目の前にあった彼の左手を両手で掴んだかと思うと、その指先に力一杯噛み付いた。

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