半世紀の契約
(14)傍らに在る人②

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「この公益財団法人の理事長は加積夫人で、お前を含めた八人衆が全員理事になっているだろう?」 「八人衆って何? 勝手に名前を付けないでよ」  そこで憮然とした美子には構わず、秀明は説明を続けた。 「あの町に『加積』の名前が付いた美術館を建てて、その理事に加積の各事業を引き継いだお前達が、揃って名前を連ねる。この意味が分かるか?」  そう問われた美子は真剣な表情で考え込み、一つの結論を導き出した。 「それって……。あの町に手を出したら、加積さんが亡くなった後でも、私達全員が黙っていないと分かる筋には分かる様に、暗に脅しをかけているって事?」  それに秀明が深く頷いた。 「そういう事だ。その威光も何十年も保つ筈はないが、二十年。いや、あと十年、変な手出しをされなかったら、盤石の体制にできる。白蟻どもに食い荒らされるのは、真っ平御免だからな」 「だから秀明さんの為に、これの設立を?」 「……じじいのちょっとした気まぐれだろうがな」 「もう、あなたったら」  素っ気なく言った秀明に窘める視線を向けた美子だったが、それを受けた秀明は、滅多に見せない柔らかな笑みを浮かべながら言葉を継いだ。 「忙しくてこの前の百箇日法要には顔を出せなかったが、一周忌には必ず出席するからな」 「分かったわ。お互い、予定はしっかり空けておきましょうね」  秀明の台詞が、彼なりの最上級の感謝の言葉であると分かっている美子は、満面の笑みで頷いた。そして冊子を食卓に置いて再び食べ始めた秀明を眺めながら、さり気なく問いかける。 「ところで、あなた」 「何だ?」 「さっき町の方でゴタゴタしている話を初めて聞いたんだけど、最近他に、私に隠している事は無い?」 「何も無いが?」 「……嘘ばっかり」  例の記事に関して尋ねてみたものの、予想通りしらを切った秀明に、美子は苦笑いしながら軽く文句を言った。すると秀明が僅かに眉を顰めながら、先程の言葉を繰り返す。 「本当に、何も無いぞ?」 「はいはい。そういう事にしておきましょうね。本当に困ったさんなんだから」  呆れた口調で美子がそう言うと、秀明は明らかに気分を害した様に言い返してきた。 「あのな。お前だって、俺に話していない事があるだろう?」 「例えば?」 「そうだな……。どうして俺のイメージが兎なんだ?」  何気なく手元を見下ろし、目に入った箸置きから連想した事を秀明が口にすると、美子が笑って言い返す。 「あら、もう何年も使っているから今更の話だし、実はそれが気に入らなかったの?」 「そうじゃないが。前々から、理由が気になっているだけだ」 「理由ね……」  そこで美子は、正直に理由を告げようかと首を傾げて考え込んだが、やっぱり秘密にしておいた方が面白そうだとの結論を出し、笑って答えた。 「やっぱり秘密よ」 「……もう良い」  相手に全く吐く気が無い事を瞬時に見て取った秀明は、少々ふてくされて箸を取り上げて食事を再開したが、そんな彼を美子が宥めた。 「そう拗ねないで。ここの所、随分忙しくしていたみたいだけど、あと四十年は擦り切れてぼろ雑巾になられたら困るから、今日は命の洗濯をしてあげる」  にこやかにそんな事を言い出した美子を見て、秀明は溜め息を吐いてしみじみと言い出した。 「お前って女は……。本当に見かけによらず、人を使うのと転がすのが得意だな」 「それは、秀明さんに限っての事だと思うけど?」 「俺以外にも、ごろごろ居るだろうが」 「確かに、色々便宜を図ってくれる人はいるけど……」  僅かに困惑した顔つきになった美子だったが、ここで彼女の手を秀明が左手を伸ばして掴みながら提案してきた。 「よし、それならこの際明日は休んで、本格的に命の洗濯を」 「役員待遇の部長様が、何を言っているの。ちゃんと出社しなさい」  途端に左手をペシッと叩かれて秀明は苦笑したが、全く恐れ入る事無く交渉を続けた。 「分かった。ちゃんと出社して、仕事をする。その代わり、今夜はしっかり構ってくれ」 「お腹の子供が驚かない程度にね?」 「分かってる」  どうやらそれで完全に機嫌が直ったらしい秀明が、黙々と食べ進めるのを眺めながら、美子は笑いを噛み殺した。 (全く。頭は良すぎる程良いのに、変な所で馬鹿なんだから。こんな面倒な人を他の人に任せたら、誰でも手を焼くに決まってるわよね)  そんな事を考えながら一人で笑っていると、秀明から怪訝そうに問われた。 「どうした、美子。何か面白い事でもあるのか?」 「ううん。単なる思い出し笑いだから、気にしないで」 「そうか」  そして再び食べ始めた夫を見ながら、美子は約束の五十年後には、きっと秀明とあの町で暮らしているだろうと確信していた。 (完)

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