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 「……見事だ」と、ウォドムは俺に言った。  さっきまでの尊大な態度が別人かと思うほど、彼はあっさりと負けを認めた。  俺が立ち上がり手を差し伸べると、彼は素直にその好意を受けてくれる。 「先刻までの無礼な態度を詫びよう。さすがは四天王というべきか……。いや、敗因はそれだけでなく、『人間などに負けるはずはない』と侮った俺の未熟さにあるのだろうな」  ウォドムは自嘲気味に笑って言った。 「いや、あんたは強いよ。だからこそ、悪いけど事前に対策を立てさせてもらったんだ。俺が勝てたのはそのおかげさ」  その言葉の通り、彼に勝つことができたのは、俺があらかじめ作戦を立てていたからだった。  彼の戦い方をアストリアに聞き、いくつかのパターンや対処法を想定していたからこそ、こちらが望む流れに乗せることができたのだ。  身体能力に劣る人間の俺は、そうやって事前の準備を整えることで、何とかこれまで勝ちを拾ってきたのである。 「……それにしても。最後に俺の右手を覆った魔力の強さには驚いたな。見ただけでこれは逃れられないと思ったよ。あれはどういう技なんだ?」 「技というか……身体からあふれた魔力を結晶化して固めただけだよ。土壁の中にも同じ結晶を仕込んであったんだ。ただ、自分でも驚くほど強度があってね。これが俺の切り札ってところかな」 (……まあ、身体からあふれるほど魔力が湧き出るのも、俺自身の力じゃなくて、ロゼッタのおかげなんだけどな……)  俺は心の中で彼女に感謝する。  と、その時。  まさにそのロゼッタが、闘技場中央へと降りて来た。  彼女は浮遊魔法を発動させ、上階の貴賓席からふわりと宙を舞って着地する。  観客たちはそれを目にしてにわかにざわめき立つ。 「魔王様だ……」 「え、あの女の子が……?」 「馬鹿。最近即位されたんだよ、知らねえのか」 「ロゼッタ──」  俺は言いかけて口をつぐんだ。  公衆の前で魔王を呼び捨てにしかけたこともそうだが、彼女自身が手振りでこちらを制するような動作をしたからだ。  「ここは控えて」という意思表示。  俺はその意を汲み取って、すぐに片膝でひざまずく姿勢を取った。  それを見たウォドムも同じように膝を屈すると、観客たちも雰囲気を察して会話をやめ、皆が彼女へと耳を傾ける。 「──わたくしはロゼッタ・アグレアス。初代魔王、オセ・アグレアスの娘にして、今代におけるそなたらのあるじとなる者です」  その言葉に、闘技場の全員が一斉にひれ伏した。 「此度の決闘、両者ともに見事な果し合いでした。この決闘の勝敗に従い、そなたら氷魔族の長を、これまで通り氷帝アストリアとすることをここに宣言します」  「全員、おもてを上げて楽にして下さい」、続けてロゼッタがそう言うと、氷魔族たちは大きく息をつき、その呼吸音が波のように響き渡った。 (……ああ、そうか。ロゼッタが氷魔族たちの前で宣言することで、アストリアの長としての正当性に異議を挟ませないようにしたわけか……)  彼女の考えと手際の良さに、俺はなるほどと感心する。 「──魔王陛下」  そこへ、長老会の席から一人の老魔族が進み出て言った。 「陛下。私は長老会の筆頭でございます。一つうかがってもよろしいでしょうか」 「許します。何でしょう」 「お尋ねしたいのは、まさにこの度、正式に長となった我らが同胞、アストリア・ブリードについてのことです。そもそも今回の決闘は、アストリアが女であることが判明したため開催されたものでありますが、その発端は王都の海魔元帥が彼女を脅迫したことにあると聞きました。それはまことのことでございましょうか」  その老人の問いに、観客席からざわめきが起こった。 「ええ……事実です」 「では、そのことにつき、陛下はいかにお考えでしょうか。思うところをお聞かせいただきたく存じます」  彼が言い終えると、場の空気がピンと張り詰め、聴衆の間に緊張がはしった。  つまりこの老人は、暗にロゼッタを問い詰めているのだ。  「自分たちの同胞を脅すなど、上層部は何を考えているのか」と。  それは、アストリアが女であっても彼らの仲間として認められていることを示しており、ある意味喜ばしいことではある。が、ロゼッタを試す一触即発の質問でもあった。  下手をすれば、次のロゼッタの返答次第で氷魔族全体が敵に回る恐れもある。 (これは……大丈夫なのか……。ちょっとヤバくないか……?) 「──待って下さい!」  すると、観客席から中断の声がかかる。  声の主は、まさに渦中の人であるアストリアだった。  上階にいた彼女は、席を飛び出し闘技場中央へ下りてくる。 「長老、ロゼッタ様は僕への脅迫とは無関係です。というか、むしろ逆です。ロゼッタ様やそこにいるクロノさんが協力してくれたからこそ、今回の決闘が行われ、僕はこうして正式に長になることができたんです」 「それは……どういうことかね」  長老の問いを受け、アストリアは説明する。  三元帥がロゼッタを軽視しており、彼女を傀儡として権勢をほしいままにしようとしていることを。  アストリアはその手駒として利用されかけたのであり、彼女への脅しはそのための手段だったことも。  無論、元帥たちが自らの胸の内をアストリアに明かしたわけではないが、ここに至るまでの経緯からすれば、もはや彼らの真意は明らかだった。 「元帥たちはともかく、ここにいるお二人は僕の味方です。そして、僕もお二人の力になりたいと考えています。王都の上層部は腐敗していて、ロゼッタ様はそれに心を痛めておられるんです」 「……そうなのですか?」  長老がロゼッタに尋ねると、彼女は無言で目を伏せた。  立場上明言を避けたものの、その所作が肯定を意味していることをその場の誰もが理解する。  アストリアは一旦言葉を区切る。  彼女は大きく声を上げ、闘技場の同族たちに訴えかけた。 「皆さん! 僕は四天王として、氷魔族の長として、ロゼッタ様にお力添えしたいと思っています! ですが、王都の腐敗を正すことは、僕一人の力では到底不可能です! 僕のことを長と認めて下さるなら、どうか皆さんの力を貸してもらえませんか! 魔王軍を正しい方向に導くために、皆さんの力が必要なんです!」  聴衆たちのざわめきが大きくなる。  アストリアの言葉に、ひざまずいていたウォドムがおもむろに立ち上がった。  彼は剣を高く頭上に掲げると、誰へともなく賛同の声を上げる。 「俺もアストリアに協力しよう。決闘に負けはしたが……いや、負けて力の差を思い知ったからこそ、彼らについていく価値があるとわかった。俺を倒したこのクロノという人間の強さは本物だ。そして、彼を従えている魔王陛下を疑う理由はない。俺は、彼らこそが魔王軍にふさわしいと思う」  「おお」と、歓声が上がる。  一番遺恨があるであろう対戦相手が認めたのだ。これは信じても良いのではないか──  ウォドムの宣言を皮切りに、観客席からも好意的な声が聞こえはじめた。 「……確かに、さっきの戦いはなかなかのものだったな」 「ああ。正々堂々、それでいて無駄な血を流すこともなく、あのウォドムを制したんだ」 「クロノって奴も、人間らしいけどやるじゃねえか」 「それに、アストリア本人がああ言ってるんだ。疑う必要なんてないだろう」 「むしろアストリアを脅したっていう元帥たちの方が許せねえよ」 「俺はロゼッタ様についていくぜ!」 「俺も」 「俺もだ!」  それらの声はだんだんと大きくなり、闘技場全体を埋め尽くしていく。  やがて闘技場そのものが一つのかたまりとなったような響きを発すると、アストリアはそれを意思の統一とみなし、再びロゼッタへとひざまずいた。 「ロゼッタ様……いえ、陛下。我ら氷魔族一同、御身に尽くすことをここに誓わせていただきます」  そして、その場の氷魔族全員が、彼女と同じ姿勢を取る。 「我ら、魔王陛下のおんために!」 「「「我ら、魔王陛下のおんために!!」」」  ウォドムが朗々たる声で口上を発すると、皆がそれに続いて声を合わせた。 「……ありがとう。皆の忠節、とても嬉しく思います。これからよろしくお願いしますね」  そう言って、ロゼッタはちらりと俺を見る。  このような展開になるとは思っていなかったのだろう。表情にこそ出さなかったが、こちらに泳いだ視線が氷魔族たちの気勢に戸惑っていることを示していた。  俺が小さくうなずくと、彼女はそこでようやく安堵したような笑みを見せる。 (……ま、かくいう俺も、さすがに部族全体の忠誠を得られるなんて予想してなかったけどな……)  ともあれ、こうして俺たちは、図らずも氷魔族の全員を味方につけることになったのだった。

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