「やあ、君の方から呼び出してくれるとは嬉しいな。一体全体、どういう風の吹き回しだ?」 二年前に一度指定した、旭日食品本社にほど近い喫茶店に美子が出向くと、前回同様既に秀明が待ち受けていた。そして挨拶代わりにからかい混じりの声をかけてきた彼を半ば無視して注文を済ませてから、俯いてだんまりを決め込んでしまった美子に、秀明は最初から異常を感じたが、特に自分から話しかけたりはせず、黙って事態の推移を見守る。 そして美子の前にカフェオレが運ばれ、ウエイトレスがテーブルに伝票を置いて立ち去ると同時に、漸く決心した様に彼女が顔を上げた。 「その……、この前はDVDをありがとうございました」 いきなり真顔で頭を下げた美子を見て、不審そうに秀明の片眉がピクリと上がったが、いつも通りの声で話の続きを促した。 「どういたしまして。だが、わざわざ礼を言う為だけに、俺を呼び出した訳じゃないだろう?」 そこで美子は再び黙り込み、秀明は渋面になりながらもそのまま彼女の様子を観察した。すると美子はかなり逡巡してから、恐縮気味に話し出す。 「その……、江原さんは半年前から母が入院中なのは、ご存じかと思いますが……」 「ああ。それで?」 そこで秀明は表情を消したが、俯きながら話している美子には、その変化は分からなかった。 「六年前に心臓機能に異常が認められて治療を始めて、三年前に心筋の機能しなくなった部分を切除する大掛かりな手術をして、心臓自体の負担を少なくしたんです」 「……それで?」 「普通だったら予後は良い病気なので、運動制限と投薬治療の継続で、十分延命を図れる筈なんです。でも母の症例はかなり特殊な病変で、最近切除した以外の部分の冠血管とその周辺が壊死している所が出てきて、症状が悪化して半年前に入院する事になりました」 ぼそぼそと詳細を説明する美子に、秀明が淡々と問いを発した。 「ペースメーカーの導入とかは?」 「一部を代替えすれば良いと言う問題では無いらしくて……」 「心臓移植は?」 「希望者数に対して、ドナー数が絶対的に不足しているのは、江原さんもご存じですよね?」 「結論を言って貰おうか。回りくどい話は御免だ」 ここではっきりと秀明の口調に苛立ちを感じた美子は、慌てて顔を上げて秀明を凝視し、その顔に一切の表情が浮かんでいない事を見て取って、再び俯いて話を続けた。 「この前、父と一緒に、主治医の先生から説明を受けました。……あと保って、4ヶ月だそうです」 消え入りそうな声での告白に、秀明は思わず小さく溜め息を吐いた。 「下手をすれば、新年を迎えられないか……。元気そうに見えるがな」 「ベッドで寝ている分には、負担は少ないでしょうから。これから徐々に心機能が低下するに従って、呼吸器系や消化器系の機能が落ちていくそうです。それと同時に、意識も混濁し易くなるとか」 「随分、冷静だな」 思わず秀明が発した言葉に、美子は顔を上げ、そして秀明の顔を見てから視線を逸らす。 「取り乱して、どうなるものでもありませんから」 その顔を見て、自分が常に無い失態を犯した事を秀明は悟ったが、特に謝罪する事はせずに、やや強引に話を進めた。 「深美さんの、現時点での病状は分かった。それで? 普通なら赤の他人の俺に、そんな事をペラペラ喋らないだろう?」 暗に問いかけた内容に、美子はかなり迷う様な口振りで言い出した。 「その……、この話を聞いてから色々考えてみたんですが……。最後に母を、少しでも安心させてあげたいと思いまして……」 「…………親孝行な事だな」 美子がはっきりと口にしなくとも、何を考えているのか秀明には正確に理解できた。しかしこの際自分の口からはっきり言わせようと、素知らぬ振りを貫く。 自然に彼の口調には若干皮肉が含まれていたが、美子はそれを気にする事無く、自問自答する様に話し続けた。 「でも美野と美幸は論外だし、美恵と美実は全くそんな気は無いみたいだし。男性で親しくお付き合いしている方とかはいないし、従兄の誰かにお願いしようかとも考えたんですが、元々親戚筋から勧められていた相手ばかりなので、後々面倒な事になりそうな気がして」 「三つ、条件がある」 「条件?」 いきなり話を遮られた上、思いもよらなかった事を言われて、美子は面食らった。しかし何もかも分かっている表情と口調の秀明が、自分主導で話を進める。 「俺だったら、迷惑をかけても後腐れが無いから、頼みやすいんだろう? それならこちらが提示する条件位、飲んで欲しいものだな」 「……はい」 全く反論の余地は無く、美子は素直に頷く。そんな彼女に対し、秀明が早速条件を並べ立てた。
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