「ん……」 倫子は自分の部屋で目を覚ます。黒のロングワンピース姿のままで床に横たわっている。召喚儀式の道具もそのままだ。 身を起こして目覚まし時計に目をやる。まだ真夜中だ。眠っていたのは二時間くらいらしい。 「夢……?」 ではないはずだ。 まるでブツ切りにされたジャンプカット映像を浮遊しながら見ていたような感覚。だが異常に生々しい体験だった。肉体よりも心に刻み込まれるような。 倫子の視界に、一匹の見知らぬ灰猫が音もなく入ってきて、目の前で立ち止まる。 「……あなた、名前は?」 倫子が自然に話しかける。 「おまえが主人だ。勝手につければいい」 不思議と、人の言葉を発したことには驚かなかった。愛らしい見かけによらず、ハードボイルド風の渋い男性の声だったのが意外だったが。 倫子はあごに手を当てて思案する。 「灰色……英語なら〝グレイ〟、フランス語なら〝グリ〟……」 いまいちだ。 「灰そのものだったら、英語なら〝アッシュ〟……」 カッコイイが、自分の趣味ではない。 「フランス語なら〝サンドル〟……」 悪くない響きだ。 「サンドルにしよう」 当の灰猫は、自分の命名について何の反応も見せず、 「ほら」 といつのまにか口にくわえていた〝もの〟を倫子の手の上におく。 真っ黒で薄くて細長い塊だ。 「これは?」 「〝こくと〟だ」 「こくと?」 先を引っ張るとキャップが取れて、銀色のコネクタが顔を出す。 「USBメモリ?」 倫子はハッとして、 「〈黒兎の書〉のこと? 魔女のための魔導書の」 「そうだ。新米魔女にはこれが必要だろ」 「うん」 ノートパソコンに勇んで接続する。 ディスプレイに、アルファベットの文章群が表示される。使用言語はおそらく、ラテン語やギリシア語や古英語などを混ぜ合わせたものだろう。 「中身は原文なんだ……」 英語とフランス語が得意な倫子も、その難解さに思わず怯んでしまう。 「これを自分で母国語に翻訳して、白紙に手書きで書き込むんだ。黒の羽ペンでな。そうすればその魔法を使えるようになる。翻訳を間違えたり、誤字脱字があったら無効だ」 「……大変だわ。それだと、いつ魔法が使えるようになるかわからない」 倫子は椿たちの憎たらしい顔を思い浮かべる。 「すぐに使いたいのに」 「魔女になった記念特典がある。ペンタクルだ」 サンドルが腹の中から?大きなメダルを吐き出してくわえ、倫子にわたす。(ちなみにペンタクルには体液一つ付いていない) それは見た目通りずっしりと重いだけでなく、熱を帯びていた。 「本来魔除け用だが、今はサタン様の魔力が込められてる。魔力の量は限られてるが好きな魔法が使えるようだ。ただし大魔法になるほど消費量は多くなるがな」 「試しに今使っていい?」 「お前の自由だ」 倫子は少し思案した後、ワンピースの裾をめくりあげて太股を露わにする。当然、左の内股には魔術記号の生々しい傷跡が残っている。 「これを消したいんだけど、どうすれば──」 一瞬で、傷跡は跡形もなく消え去ってしまう。 「すごい……!」 倫子の瞳が闇色に輝き、 「ありがたいわ。これがあれば……!」
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