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7.― DOUBLE KILLER ―  美味い酒を飲めても、一眠りもすれば失せてしまう。しかも、目覚めは相変わら ず最悪だった。自分の呻き声で目が覚めるのなら世話ない。  年々、眠ると言う行為が重労働になってきてる。悪い夢にうなされ、音と光に敏 感になり、寝ているのか起きてるのか、或いは休息を取らねばと言う強迫観念。  日本に帰ってきて、十年。まともに眠れた試しは一度もなかった。  限界まで倒した助手席のシートから身体を起こし、携帯の画面を開くと時刻は八 時を過ぎた辺り。雨は霧雨になっていた。  あれから出直すと言う気にもなれなかったので、輝紫桜町で飲み明かしていた。  これだけ長く、この大歓楽街で時間を過ごしたのは初めてだった。BARを二軒 ほど梯子し、街の雰囲気を眺めていた。  この街は活気に溢れているが、その裏では、見えない何かで繋がり合っている様 な。そんな気配と視線を常に感じた。  蓮夢の話を聞いたから余計に気になるのか、一般人に紛れ込む、ギャングにヤク ザ。店やキャッチ、セックスワーカーと、常にアイコンタクトをとり合っているか の様な、ヒリヒリとした異様な連帯感。  この街に住む者と、外から来る者の間には、見えない壁が確かに存在している様 に思えた。  車から降りて軽い背伸びをする。有料駐車場から四車線の道路の先にある、輝紫 桜町の正門を見据える。通勤ラッシュだ、車道はやや渋滞していた。歩道もそれな りに人混みになっていた。  そんなありふれた朝の光景の中で、輝紫桜町の正門から先は、遠目に見ても、周 りよりも一段階暗く、不気味なくらい静まり返っていた。  車の中に置いてある携帯のバイブレーションが疎ましく震える。予定通りだな。  携帯を見ると案の定、蓮夢からのメールだった。終わって待ってる。と、簡単な 内容のメッセージが入っていた。当たり前の様に連絡をしてくれる。  奴にハッキングされた携帯端末は、その日の内に破棄した。一方的に送られたア ドレスのみ引き継いでおいた。  この携帯端末は“組合”の支給品で、特殊なプロテクトが施され、使用している ソフトウェアも独自仕様だ。仮に他者に奪われても、ロック解除すらできない代物 である。  しかし、蓮夢はあっさりと突破して情報を手に入れた。それも、そんな素振りは 一切見せる事なく侵入して、自由に奪える状況にしていた。  一体、どんなからくりは分からないが、あの男には相当なスキルがあると、直感 で確信している。なのに、何故――あんな惨めな生き方をしているのか。  ある程度、覚悟はしていたが、昨晩の蓮夢の顔と姿は、自分自身を売り物にして いると言う様を、まざまざと見せ付けていた。情報で散々分かり切っていた事だっ たのに、輝紫桜町の男娼である事は。それでも、衝撃を受けた。  すぐそこの門に蓮夢がいる。少し、気不味いと言うのが正直なところだ。  あの時はわざわざ来てやったのにぐらいの感覚だったが、BARで深酒になって いく内に、蓮夢に対して、少しやり過ぎているんじゃないかと、思い始めた。  そもそも、何を警戒しているのか、何を過敏に反応しているのか。蓮夢が自分の 人生の中において、決して入り込む事のないであろうタイプの人間である事に戸惑 っている。その結果が昨晩の揉め事だった。  いい大人の、それも男が、あんな風に涙を溜めて、弱々しく睨んで来るものなの か。月並みの弱音や泣き言なら、突っぱねる。俺も蓮夢も裏社会の無法者だ。甘え は命取りだ。  その考えは変わらないが、それでも、その時の蓮夢の姿には、ただ戸惑うばかり だった。  セックスワーカーや同性愛者に偏見や差別などは持っていなかったが、同時に関 心もなかった。今後の事を考えると、その姿勢も改めるべきかもしれない。初っ端 から躓いてしまった。  門の前に立ち、色を失ったかの様にくたびれた輝紫桜町を眺める。あれだけ人で 溢れ返り、ありとあらゆる原色が混ざり合って、赤紫に染め上がっていた夜の輝紫 桜町とのギャップは表現し難いが、どちらも地獄と言う表現が似合っている様に思 えた。  門を超え、すぐにある右側の裏路地に視線を移す。暗がりに目が慣れると同時に 蓮夢の姿を確認できた。  昨晩と変わらず、はだけた黒のスカジャンからは、肩や背中を大きく露出させて いたが、すこし乱れていた。ブリキのゴミバケツに腰を下ろして、今にも崩れてし まいそうな程、深く項垂れていた。それを支えている左手は髪を乱し表情は伺えな い。右手に持つ煙草はほとんど吸われる事なく、か細く燃えていた。誰の目から見 ても憔悴し切った姿だ。  近づく足音にビクリと反応して、蓮夢は僅かに顔を上げる。暗がりで表情は良く 見えない。 「随分、早いね」  ほんの僅かだけ顔を上げ、深い溜息の後にか細い声が漏れた。悪ガキの様な不敵 な笑み、妖艶な視線、強かで合理的な思考。これまでの蓮夢の印象からは、かなり かけ離れいた。 「街で飲んでた。意外に良いBARが多いな、此処は」 「古い街だからね……。それで、話って何?」  輝紫桜町への評価が、少しばかり上がったのは事実だった。たまたま当たりを引 けたのか、適当に選んだ二軒のBARは、どちらとも雰囲気も良く、酒の豊富さも 申し分なかった。古い街、つまりは手堅い老舗が多いと言う事だ。  煙草を吸い一筋吐いてから、蓮夢は腰を上げた。少しよろめきながら近づいて来 る。俯いた顔が明るみに出た時、唖然とした。 「お前、顔どうした?」 「別に、どうもしないよ……」  疎ましそうに顔を横に逸らした。蓮夢の目元や頬は青アザと切れた唇。首筋には 指の形がはっきりしていた。  荒っぽくキレ易い客だとは言っていたが、これは度を越していた。  俺は蓮夢のいる世界に理解もないし、知りもしないが、金で買った売られたの関 係でも、超えてはならない一線ぐらいはある筈だ。  こんな目に遭いながらも、蓮夢は一晩、そんな奴の相手をしていたと言うのか。 「元々、気が乗らない相手だったけど、モロに顔に出して、このザマさ……。プロ 失格だよね……」  咥え煙草から吐き出される煙は、ウンザリとした様な溜息が混じっていた。こん な目に遭って、なぜ自分を責めているのか。俺には理解できない。  ふと気付くと、蓮夢の左目が俺を鈍く睨み付けていた。恨めしくも非力で、卑屈 さに満ちた暗紫色の赤目。 「ホント、心の見えない人だね。何が言いたいの? 軽蔑? 同情? それともお 門違いな責任でも感じてる訳? どれも薄っぺらいね……」  蓮夢は足元に煙草を叩き付けた。飛び散った火の粉は雨に濡れる地面に一瞬で消 え失せる。  確かに、蓮夢の言う様な幾つかの感情は、少なからず持っていた。そんな義理は ないが、上手い具合に蓮夢に売春をさせずに、俺の都合に付き合わせていれば、こ んなにボロボロになる事はなかった。  やはり対応の仕方を誤っていたのか、鼻持ちならない奴だが、必要以上に威迫し て蔑んで、優位な位置を保つ必要はなかったのかもしれない。  俺の本心の最たるものは、後悔だった。 「何故、そこまでする? 腕の良いハッカーなのに、他に選べる道だってある筈だ ろ」 「他の道……。ねぇ? 鉄志さんはどうして、殺し屋なんてやってるの? 人殺し が好きだから? それとも、射撃のスキルを活かしたいから?」  迂闊だった。蓮夢に問い詰められる隙を作ってしまった。お互い生きてる世界が 違い過ぎる。  理解できない事を考えもなく、何も知らないくせに勝手な事を言うな。とでも言 いたいのだろう。 「なぁ、言えよ。それとも、また力で俺を押さえ付けて、自分はだんまりを決め込 む気かよ?」  蓮夢は昨晩と同じ様に、両手で胸倉を掴んで来たが、その手は弱々しく、僅かに 震えていた。俺に掴みかかっても、返り討ちに合うと分かっている筈なのに。  そう、答えてやる必要なんてない。ちょっと捻るだけであっさり突飛ばせる。し かし、今回ばかりはそんな気分になれなかった。  つくづく思う、この蓮夢と言う男、本当に扱いに困る奴だ。 「俺には、それしか道がなかったからだ……」  勢い任せで答えたが、これはきっと、嘘だ。  今、俺が殺し屋でいる事も、傭兵だった事も、そもそも“組合”と言う組織にい る事も。全ては俺の――無責任さ故だ。  それを、この場で蓮夢に話す様な事じゃない。ましてや、理解などされる事もな いだろう。 「俺だって同じだよ、ずっとそうやって生きてきた。それしか方法がなかった。親 も選べない、生き方も選べない。どうすりゃいいんだよ! 捨てられて、踏み付け られて、玩具にされて、死に損なって……ただ、独りで……」 「待て、何の話だ?」  蓮夢は項垂れ崩れる様に寄り掛かって来る。今まで蓄積させた感情が思わず爆発 してしまった様に見えた。俺が知る筈もない過去の話が噴き出していた。  堪りかねて蓮夢の言葉を止めると、しばらくして胸倉を掴む手が離れて行った。 「こんな姿、見られたくなかったよ……」  フラフラと背を向けて、壁に寄り掛かる。項垂れる額を片手で支え、凍える身体 を窄めて小さく震えていた。  必死そうに声を殺し、むせび泣いている後ろ姿を見ていると、二つの感情が俺の 中で犇めく。泣かせしまったと言う罪悪感と、男のくせにと呆れる感情だ。  その理屈を当てはめる事自体が、蓮夢を見る目を曇らせているのかも知れないの は、何となく分かっているが、今の俺にはそんな認識ぐらいしかなかった。 「おい……」 「うるさい! 見るな!」  気付くと、蓮夢に向かって腕が伸びかけていた。一体何をする気だったんだ。肩 に手でも添えて、慰めてやるとでも。  俺は何を狼狽えているのだ。綯い交ぜなる感情。小さく、むせび泣いている蓮夢 の姿に釘付けになり、動けなくなっていた。 「ごめん、十分したら行くから……」 「門の外で待ってる」  こんな状況では話なんて出来たものじゃない。蓮夢が落ち着くまで、待つしかな さそうだ。裏路地を抜け、門の外へ出る。  輝紫桜町の外は、まだまだ通勤ラッシュの真っ只中だった。これからあの格好の 男と駐車場まで歩くのかと思うと、気が滅入るな。  近くにある自販機の側で煙草に火を着ける。とにかく、俺も落ち着かないと。  さて、どう接するのが正解なのか。昔はもっと上手くやれていたのに。生まれや 育ち、年齢や国籍が違っていても、しっかり全員をまとめ上げて、任務を遂行して いた。  蓮夢の様なタイプの人間は初めてだ。いや、そう言う考え方がそもそも間違いな のか、それでも、どうしても特殊な目で見てしまう。中性的、同性愛者、セックス ワーカー。  余計な情報が先走って、無駄な事ばかりをしている。自覚しているのに。  戦場、兵士、任務。そんな共通点すらない。全貌が見えない敵、そして思惑も見 えない組織。――癖の強い協力者。  単独任務の殺し屋が自分に向いているかどうか、ずっと悩んでいたが、今は独り の方が余程、楽だと心底思えた。  自分でも気付かない内に、変わってしまったのかもしれない。何時から人と向き 合う事を煩わしく思うようになったのだろう。  戦場にいた頃、いや、ガキの頃、俺はどんな気持ちで、どんな目で、人と向き合 っていたのか。思い出す事もままならない。 「ごめん……」  少しは落ち着いた様子だが、明るみに出た蓮夢の姿は、更に酷い有様だった。  化粧の乱れに、よく見ると身体にも数ヶ所、痣ができてた。あの痣は足蹴にでも しないとできないレベルだ。  蓮夢の相手した客は一体どんな性癖なんだ。羽振りの良い奴など、大概が横柄な 者だが、これは度を越している。  俺にも非はある、それは認める。蓮夢と高々、一時間少々の話しができれば済む 事なのに。この客も余計な事をしてくれる。無駄な遠回りだ、殺意が沸いてくる。  蓮夢は相変わらず俯き気味に顔を逸らしている。自販機に携帯をかざし、缶コー ヒーを一つ買って、蓮夢に投げ渡した。 「お疲れさん」今更、安っぽい言葉だと我ながら思う。 「随分と甘ったるいヤツを……」  不満気に眉をひそめていた。練乳をブレンドした、おそろしく甘ったるい缶コー ヒーだった。俺も数年前に試して後悔した記憶がある。それでもロングセラーな商 品でファンは多いらしいが。 「甘いものは気持ちを落ち着ける」 「そうだね……」  蓮夢の顔に笑みが浮かぶ。何かを思い出したかの様な懐かしむ雰囲気に後、缶コ ーヒーを数秒で一気に飲み干し、深呼吸をした。目の前にあるリサイクルボックス などお構いなしに、空き缶を放り捨てる。行儀が悪い。 「悪かった、無礼は詫びる。仕切り直してもらえるか?」  蓮夢の傍へ行くと、蓮夢は一瞬ビクリと反応して、気まずそうに上目遣いで俺と 目を合わせる。  この謝罪は一〇〇パーセントではないが、今は蓮夢に合わせる事を優先する。  そうだ、先ずは会話を続ける。そして観察するんだ。相手の事を知れば、自ずと 自分と相手の落とし処が見つかる。昔、俺はそれが得意だった。 「そうだよね。こんな事してても、時間の無駄だ。でも悪いけど、話をするなら何 処か飯食えるとこでもいいかな? もう二日ぐらいロクに飯食ってなくてさ。すぐ そこに安い大衆食堂があるんだけど、そこでもいいかな?」  蓮夢もまた一〇〇パーセントではないが、謝罪を受け取ってくれた様だった。そ れにしても、食うのも困るぐらいの金欠なのか。ここに来て、緊張感が一気に抜け る提案だった。 「そんな所で話す気はない。来い、もっとマシなとこに連れて行ってやる」  予定変更だ。しかし、今回ばかりは蓮夢のペースに合わせてやろう。

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