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3.― JIU WEI ―  ねぇ、もしもの話だけど……  そう言う時の“もしも”は、もしもじゃないだろ?  自分よりも実力が上で、勝てない相手と戦わなきゃいけなくなったら、貴方なら どうする?  それって、罵り合い? 殴り合い?  どっちでも  って言うか、勝てないって分かってるのに戦うの? 只のバカじゃん。俺ならど うやって勝つかよりも、どうやったら戦わずに済むか。そっちにエネルギー使いた いけどね。  例えば?  相手とよく話してみるとか。相手の事を知って、自分を知ってもらう。案外それ で上手くいくぜ。  相手がそれに応じない時は?  それでも負けずに会話を持ちかける。初めて会った知らない奴とセックスしない といけない不安だって、少しでも話して、知り合えれば幾らかマシさ。よく話す。 俺はそうしてきたよ。  所詮、人間同士さ。根本的なメンタリティは同じ。自分を無視させない様に仕向 ければいい。少しでもこっちに興味を持たせれば、後はジワジワと心に情が沁み込 んでいくだけ。甘い毒の様にね……。  輝紫桜町で過ごした、あの夜の事を思い出す。ポルノデーモン、桜のイルミネー ション。初めて食べたケバブの味。――その時に彼と話した事を。  考えてみれば、彼には不思議とそんな魅力があったと思う。会話を重ねれば重ね る程、引き込まれて行く様な。彼から、不安という言葉が出てきたのは意外だった が、そうやって辛い仕事も乗り越えてきたのだろう。私には到底、想像も出来ない 世界だ。  思い起こせば、私の選択肢に対話と言うものは今までなかった。上手く行くかは 分からないが、やってみる価値はあるかもしれない。あの忍者を相手に、その為に 此処に来たのだ。  年季の入った建物だが、大きく立派な市役所だった。白を基調としたロビーは様 々な目的で訪れる人達で賑わっている。  天井は全てガラス張りで、陽の光を心地良く通していた。仕切りに植えられた観 葉植物は絶えず水が循環しており、せせらぎの音色が心を落ち着かせる。とは言っ たものの、いい加減、待ちくたびれてきた。どの国のお役所も待たされるものだ。  彩子さんの言っていた、忍者への心当たり。その答えが此処だった。彩子さんの 話では、捜査こそしていないが、数年ほど前から警察も忍者の存在は把握していた と言うのだ。  警察が持っている情報を彩子さんが見直したところ、最近では港区での出現が多 い傾向にあるそうだ。港区は再開発を進めたい市と、港区を縄張りにしている幾つ かの犯罪組織とでトラブルが起きていたが、警察が動くよりも先に忍者が行動を起 こしていて、そのほとんどは組織間の抗争等で片付けられている。  彩子さんの見立てでは、警察組織の上層部と、外部の存在とで忖度が行われてる 可能性があるらしい。  港区の犯罪組織が影響力を失って一番得をする存在は誰か。つまり、忍者の雇い 主は――この街の市長である。と言うのが彩子さんの推理だった。  公僕たる市長が忍者を雇い、街の発展の為に暗躍するなんて、大胆な推理にも思 えるが、元来、忍者と言う存在は多くの場合、主君あってこその存在だ。  崩壊した国と国家、機能していない法律。自立した地方、強国の外資系に依存し て生き永らえた半世紀。混沌とした亜細亜の小さな島国なら、その存在にも充分な 需要があるだろう。  驚くべき事は、そんな大昔の知識や技術、そして業が、これだけの発展と遂げた 現代にも通用している事だ。ただの真似事じゃない。年季の入った本物の業。  新時代の存在なんて言われるサイキックも、その歴史の深さには容易く及ぶとこ ろではないと、身をもって思い知らされた。  読みかけていた本を閉じた。向こうから彩子さんがやって来る。暗めのグレーの スーツを腕にかけ、ベストから覗くブルーのネクタイ。彩子さんの仕事着で、飾り 気はないが、スマートな格好がよく似合っていた。 「どう? それらしいのはいた?」隣の席に座り、彩子さんが聞いてくる。 「候補は何人か……」  あの忍者に翻弄され、焦りと悔しさに潰されそうな日が続いていたが、今日この 日の為に、彩子さんと準備を進めていた。  目的は二つ、彩子さんは刑事として氷野市長と話をする。揺さ振りをかけてみる そうだ。  そして私は――あの忍者を見つけ出す。  彩子さん曰く、忍者なら必ず主君となる者の傍にいると言う。少々漫画めいた推 理からきているが、可能性はゼロではないだろう。  此処へ来て私も彩子さんも小一時間程になる。交代でロビーを歩きながら職員の 顔と目元を確認していた。  受け付けの職員達の中にそれらしい者はいなかったが、このロビーに出入りをす る職員の中で、引っかかる雰囲気の者はいた。近付いて確認する訳に行かず、もど かしいところではあるが、それに賭けてみたい。 「左目の辺りに縦傷。目立つ特徴だけど、自信がないなら止めるべきよ」  正直なところ、五分五分と言った感じだ。とは言え、あれだけの接近戦で戦って きたので、暗がりであっても背丈や体格の程はよく覚えていた。  これは感覚的なものだが、念動力で掴むと、目で見る以上に物体の案配や情報を 理解できるのだ。  その感覚を信じるのであれば、あの忍者とよく似ていると感じる人間が此処にい るのは確かだった。 「大丈夫、感じるの。奴は此処にいる……」 「それもサイキックの能力?」 「そんなところです」  本当は多分、と付けてから言うべきだったが、ここは自信がある。そう言う事に しておこう。  彩子さんは元々協力的だったが、最近は更に、警察の仕事以上に私の事を優先す る様になってくれていた。家に帰って来る時間も、徐々にだが早くなっている。忍 者と戦い疲弊していた、あの日から互いの距離が縮んでいったのを実感している。  今更思ったところで後悔にしかならないが、私がこの国へ来て、最初にやるべき 事だったのは、生活に慣れる事でも、焦る事でもなく、もっと彩子さんと会話をす べきだったのだ。  そしてCrackerImpとも。彼にもっと信用してもらえてれば、私にも的 確な役割がもらえたかもしれない。私のした事は、結果的に敵のガードを硬くして しまって、味方と呼べる人達の足を引っ張ってしまった行為だ。  出来ない事を無理してやって失敗するのは、愚かな事だし、エネルギーの無駄使 いだ。  話し合うべきだった。輝紫桜町でポルノデーモンと話した会話が、印象深く残っ ているのは、そんな過ちに丁度、被さってしまったからだろう。  でも今はもう、後悔や焦りよりも、それを取り戻す事だけに集中したいと思って いる。私もやっと、前を向ける様になってきた。 「これから、氷野市長に会って話をしてくる。この施設の見取り図は覚えているわ ね?」  彩子さんが腰を上げる。私は軽く頷いた。  どんなルートで彩子さんが手に入れたのか、敢えて聞いてはいないが、この十階 建ての建物の見取り図とは、毎日、睨めっこしてきて頭に叩き込んでいた。  非常口、非常階段の場所や、人の多い場所、人気の少ない場所。全て把握してい る。その侵入ルートから、職員に化けているであろう忍者を見つけ出す。  鍵で塞がれたルートも念動力で何とでもなる。幸いにも、この建物はこのロビー 以外は、セキュリティを含めて、かなり古いと言う事も調べがついている。 「くれぐれも無茶はしないで、あなたに何かあったら、私が陽葵に恨まれるから」  最近、彩子さんと話す機会が増えて、親しくなったせいなのか、初めて会った時 と比べて、口調が少し変わってきてる様な気がしていた。今までの彩子さんは自分 の事を“あたし”と言っていたが、最近ははっきりと“私”になっていた。  母の名前を発する時の雰囲気も変わった様な気がする。親しかった友人としての 呼び捨て。そう思っていたが、もっと馴れた感じか、より親しみがあって砕けた感 じに思える。  会って間もなかった頃の彩子さんの印象は、落ち着きのある大人の女性。そう思 っていたが、今はその印象も少し変わっていた。  彩子さんは意外にも、大雑把で潔さと、思い切りの良い行動派な所があり、そう 言うところが、どこか叔父に似ていると思えた。男らしさとでも言うのだろうか。 「お互い用が済んだら、携帯で報告、マナーモードにしておく事。その後は喫茶店 “EN”で合流。一時間待機しても連絡がない時は……」 「発信機を確認して、そこからはアドリブ。でしょ?」  いよいよかと、少し緊張してきたが大丈夫、抜かりはない。彩子さんと二人で笑 い合って、緊張をほぐした。  ポケットからシャツのボタン程の大きさの発信器を取り出す。携帯端末のGPS とマッピングアプリとで連動できる手軽な発信器だそうだ。  もし、この場で忍者と遭遇したとして、戦闘になった場合。或いは市長の事を嗅 ぎ回る彩子さんに危険が及んだ時の対策だった。  足元に置いたリュックを持ち、深呼吸をしてから立ち上がる。彩子さんと目を合 わせる。こうして誰かと組んで行動するのは本当に久し振りだった。  以前は叔父が頼もしい相棒だった。今、私は彩子さんに同じ感情を抱いていた。 「それじゃ、始めましょう」  小さく頷き、互いの行動に出る。彩子さんは受付に向かい、職員の案内で市長室 へ、私は一度トイレに行って、リュックに詰め込んだ清掃員の作業着に着替える。  これも彩子さんのアイディアだ。実際、ここの清掃会社は十七歳以上のアルバイ トを雇っている。十八の私が、この格好でいそいそを歩き回っていても違和感はな いそうだ。  何もできないと、もどかしいだけの時間を過ごしていた私と違って、彩子さんは 入念な準備を日々確実にこなしていた。頭が下がる。  少しぶかぶかな作業着を着て、偽物の名札を付け、キャップは深めにかぶる。  彩子さんが言うには、清掃具を持ちながら、忙しいそうな素振りで、周りをキョ ロキョロしていれば職員も仕事中なのだと察して、話しかけてくる事はないと言っ ていた。変装して忍び込み演じるなんて、生まれて初めての体験だった。ほんの少 しだけ、胸が高鳴っていた。  今日の私は、凶暴に荒ぶる九尾の狐ではなく、人を惑わす――妖狐になる。

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