その週の土曜日。お昼前。 倫子は電車の座席で揺られていた。となりにはお供のサンドル。ミス美夜子の住所があるのは、東京郊外のベッドタウンとして人気の街だ。二度乗り継いで、到着までおよそ二時間。 「やたらと徒党を組みたがる魔女もいるがな。しかし油断はできん」 サンドルは依然として警戒を緩めない。 「………」 倫子の表情は固い。さっきから押し黙っている。 「そこまで緊張しなくていい。罠である可能性もあるってだけだ」 「そうね」 サンドルの忠告も上の空。倫子は胸をドキドキさせていた。ただしそれは警戒ではなく、期待と不安からだった。 (どんな魔女なのかしら? 年は? わたしとちがって、経験豊富な大人の魔女であることは間違いなさそうだけど……) ジッとしていられず、愛用の黒リュックからメモ帳を取り出して開く。 昨夜、質問事項や禁忌に触れるかもしれないワードなどを書き出しておいたのだ。それらを見返して復習する。うっかり失礼に当たる言葉を口にしたら、どんな制裁を受けるかわからない。 「!」 ある手抜かりに気づき、倫子は珍しくあせった様子でサンドルにたずねる。 「菓子折りって用意したほうが──」 「いるわけないだろ」 * 「ようこそおいでくださいました」 倫子たちが駅の自動改札を出ると、すぐ目の前でジュリアンが待ちかまえていた。事前の連絡は一切していないのに。 「どうして今日だとわかったの?」 「ミス美夜子は優秀な魔女でございますから。さあ、こちらです」 案内された先は、駅から目と鼻の先にあるマンション。超高級というほどではないが、グレードはそこそこ高そうだ。タイル貼りの上品なデザインで、エントランスも広々としていて明るい。 エレベーターで十五階まで登り、1513号室のドアの前までくる。 「さあ、どうぞ。お入りください」 ジュリアンがドアを開けてくれる。 「油断するな」 サンドルが小声で釘を刺す。 「わかってるわ」 さすがに倫子も身構えている。 「お邪魔します」 倫子とサンドルは、探るように辺りを警戒しながら玄関の中に入る。 「いらっしゃーい!」 能天気なほど陽気に迎えてくれたのは、二十代後半くらいの気さくな感じの美女だ。 「初めまして、あたしが美夜子よ」 身につけているノースリーブワンピースは南国風のカラフルなフルーツ柄。派手というか、少しバカっぽい。上下黒の倫子の服装とは対照的だ。 出端をくじかれた倫子だが、なんとか平静を装い、ペコリとお辞儀する。 「ど、どうも、柏木倫子です。これは使い魔のサンドル」 「倫子ちゃん、ちっちゃいのねぇ! かわいい! 夢で見た以上だわ!」 飛び跳ねんばかりにはしゃいでいる。今にも初対面の倫子をギュッとハグしてしまいそうだ。 「………」 想定していたイメージとのギャップで、倫子は少しばかり戸惑う。 だがお客として招待された以上は、ムスッと不愛想にしているわけにもいかない。 「美夜子さん、予知夢を見ることができるんですか?」 「ええ、得意なの。さあ、上がって」 ピカピカに磨かれた廊下を抜け、リビングに案内される。贅沢にアンティークインテリアをそろえたヨーロッパ風のコーディネートだ。 倫子と美夜子は、四人掛けのダイニングテーブルに対面して座る。 「高校一年生ですって? じゃあ十六歳?」 「まだ十五です」 「若いわねえ。いいわねえ……!」 美夜子はまじまじと愛でるように倫子のことを眺めまわす。 倫子はコチコに緊張し、モジモジと目を伏せている。こうしてほかの魔女と会って話すのは初めてだったし、そもそもが人見知りなのだ。 「あたしが会った中で、いちばん若い魔女だわ。契約したのはいつ?」 「去年の六月です」 「それじゃあ、まだ一年とちょっとの新人さんね」 「はい。若輩です」 「〝じゃくはい〟ってどういう意味?」 美夜子は知識を探求するタイプではないらしい。 ジュリアンが紅茶とお洒落なケーキを銀のトレーで運んできて、テーブルにならべる。 「え! あなた一人で召喚の儀式をしたの? まだ中学生だったんでしょ?」 「はい、自分で文献を調べて」 「頭いいのねえ。あたしなんか、ぜ~んぶ先輩魔女にお任せだったもん」 美夜子は好奇心をあからさまにして、 「ねえねえ、倫子ちゃんはどうして魔女になったの?」 「それは……母親が離婚して家が貧乏で……」 あまり踏み込まれたくない部分だ。しかし先輩魔女の質問をはぐらかすわけにもいかない。 「うん。それで?」 「それで……いつも不安で心細くて。母親は頼りになりませんし……」 倫子はとつとつと語る。気まずすぎて、やたらと紅茶をすすってしまう。 「うん。それから?」 「それから……中学に入ったら、いじめに合って……。三人の女子グループに」 「けっこうヒドかったの?」 美夜子は俄然、話に食いついてくる。 「……リーダーの女子は優等生で、教師たちの信頼もあったから訴えても無駄で。それで二年間も。……屈辱的でした。それで彼女たちを退治したくて」 「魔女になったのね。その子たちはどうなったの?」 「殺しました、全員。三人のうちの一人を犯人に仕立てて」 「それって最近のことよね。もしかして、〈清廉女子中学生猟奇惨殺事件〉のこと?」 「はい。まだ魔女になりたてで、後始末の仕方もわからなくて。マスコミに騒がれてしまいました」 「そうなんだ。倫子ちゃん、けっこう大物なのねぇ」 美夜子は大いに感心している。 「いえ、未熟者もいいところです。魔法も失敗ばかりで。もっと力が欲しいです。なにも憂う必要のない生活ができるように──」 「ねえねえ、どうしてその子たちは倫子ちゃんをいじめたりしたのかしら?」 「それはわたしが……友達もいなくて暗くて……」 「それだけじゃないでしょ?」 「わたしも怪訝に思って魔法で自白させました。リーダーの女子が言うには、わたしの顔が気に入らないと。その……」 倫子は顔を赤らめて言いよどむ。 「うん。なに?」 「……わたしの顔立ちが可愛いすぎるのが許せないと」 「倫子ちゃんの容姿に嫉妬してたのね。女同士だとよくあることだわ。大変だったわねえ」 美夜子は真相が聞けて満足そうだ。 (……!) 倫子は今になって気がついた。 いかに先輩魔女の質問とはいえ、素の自分が、こんな恥ずかしい情報をペラペラとしゃべるはずはない。おそらく、知らぬ間に自白の魔法をかけられていたのだ。 (やられた。いつのまに……) だがいまさら文句を言うわけにもいかない。倫子は気を取り直し、用意していた質問をしてみる。 「あの、隅田朝美にかけた腫瘍の呪いはどうやるんですか? 『黒兎の書』にも見当たらないんですが」 「ああ、あれね。あれはいいわよ。効果が大きいわりには難しくないし。グループの先輩から教えてもらったの」 「グループ……。そういうものがあるんですか?」 初耳だった。 「あら、知らなかった? ふつう、新人魔女はグループに入って勉強するものよ。先輩魔女は親切に何でも教えてくれるの」 しかもそんな健全な雰囲気とは。 「そうなんですか。そういう魔女同士の慣習のような知識はまったくなくて」 「グループに入ったらいろいろ便利よ。合同で大きな魔法儀式をしたり、情報交換やお互いの悩みを相談したり」 美夜子は実に楽しそうに説明する。まるでクラスの女子が友達と遊びに行った話をしているようだ。 グループ内の雰囲気はともかく、魔法の上達を早めてくれそうなシステムに、倫子は大いに関心を持った。 「あの、グループのメンバーになるには何か資格がいるんですか? 掟のようなものとか」 「そんな堅苦しいもんじゃなから。魔女は基本的にみんな自由だもん。でもね、やっぱり魔女同士が争うのだけは禁止にしたほうがいいと思うの」 「そうですね」 ガタンッ! とつぜん美夜子が、床を蹴るようにして椅子から立ち上がる。 「もし違反したら、とうぜんキツいお仕置きを受けなくちゃね!」 倫子がポカンとしていると、美夜子はワンピースの裾をめくって、中から白蛇を飛び出させる。 「倫子!」 サンドルがとっさにテーブルに跳ね上がるが、その瞬間、キッチンナイフがドスッと振り下ろされ、背中から串刺しにされる。 「行儀が悪いですよ、サンドルさん」 ナイフを握っているのはジュリアンだ。 白蛇はテーブルに着地すると矢のような速さで滑り、倫子の手首に咬みつく。 倫子はすぐに振り払うが、手首に牙の跡が残っていて、血が滲み出ている。 「その蛇は猛毒よ。大人でも十五分で死ぬわ。あなたはちっこいから十分くらいかな」 明るく人懐っこい雰囲気から、冷酷な魔女の顔に豹変する。 「な、なんで……?」 早くも全身が痺れ、熱っぽくなってくる。 「しらじらしい。人の縄張り荒らしたうえに、こんなマネしといて!」 ワンピースの背中側をガバッとはだける。左の肩甲骨あたりに、卵大の腫瘍ができている。 「あんたの〈呪い返し〉のせいでこんなになったのよ!」 こんな切迫した状況だが、倫子は心の中で力なくため息をつく。ほとんどの呪力は小柴加奈恵にむかったが、一部は術者である美夜子のほうにも送り返してしまっていたのだ。異論の余地なく、自分の未熟さが引き起こしたトラブルである。 意図的にやったことではないが、それを正直に弁解すべきだろうか? そんな言い訳が通用する相手ではなさそうだが……。 倫子はポケットに手を入れ、とにかく毒消しの万能薬を飲み込む。 「なにか飲んだわね。でもこの蛇毒は専用の解毒剤以外では消せないわ」 実際、症状はまるで軽くならない。全身から汗が吹き出し、頭がクラクラしてくる。 倫子は椅子からドサッと床に崩れ落ちる。 「ふふ……」 美夜子は口元に、実にいやらしい笑みを浮かべる。 サンドルはまだ、キッチンナイフでテーブルに釘付けにされたままだ。 「ジュリアン、さっさとその猫を始末しちゃって」 「かしこまりました、ミス美夜子」 とどめを刺そうとキッチンナイフを引き抜いた瞬間、サンドルは躍りかかってジュリアンの腕に嚙みつく。 ジュリアンは力任せに腕を振り回して壁にむかって投げつけるが、サンドルはバサッと白鳥のごとき美麗な羽を背中から出して旋回し、空中停止する。ふだんは長距離高速移動のときくらいしか使わないが、翼猫だったのだ。 「早く殺って!」 主人の叱咤を受け、ジュリアンはキッチンナイフを振りかざしてサンドルにむかっていく。 美夜子は美夜子で、テーブルに並ぶカップや皿を、そばにある小物棚の上にあわただしく移していく。よからぬ期待で興奮し、すでに鼻息が荒い。 「あら、軽い」 美夜子は床に倒れている倫子を抱え上げ、片づけたテーブルの上に仰向けに横たわらせる。すぐさま黒ブラウスのボタンをはずしていき、前をはだけさせる。現れたのは、シンプルな白のブラジャー。蛇毒のせいで肌がじっとりと汗ばんでいる。 「かわいいブラね。これも取っちゃおうか♡」 倫子の小ぶりな胸があらわになる。我慢できないとばかりに、美夜子はむさぼるようにその胸を愛撫し、キスをいくつも落としていく。倫子は身体がだるくて抵抗できない。 美夜子は上気した顔をあげ、 「どう? あたしの妹になるって誓うなら解毒剤をあげるわ」 倫子は声が出ないのか、口をパクパクと動かしている。 「え? なに?」 期待して、美夜子はその口元に耳を寄せる。 「ヘンタイ、レズ女……」 美夜子はカッと頭に血が上り、 「ああそう! だったらこのまま死──」 倫子は口からブワッと火を吹き、美夜子の顔に浴びせかける。 「ヒィヤァァァーーッッ‼」 美夜子は汚い悲鳴を上げ、部屋から飛び出ていく。 倫子はケホケホとむせている。〈火吹き〉魔法を使ったのはこれが初めてなのだ。 「ん……!」 力を振り絞って体を横向きに回して、テーブルからおりる。毒消しが少しは効いたのか、ヨロヨロとだがなんとか歩くことができる。 「……!」 部屋から出ていったはずの美夜子が、ドアの前で音もなく立っている。様子がおかしい。沈黙して目の焦点も合っておらず、その場で固まっているのだ。 倫子は不審に思い、立ち止まって警戒する。 すると、美夜子の身体に奇怪な異変が生じはじめる。徐々に顔が伸び、胴も伸び、肌は角質化していき、ついには五メートルはあろう巨大な白蛇に変身する。 (変身の術……⁉) 倫子は驚愕する。大魔女クラスしか使えないはずの最上級の高等魔法なのだ。 巨大な白蛇は牙を剥き、一瞬で倫子を頭から丸飲みにする。 「!」 ハッと倫子は目覚める。まだテーブルの上で横たわっていた。 (夢……?) あのリアリティは普通の夢ではない。自在に悪夢を見せる、美夜子の攻撃魔法だ。彼女は予知夢が得意だと言っていたが、おそらく夢に関わる魔法全般に長けているのだろう。 倫子はブラウスのボタンを留めると、こんどこそ、体を横向きに回してテーブルからおりる。 部屋の奥に目をやると、使い魔同士の闘いはすでに終わっていた。 ジュリアン少年は両目をえぐられ、わき腹から大量にはらわたを引きずり出されて大の字になっている。息はあるようだが、完全に戦闘不能状態だ。 サンドルは目玉をかじっていたが、「不味い」といって吐き出す。どうやら同じ使い魔の目玉は口に合わないらしい。串刺しにされた傷口からはまだ少し出血しているが、平気で動いている。 「サンドル」 倫子が呼びかけると、すぐに駆け寄ってくる。 「あの魔女はどうした?」 「たぶん洗面所」 倫子たちは廊下に出て、洗面所にむかう。 案の定、カチャカチャと中から物音が聞こえてくる。 倫子は躊躇せず、バンッとドアを開ける。 洗面台にむかっていた美夜子が、ハッと振り返る。倫子の火を浴びて軽い火傷を負ったので、顔に市販の薬用クリームを塗っていたところらしい。 用心のためにそばにおいていたのだろう、美夜子は悪魔入りのガラス瓶をあわてて手にし、蓋を取る。 「我が望みにこたえよ、あの女をやっつけなさい イヨ ザティ ザティ アバティ!」 ガラス瓶の中に入っていた、トカゲに似た小悪魔が蠅のような羽根をブンブンいわせてむかってくる。 倫子は手近にあった花瓶を手にし、生けてあったダリアと水を床に捨てながら、 「ここに用意した小瓶に入り 我が僕となれ。イョ ザティ ザティ アバティ!」 ビキッ、と空気が軋む音がして、一瞬で小悪魔は中に吸い込まれる。 倫子は花瓶を逆さにして元あったところにもどす。 「あら、やるわね」 言葉とは裏腹に、美夜子は焦りの表情。 「ジュリアン!」 リビングにむかって大声で助けを呼ぶが、なんの反応も返ってこない。 「あの子なら、とうぶん起きてこないわ」 倫子が冷たく告げる。 さらにサンドルが、牙を剥きだして美夜子を威嚇する。 「わかったわ、もう終わりにしましょう」 愛想笑いをうかべて、美夜子は降参の意を表す。 倫子は手を差し出して、 「解毒剤を」 「ああ、そうね」 洗面台のミラーキャビネットを開き、中から紫色の小瓶を取り出して倫子にわたす。 「ほんとはそこまで強い毒じゃないのよ。ちょっと脅かしただけ」 「飲めばいいの?」 「ええ」 倫子は美夜子の顔つきを観察して、どうやら嘘はついてないらしいと判断して解毒剤を飲む。 「……!」 たちまち薬の効果が感じられ、数秒後にはケロッと治ってしまう。通常の蛇毒とは根本的にちがうものらしい。 「ね、もう平気でしょ」 「用が済んだんなら、わたしはこれでおいとまするわ」 倫子は険のある態度で、さっさと洗面所を出ていく。 「ちょ、ちょっと待って!」 美夜子があわてて追いかけてきて、友好的な提案をする。 「ねえ、倫子ちゃん。あたしたちのグループに入らない? みんなに推薦してあげるから」 「けっこうです」 倫子は左眉を歪ませ、一言のもとに断る。 リビングにもどって自分のリュックとブラを回収すると、早足で玄関にむかう。 「今日のことはおたがい様でしょ。仲直りしましょ♡」 美夜子はまだついてくるばかりか、性的な下心まるだしで、倫子の腕にねっとりと腕をからませてくる。 「ねえぇ、怒らないでよ。謝るから~」 「謝罪してもらういわれはありませんから。これで失礼します!」 倫子は腕をはらって1513号室を出ると、そのまま脇目もふらず駅に直行し、帰りの電車に乗り込む。 * 「……まったく、酷い目にあったものね」 電車に揺られながら、倫子は嘆息する。 行きの電車で、まだ見ぬ先輩魔女に淡い憧憬を抱いていた自分が、今となっては恥ずかしい。 「?」 リュックのサイドポケットから、見慣れない白い紙切れが顔を出している。 取り出してみると、それは手書きのメモで、〝美夜子♡〟という名前と携帯の番号が書いてある。 「いつのまに……」 「グループ入りして腕を磨くのも、悪い選択ではないがな」 サンドルがそれとなくアドバイスする。 「いいえ、それはないわ」 倫子は自戒を込めて強く否定する。いったい何を血迷っていたのだろう。柄じゃないグループ活動なんかに心が揺らぐなんて。 「群れるのは趣味じゃないのに」 メモをクシャクシャに丸める。 そして思いを新たに、誓うのだった。 「わたしは孤高の魔女を目指すわ。孤高のね」 先輩(終)
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