蓮夢も根本まで吸い付くした二本目の煙草を灰皿へ押し当てる。俺もヘヴィスモ ーカーだが、こいつも中々だな。 「その後に、とんでもないトラブルが起きて、銃弾が三発、俺の頭を撃ち抜き、病 院で目が覚めた時には、この様さ……。病院の沢山の機材と電力を独占して、博士 が作った何千万もするパーツを幾つも組み込んで、俺は脳死から蘇った。残ったの はその負債だけ……。破産寸前になった病院を、博士は数多くの特許と蓄え、そし て家族も手放して、何んとか持ち直した。イカれてるだろ? 高々、HOE一人の 命の為に、いっそ死なせくれればって何度も思ったよ。“ナバン”は消えて自由に なれる筈だったのにね、何食わぬ顔で生きてく訳にもいかない。相も変わらず身体 で稼いで、博士に返済して七年ってところさ。ホント、クソだよ……」 ノートPCのモニターに先ほどから映っていた立体モデルの脳がアニメーション になって蓮夢の話を補足していた。三発の銃弾の内の一発は左目を貫通し他の二発 と共に左脳を抉り飛ばした。 その後、左脳と右脳、小脳の一部が切除され、頭部の形に加工された板状のデバ イスが埋め込まれ、棚田の様に形成される。脳幹も頸椎も人工物に交換された。 自律思考するAIを二機。と、蓮夢は手慣れた様に言っているが、それは見方に よっては人間の脳に近い物を二つ自分の脳と繋げているって事になる。 それを――個と呼べるのか? 今、俺の眼前で、憂いと色気を漂わす一人の男が、本物なのか、AIがそれらし く振舞っているだけなのか。それをどうやったら確かめられる。使い古された小説 や映画の様な現実を、俺は目の当たりにしていた。 繰り返し砕け散っては形成される脳のアニメーションに、悪寒を覚える。 「脳死したお前は助かった訳だが、お前はそれをハッカーのツールの様に利用して いる。補助の域を超えてい様にも見えるが」 「その先は俺のアイディアさ。ある日、デジタルブレインと直結してる、作り物の 両目の奥で大量のコードやメンテナンスモードの画面の様なものが薄っすら見えた んだ。それが最高にウザくて気になってね、見たい、見せろ、見せろって思ってた ら、視界がそれで埋め尽くされた。しかもその滝の様に流れる無数のコードが何を 示しているのかが、何となく理解できた」 平常を装って、蓮夢に尋ねてみる。自分の抱いた疑問を探し出して、声に発する のも一苦労になっているが、蓮夢は間を開ける事もなく、俺の疑問など何て事ない 想定の範囲内で、予め用意してた様な応じ方をした。 「完全な同化は失敗してた。おそらくデジタルブレインは当事者がそれをインプラ ントしたと僅かでも認識すると、思考や記憶が自立してない事に気付く、誰かに手 渡しされる様な感覚。俺は病院で目覚めた瞬間に、何が起きたのか理解してしまっ てた……」 「それで、お前のアイディアと言うのは?」 「結局、俺の頭の中には高性能なコンピューターがあって、優秀なAIが二機、そ れを動かしている。そして俺はそれに命令ができた。その頃からハッカーの真似事 をしてたから、その価値がよく分る。敢えて同化を半同化レベルまで落として、よ り正確に感覚的に、AIにタスクを指示できたなら、俺は世界で唯一無二の生きた ハードウェアになれる……。別にそうなりたい訳じゃないけど、何か意味が欲しか った。ただ生きる為だけに、高額なデジタルブレインなんて俺には勿体ない。それ に見合う様な者になりたかった」 想像し難い感覚だ。自分の脳に、そして意識に違和感を持ち続ける。ただ、蓮夢 の表情に見え隠れする悲壮感が、その苦しみ、そしてその違和感を受け入れて生き る事の重みを語っていた。 「博士に協力してもらいながら、俺の脳と二機のAIの間にOSを挟み、無駄のな い指示系統を構築した。外部機器へのアクセスを可能にするため、左腕と両肩の骨 は全てチタン合金に変えている。その骨の中にアクセスポートやネットワークへの 無線デバイスを組み込んで、脊髄から脳へ繋げて、有機体ベースの神経が無数に張 り巡り、補修、メンテナンス用のナノマシンが大量に漂っている。見た目にはこれ と言った変化はないが、その辺のサイボーグよりかなり機械化されてるんだぜ」 輝紫桜町で蓮夢を追い詰めた時、左肩を撃ち抜けなかった理由はそれか。あの距 離なら貫通してても、おかしくなかったが、大分浅いところで弾丸は潰れていた。 今まで抱いていたサイボーグのイメージが大きく変わるな。用心棒のサイボーグ やイワンの様な、厳つくてパワフルなイメージが、蓮夢の場合は、繊細でトリッキ ーだ。 「その左目は?」 「これは不良品、血液が漏れて変色した。見るに困ってないから、そのまま使って る。生身だった頃の蓮夢と、今の蓮夢を分けるポイントかもね。これは誰にも言っ た事ないけど、本当の蓮夢はとっくに死んでるんじゃないかって考えがずっとあっ てね……だからトラブルへの戒めも込めて、生身だった頃の自分と今の自分を差別 化したくて、そのままにしてる」 それでも、満更でもないと言う笑みを浮かべていた。初めて見た時は、随分おぞ ましい柄の目だと思っていたが。 蓮夢を追い詰めたあの夜、殺すなら頭以外を撃ってくれと言っていた意味が、今 ならよく分かる。 はっきりと死を認識したい。そう言った。事情を知ると、その言葉の壮絶さと重 みを感じずにはいられなかった。 「ところで、携帯新しくしたんだ。前よりもプロテクト硬いね」 「お前また!」 はっとしてポケットから携帯を取り出す。前回と違い、画面には何の変化もなか った。前回はハッキングしたと分かり易くしてたのか。 本当にハッキングされているのか。蓮夢の言う通り、新調した携帯端末は以前よ りセキュリティの強固な物にしてある。 それすらも、既に破ったと言うのか。 「“組合”の独自プログラムの様だね。まぁ、ヤバい仕事だから何事も暗号化する のは当たり前か。でも、こんなクソみたいなシステムで俺からガードできる訳がな いだろ。俺の頭には侵入用のハッキングプログラムや、暗号解読のアプリが数千以 上は入ってる。へぇ、鉄志さんファンタジーな課金ゲームなんかしてるんだ。意外 だね」 蓮夢はテーブルに手を置き、額を支えて、目を見開いて一点を見つめている。 “組合”の人間同士でのやり取りは全て専用のアプリと独立したネットワーク内 のみとなっているが、こうもあっさり入り込まれては、何の意味も成さない。 そして、プライベートも何もあったものじゃない。 出歯亀ハッカーめ。 携帯をシャットダウンしようとしたが、反応しなかった。やはり完全に乗っ取ら れている。 「さて、こうやってお望み通り話してる間、店にイタズラして、鉄志さんの携帯に 潜り込んで終わり、と言う訳じゃないんだな……」 パキンという金属音と共に、蓮夢の腕からコネクターが飛び出す。ケーブルは自 動でノートPCに巻き取られていった。 蓮夢はノートPCを俺の前へ差し出す。画面からは蓮夢の視界は消え、銀行の口 座画面が二つ表示されていた。嫌な予感がする。 「右の口座は鉄志さんのもの、左の口座はこのお店のもの。羨ましいなぁ、俺もこ れぐらい自分の稼ぎにしてみたいよ。いつも搾取されてばかりだからね……。俺の 口座も開いて、頂いちゃおうかな? クリックなんかしなくていい。頭の中で、た だ一言“実行”と念じればいい。鉄志さんの拳銃の弾が、俺を撃ち抜くよりも速く 実行できるよ」 ここまでに蓮夢が披露したデモンストレーションだけでも、充分過ぎる程の能力 とスキルを見せ付けたと思っていたが、更にそれ以上の事を水面下で行っていたら しい。 たったこの数分で、店のシステムと情報を手中に収め、俺の携帯を乗っ取り、双 方の口座にまでアクセスしてみせた。 こいつは一体、脳内でどれだけの作業をこなせるのだ。 「でも、そんな事より興味深いのは……。鉄志さんもこの店も、どう言う訳か、同 じ名義の投資ファンドや、財団法人から金を送金してもらっているね。“組合”の ダミー会社かな? このホテルも“組合”の息がかかった施設だ。ここで鉄志さん の融通がよく利くのは、そう言う事なんだね。あと、何分あれば“組合”の中枢を 見つけ出して、潜り込めるかな? 何処からアプローチしようかなぁ。鉄志さんの 端末に、何かいいネタ残ってないかなぁ……」 俺がのろまなのか、蓮夢が速過ぎるのか。こちらが状況を把握する前に、次から 次へ情報を投げ込んでくる。 ただ一つ確かな事は、今の蓮夢は行き過ぎている。――ここから先は余りにも危 険だ。 「もういい、分かった、充分だ」 「まだ足りないね、人間の脳は一度思考し始めると、止める事は出来ない。信じら れない程の速さで疑問と探求を繰り返す。オフラインの人間なら、それもいいだろ うけど、俺の思考は外へ飛び出せるんだ。外に溢れ返ってる答えに向かって、飛び 立てるんだ……」 テーブルに少し身を乗り出して、蓮夢は笑っていた。危険な笑みである。 今、こうしてる間にも蓮夢の脳は“組合”が最も嫌う、情報の流出を始めている のだろうか。 少し前なら、つまらない虚勢と思えたが、今は脅威すら感じている。蓮夢ならや りかねない。強かで賢い男だが、同時に軽率で混沌としている。 さっき言っていた“刺し違える”と言う言葉が現実味を帯びていく。 「お前、“組合”を敵に回す気か? この場で俺が……」 「やってみろよ、アンタが見せてみろと言ったから見せたんだ。ここで俺のバイタ ルサインを止めた瞬間、世界中に“組合”にとっての不利益を拡散できる。その原 因は、アンタの携帯端末だって事を含めてね……」 前髪を掻き上げ、ふんぞり返る蓮夢の暗紫色の左目が、鋭く俺を見据えていた。 かなり不味い状況かも知れない、俺は選択を間違えてしまったのか、それとも蓮 夢に出会った時点で、この一件に関わった時点で、運が尽きていたのか。 いずれにしても、蓮夢を見誤っていた。この男のしてる事、してきた事。雰囲気 や仕草、その全てが目を曇らせていたのかも知れない。 蓮夢は、CrackerImpは、とんでもない規格外のハッカーだ。 「鉄志さん、俺がまだ“知らない”って断言できる?」 沈黙と睨み合いが続く。蓮夢がここに来て暴走して見せるのは、自分を実力を示 す為だけじゃない。俺に釘を刺している、甘く見るなと。 違法サイボーグと言う存在が、どれだけのリスクがあるのかは知らないが、俺に 見せざるを得ない事で開き直ってみせた衝動的な行動に思える。それでも一歩間違 えれば、命を奪われても文句は言えない様な行為だ。だが、俺はもう蓮夢に対して 下手な脅しはかけられそうにない。やられたな、蓮夢に一つ弱みを握られてしまっ た様だ。 感情的で“変わり者”。戦場にいた頃は、色んな人間と出会って、理解し合った 上で、リーダーとしての舵取りをこなしてきたが、蓮夢の様な奴は今まで会った事 がないタイプの人間だった。俺も覚悟を決める時だな。 そんな事を考えながら、睨み合いを続けていると、沈黙に耐えかねてか、蓮夢が 笑い出した。 「冗談だよ、多分ね……。言ったろ、“組合”なんかに興味はないって。仮に俺が そんな事をしたって、世の中には絶対的な権力を持った支配者って人達がいる。最 後にはそういう連中の都合通りになる事ぐらい分かってるよ。ここまでの作業ログ は全て消去するよ。と言っても、俺の生身の脳は記憶してるけどね」 今は蓮夢の、その言葉を信用するしかないし、そう願いたいものだ。 緊張が解けて来たタイミングで、ウェイターとオーナーが料理を運んできた。オ ーナーは怪訝そうな顔を必死に抑えながらワインを注いでいた。 「待たせしました」 「そう、朝飯前さ……」 蓮夢はすました顔で言って見せたが、余程腹が減っていたのか、カットされたス テーキに食い付いて、ライスをかき込み、味噌汁で流し込んだ。このペースで食べ 続けるのなら、四〇〇グラムもあっという間だろう。こういう所はしっかり男なん だな。 冷めかけている珈琲を飲みながら、蓮夢のノートPCを眺める。これでも見てろ と言わんばかりに、モニターにはアクアセンタービルの外観が表示されていた。 一階がロビー、二階から三階はモール式になっていて、テナント店や飲食店が連 ね、四階と五階もジム等の商業施設で開放していて、一般人の出入りは盛んな印象 だった。 それから上の階層は、海楼商事の貸しオフィスになっていて、幾つかの企業が利 用している。蓮夢の言うサーバールームは二十九階にある。 「それでも、海楼商事のサーバーを攻略できないでいる……」 「そんなもんさ、俺に限らず、ある分野で無敵であっても、畑違いなら大した価値 はない。独立されたネットワークに、狭い出入り口には罠だらけ、物理的に潜り込 んで、直に接続する事が出来れば俺の勝ちだけど、その手段が見いだせない。そう こうしてる間に、鉄志さんや海楼商事の駒が立ちはだかる。脆弱なもんさ実際」 俺に言わせれば、蓮夢の持つ能力は驚異的だが、蓮夢にとっては俺の知識や経験 に魅力があるらしい。一体、何に期待しているのだろうか。 「だから俺の助けが欲しいと?」 「鉄志さんだって、俺みたいなのがいれば便利だと思っているんだろ? 拒絶され る理由なんてないと思ってたけど、俺の事、そんなに嫌い?」 嫌っていたのかもしれない。始めから、どうする事が正解なのかは分かりきって いた。全ては俺の色眼鏡のせいだ。 組織のしがらみだって確かにあるが、合理性を無視してでも、こんな奴に、男娼 ごときが偉そうに手を組もうなんて、思い上がりだと意地を張っていた。 今もまだ、わだかまりが消えた訳じゃない。それでも、嫌わず理解する努力はす べきだと、今はやっとその段階にまで来れた気分だった。 「もう少し、ゆっくり食べたらどうだ」 「貧乏性でね」 厚みのあった肉もあと二切れしかなかった。盛られたライスも味噌汁で流し込ん でいる。時間に追われる者の作業的な食事。 俺も昔はそうだった。日本に帰って来て、少しは落ち着いて食事を味わえる様に なったが。 「まったく……変わった奴だな、お前」 「どうでもいいさ。それで、鉄志さんの答えは?」 綺麗に平らげ、一息ついた後、蓮夢はワインを飲み干す。食器を重ねて端に置い て、ノートPCを畳んで手元に置いた。 テーブルに置いた両手に顎を乗せて、こちらを見ている。歳不相応な目をしてい た。 仕方がないとは言え結局、誰かの思惑や希望に流されてしまうのか。ガキの頃か ら、ずっとこれの繰返しだな。それをリーダーの気質だと言うのなら、損な役回り である。 何時も自分は一歩下がって、思いを律し、意見をよく聞き、調子も帳尻も合わせ て、バランスを整えて、仲間と共に目的を果たす。或いは戦友達と共に任務を成功 へと導くんだ。――この上ない満足感が得られる瞬間だ。 コイツと、蓮夢と俺は、その領域にまで辿り着けるだろうか。若い頃はそんな不 安なんかお構いなしに前へ進めたというのに。 「恐れ入った。ここまで凄い奴だったとはな。改めるよ、是非、手を組ませてくれ ないか? それと、話し辛い事情を話てくれた事にも感謝するよ。組織には、優れ たデバイスを使いこなす天才ハッカー。とでも言っておくよ」 蓮夢の目と表情に穏やかな雰囲気が滲み出て来る。分かり易いヤツだな、それと も、してやったりとでも思っているのだろうか。 「力関係は基本的に、鉄志さんが八、俺は二でいいよ。多くの部分で、鉄志さんの 方針や指示に従うけど、俺の分野が重要なら場合は逆転してもらう。あとクライア ントさんの不利益な事になる様な事は避けてもらうよ」 驚いたな、対等にとは言わず、こちらを上に祭り上げて来るとは、ここぞと言う 時の決断以外は俺に委ねると言う訳だ。都合に良いポジションだ。現時点、知る限 りでは蓮夢らしいと言えば蓮夢らしいと思えた。 蓮夢の差し出した右手。この右手に応えた瞬間、俺達は相棒と言う関係か。 「六対四の関係でいよう。俺がお前のジャンルに弱いのは事実だからな。出来るだ け、隠し事はなしで頼むよ」 昔の俺ならば、ほとんどの要望を受け入れていただろうけど、今回はその自信が ない。こちらの負荷を分かち合ってもらうぞ。 俺は右手で蓮夢に応じる。――これでようやく、一歩前進した。 「よろしくね、鉄志さん」 「こちらこそ」 遠回りしてしまったが、ここからどれだけ巻き返せるか。今後どう動くかについ て、今からでも話しておきたいところだが、緊張が解けた蓮夢の様子は、明らかな 疲労が漂っていた。 髪を掻き上げる仕草に見せかけて、頭部の左側を押さえている。頭痛だろうか。 「疲れたな、お互い……」 「アンタは飲んでただけだろ」返す言葉もない。 ウェイターが皿を片付けるついでにと、蓮夢はウイスキーのロックをダブルで注 文していた。しかも、ここぞばかりに高い銘柄の物を。本当に遠慮がないな。 さて、蓮夢と手を組み、具体的にどんな活動をするのか、ハッカーのリサーチに 殺し屋がボディーガード以外に役に立つ事なんてあるのだろうか。 六対四の関係であっても、概ね蓮夢が方針を定める事になりそうだな。 今の俺に必要な事は、久し振りの相棒と言える相手。この蓮夢という、一癖も二 癖もある男の事を、出来るだけ多く知り、把握する事だろう。 「嫌なら答えなくてもいいが。何故、売春をしているんだ? それだけの能力があ れば他にやり様もあると思うんだが」 昨晩からずっとこれが揉め事の種になっている。確かに俺にも非があるが、どう しても理解できなかった。 それでも引き下がらなかった蓮夢の、理由が知りたい。俺達は余りにも、生きて きた道が違い過ぎるから。 蓮夢はしばらく下を向き、言葉を探している様な素振りから、観念したかの様に 顔を上げた。 「ずっと、そうやって、生きてきたからだよ……」
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