黒兎少女
通り魔(1)

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〈清廉フラワー通り〉は、駅前からほぼ直結している大型のアーケード商店街だ。  その一画に、古書店〈遠々堂〉がある。築百年といわれても信じられるほどの木造の朽ちた店構え。店内は薄暗く、通路は細く入り組んでいて、どこまで奥に続いているのか表からではうかがい知れない。周囲の明るく親しみやすい商店とは、あきらかに異質である。  その店内に、下校途中の倫子の姿があった。 〈戦争・謀略・テロ・革命〉の棚の前で、『大量虐殺と近代性』なるノンフィクション本のページをめくり、品定めしている。  気がすむと、足元の踏み台を移動させ、〈事件・犯罪・裏社会〉の棚から、次に目をつけておいた本を取り出す。店内にいる間は、この古い木の踏み台は常連である彼女の専用なのだ。  倫子は新たに手にした、『昭和猟奇殺人紳士録』のページをめくっていく。個々の事件の詳細に踏み込んでいるし、記述が犯人目線なのも好みだ。それに、加害者・被害者・事件現場等の生々しい写真が満載なのもうれしい。凶悪な快楽殺人犯が、最初の犠牲者でもある自分の家族と幸せそうに写っている幼い頃の写真まである。  最後のページに手書きされている値段を確認すると、〝1200円〟とある。三十年前の定価に少しだけ割増ししているが、この内容と希少性なら、むしろ良心的な値段だろう。ちなみに、やや専門的すぎると感じた『大量虐殺と近代性』のほうは半値の〝700円〟だ。 「ふう……」  倫子は力なくため息をつく。彼女の脆弱な経済力では、これでも厳しいのだ。後ろ髪引かれつつも本棚にもどしていく。  そのとき、ゾワッと異様な気配を感じる。 (これは……!)  倫子は〈遠々堂〉を出て、気配の源を探して早足で歩き進んでいく。  平日の夕方でもにぎわっている商店街なので、人をよけながら移動しなくてはならない。中高生の制服姿も多い。 (どこだ……?)  商店街には十字路がいくつかあり、倫子はメインストリートから脇の小さな通りに入る。 「おれが悪いんだ! どうなってもいいんだーっ!」  通りの先から、若い男の怒鳴り声が響いてくる。  小さな靴屋の前で、倫子は足をとめる。  店内で、学生服姿の少年が暴れているのだ。 「だから何だっていうんだっ! おまえらに関係ないだろ!」  大声で意味不明なことをわめき散らしながら、靴が並んでいる棚を蹴り飛ばし、ひっくり返し、店内をめちゃくちゃにする。まるっきり半狂乱だ。  老店主と若い女性店員の二人はまだ店内にいるが、茫然と立ちすくんでいて、止めに入ることができない。  店の前では、何事かと足を止めた通行人が野次馬となり、その数がだんだんとふえていく。 「万引きがバレて逆切れしたんだって」 「ブランドのスニーカーを狙ったらしいよ」  野次馬たちは遠目で眺めながら、興味本位でてきとうな情報をささやきあう。 「あれ、東高の制服じゃない?」  誰かが意外そうに口にする。  地元で東高といえば、清廉東高校のことだ。伝統ある真面目な秀才校として知られている。実際あの少年も、七・三分けの髪形にホックまできちんと留めた詰襟という、東高生らしい外見である。 (あれだ……!)  倫子は異様な気配の源泉を見つける。  少年の背後に、黒い影のようなものが寄り添うように立っている。闇のごとき漆黒だ。シルエットは人間に似ているが、あきらかに人間ではない。  それには腕があり、怯えている女性店員をゆっくりと指差す。少年は、その指示通りに襲いかかる。 「どうせおれは頭が悪いんだーっ!」  絶叫しながら女性店員の髪をわしづかみにし、力まかせに振り回す。  恐怖と苦痛で金切り声をあげる女性店員の姿を目にし、黒い影は口元にニタリと満足そうな笑みを浮かべる。  店の前の野次馬たちは、この乱行に息を飲んでいる。一般の人間には、あの黒い影の姿は見えていない。 「柏木さん!」  誰かにぐいっと腕を引っ張られる。 「?」 「あぶないって! こんなところに立ってちゃ」  おなじ清廉女子高の制服を着ている女生徒だ。  倫子はいつのまにか、野次馬たちよりも店に近づいて見入っていたのだ。 「犯人がこっちに逃げてくるかもしれないし」 「クラスの……」  倫子の腕をつかんでいるのは、クラスメイトの木村香織きむらかおりである。長身で、小柄な倫子は見上げなくてはならない。 「早く行こうよ」  その彼女の背中に隠れるようにして、やはりクラスメイトの九条彩音くじょうあやねもいる。彼女は目の前の騒ぎにおびえているようだ。 「お巡りさん、こっちです!」  通報を受けた制服警官二名が通りに現れ、野次馬の一人が声をあげて手招きする。  黒い影は滑るように店外に出てくると、素早く空に舞い上がって姿を消す。  すると、今の今まで大暴れしていた少年が一瞬で正気にもどり、おとなしくなる。  駆けつけた警官たちに取り押さえられても、少年は自分の身に何が起こったのかわからないらしく、ポカンとしている。 「通り魔か……!」  倫子は興味深げな声をもらす。                       * 「柏木さん、駅までいっしょに帰ろう」  成りゆきでしかたなく、倫子は駅までのわずかな道のりを香織たちと歩くことになる。このアーケード商店街は、清廉女子高から清廉中央駅までの通学路になっているのだ。   香織と彩音は、あたりまえのようにキュッと手をつないで歩いている。活動的でボーイッシュな香織とおっとりした女の子っぽい彩音は、クラスのだれもが知るところのお似合いの親友カップルなのだ。ちなみに倫子は、二人のどちらとも会話をするのはこれが初めてだった。 「いや~、あんなことめずらしいね。この商店街、いつも平和なのに」  香織がさっぱりした感じで話しかけてくる。 「ええ……」  倫子は気のない返事をする。 「柏木さんも中央駅なんだね。古本屋さんにいるのをたまに見かけるよ。本、好きなの?」  次は彩音が話しかけてくる。 「ええ、まあ……」 「柏木さんって部活入ってたっけ? あたしはバスケ部で、彩音は吹奏楽なんだ」 「帰宅部……」 「あたしは外国の絵本が大好きなの。柏木さんは?」 「クラウンベーカリーのミルクパンってすごく美味しいよね。彩音と映画に行ったとき二個も食べちゃったよ」 「柏木さん、〈小さな森〉に入ったことある? すごくカワイイ小鳥のティーセットがあるの」  二人がかりの好意ある問いかけの連続に、なんとか喉をふりしぼってあいづちを打つ倫子。健全な女子高生が放つ、甘やかで爽やかなキラキラとした輝き。おそろしく居心地が悪い。五分が一時間にも感じられる。苦痛で気が遠くなりそうだ。 「じゃあね」 「ええ」  駅の正面で二人と別れる。幸い、電車の方向は逆なのだ。  解放され、倫子はホッと胸をなでおろす。

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