とある晴れた日のことです。 木こりが泉の傍で、バッサバッサと力強い音をたてながら、いつもの如く木を切り倒しておりました。 「今や力仕事が男の仕事なんて考えは古いからね。 女だって、ばりっばりでこういう仕事をしていく時代よ。」 木こりは、同じく木を切って生計を立てていたムキムキの母に憧れ、 自らこの道を選んだのでした。 しかし、この日はいつもとちょっと様子が違ったのです。 「そうよ。この道を選んだことに後悔はない… ないけど! 周りの男どもは、やれ『将来鬼嫁になりそう』だの、『カップラーメンしか作ってくれなさそう』だの…。 好き勝手言いやがってっ!!!鬼嫁ってなによ!?嫁のことを鬼っていう時点でそっちの方もどうなの!? カップラーメンしか作れない!?それの何がいけないのよ!?お湯入れて出来るなんて最高じゃない!? それが嫌なら一生泉の水でもすすってろ!!」 そう。先程取引先に木を渡しに行った時のことでした。 重い木を軽々と運ぶ彼女を見て、相手のお偉いさん方に嫌味を言われてしまったのです。 勿論、木こりはそれで泣いてしまう程繊細な女性でありません。 ですが、その行き場のない怒りは全て筋肉へのエネルギーへと変換され、いつも以上に力が入ってしまったのです。 止まらない愚痴を言い続け、全身の筋肉をフルに使い斧を振り回し、辺り一面を縦横無尽に綺麗にしていっていた、 その時。 「あ、ヤベ。」 ポンっという子気味好い音をたて、斧が手から抜けて行ってしまったのです。 とても斧が飛んで行っている音とは思えない轟音を響かせながら、 ジャッバーン!!!!!と泉の方へ落ちてしまいました。 やっちまったと額に手を当て、恐る恐る辺りを見渡すも、幸いそこに人がいる様子はありませんでした。 「はー。飛んで行ったのが泉の方で良かったわ。ここに人がいたら大変だった。 力持ちは良くても流石に前科持ちは笑えないわ。」 ホッと胸をなでおろし、泉の方へとゆっくり歩いていきます。 しかし、思った以上に深かったのでしょうか。 目視できる範囲にお目当ての斧は見当たらなかったのです。 入って探した方が良いだろうか。 そうも考えたのですが、思った以上に泉が深かったらその行為も危険です。 一秒だけ困った木こりでしたが、持ち前の切り替えの早さですぐに考えを転換させました。 「別に大して高いものではないし、愛着はあったけどまぁ良いか。新しいの買おうっと。」 次はもうちょっといい斧を買おうかな。 それともおしゃれな可愛い感じのにしようかな。 くるっと泉に背を向けて脳内で早速ショッピングを楽しんでいると、 急に後ろから聞こえるはずのない男性の声が聞こえたのです。 「あなたが落としたのは、この金の斧ですか?それともこちらの銀の斧ですか?」 確かにさっき見た時には人間なんていなかったのに。 幽霊だ何ている訳がない。 その正体を確かめるべくブンっと後ろを振り返ると、 なんとそこには水でビショビショになったイケメンがいたのです。 金髪から下たる水はとても艶やかで美しく、真っ白な服からはいい感じの筋肉が見え、 1000人中999人は彼を見て一目ぼれをしてしまうことでしょう。 しかしそこは現実主義者の木こり。 残念なことにその残りの1人。彼は自分の目の前に突然現れた運命のイケメンというよりも、 泉の中から斧を持って這い上がってきた恐怖の対象にしか見えませんでした。 「え、何こわっ。急になに。怖すぎる。 あの、ビショビショですけど、泉に落ちたんですか? それと腕から血が出てますけど…。」 このまま無言で逃げ去ろうかとも考えたのですが、 彼の右腕には綺麗に一直線に負傷した痕が見え、それが気になり恐る恐る声をかけました。 すると彼は、「あぁ」と大して気にした様子もなくあっけらかんと答えたのです。 「これですか?これは先ほど、何故か斧が飛んできて出来たものです。 水の中にいたというのに、一切勢いが劣ることなく向かってきたのでびっくりしました。」 はははっと笑う彼に対し、木こりは自分の体温が泉と同じ冷たさへとドンドンと下がっていくのを感じました。 何を隠そう、その傷は先ほど自分の腕からすっぽ抜けてしまった斧が原因で出来たものだと確信したからです。 相手は大して気にした様子ではないですが、嘘をつくことの出来ない正直者。 眉毛と頭を下げて誠心誠意謝りました。 「ごめんなさい、その傷は多分…っていうか、十中八九、私が原因で出来たものだと思います。 さっき手が滑ってぶん投げてしまって。 この辺りに私以外で斧振り回してる人見たことないし、明らかに泉に落ちた音したし。」 手錠をかけてくれと言わんばかりに観念し、どんな罵詈雑言をも受け入れる覚悟をし目をギュッと瞑りました。 ところが、彼から投げかけられた言葉は彼女の想像をはるかに超えるものでした。 「あぁ、なんということだ…!素晴らしい!!あなたはとっても正直な人なのですね。 そんなあなたには、先程の選択肢とは別に、もう1つ選択肢を差し上げましょう。」 満面の笑みでした。彼は両手に持っていた金と銀の斧をそのままボチャンと泉に捨て、 拍手すらもしだしたのです。 木こりはドン引きでした。 自分が怪我をさせてしまった手前こんな気持ちを抱いてしまうのも申し訳ないと一瞬思いましたが、 そんな気持ちも泉に一緒に捨てられる位ドン引きでした。 彼は怪我をさせた相手に対して、怒るのでもなく、慰謝料を請求するでもなく、 笑顔で顔を赤らめるのですから。 泉から出て来た時点でこれ以上関わりたくないと思ってはいても、そこは真面目な木こりです。 どんな相手であれ、自分のした罪はきっちりと償おうと彼の方をしっかりと見つめました。 「そもそも私は怪我をさせた加害者です。 金の斧も銀の斧も貰う資格はないし、選択肢もいりません。 ここから近くの所に病院があるので、一緒に行きしょう。慰謝料もお支払いするので。」 色んな意味で怖い泉へと近づいていき、彼へと手を伸ばそうとしました。 しかし、彼は腕を伸ばすことはなく、両手を口に当て乙女の様な顔で彼女をその瞳に映すのです。 「なんということだ…。 あなたは素直なだけではなく、こんな怪しい私のことまでも心配してくれるのですね。 その綺麗な心に、私もとっても感銘を受けました。わかりました。選択肢をもう一つ増やしましょう!」 「通販かよ。あと怪しい自覚あったんだ。 って、あぁもう!そういうの本当にいいんで、黴菌とか入ると困るし、早く行きましょうってば。」 本当によりによって変な奴に当たっちゃったなと若干面倒になりつつも、自分側に過失があるのは否めないため、 何とか彼に病院に行くよう説得をします。 聞けば聞くほど彼は頬を赤らめ、言えば言う程彼女は怒りで頬を赤らめ。 ただ泉から上げて近所の病院に連れて行くだけのことなのに、 底なし沼から砂漠のピラミッドの頂上を目指す位骨の折れる作業の様に感じました。 そんな彼女の気持ちを知る由もなく、馬の耳に念仏。彼には相も変わらずまるで効果がないのです。 「自分の真面目さがこんなに嫌になる何て初めてだわ。」 「それでもまだこうして私の傍から離れはしないのですね。本当に素敵な方だ。 そんな素直で優しいあなたには、こちらの『金の斧』、『銀の斧』の他に、 『2人暮らしが出来そうなくらい大きなお家』。 そして、もう1つ、この『私自身』。 4つの中から選んだものを喜んで差し上げましょう。 ちなみにおススメは私です。」 「心底いらねーわ。」 木を切った時よりもそれはもうバッサリと切り捨てたのでした。 謙遜ではありません。本当に心底いらなかったのです。 もしもここで素直に欲しいものを上げていいと言うのなら、 彼の健康保険証と身分証が欲しいと答えたことでしょう。 ここまで来ると、呆れつつも若干興味すら沸いてきてしまうのが人間の不思議な所です。 彼女は一度小さくため息をつきながら、 これは長くなるぞと思い地面にゆっくりと腰を掛けて問いかけたのでした。 「てか、怪我を負わせてきた相手に対して何で色々とあげようとするんですか? 寧ろあなたはもらう側のはずでしょう。 家を与えようとしたり、自分の傍に置かせようとしているのは、 何か困ったときにパシリとしてすぐに呼べるようにするためですか? それとも、お金を払わずに逃げられると思ってるからですか?」 あまりにも自分が置かれている立場が理解できず、矢次早に彼へと言葉を投げかけます。 何か裏に考えがあるに違いない。 きっと利用するためにこんなことを言っているに違いない。 そんな疑念と不安を織り交ぜた視線を向けても、 当の本人はきょとんとした顔をしてそのまま首をかしげるのです。 「いや、全く。あなたにそんなことをさせたいとは1ミリも思ったことはありません。 むしろ傍にいてくれるというのなら、お金は私の方が払うし。」 「それはもうなんでだよ。」 「あと、困った時に呼んでくれたら私の方があなたを助けに行くし。」 「急に胸キュンさせないで。案の定ちょっとキュンとしちゃったよ。」 何とチョロいことか。 自分でもその靡きやすさに少しうんざりもしましたが、 職業柄、あまり女の子扱いをされる機会がなかったからでしょうか。 こんな変わった男相手でも、自分のことをちゃんと女の子として見てくれる。 たったそれだけのことでも、彼女にとってはとっても嬉しい事なのでした。
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