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「ちょっと出かけてくる。皆は一段落ついたら、先に休んでくれていいから」  エルフの人たちを助けた後で。  すでに日が落ち始めた頃、クロノさんはそう言って、エルフの族長さんと二人で出かけていきました。  なんでも、昼間戦った人間たちが身につけていた鎧が気になるんだとか。  僕、アストリア・ブリードは、先刻合流したフレイヤさんたちといっしょに、新たに入植する兵の編成など、各種雑務処理を行っています。  それを終えたら、とりあえず今日の仕事はおしまい。  今後、元帥たちにどう対処していくかの方針決定や、王都の民に向けた檄文の起案など色々やることはあるのですが、それらは明日以降ということになりそうです。  その際、エルフの族長さんも見識豊富とのことで、僕たちの会議に加わるんだとか。  ……それはいいんですけど、エルフの皆さん、さすがに高位の種族なだけあって、どの女性もお綺麗で……。  クロノさん、あんな美人の族長さんと知り合いだったんですね……。  個人的にはそこが少しだけ不安だったりします。  仲間が増えるのはいいことなんですけど。 「ふぅ……いいお湯……」  とはいえ、そんなこんなで。  僕は今、仕事の後の汗をお風呂で洗い流させてもらっています。  一番風呂っていうんでしたっけ、こういうの。  他に誰もいない大浴場でゆっくりできるのは、とてもありがたいです。  これでも魔王軍の四天王なので、こういうちょっとしたところで思わぬ役得があったりします。 「──あれー? クラウディア姉さーん、私たちより先に誰か入ってる人がいるみたいよー」  そうやって羽根を伸ばして一人でくつろいでいると、湯煙の向こうから何人かの女性がやってきました。 「この時間帯に入ってるなら、ロゼッタ様か四天王の誰かじゃないかしら……って、ああ、やっぱり。アストリアじゃない」 「アストリアお姉ちゃん、こんにちは!」  入って来たのは、同じ四天王のクラウディアさんとフレイヤさん。  それから、クラウディアさんの一人娘のドロシーちゃん。 「皆さん、お疲れ様です。ドロシーちゃんも。こうして四天王の三人がそろってお風呂にいるのって……結構珍しいですよね」 「ああ、そうねぇ。ついこの間までアストリアは男の子だったわけだし。そう考えると、なんだか新鮮な感じよね」  三人は掛け湯をした後、僕の隣で湯船につかります。  浴場だから当たり前なのですが、皆さんタオル一枚を持ったほかには何も着けていません。  なので、お湯で隠れてはいるものの、普段見えないところまで見えてしまっています。  僕は一応女ですけど、少し前までは男として振る舞っていたので……他の女性の素肌をあまり見たことがなくて……。  なんというか、思いのほか刺激が強い光景だったりします。  ……同性のはずなんですけど。  それに、フレイヤさんもクラウディアさんも、すごくスタイルがいいので。  思わずため息が出そうになります。 「……どうしたの?」  そんな僕を見て、クラウディアさんは怪訝にそう尋ねました。 「い、いえ、僕もお二人みたいに女性らしくなりたいなあって……。あ、今更そんなこと言うのも、どうかなって思ったりもするんですけど。あはは」  当たり障りのないことを言うつもりだったのに、とっさに聞かれると本音が出てしまいます。  クラウディアさんはそんな僕に「大丈夫よ」と、たおやかに微笑んで言いました。 「そうそう、アストリアってまだ成長期なんでしょ? 私たちの中では最年少なんだから、そんなに心配することないわよ」  フレイヤさんもあっけらかんとした様子で、クラウディアさんに同調します。 「でも、お二人のそばにいるとどうしても霞んでしまうというか……今までが今までなので、少しでも印象を変えたいんですよね」 「え、なぁに。つまりそれって、身近なところに好きな人がいるってこと?」 「! え、あ、いやっ」 「やだ、本当に? ねぇねぇ、それって私たちも知ってる人? 教えてよ」 「あ、そ、それは、えっと」  思わぬところから口を滑らせてしまいました。  フレイヤさんはここぞとばかりに目を輝かせて詰め寄ってきます。 「ね、いいじゃないの。減るもんじゃないし」 「いえ、その」 (か、顔と胸が近いです、フレイヤさんっ……!) 「こら、フレイヤ。あんまり意地悪しないの」  そこでクラウディアさんがフレイヤさんの肩を引いて、僕と彼女を引き離しました。  僕たちより一回り年が離れたクラウディアさんは、大人の余裕といった感じで、フレイヤさんを抑えて僕に言います。 「んー……そうねぇ。無理に詮索するつもりはないけど、私もちょっとだけ、聞いてみたいかな。もし私たちの知ってる人なら、何かアドバイスができるかもしれないし」  「もちろん、アストリアがよければだけど」と付け加え、彼女は首元にお湯をぱしゃりとかけました。  その様子は色っぽくて、僕なんかとは比べ物にならなくて。  心遣いにありがたいなと思いつつも、ちょっとだけ気後れしてしまいます。 「ええと……」  そもそも僕は、明確に好きな人がいるわけではありませんでした。  とはいえ、気になっている人ならいます。  その時、問われて脳裏に浮かびあがったのは、お二人もよく知っている男性の顔。  僕たち三人とも、その人を信頼して、彼もこちらを信頼してくれる……そんな苦楽を共にした戦友の一人。  彼は魔族とは種族を異にするけれど……それすら些細な事と思わせるくらいに魅力を持った男の人です。  つまり、その人とは── 「クロノさん……」  思い描いた彼の姿に、ふとつぶやいてしまいます。  それを耳にしたお二人は、同じタイミングで「えっ」と声を漏らしました。 「ねぇねぇ、アストリア。それって有り・・なの?」  フレイヤさんは慌てた様子で僕に言いました。 「え、有りって……どういう意味ですか?」 「だって、クロノにはロゼッタ様がいるじゃない。いくらなんでも、魔王様の想い人に横恋慕するのはどうかと思うんだけど……」 「……あ」  僕は思わず自分の口もとを手で覆いました。 「って……気付いてなかったの?」  ……気付いてなかったというか。  僕自身、クロノさんに対する今の気持ちをちゃんとした言葉にできてなかったので、そこまで深く考えていませんでした。  でも、確かに。  僕がクロノさんのことを好きで、もし彼との距離を近づけようとするなら、そこには一つの大きな問題が生ずることになります。  すなわち、魔王ロゼッタ様の恋路を配下である僕が邪魔してしまうということ。  これは、僕の気持ちなんかとは比べ物にならないほど重大な違反行為です。  ともすれば、謀反の意ありとして処されてしまうことすらありえるかも……。  と、そこへ。 「──あら? 先にお風呂に入ってる人がいる……。このシルエットは……クラウディアとドロシーとフレイヤ、それにアストリア……かしら」 「えっ」 「ああ、やっぱり。時間帯からそうじゃないかと思ってたけど、四天王のみんながお風呂でそろってるなんて、ちょっと珍しいですね」 「ろ、ロゼッタ様!?」  聞き慣れた声に振り向くと、湯煙の向こうから現れたのは我らが魔王ロゼッタ様。  彼女は何も知らない様子で、「ん?」と僕の戸惑う顔を覗き込んだのでした。

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