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 蓮夢の表情は憂う事も怒る事もない、静かなものだった。それが自分の普通であ ると言わしめるか、或いはそう見せかける意図もありそうな、フラットな雰囲気。 「ハッカーなんて、大して儲からないよ。頻繁に依頼なんか来ないし、一仕事終え るに数週間から一、二ヶ月かかる時だってある。輝紫桜町でHOEやってる方が手 っ取り早く稼げる。それに……」  ノートPCを片手でひらひらと振る。確かに、CrackerImpは名が知れ ている割には、大した情報は得られなかった。それほど多くの依頼はこなしていな いのだろう。ハッカーに仕事を依頼すると言う事は、ある程度こちらの情報を渡す 事になる。ある種の諸刃の刃だ。 「俺がこんな風になったのは、そもそも死なせたくないって思ってくれた人達の思 いがある。悪人にさせる為じゃない。色々考えたよ、それこそ、あちこちの口座か ら引っこ抜きしたりとか、クラッキングで企業を転ばして、株価をコントロールし たりとか、高性能なソフトウェアを作って売ろうとか……。でも、どうシミュレー ションしても、最後には必ず足が付く。その時、俺がどんなに金や権力を持ってい ても、それすらもねじ伏せれる“上”がいるもんだよ。“組合”だって、その類い じゃない?」 「そうだな……。神とは言わないが、それに近いぐらいの連中はいる」  合点のいく答えだった。常識外れの能力を持っている割に控え目な理由。不安定 で感情的になる事もあるが、やはり蓮夢は基本的に、冷静で賢く、強かな性格の様 だ。多少捻くれているが、世の中の不条理な現実もしっかり見ている。この手の相 手と組めるのなら、互いに達観して同じ歩幅で動ける。  逆に、俺が先行するのも良いかも知れないな。行き過ぎても蓮夢なら的確に止め る事が出来るだろう。 「こんな事で、正体がバレたら、俺も博士も破滅だよ。俺に関しては、どんな目に 遭うか、脳ミソだけ外されて、どっかのサーバーにでも繋げられるかも。せいぜい 誰かさんのお役に立てるぐらいの事しか出来ないよ……。それでも十桁いきそうな 負債もどうにかしないとならない。出来る事はなんだってやったし、なんでも利用 した……」  無限の可能性を手にしていながら、日の目も浴びれず、生き方も変えられないと 言うのは、口惜しいのだろうな。それでも腐らずに善意に向く、不器用なまでの直 向きさ。それでも愚かしさなんて言葉は似合わない。高潔さすら感じる。  もし俺が蓮夢の立場なら、どうなるかと考えると、とてもじゃないが真似出来な い。どこか逃げ道を探してしまうんだろうな。  ウェイターがオンザロックのグラスを蓮夢に差し出す。アルコール度数六〇を超 える希少なバーボンだ。こんな酒を頼むところを見ると結構なバーボン党らしい。 「別に何て事ないよ。昔からずっと身体売ってきたし、昨日のザマで言っても説得 力ないかもしれないけど、俺自身は人とセックスする事自体は好きだよ」  控え目にバーボンを一口飲み、余韻に浸る。昨日散々飲んだが、俺まで飲みたく なってきた。  セックスが好きだなんて恥ずかし気もなく、よく言えるな。単に俺がそう言う話 題に対して免疫がないのだろうが。蓮夢にとって、セックスは俺以上に身近なもの だと言う事を、肝に銘じておかないと、またつまらない事で揉めたり傷つけたりす る事になるだろう。蓮夢と会話をするのなら、おそらく避けては通れないが、少々 苦手を感じる。異性間ならまだしも、蓮夢の場合は同性間だ。 「昔は大嫌いだった。何でこんなグチャグチャになる事ヤらないといけないんだっ て……。でもどうにかしようなんて力も知恵もなかった。自分自身が、何もかもが 汚らわしくて大嫌いだった。輝紫桜町は地獄みたいなとこだよ、俺みたいな野良犬 にはおあつらえ向きさ。でも、あの街で知ったんだ。俺は汚れちゃいないって」  眉をひそめ、グラスの中の丸氷を泳がしていた。昔と言うのは言ったどれぐらい 前の事なのだろうか。気にもなるが、知りたくもない。或いは知らない方が良い様 な気もしてきた。  違法サイボーグと言う壮絶な現状以前に、苦労が絶えない生き方をしてきたのだ ろうと、雰囲気だけで伝わって来る。 「それからは、何も気にならなくなった。薄っぺらい情と一時の絆、たまに相手の 心に触れられた様な感覚に溺れていくだけ……。勿論、それ以上に快楽も追及する けどね」  バーボンをくいっと半分ほど飲み、蓮夢は薄い笑みを浮かべていた。  したくもない相手との行為だと言うのに、その中にでも情や絆を見出す。俺には 理解できない感情だった。  あの輝紫桜町で何を知り、何を受け入れ、蓮夢は強くなったのだろうか。 「俺はこの通り、超イケてる。あと十年はやれる自信あるぜ。って、そう思ってい たんだけどね……。なんか、最近は気が乗らなくて、しかも相手したくない、苦手 な客ばかりに当たる。ホント、ツイてないよ。金も返済して、あともう一息だって のに。なんだか……」  急に言葉を詰まらせる。何時も悠長に話す蓮夢にしては珍しく感じる。漂い始め る沈黙の間、俺からは特に言う事はなかった。蓮夢はグラスを持つ手を口元に当て て、考えているのか躊躇しているのか、動きはなかった。  しばらくして、蓮夢は深い溜息の後で残りのバーボンを飲み干す。 「なんだか、おかしいんだ。身体と心が追い付かなくなってきてる様な感じがして さ、昔ならあれぐらい泣けばスッキリして仕切り直せたのに、今はなんだかズルズ ルと引きづってさ……」  左手で頭を抱えて蓮夢は項垂れる。蓮夢にとっては今の自分の状態と言うのが説 明が付かず、釈然としない日々が続いているらしい。こんな精神状態で、大企業と その裏に潜んでいる、国際レベルの犯罪組織を相手にしていたとは。  風前の灯火だ。数回会って話しただけでは気付けなかったが、遅かれ早かれ、蓮 夢は自分の背負っているもので、潰されていただろう。 「強くなる以外の理由しか残されてないのに、どんどん弱くなっていく……。ホン ト、笑っちゃうよね」  何か言葉をかけてやるべきなのか、その言葉を拾い集めてた最中、蓮夢と目が合 う。何を思っているのか、大きく目を見開いて、ハッとした様な表情をしていた。  その表情の意図が分からず怪訝そうにしてると、蓮夢の表情が徐々に歪み、次の 瞬間には、頭と腹を抱えて笑い出した。 「ちょっと待って、なんで? なんで俺、こんな、ベラベラと喋っちゃったんだろ う。それこそ、鉄志さんにはどうでもいい事じゃん。嗚呼、おかしい、バッカみた い……」  突然の事だったので、こっちも訳が分からなかったが、どこか自虐的で無邪気に 笑っている蓮夢を見て、理解した――相当、独りで溜め込んでいたらしい。 「ごめんね、愚痴っぽくて……」 「いや……。別に構わないよ」  蓮夢の事が少し分かってきた。混沌と言うよりも複雑と言う言葉が似合う奴だ。  本当の意味で理解するのは難しいかしれないが、俺の中で蓮夢と上手くやってい けそうな気がしてきた。  大丈夫、少しばかり手のかかる相棒だが、過去の経験を活かせそうだ。 「でも、ありがとう、聞いてくれて。ちょっとスッキリしたかも……。確かに、少 し疲れたかな。ご馳走さま、また連絡して」  蓮夢は腰を上げ、椅子に掛けた上着を掴んでその場を去ろうとした。 「張り詰めた糸が切れたんだ……」  不意に言葉が漏れた。何か言ってやらないと、そう思っていたものが無意識に零 れ落ちた。 「俺の経験でしか話せないが、人間なんて、それなりの理由や意味があれば、大概 の事はやれるし、耐えられるものだ。戦争がそれを証明してる」  考えも纏まっていない言葉が次々に出てくる。こういう時は、飾り気のない本心 しか話せなくなるものだ。  不本意だが、このまま話すしかなかった。 「どれぐらい耐えれるかなんて、個人差に過ぎないが、必ず消耗していく。消耗し ない奴は正気じゃない。耐え抜く理由を失ったら、モロにくらうだけだ。強いとか 弱いとか、そう言う考えは持たない方がいい」  蓮夢が俺を見つめているのが分かっていたが、俺は視線を蓮夢には移さずに何と なく下を見ていた。  強い、弱い。無力さに打ちのめされて虚無感が支配する感覚。その大半の原因を 生み出しているのは決まって――他人の理屈と価値観だ。 「そう言う時、どうすればいいの?」 「どうにもならないから、クソな世の中なんだろ? 進むしかない」  手持ち無沙汰に耐え兼ね、煙草の箱に手を伸ばした。幸いにも一本残っている。 「鉄志さんにも優しいとこ、あるんだね」  テーブルに手を置き、ほんの少し覗き込む様に蓮夢はこちらを見ているが、俺は 視線は変える事なく煙草に火を着けた。 「相棒になるなら、精神面のフォローもするだけだ。優しさじゃない」 「それでも、やっと鉄志さんの心が見えた気がするよ。俺、惚れちゃうかも……」  心か、そんなものが、今の世界の人間なんかに存在しているのかどうかも、俺は 怪しいと思っているのが本心だが、後の部分も含めて、蓮夢の言葉は受け流してお く。基本的には懐かれている。  とりあえず目線を上げると、案の定、蓮夢の表情は明るさが戻り、穏やかに笑み を浮かべていた。 「三日後、アクアセンタービルで落ち合う。それでいいな?」 「二日後だよ、ケツが重たいなら蹴り上げちゃいな」  蓮夢に言わせれば、明日にでもと言いたいのだろうが、妥協してやったと言う所 か。カウンター前に立っているオーナーに、軽い挨拶をして蓮夢は去って行った。  今日中に河原崎とイワンに会って、言いくるめる。そして明日までに、今後の準 備を済ませればいい。何とかなるだろう。  椅子に深く凭れ、咥え煙草から天井の向けて煙草の煙を飛ばす。もう一度、深く 吸い込んで天井へ煙を吐き出した。  随分前から、単独行動に嫌気がさしていた。殺し屋という仕事そのものが、自分 に向いているのかどうかを、何時も考えていたが、こんな形で相棒を獲得する事に なるとは。  気負いがないと言えば嘘になるが、俺は今――高揚していた。  輝紫桜町のポルノデーモン。腕利きのハッカーCrackerImp。違法サイ ボーグの蓮夢。  中々おもしろいじゃないか、及第点だよ。

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