イナゴの駆除を終えたその夜。 夕食後、お茶を飲みながらソファーでくつろいでいると、ロゼッタは怪訝な表情で俺に尋ねてきた。 「ねぇ、クロノ。昼間、村長さんに使った契約魔法って……確か、あなたも自分にかけているんですよね?」 「ん? ああ。俺は宝石魔法で力を引き出そうとしても、適合する宝石がなかったからな。だからリスクはあるけど、そっちの方で魔力を上げてるんだ」 「リスク……村長さんに言っていた、制約と代償ってやつですね。クロノはどんな内容の制約を受けているんですか?」 「簡単に言うなら、『俺の魔力は魔王軍のために使わなければいけない』ってとこかな。俺が少しでも魔王軍にあだなす行為をした場合、身体に激痛がはしるようになってるんだ」 「激痛って……」 ロゼッタはその言葉を聞いて、さっと顔を青くした。 「何考えてるんですか! そんな無茶なリスク……それに、今の状況はすごくまずいです! あなたは魔王軍を追放されてるんですよ!? もしこの村に追手が来たら、戦えないじゃないですか!」 「い、いや、大丈夫だろ。国を裏切ったわけじゃないんだし。そんなの来ないって」 大声を上げるロゼッタに、ちょっとびっくりしてしまう。 「甘いです、クロノ!」 彼女は人差し指をピンと立てて言った。 「あの老人たちの人間嫌いは相当なものです! もしかしたら、もうすでに刺客をこちらに向かわせているかも……!」 「さすがにそこまでは考えすぎだと思うが……」 というより、誰か来るなら、それはロゼッタを連れ戻しにくるためだと思う。 「その制約、なくせないんですか? あるいは契約を一度解除して、内容を変えて契約し直すとか」 「それは無理だ。強い魔力を得るために、縛りを一番強いものに設定したからな。外す場合は回復不可能な代償が必要になる」 「なっ──どうしてそんな設定にしたんですか!」 「す、すまん」 彼女の剣幕に思わず謝ってしまった。 俺がその設定にしたのは、一言で言うなら亡き先代に報いるためだった。 孤児だった俺を拾い上げ、育ててくれた先代魔王。 人間だからと俺を差別することもなく、彼は自らの娘と同じようにこの身を扱ってくれた。 家族のいない俺にとって、彼こそが俺の父親だった。 いわば魔王軍は父のいる家であり、俺はその居場所を守るため、多少無茶をしてでも力を欲したのだ。 「……それじゃあクロノ。その契約魔法って、どうやってやるんですか」 ふくれっ面になりながらロゼッタは尋ねる。 何でそんなことを聞くのかと思いつつも、俺は彼女へ答えた。 「魔力を込めて契約の文言を唱えるだけだよ。でも、特に決まった呪文があるわけじゃない。詠唱とともに念じて、俺が昼にやった術式を展開すれば、大地と魔力のパスがつながるようになるんだ」 「……わかりました」 すると、ロゼッタは、 「──古代土魔法術式、起動」 言われた通りに術式を展開させ── 「『魔王ロゼッタ・アグレアスの名において、ここに誓う。母なる大地の精霊よ、我が願いを聞き届けたまえ』」 ──契約魔法を詠唱し始めた。 「『今この時より、我が魔力のすべてを魔王軍のために行使する』」 「え」 「『魔王軍の臣、クロノ・ディアマットの主として、魔王の名のもとに彼の痛苦を取り除きたまえ』」 「!? お、おい」 「『この誓約を破りし場合、彼が受けるべき痛みはすべて、我の身体へと跳ね返る』──」 「ちょっと待て、ロゼッタ!」 俺が止めても彼女は呪文を唱え続け、最後まで契約を完了させてしまう。 「……これでよし、と」 「お、お前、今何を契約した……」 「何って……これからクロノが受ける痛みを私が代わりに引き受けるんです。もしもの時に戦えないと困るでしょう? 契約を外せないなら、私の契約で相殺すればいいと思って」 「なっ──」 一仕事成し遂げたような、得意顔のロゼッタ。 「何考えてんだ、お前!」 今度は俺が大きな声をあげる番だった。 「お前……自分の立場わかってるのか!? お前は魔王軍の首領なんだぞ? いや、それを抜きにしても、俺の痛みを取り除くためだけに契約を結ぶって……無茶苦茶すぎるだろうが!」 「大丈夫ですよ。私は魔王なんですし」 あっけらかんとして、ロゼッタは言った。 「制約こそあなたと同じにしましたけど、私は魔王軍で誰よりも高い地位にいます。言い換えれば、私こそが魔王軍であり、私が『魔王軍を裏切る』ということはそもそもありえません。だから、どんなに大きい代償を設定しても、それが科されることはないんです」 「……えっ、あ──」 そう言えば、と俺は言葉を止める。 なるほど言われてみれば、そこは盲点だった。 確かに、魔王軍とは魔王のための国家であり軍勢だから、魔王本人であるロゼッタが何をしようと、それをとがめられることはない。 とすれば、理論上制約が破られることはなく、彼女が罰を受けるおそれはないと言える。 「い、いや……でもなぁ……」 ただ、だからといってそんな詐欺みたいな契約はどうかと思うし、万が一ということもある。 何より、俺の痛みをなくすためだけにそんな契約を結ばせるのは、こちらの気が引けてしまうのだが……。 (うーん……実際に危険がないなら、別にいいのか……? そもそも俺が契約に反しなければ彼女に痛みが行くこともないんだし……。けどなぁ……) これでいいのかも、と思う一方で色々と納得いかず煩悶していると、ロゼッタは喜々として俺に言った。 「気にしないで下さい。私が好きでやったことなんですから。クロノはいつも魔王軍のためにがんばってくれていました。私はその負担を少しでも軽くしたいんです」 「いや、逆に心労なんだが、それ……」 とはいえ、今更どうすることも出来ず、その契約は有効なものとしてロゼッタへと課されてしまうのだった。 この時俺は、なんとも無意味な魔力の使い方をしたものだと思っていた。 だが──実を言うと、この契約が原因で、後日俺たちは思わぬ恩恵を受けることになるのである。
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