5.― JIU WEI ― 午前二時か。どうやら、今回も朝帰りになりそうだった。尤も、忍装束を着た奴 が昼間に動く訳もないだろうから、仕方のない事だろうけど。 鵜飼の忍装束に仕込ませた発信器は、南区の外れにある、地下水路跡地を示して いた。 常に尾行していた訳ではないが、ここ最近の鵜飼が忍者として動いている時は主 に荒神会と市役所周りばかりだった。 そこはスルーして、それ以外のエリアへの移動のみを追跡していた。此処に来る のは初めてである。 「本当に此処なの? ユーチェン」 携帯端末は此処を示している。疑い様もないが、疑いたくもなる。 街灯も少ない町外れにある、先の見えない深くて細い階段、劣化して黒くくすん だコンクリートが暗闇を一層引き立てて、先が見えない。薄気味悪かった。 「間違いなく此処にいます。鵜飼の奴、こんな地下水路跡に一体何をしに……」 「罠かもしれない。港区から離れてるし、此処なら戦う事になっても騒ぎにはなら ない」 「今更、鵜飼と戦うなんて事も考えられないけど、警戒はします」 彩子さんからフラッシュライトを手渡される。ボタンを押してる間のみ点灯する 仕様の物だ。 忍者とは金輪際、戦いたくないものだな。二回の敗北に加え、その鵜飼ですらも 圧倒した伊賀流の女忍者。忍者と言うのは、あんなにも強敵揃いなのだろうか。 「今回は何時もよりも近くで見守ってる。本当ならツーマンセルでもっと近くにい たいけど……」 「最低でも三メートル以上は離れててもらわないと。この尾の届く範囲内にいるの は危険です。先に行きます……」 「ユーチェン」 階段を四段ほど降った辺りで呼び止められた。彩子さんの表情は気不味さを一層 深めている。 多分、この前の事を気にしているのだろう。あんなに酔っ払っていて大胆な彩子 さんは初めてだった。 「今話す事じゃないけど。その、この前はごめんなさい。いえ、今までも……。何 時も貴方を通して陽葵の事ばかりを思ってる。こんなの、最低だよね、貴方の事も 見ずに……」 「彩子さん……」 本来ならそれは不本意であると思って然るべき、なのかも知れない。彩子さんの 母に対する想いは、私では到底図り知る事の出来ない深いものだ。 それを娘である私に向けられてもどうする事も出来ない。だとしても。 「私はそう思った事はありませんよ。彩子さんが見てなかったにしても、側にいて くれた事は事実です。それだけでも私は救われたと思ってます」 元々、自分はこうでありたいとか、誰かにこう見て欲しいなんて思う欲求は皆無 に等しかった。 転落した人生、喪失感、弟を救う為の戦い。私を構成する要素はそれぐらいしか ない、だから腹が立たないのだろう。 「それに、彩子さんから聞く母の話も好きだし、色っぽくなる彩子さんも好きです から」 「好きって……」 「あ、照れてる」 狐の面越しに顔を近づけ、彩子さんを困らせてやる。 「からかわないで!」 とにかく気にしないでほしかった。私には彩子さんは必要な人だ。 釈然としないながらも、彩子さんの表情から安堵が伺えるのを見て、再び階段を 下って行く。携帯端末のバックライトを限界まで下げて、数歩進む毎にフラッシュ ライトを点灯させ、足元を確認しながら進んでいく。分厚い扉は開いていた。 数分遅れで彩子さんも進んで来る。私の携帯は鵜飼の位置、彩子さんは同じく鵜 飼と私の位置情報も分かる様になっているから、はぐれる事はない。 鵜飼は僅かに移動している様だが、その動きはかなり遅い。簡単に追い付く事に なりそうだ。此処に一体、何があるのか。 狭い一本道の通路。水路である以上、使われていなくても、水が流れ込んで来る のだろう。湿気っぽくカビ臭かった。 先は照らさずに、足元より少し手前程度に確認しながら。慎重に進んでいく。足 音にも注意を払うべき距離感まで来ていた。 息を殺して進んでいくと、先の方が僅かに明るく光が漏れていた。曲がり角。一 部の電力は生きているらしい。 そこを曲がって、数百メートル先に鵜飼がいる筈だ。壁に寄りながら更に慎重に 進んでいき、曲がり角を覗き込む。随分破損していて疎らではあるが薄灯りが通路 を照らしていた。曲がった先も真っ直ぐな道のり、途切れ途切れに明かりが消えて いて、暗闇を残していた。 ここから先はフラッシュライトは必要なさそうだ。鵜飼との距離が徐々に縮まっ ていく。 暗闇、光、暗闇、光を進んでいく。四回目の暗闇を通り超えようとする足が本能 的に固まった。首筋に僅かに伝わる冷たい金属の感触。 「忍者の後ろを取れるとでも? 甘いな……」 鵜飼。まるで気配を感じなかった。発信機に気を取られていたのもあるが、この 僅かな暗闇に身を潜めていたとは。やはり忍者は質が悪い。 鵜飼の意図が分からないが、下手に抵抗はしない方がいい。どう切り出そうか考 えていると、頭の後ろから更に気配が増える――彩子さん。 「やっと会えたな、黒狐からは別の人間の気配を感じていた。心配するな、ちょっ とした冗談だ。ついて来い……」 鵜飼の刀が首筋から離れる。よく見たら刃の反対側を向けられていた様だ。発信 機を囮に誘い込まれたのか。してやられた。 彩子さんと顔を合わせている間にも、鵜飼はどんどん先へ進んでいくので、とり あえず付いて行く。水が流れる音が聞こえ、徐々に大きくなっていく。 しばらく歩いていると、行き止まりに辿り着く。その壁には、私が鵜飼に仕掛け た発信機が張り付けられている。私達が来るまでの間、持ち歩いたりこの壁に張り 付けたりしていたのだろう。 行き止まりの側面にある厚みのある鋼鉄製のドアを鵜飼が押し開くと、視界に広 がったのは、巨大な空間だった。コンクリートの柱が無数に聳え立ち、一部は大き く崩れ去っていた。十メートル程上から月明かりを通している。 雨水を溜め込む空間の一つらしい。何処の水なのか、細い滝の様に水が底の方へ 流れていた。 「良い場所だろ? 人もいないし、修練にはもってこいの場所だ。誰にも教えてな い……」 「私達をどうする気?」 問いかけに振り向いた鵜飼は、胸元から携帯端末を取り出し、投げてよこした。 念動力で受けとると、既に誰かに繋がっている状態だった。 「電話に出てみろ……」 何が出て来るのか。携帯を耳に当ててみた。 『初めまして狐さん。私は鷹野、市長秘書をしている。鵜飼は同僚よ、早速本題に 入るけど、貴方さえ良ければウチの忍者を貸して上げる』 電話越しに話す、市長秘書の鷹巣と名乗る女性。さっぱりとした口調だが、忍者 を貸すと言う大胆な物言いが飛んできた。 これは市の方から協力を持ちかけていると言う事か。今更の様な気もするが。 「目的は?」 『残念ながら我々と貴方達の出会い方は悪かった。そして立場の違いもある。その 妥協案として、我々が貴方達の手伝いをする。こちらからは干渉もせず、協力を要 請する事もない。悪くない話でしょ?』 「それで、そちらのメリットは?」 『我々の目的は悪の根元を断つ事。それが港区の解放に繋がる。貴方は有力な情報 源を持っているわね? 貴方と協力関係にあれば、その情報を共有できる。充分な メリットだと判断している』 「断ったら?」 『その後の判断は鵜飼に任せている。貴方のその才能は今、善意に向いている。確 かな事は、我々は悪意に対しては行政の域を越えて、一切容赦しないって事よ。サ イキックへの対処手段も既に用意してある。急な申し出で悪いけど、良い返事を期 待してる』 通信が切れる。こちらに干渉はせずに、協力は惜しまない。ただし、手を組み情 報は共有し合う前提と言う訳か。白々しく良い返事だなんて言えたものだな。手の 平返しにも取れるが。 役人の面子と言ったところか、アウトローの方から来る提案は受け入れられない が、こっちから提案するならば良しと言ったところか。 彩子さんも話を把握した様子だった。今の会話が聞こえていたらしい。 「優しそうな声。でも人使いの荒い感じだな……」 「全くだ……」 深く被るフード、物々しいマスクであっても、鵜飼がしみじみと笑っているのが 伝わって来た。 市役所で見た鵜飼はそれほど大きな役職にいる感じでもなかったが、市長秘書に 同僚と言われる間柄とはな。 「俺達は法や秩序の外で行動してるが、行政のシステムやネットワーク内にいる以 上、どうしても動きが後手に回りがちだ。特に今回の場合は、複数の組織や、お前 達みたいな少数勢力の干渉もあって、キャパオーバーしてる……」 「サイキックへの対処方法とは?」 彩子さんが鋭い目付きで鵜飼へ詰め寄る。物怖じしない人だな。 それでも、今日の鵜飼からは敵意や警戒心の様なものは感じられなかった。ここ までフラットな状態の鵜飼は初めてかも知れない。 「サイキックは特殊な脳波を発してるそうじゃないか。その波長を搔き乱せば無効 化、または無力化できるそうだ。伊賀者の拘束を突然外したのはそれが原因なんだ ろ? そう言うカラクリが裏で出回っているそうだ」 そう言う事か、あの時の頭の奥に針が刺さる様な感覚は。 いずれサイキックの事は全て解明される日が必ず来るだろうし、そうあるべきだ と思っている。ほとんどの国がサイキックを優遇しているその裏で、しっかり対抗 する術を探っているのだ。 恐れから来る警戒心。既に始まっていた様だ。――サイキックへの対抗策。 「二日後、港にでかいコンテナ船がやって来る。密輸業者共を潰してきたお前達な ら、それが何かは分かっているな?」 鵜飼もその事を知っていたようだ。――千基以上のコンテナを積載した巨大な密 輸船。 CrackerImpから得た情報では、人攫いをやっている組織には動きはな く。荒神会と海楼商事のダミー会社等の密輸品ばかりの様だ。そしてその中身は間 違いなく軍用レベルの兵器が幾つも入り込んでくる。 「忍び込むのか?」 「口実となる情報を手に入れて、警察に踏み込ませる。これ以上、奴等の好きには させない。大事になるのは避けられない」 「随分、早急な話ね。警察を無理矢理動かす程、追い詰められてるの?」 彩子さんの指摘する通り、強引な印象を受けた。港区の夜が混沌の坩堝と化すの が目に浮かぶ。ここまで物事が大きくなっていくとは。それどころか、これから更 に大きくなっていく。 CrackerImpの方に悪い影響はないだろうかと、今になって懸念が生ま れる。そんな事も考えずに勝手をして彼の動きを妨げてしまった前例がある。 それとも、こうしてバラバラに行動している状況そのものが問題なのだろうか。 鷹野の言う悪の根元、巨大な組織の先に弟のジャラがいる。私と彩子さん、鵜飼 達、そしてCrackerImpとその相棒。 私達は向いている方向が同じ筈なのに、立場や性質によって連携が取れない。 「おそらく外側から攻撃しても、どうにもならない相手だろうな。金も影響力もあ る、かなり大きな組織だ。俺や警察が騒ぐとお前達は都合が悪いか?」 「構わない、どの道その船には乗り込むつもりだった。事前にその話を聞けてよか った」 「鵜飼、私とユーチェンはその船に積まれた密輸品のコンテナを特定している。そ の情報を貴方にもあげるわ、そっちでも役立ててちょうだい」 「それはありがたい。なら、今の内に合わせておくか……」 私と鵜飼の間に入って仕切ってくれる彩子さんが、心底頼もしい。私も鵜飼も血 の気の多い方だし、意地っ張りと石頭だ。 鷹野が鵜飼の代理人としてコンタクトを取ったのも正解だ。私と鵜飼だけでは話 が進まない。 鵜飼の右袖から刃がシュッと飛び出す。身構えそうになるのを堪える。 何時もなら、そのまま勢いよく鎖のジャラジャラした音を立てて刃が襲い掛かっ て来るが、今回は袖から鎖を全て出し切った。何をする気だ。 「離れてろ……。もっとだ」 言われるままに後ろに下がったが、更に下がって六メートルぐらいは離れた。 「手の内を見せるのも話すのも、不本意だが仕方ない……。この業は甲賀流ではな く、我流だ。“大蛇(オロチ)”と呼んでる。よく見ておけ」 言葉を言い終えると同時に、鵜飼は鎖を回して鋭く刃を放っては引き戻しを繰り 替えす。遠心力を殺さぬ様に両腕、両肩、両脚と全身を使って刃を一直線に打ち放 つ。やはり縄鏢の動きに似ているが、所々それにはない軌道で鎖はしなったり、弛 んだりしてから、豹変して鋭く荒ぶる。――まさに荒ぶる大蛇だ。 鵜飼の身のこなしは武術の演武の様な優雅さはなく、ひたすら実践的だった。八 の字に振り回す鎖の風圧はこの距離からでも感じる。三メートルから五メートルは 無敵の間合いだろう。 一通りを終え、荒ぶる鎖の勢いを抑えて、束ねた鎖を首にかける。深呼吸を一つ して。こちらに近づいてくる。 「見切ったか?」 「一回見ただけで分かる訳ないだろ……」 「特徴ぐらい分かるだろ、何度もやらないぞ」 今の動きを見て、私に合わせろとでも言うのだろうか。滅茶苦茶だな。 それでも、一応は考えてみる“大蛇”と名付けるだけあって、鎖の挙動は生き物 の様に予測が困難なものだった。 伊賀忍者と戦った時の事を思い出す。あの時は鵜飼と共闘するよりも、自分だけ で伊賀忍者を倒そうとしていた。 鵜飼は常に私の隙間から飛び出して伊賀忍者を攻めていた。フォローとしては心 強かったし、伊賀忍者を捕らえる時間を作れたが、所々、鵜飼を尾に巻き込まない かと気が気じゃなかった。 どう連携しろと言うのだ。九本の鋼鉄の尾と予測不能な動きをする一本の鎖が。 「それでも説明不足よ鵜飼。見る限りでは全方向に隙もない。間合いに近付けさせ ない様に振り回してる。でも中段と上段に集中していて下段に弱い印象ね」 「武術に心得が?」 「警官レベル程度には」 鵜飼が満足そうに小さく頷いた。私の不足した部分を彩子さんが補ってくれる。 同じ動きを見てても、着眼点が違うのは本当にありがたい。同時に自分の至らな いところにも反省せねば。 「俺の胸より下に刃は飛ばない。それが目安だ、姿勢を落として低く飛ばす事も出 来なくはないが、お前と組んで同じ場で戦うなら、それは避ける。あと、振り回す のも極力避けるつもりだが、そこには限界がある……」 「ユーチェンは動きが大振りだから、貴方が隙を埋めるって事でいいのね?」 失敬な、あれだけ大きく振りかざすから自分以上のウエイトの対象を倒せるし次 の動きに転ずる事が出来るのだ。好き好んで大振りしている訳じゃない。 「お前は念動力を同時に九つ発動させられる。攻撃パターンは尾を振り回し、物体 を投げかけ、相手を拘束する。そして手数が多く、絶え間なく続いた際の十手目で 隙が発生する」 「衝撃波で補う」 「でも、その後はしばらく念動力を使えなくなるでしょ」 なんだか、他人に自分の能力の事をあれこれ分析されると、むず痒くなる。しか も弱点とも言える情報をあっさり共有させるなんて。 少々、不本意に思えるが、今はそんな事を思える余裕はないのかも知れない。彩 子さんも鵜飼も、現状をどうやって打破すべきか、その一点に集中している。 「どれぐらいだ?」 「七秒から十秒弱」 ここまで来ては話すしかない。今後、鵜飼と戦う様な事があれば、この暴露は命 取りになりかねない。 鵜飼は公僕、私はアウトローだ。――彩子さんは両方を行き来できる立場か。 尤も、鵜飼達がそれを認める気があるかどうか、それ次第だが。 腕を組んで神妙な面持ちで何かを考え込んでいる鵜飼。手を組むしかない状況だ が、信用し切れるかどうか。 「ユーチェン、俺はお前の立ち回りを見切っている。手数や速さに関しては俺の方 が上だ。しかし、お前の力は圧倒的だ、衝撃波も含めて……。常に三メートルの距 離を保とう、俺はお前を中心として動く。お前は後ろを気にせずに正面の敵のみに 集中しろ。倒すべき者、破壊すべき物に向かって行けばいい。常に“決め手”とし て動け」 「ユーチェン、鵜飼と一緒に戦う時は鎖の動向に注意して、低姿勢を保てれば互い の動きの邪魔にならない」 私を余所に二人で段取りを組んでいく。悔しいけど、二人の大人が言う事に対し て、何か反論したい気持ちにはなるが、理由も説得力も見出せなかった。 まだまだ私は、器量不足らしい。それでも、決め手にはなる。どこまで鵜飼の事 を信じれるか。そこがポイントになる。 「やってみる」 「二人で立ち回る際の感覚を掴むぞ。と言うより、俺がそれを知る必要がある。忍 者が忍者以外と組むなんて異例な事だからな」 フードとマスクを外し、素顔を見せる鵜飼の口元はバツが悪そうな雰囲気を放っ ているが、その目は真剣で焦燥に満ちている。 「鵜飼……」 「これまでの事は全て詫びる。すまなかった……」 私も鵜飼も完璧じゃない。そして彩子さんも。それどころか、この街もこの国も 私の母国もさえも。 その中で前進するしかないのだ。――決して立ち止まる訳にはいかない。 差し出してきた鵜飼の手。何度か私を殺しかけた、この忌々しい手に触れた瞬間 に、今の私では想像も出来ないであろう数日後が始まるのだ。 「ぶっ飛ばしてやりたいくらい憎たらしいけど、貴方の様な凄腕と会えたから私は 強くなれた。でもまだ足りない……。協力して欲しい」 鵜飼の手を握る。肉厚でガッシリした男の手は力強くて確かな力を感じると同時 に潰されそうな感覚も覚える。ポルノデーモンの手とは大違いだな。
コメントはまだありません