半世紀の契約
(12)決裂②

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 そんな事があってから、すぐの日曜日。旭日食品本社の目と鼻の先と言える場所にある喫茶店に、美子は単身出向いた。 「いらっしゃいませ」 「待ち合わせですが……」  自動ドアが開くなり、通りかかったウエイトレスが愛想よく声をかけてきた為、来店の理由を告げかけたところで、近くの席から声がかかる。 「美子」 「……ああ、居ました」  軽く片手を上げて馴れ馴れしく呼びかけてきた相手に、美子は僅かに眉間に皺を寄せてその四人掛けのテーブルに歩み寄った。 「人の名前を、呼び捨てにしないでくれる?」  秀明の向かいの席に座りながら文句を口にした美子だったが、秀明はそれを綺麗に無視した。 「久しぶり。君の方から呼び出して貰えるとは嬉しいよ。さすがに社長経由で、連絡がくるとは思わなかったが」 「呼び出したくは無かったけど、嫌味の一つも言わないと、腹の虫が治まらなかったのよ」 「それはちょっと物騒だな。だが、お気遣いどうも」  苦笑しながら礼を述べた秀明に、美子は軽く片眉を上げる。 「何の事?」 「俺は転職と同時に引越ししたから住所が分からなかったが、社長経由で尋ねるのも嫌だったから、旭日食品本社に程近いここを指定したんだろう? どこに住んでいても、勤務地の傍なら出向くのに支障は無いからな」 「こちらの都合でお呼び立てするなら、それ位はね」  どうでも良い事の様に言い返した所で、先程のウエイトレスが水とおしぼり、メニューを持ってやって来た為、美子はひとまず舌戦は控えて注文を済ませた。そして水を一口飲んでから、早速話を切り出す。 「二ヶ月程前に、あなたとあの加藤望恵って人の間で、縁談が持ち上がったみたいね」 「生憎と君から色よい返事が貰えなくて、建て前上はフリーなもので」  切り出した内容をサラッと切り返してきた為、美子は早くも切れそうになった。 「……私のせいにする気?」 「とんでもない。そもそもその縁談は、親父同士がより一層お近付きになりたいが為に、勝手に持ち込んだ話なんだ。だから心に決めた人がいるからと、見合いの席できっぱり断ったさ」 「そこで私の名前を出したわよね?」  殆ど確信している口調で尋ねた美子に、秀明は多少大袈裟に肩を竦めながら、あっさりと認める。 「信じて貰えなくてね。そうしたら『食い物屋の娘など、何の足しにもならんわ。伝手にも金にもならんだろうが!』とか暴言吐きまくりで腹が立ったので、さっさと籍を抜いて経産省も辞めたんだ。その事を相当周囲にも愚痴っていたらしいな」 「あら、随分潔いこと」  皮肉っぽく笑った美子に、秀明も薄笑いで答える。 「元々上級公務員試験を受けたのも親の面子と伝手を増やす為だったし、未練は無いからな」 「それで? 見合いを蹴って議員達の面子を潰したのも、省庁への伝手が無くなったのも、端から見ると全て私のせいって事になったわけね?」 「本当に馬鹿の考える事は、予測が付かなくて困る」  平然と言い放った秀明に、美子は溜め息を一つ吐いてから話を続けた。 「本当にあなたにとって、私はこの上なく都合の良い見合い相手だったのね。親にとっては全くコネとツテに繋がらない、食品業社長の娘。しかも間違ってもあなたに入れ込んだりしないから、話を進めた場合にも面倒な事にならない女なんて。……それで? お父さん達への復讐ができて、気が済んだの?」 「何の事かな?」  急に口調を変えて問い質してきた美子に、秀明はまだ余裕の笑みを浮かべていたが、続く美子の台詞で徐々に顔から表情が抜け落ちていった。 「あなた、白鳥議員の非嫡出子よね。母親は議員の愛人の一人」 「それが?」 「ああ、愛人って言うと語弊があるかしら? 白鳥議員が事務所のスタッフだった女に面白半分に手を出して、それが奥様にバレてはした金で追い払ったのよね。産まれた子供を認知もしないで。母親は故郷に帰ってあなたを産んだけど身寄りがない上、未婚で父親の知れない子供を産んだ事で、遠縁の人達からも白眼視されて、若くして病死してもあなたの引き取り手なんて現れず、あなたは中三から高一までの約一年間、児童養護施設暮らし」 「…………」  その時点で正面の秀明から、威圧する様なオーラが滲み出ているのを感じた美子だったが、それを物ともせず叔父からの報告書にあった内容を、最後まで喋り切った。 「その挙句、白鳥議員を探っていた三流週刊誌の記者があなたの存在を嗅ぎ付けて、議員を脅した事から親子鑑定の後、恩着せがましく引き取られて、白鳥姓を名乗る事になったのよね? 兄二人がボンクラ揃いで助かったわね。白鳥議員は少しは使えそうな手駒ができたと、当時は喜んだでしょうし。だけど……、父親も父親だけど、あなたの母親って何をどう考えてあなたを産んだのかしら? 全然理解できないわ。それにこんな性格の悪い傍迷惑な人間に育つと分かったら、私だったら絶対堕ろすわよ」 「…………」  相変わらず無表情のままの秀明だったが、美子が薄笑いをしながら注意深く彼を観察すると、その眉間に微かに皺が寄っているのを見てほくそ笑んだ。 「怒った? これであなたが見合いの席で私を怒らせたのと、帳消しよね?」  そう言ってわざとらしく美子が小首を傾げて見せると、秀明はゆっくりとその端正な顔に酷薄な笑みを浮かべながら、声だけ聴けば楽しそうな口ぶりで応じた。 「帳消し? 釣りが出そうだな」 「お釣りねぇ……、私に? あなたに?」 「さあ……、どちらにだろうな?」  二人とも不気味な笑みを浮かべながら睨み合っていると、ウエイトレスが美子が注文したハーブティーを手にやって来た。その為舌戦は一時中断し、秀明も手元の冷めかかった珈琲を口にする。そして美子は無言のままカップの中身を半分ほど飲み、それをソーサーに戻してから真顔で話を再開した。 「今回のあの騒ぎで白鳥議員は収賄容疑で逮捕、後継者の長男は公職選挙法違反で取り調べ中で、恐らく送検される筈。次男も連座制の対象になりそうで、白鳥議員の失職に伴う補欠選挙への出馬は絶望的。次の衆院選までの繋ぎとして秘書を候補に立てようとしても、事務所絡みの違法薬物所持と使用が明らかになった以上、支持者が離れるのは必至。白鳥陣営は壊滅的ダメージよね。表沙汰になっている事柄の他にも、ここにきて色々な問題が噴出しているみたいだし」  淡々と公になっている事実を列挙した美子に、秀明は苦笑で応じた。 「さっきも言ったが、本当に世の中には馬鹿が多くて困る。見栄えが良くて使い勝手の良い便利な男が、大人しく言いつけられた仕事をこなしているだけだと、信じて疑わないとはな」 「こき使っているわけだから、屋敷も事務所もスルーパスでしょうしね。そして疑われない様にそれ相応の理由を付けて家を出て、利権に繋がる職場を辞めてから、問題を表面化させるというわけね。当然、あなたが自分に係わる証拠なんかを、残している筈はないし」 「本当に君との事は、勘当された立派な大義名分になったよ。聞き込みにきた刑事に君に門前払いされた話をしたら、『頑張って下さい』と激励された位だ」  如何にも楽しげにそんな事を言われた為、美子は相手を睨み付けつつ、低い声で恫喝した。 「私に……、他に何か言う事は無いの?」 「ああ、とても助かったよ。ありがとう」  そこで秀明が全く悪びれない笑顔で感謝の言葉を口にした為、怒り心頭に発した美子は勢い良く立ち上がり、周囲の人の目を気にせず秀明を怒鳴りつけた。 「ふざけないで! 意図的に私を巻き込んだ上、議員側が腹いせに人を動かす様に、裏で煽るかうまく誘導したんでしょう!? その上で荒事になる予測が付いていたから、私にお仲間を張り付かせておいたんでしょうが!?」  そう叫び終わるとほぼ同時に、美子は手を伸ばして秀明を平手打ちした。しかし秀明はそれを避ける事はせず、小さく笑いながら独り言の様に呟く。 「一回位は殴られても、当然の事はしたな。少しはすっきりしたか?」  そして我に返った美子は、先程の自分の怒声と平手打ちの音で、店内の殆どの者の視線を集めてしまった事に気が付いたが、それと同時に軽く周囲を見回して、ある事実にも気が付いた。そのせいで、新たな怒りが込み上げてくる。 (ここの人達……、ああ、そういう事ね)  そして殴って幾らかすっきりするどころか、ますます顔付きを険しくして秀明に凄んだ。 「どこまで人を馬鹿にする気?」 「何の事かな?」 「さっきあなたを叩いた時、この店の従業員や離れたテーブルの人達は揃って驚いた表情でこっちを見たけど、前後のテーブルと横のカウンターに座っている人達全員、ピクリともしなかったんだけど?」  該当する場所を指差しながら美子は指摘したが、秀明は恐れ入る事無く薄笑いしながら言い返した。 「偶々、全員聴覚障害者なんじゃないか?」  その惚けた物言いに、美子は立ったままテーブルを叩きつつ言い放った。 「ふざけないで! ここで私達が揉めると、予め想像していた人間だからに決まってるわ。要するに、あなたのお仲間よね? 面倒な家を出る為のダシにされた上、見せ物になるつもりは無いのよ。もう二度と、その不愉快な顔を見せないで!!」  そうしてハンドバッグを掴み上げた美子は、憤然として背後を振り返る事無くその店を後にした。それを肩を竦めて見送った秀明の背後で、背中合わせの席に座っていた同年配の男が秀明の方に向き直って身を乗り出し、彼の肩越しに冷やかし気味の声をかけてくる。 「やれやれ、本格的に嫌われたな」  その声に、秀明は軽く横を向きつつ、大学以来の悪友である小早川淳への文句を口にした。 「淳。お前覗き見をする気なら、気付かれない様にしろ。ヘマしやがって」 「それは謝る。しかしなかなか鋭い観察眼の持ち主だな。お前が惚れるわけだ」  そう感心した様に述べた淳が伝票を持って立ち上がり、秀明の了承も取らずに先程まで美子が座っていた椅子に移動したが、そんな彼に秀明が淡々と反論した。 「それは違うが」 「何が違うって?」 「単に見ていて面白くて、退屈しないだけだ。惚れたとか、そういう事じゃ無い」  素っ気なく断言した秀明だったが、淳はそんな彼の顔を見て何を思ったのか、何やら思わせぶりににやつき始めた。 「……へぇ? そうくるか」  その笑みに何となく苛付いた秀明は、さっさと話題を変える事にする。 「それより、お前にピッタリな女を紹介する。お前並みに冷めてて皮肉屋で、ほどほどに見た目は整っていて、ピチピチの女子高生だ」  それを聞いた淳は、軽く顔を顰めた。 「おいおい……、未成年に手を出せと? バレたら問答無用で弁護士バッジを取り上げられるだろうが」 「成人するまでプラトニックでも良いんじゃないか? というか、この際少し女遊びを控えろ」  真顔で悪友からそんな事を言われた淳は、大げさに肩を竦めて見せる。 「何を偉そうに。お前にだけは言われたくないぞ。……まあ面白そうだから、紹介はしてくれ」  文句を言いつつも話に乗って来た淳に、秀明は笑いを堪えながら頷いた。 「ああ、気に入ると思うぞ? 俺が保証する」 「これまでの経験からすると、お前の『保証』はろくでもないんだがな」  そのやり取りに、ここまで秀明達の周囲でそのやり取りに聞き耳を立てていた武道愛好会のOB達は、とうとう我慢できずに揃って噴き出し、再び店内中から驚きの視線を集める事になった。

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