黒兎少女
先輩(4)

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 翌日の放課後。  倫子は学校終わりでサンドルと合流し、いつもと逆方向の電車に乗り込む。  降り立った先は、清廉市内にある新興住宅地だ。真新しい一戸建てやマンションが立ち並んでいる。 「ここね」  二階一戸建ての、ごく普通の家の前で立ち止まる。分譲住宅らしく、両隣と外観の区別がつかない。門柱の表札には『小柴』とある。  インターホンの呼び出しボタンを押してみるが返事はない。留守番機能の音声が流れるだけ。 「サンドル、どう?」  灰猫は家に鼻をむけ、中の気配をさぐっている。 「若い女が一人いるな」 「彼女ね。だったら押し入りましょう」  小ぶりな門扉を開き、敷地内に入る。  玄関のドアノブを回すが、とうぜんながら鍵がかかっている。  倫子は近所の様子を観察する。新興住宅地は共働きの家庭が多いせいか、まだ夕方なのに付近に人影はない。 「サンドル、中から開けて」 「わかった」  サンドルは一階の屋根にすばやく駆けのぼり、二階の窓を頭突きで破ろうとする。だがロックされていないことに気づき、前足でカラリと開けて忍び込む。 「入れるぞ」  数秒後には内側からサンドルの声がして、倫子は玄関のドアを開けて中に入る。 「女は二階だ」   階段をのぼり、サンドルが示した左手のドアの前に立つ。 「入るわよ」  中にいるであろう人物に断ってから、ドアを開けて部屋に入る。  パッと見、誰もいない。   ぬいぐるみとピンク系でコーディネートされた、いかにもな少女の部屋。ただ部屋の隅には、流行のコスメが大量に並べられた大人向けの化粧台がある。  壁には、パネル加工された超拡大プリントの写真が目立つように飾られている。部活の記念写真だろうか、一人の男子バレー部員が体育館のコートで爽やかに微笑んでいる。これが横恋慕している鹿島少年らしい。  倫子は机にむかって、 「そこにいるのはわかってるわ」  椅子を外した机の下に、あきらかに人の気配がある。 「市立清廉高校二年二組の小柴加奈恵さんで合ってるかしら?」 「な、なに⁉ あんた誰?」  机の下から、加奈恵がおそるおそる上半身だけをのぞかせる。この部屋のオシャレなイメージとはちがい、今はノーメイクで地味な印象だ。それにどうやら、まだパジャマ姿らしい。 「なんなの⁉ 人の家に勝手に!」   無理のないことだが、この奇妙な侵入者を警戒している。 「警察を呼ぶから!」 「取りあげて」  倫子の指示で、サンドルがサッとくわえてスマホを奪う。 「ちょっ! なにこの猫!」  倫子はスクールバッグから、例の脅迫状の封筒を取り出す。  「これに見覚えがあるでしょ」  加奈恵はあきらかに動揺し、 「し、知らないわよ!」 「やっぱりあなたが出したのね」 「なによそれ! どこに証拠があるの!」 「わたしは二年一組の隅田朝美に依頼された者よ。彼女を呪ったわね?」 「呪いとか依頼って、意味わかんないんですけど!」 「とぼけても時間の無駄よ」 「あんたその制服、エンジ色のリボンだから清廉女子の一年でしょ。あたしのほうが先輩なのよ! 態度でかいのよ! 調子にのんな! 頭おかしいんじゃないの!」  キーキーとヒステリックにがなり立てる。 「あなた、呪いの腫瘍で隅田朝美を殺すつもりだったんでしょ」 「うるせーバーカ! 知るか、あんなブス!」  倫子は呆れてため息をつき、 「あの呪いはわたしが解いたわ。彼女はもう健康そのものよ」 「……あんたが?」  初めて加奈恵が、こちらの話にまともに耳を傾ける。 「あなたが直接かけた呪いではないでしょう。誰に頼んだの?」  それを聞き出すためにわざわざ訪れたのだ。面倒が起きる前に先手を打って、少しでも相手の情報を得ておこうと。 「だから知らないって言ってんでしょ!」 「誰に頼んだか言いなさい」  反響のかかったような〈暗示〉魔法の発声で命令する。 「ま、ま、あ……」  加奈恵はしゃべろうとするも、どうしても言葉がつっかえてしまう。 「むこうの口止めの魔法のほうが強力なんだ」  とサンドル。 「〈呪いの代行〉をしてもらったんでしょ。その人も魔女なの? 答えなさい」  再度、〈暗示〉魔法で命令する。 「ま、か、あ……」  やはり同じである。 「これ以上追及しても無駄だな」 「……しかたないわ。帰りましょう」  倫子は少し未練があったものの、サンドルの結論を受け入れる。たしかに、今の自分にむこうの魔法を破る力はない。 「ちょ、ちょっと待って!」  加奈恵が引き止める。 「なに?」 「これもあんたがやったの?」  加奈恵が体をひねって背中を見せる。パジャマの上からでもわかるくらい背中が膨らんでいる。 「あ」  と思わず倫子は声を漏らしてしまう。 「それ、いつから?」 「土曜の夜から。急によ」  倫子はパジャマの背中側を無遠慮にめくりあげる。 「ちょっと!」  加奈恵の背中には、朝美とそっくりな腫瘍ができていた。  倫子は右の掌をかざす。中身もそっくりおなじだ。醜悪な下級悪魔が宿っている。 「やれやれ」  サンドルは呆れている。 「………」  倫子はなんともいえない渋い顔。  また魔法に失敗したのだ。いや、そもそも『黒兎の書』の翻訳を間違えたのだろうか? 呪いを解くだけの〈解呪〉の魔法のつもりが、意図せずに〈呪い返し〉まで行ってしまっていたとは……。 「あなたが依頼して隅田朝美にかけた呪いを、わたしが呪い主であるあなたにそっくり送り返したの。〈呪い返し〉の魔法よ」 「の、呪い返し……?」 「そうよ」  ばつが悪いので、まるではじめから狙ってやったかのような物言いでごまかす。 (まあいいわ)  どのみちこの女子はろくでもない俗物なのだ。因果応報だろう。 「どうしたら治るのよ、これ!」  加奈恵はふてぶてしく逆ギレしている。 「病院に行っても無駄よ。そういえば家族は? それを見て驚いたでしょう」 「パパもママも仕事よ。まだこのこと知らないわ。ねえ、どうすればいいの? あんたがやったんでしょ? これ以上学校を休むとヤバイんだけど!」 「そのままだと、そのうち腫瘍が破裂してあなたは死ぬわ」 「えっ……!」  加奈恵はギョッと息を飲む。やっと自分のおかれている状況を理解したようだ。 「死にたくなかったら、隅田朝美への嫉妬や恨みをなくすことね」  冷たく言い残し、倫子は立ち去る。

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