「とにかく大体の状況は分ったから、夕飯にするか。小早川君は二階に行って、美恵達に話が終わった事を伝えてくれないか。江原君は客間に布団を敷いてあるから、取り敢えず休んで泊まっていきなさい。帰国したばかりで、ただでさえ疲れているだろうからな。美子、案内しなさい」 「……はい」 「分かりました。お世話になります」 そして淳と昌典が立ち上がって廊下に消えてから、美子は控え目に隣に座る秀明に声をかけてみた。 「あの、立てますか?」 「……ああ」 (かなり機嫌が悪そう……。無理も無いとは思うけど) 再び資料を封筒にしまい、秀明はゆっくりと立ち上がって歩き始めた。そしてすぐに奥の客間に辿り着く。 「どうぞ、こちらを使って下さい」 「分かった。……やっぱりああ見えて、淳の奴はマメだな」 襖を開けるなり秀明がそんな事を呟いた為、美子が何の事かと思っていると、淳が持参したらしい秀明の大きなスーツケースを室内に認めて、その理由が分かった。そのまま何となく眺めていると、早速スーツケースを開けてパジャマや服を取り出していた秀明が、不審そうに振り返って声をかける。 「どうした? 行って良いぞ?」 「だけど……」 自分でもどうしたいのか良く分からずにおろおろしている美子を見て、怪訝な顔になった秀明が何か言いかけた所で、美子の背後から美実が顔を出した。 「おい、美子」 「失礼します。江原さん、夕飯はこっちで食べるかしら? それとも皆と一緒に食堂で?」 その問いかけに秀明は一瞬口を閉ざしてから、あっさりと断りを入れた。 「いや、あまり腹が減って無いから、食事は良い。ちょっと疲れたので、寝させて貰う。薬を飲む為の水だけ貰いたいが」 「了解。今持って来るわ。ほら、美子姉さん。なに、こんな所で突っ立ってんのよ。行くわよ?」 「え、ええ……」 そして腕を取られて、半ば引き摺られる様に台所に向かった美子は、美実からの小声で追究された。 「江原さんが怪我してるって、お父さんにメールしたみたいだけど、一体何があったの? あの人の帰国予定より明らかに早いし、お父さんは元気なのに早退しているし、いきなり淳が怒りの形相で現れて居座っていたし」 妹達が相当戸惑った事がその話だけで分かった為、美子は素直に謝った。 「ごめんなさいね。家の中の空気を悪くして」 「別に美子姉さんが謝る事でも無いでしょう?」 「……そうでもないのよね。理由は言えないんだけど」 そこで口を閉ざした美子だったが、色々心得ている美実はそれ以上しつこく聞いたりはせず、「そう」と軽く頷いて話を終わらせた。それに感謝して台所に向かった美子は、水を入れたガラス製の水差しとグラスを手早く丸盆に乗せて、再び客間へと戻った。 「お待たせしました。どうぞ」 「ああ」 そして丸盆を受け取った秀明が、病院で処方された化膿止めや炎症止めの薬を袋から出して飲むのを無言で眺めた美子は、ふと自分に向けられた彼の視線に気付いて、慌てて「失礼します」と頭を下げて客間から出た。そして廊下を歩きながら、溜め息を吐く。 (やっぱり私、まだきちんとお礼を言って無いわよね? 仕事の方もかなり無茶してくれたんだろうし、できれば今日のうちに、ちゃんとしておきたいわ) そしてどう話を進めるべきかと、夕食を食べながら密かに悩んだ美子は、食べ終えてから父親の書斎へと足を向けた。 「お父さん。少し良いかしら?」 「何だ?」 「一つお願いと言うか、相談があるんだけど」 顔を見せるなりそんな事を言い出した娘に、昌典ははっきりと警戒する顔付きになった。 「相談? 取り敢えず言ってみろ。変な事では無いだろうな?」 それを聞いた美子が、がっくりと肩を落とす。 「……今日一日で、お父さんの私に対する信用が、だいぶ下がった気がするわ」 「これで上がる方がおかしいぞ。それで、どうした?」 それから美子の話を聞いた昌典は、かなり面白く無さそうな表情になったが、更に幾つかの事を美子に言われて、不満そうにしながらも彼女の話を了承した。 この数日の強行軍で、意識していなくても身体はかなり疲労していたのか、秀明は布団に横になるとすぐに深い眠りに落ちた。そして何時間かして、微かな痛みと共に覚醒する。 「……っ」 (どれ位、寝ていたんだ?) 見慣れない、常夜灯のみの室内に一瞬戸惑った秀明だったが、すぐに藤宮邸で休ませて貰った事を思い出し、外して枕元に置いてあった腕時計で時間を確認して、一人苦笑した。 (俺らしくも無い。六時間近く爆睡していたか。薬の効果が切れてきたか?) はっきりとした痛みまでは感じないまでも、僅かに疼くような不快さはある胸部を布団の下で軽く押さえながら、秀明は溜め息を吐いた。 「本格的に痛くなって眠れなくなる前に、早めに飲んでおくか」 そう決めた秀明は早速起き上がり、寝る前に持って来て貰ったコップと水に手を伸ばした。するとここで廊下に面した襖が、慎重に少しだけ開けられる。 静かな音でもそれに気が付かない秀明ではなく、反射的に目を向けると、廊下から様子を窺っている美子と目が合う。一方の美子は秀明が布団の上に座り込んでいたのを見て、ちょっと驚いた顔付きになった。 「あ……、起きてたのね」 「どうした?」 「ちょっと様子を見に来たんだけど……、何か食べる? 全然食べていないから、おなかが空いて寝られなくなっていたら困ると思って」 その申し出について秀明は少しだけ真顔で考え、軽く頷いて言葉を返した。 「そうだな……。何か軽く貰えれば」 「お茶漬けと煮物位で良い?」 「頼む」 「分かったわ。ちょっと待っていて」 どうやら予め用意はしてあったらしく、秀明が薬を飲み終えてからそれほど時間を要さずに、美子はお盆を持って戻って来た。それをガツガツと食べる様な真似はしなかったものの、かなりのスピードで平らげてから、秀明が礼を述べる。 「自分で思っていた以上に、腹が空いていたみたいだな。人心地がついて助かった」 「それは良かったわ。お粗末様でした」 その言葉に美子は苦笑いで返したが、すぐにお盆を持って引き上げると思った彼女が、受け取ったお盆を傍らに置いて何やら居心地悪そうに座ったままなのを見て、訝しんだ秀明が声をかけた。 「……何だ?」 その問いかけに、美子はまだ少し迷う素振りを見せてから、ゆっくりと口を開く。
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