作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

「頼むぞ、鵜飼」  エレベーターの天井を開けると、鵜飼はほとんど音を立てずにスルッと登って見 せる。流石だなって、素直に思えてしまった。“インセクト”も鵜飼に続く。  苦しい。話をしたり、ハッキングでもしていれば気も紛れるが、無言になると痛 みが込み上げて来る。細胞修復のナノマシンも残り僅かだった。  壁に寄りかかり一息つくと、テツが傍に来て肩を撫でる。何時もと同じ、二人き りだった。 「大丈夫か、危険な賭けに出たな蓮夢……」 「テツ……ごめん。俺のミスでこんな事になって……。しくじった分は必ず取り戻 すよ。データを奪えれば、自動的に補助端末にコピーされる。クライアントさんに も自動転送される様にしてある。テツの携帯にも転送させるよ。暗号化されたデー タもあるから、解析作業も必要だけど、最悪の時はそれを持っていって」  まずはクライアントさん最優先だ。それで一つ、役目は終わる。テツにもデータ を渡せば、後は上手くやってくれるだろうし“組合”へも示しがつく筈だ。 「弱気を言うな。それに、お前はまだしくじっちゃいない。此処にいる、アクアセ ンタービルのど真ん中で戦ってる。俺も全力でカバーしてやる。だから焦らず慎重 に行け。この前みたいな無茶はするなよ」  人の優しさを素直に受け取るのが下手な性分だけど、テツの言葉は今まで以上に 心に入り込んできた。  でも、今回ばかりは無茶をする必要がある。万が一と、念の為。今の内に出来る 話をしておいて、心配事を減らしておかないと。 「モルヒネ、もう一本くれる?」 「過剰摂取だ」 「念の為だよ、俺も全力で挑む。確かに鵜飼に比べれば、俺は弱いし頼りないかも 知れないけど……。でも、何をすべきかは、誰よりも理解してる」  テツからモルヒネの箱を受け取る。テツは真っ直ぐ俺を見つめていた。真っ黒で 生気に乏しい目をしているけど、その奥底では真っ赤な闘争心を燃やしていた。 「蓮夢、肝に銘じておけ。俺の許可なしに死ぬな。どんな無茶をしても俺の許可が ないなら生存を選べ。俺に二度と“あんな思い”をさせるな……」  気遣わしく顔を歪ませる。本気で心配してくれているんだ。ボロ雑巾みたいな俺 への哀れみや罪悪感も感じるけど。 「分かってるよ、テツ」  求めれば拒まれて、忘れようとすれば寄り添ってくれる。何時も変に意識して距 離を取るくせに、今はこんなにも近くにテツの顔がある。  もっと近づけたなら、もっと触れられたなら、どんなに良いだろうか。  けど、嬉しかった。テツに見ていてもらっている。その実感がただ嬉しかった。 『鉄志、聞こえるか? 数人仕留めた。まだ敵は気付いていない、合流しろ』  テツの腕についた携帯端末から鵜飼の声が聞こえる。場違いな感情だけど、邪魔 された気分だ。 「了解……」  エレベーターの扉を開ける。エレベーターの運用システムをクラッキングしてお く。電光表示が赤く光り、エラーメッセージを繰り返す。これで少しは増援を鈍ら せる事ができる。  社長室と重役会議室は連なっている。この廊下を進み右へ。長い直線の廊下を過 ぎてまた右にある。  すぐ先で鵜飼が待機していた。曲がり角の手前で身を屈めている。  偵察中の“インセクト”にアクセスして先の状況を確認した。長い直線の廊下に は、さっきと同じドローンが規則的な動きで巡回している。  左右は仕切りガラス程度で開放的なデザインのオフィスになっていた。敵が身を 潜めて待ち構えているのだろう。 「右は俺がやる……。お前は左をやれ」  ぶっきら棒にテツに命令した。役人ってのは年齢問わず横柄なものらしい。テツ はどちらでも構わないと言った調子だ。  この強行突破で俺に出来る事は何かと思考を巡らせる。物理的な戦闘において今 の俺は、ほとんど役に立てない。出来る事は――ハッキングのみだ。 「テツ、“インセクト”使わせてもらうよ。コイツを中継器にして、ドローンにマ ルウェアを流し込む」  “インセクト”を遠隔操作に切り替えて天井スレスレを飛ばす。出力を上げて周 囲の無線信号を拾い上げ、ドローンに内蔵された通信デバイスを選別した。  幸いにもドローンは、常に情報共有していたので、一台にアクセスすれば芋づる 式に見つけ出せた。このエリアには二十台のドローンがいる。 「さっきみたいに操るのか?」 「数が多くて無理。このエリアだけで二十台配置されている。一時的に動きを止め る。センサーとカメラを封じて攻撃出来ない様にするんだ。でも俺がサーバーと直 結した後は解放されるよ」  全てのドローンにマルウェアを流し終えた。今はこれが精一杯だ。しかし、これ で廊下から社長室、重役会議室までの道は確保できる。  左右から挟み撃ちにならない様に応戦しながら突き進む。右側は鵜飼で左側はテ ツが引き受ける。 「お前、バケモノだな。姑息な手段はハッカーらしいと言えるがな……」  俺の手の内も分からないくせに、七年の蓄積も知りもしないで、チープな言葉で 片付けてくれる。偏屈で石頭な奴。  でも、ここは堪えて軽く受け流すしかない。 「あのさ、一度ぐらいモチベが上がるような褒め言葉とか言えないの? そう言う の、マジでモテないぜ。チェリーちゃん」  思いっきり睨んできたけど、睨み返しはしない。ダサい奴。 「結果を示して見せろ。そうすれば褒めてやる」  お生憎様、その手の𠮟咤激励の類いで熱くなれる程、おめでたい性分じゃなかっ た。――ホント、嫌な奴。  テツの銃捌きや、鵜飼の実力に比べて自分の凄さを見せ付けるにはハッカーは地 味な存在だ。今に見てろよ、なんて言う気にもなれず、ムカつくだけだった。 「蓮夢は俺の後ろに付いて来い。動きはツーマンセルと変わらないが、チャンスが あれば俺達を囮にしてサーバーに向かうんだ。一分一秒が重要だぞ。鵜飼、真っ直 ぐに進みながら敵を仕留めていけよ、俺達も突き進んで最終的には蓮夢を守りなが ら籠城する」  スタングレネードを手にして、テツが仕掛ける体勢に入る。鵜飼も手にボールの 様な物を持っていた。似た様な道具だろう。  この直線のオフィスを抜け、角を曲がった先が、俺の戦場になる。籠城するなら 狭い社長室より、会議室の方が二人は戦い易いだろうか。  否、ここまで来たら、細かい事を気にもしていられない。俺は俺の出来る事に全 力を注ぐだけだ。  命を賭けてくれる、二人の為にも。家族を救いたい一心で戦っているクライアン トさんの為に。そして違法サイボーグである――自分の価値の為にも。  合図の声は聞きそびれた。二人が飛び出して行く。何時の間にかテツのスタング レネードは炸裂して、身を隠していた敵が飛び出していた。  鵜飼が持っていたのは煙幕か。右側のオフィスは灰色の煙で溢れ返っている。そ の煙幕の中に躊躇なく鵜飼は飛び込んで行った。数秒の内に煙幕の向こう側から怒 号と絶叫が飛び交い始める。あの煙幕、ただの煙じゃない。流れる事なく留まって いた。  どんなカラクリか、鵜飼にはあの濃い煙の中でも敵を見極めて、次々と仕留めて いるのだ。嫌な奴だけど――味方になってくれて心強い。  相棒のテツも相変わらず最高だった。何一つ、臆する事も迷う事もなく前進して いく。決して崩れる事ない、ダブルタップのリズム。全方向の敵を確実に効率よく 仕留めていく完璧なイメージ。向かうところ敵なしだ。  微力ながら、手にしていた拳銃での援護射撃はあっという間に使い果たしてしま った。“M93R”は二十発を三連射、予備のマガジンなんてない。あっさりした もんさ。  絶え間ない二連射の嵐。敵と掴み合いになったり、取っ組み合いになるとヒヤッ とするが、テツはそれすらも最大限に利用する。その立ち回りの中で敵の数、位置 情報を更新しているのだ。常人離れな集中力と空間把握能力。  ライフル全弾を撃ち尽くしても、動じずライフルを捨てて、ショットガンに持ち 変え、道を塞ぐ者に容赦なく引き金を引き続ける。  非情や残虐なんてものじゃない。ひたすら機械的で緻密だった。  硝煙、轟音、叫喚。眩暈と吐き気、忘れかけてた痛みが全身を駆け巡る。僅かば かりの後悔。とんでもない事になってしまった。今までも、それなりに危ない橋は 渡ってきたけど、これは度を越えてる。歓楽街のHOEなんてお呼びじゃないよ。  でも、やるしかないんだ。この場で唯一、俺にしか出来ない事がある。その為に 俺は此処にいるんだ。――俺は一度もしくじっちゃいない腕利きのハッカーだ。  何度となく自分に言い聞かせ、身体を引きずりながら進んで行く。身を屈めてデ スクとデスクの隙間を縫う様に進んで行く。  直線通路を半分以上まで突き進んだ。サイボーグも含め、武装した連中が数十人 は密集してるのに、たった二人で。  テツが至近距離から放ったショットガンが、サイボーグを吹き飛ばしてオフィス の仕切りガラスを突き破った。――ここからなら、一気に部屋へ向かえる。  このまま二人に任せて、二人を囮にして、行くべきなのか。此処にいても俺は役 に立たない、そうすべきだけど。 「蓮夢! 行けっ!」  テツの声に反射的に身体が走り出した。滑らかなクアッドロードを終えたショッ トガンが、再び火を噴く後ろ姿に背に向けて。  脚に自分の体重がかかる度に、腰や下腹部に痛みが巡るが、全身を振ってどうに か走っていく。廊下の出て曲がり角まで数メートル。右側にサブマシンガンを構え た敵に気付いた。狙いは充分に定まっている。気付くのが遅かった、走る身体を止 められない。  撃たれると認識したと同時に鵜飼の鎖付きの刃が敵に突き刺さった。 「さっさと行けよ!」  両手で鎖を引くと、敵が一瞬で引き寄せられ、他の連中ごと薙ぎ倒してく。鵜飼 も俺に背を向けて、敵を引き受けてくれた。  二人の身を案じて、躊躇する時間すら無駄であり危険だった。  急げ、俺が決着を着けないと、この地獄に終わりはない。無事を願う想いも捨て て、今は自分のすべき事に全てを捧げなくては。  曲がり角を抜けて必死に走った。カタカタと狂った挙動のドローンを避けて、重 役会議室の厳つい扉まで辿り着いた。  扉を開いたのは俺か、それとも中に潜んでいたサイボーグか。首根っこを掴まれ て反対側の壁に叩き付けられる。意識が飛びかけるが、脳内のAI達は既に俺のオ ーダーを実行していた。この状況は想定内だ。  向こうの社長室からもサイボーグとオートマタが姿を見せる。締め上げられて息 が詰まる中、潜んでいた奴等の数を捕捉する。計十四――無線デバイスが十四台。  苦しいけど、苦しがって暴れるなんて思うなよ。パワーばかりが取り柄のポンコ ツ共が。サイボーグのメカヘッドを睨み付ける。  此処にる全ての無線デバイスは――既に掴んでいるんだ。 「俺の……邪魔をするな……」

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません