「偽造IDで大学に行ってた時は、オトコと付き合ってた、バイク好きの瑛太(エイタ)。 自分の事ゲイだってオープンにしてて、絵に描いた様な爽やかで気持ちの良い人だ った。セックスは自分本位なとこあったけどね。俺はその時バイセクシュアルだっ て話してから、仲良くなる内にそのまま恋人同士になれた。それまで俺にとってオ トコとか同性とかは、めんどくさい金づるや、ヤる事しか頭にないクソだって思っ てたけど、恋人関係だと、なんか自由で気兼ねなくて、結構悪くないなって瑛太が 教えてくれたんだ」 観念して蓮夢は話を続けた。ポルノムービーの出演を条件に得た大学時代。俺の 憶測にすぎないが、偽りであっても蓮夢にとって大学生の日々は、自分の現実から 逃れられる安息の領域だったのであろう。 どういう訳か蓮夢のこの話はどこかで聞いた様な感覚がある。記憶を呼び起こし てみると。バイクと言うワードが引っ掛かっていた。そうだ、思い出した。 「ああ、お前がバイクの免許取るキッカケの……」 アクアセンタービル前の森林公園で、蓮夢が手を組まないかと提案した日だ。 蓮夢の事をよく知らない時だった。今になって思えば、俺の気を引こうと随分色 んな事を話していたな。 「それ、覚えてたんだ。輝紫桜町でHOEやってたり、ポルノムービー出てたのバ レちゃってね……。流石に自業自得だよね、最初によく話して、理解してもらえる 様、努力する事から逃げちゃってた……」 バイクの免許を取った頃に別れたとか言う話だった。あの時は笑い話の様に言っ ていたが、今は重く感じた。 恋愛とか恋人とか俺には無縁だし、裏社会の殺し屋がそんなものをしていいもの かどうか。かと言って絶対的な禁忌と言う訳でもない。セックスワーカーだって同 じ筈だ。人である以上、等しく有した権利だと思う。とは言え、なんとも難しい話 に思えた。 「それじゃ、俺はお前にとって……」不意に思った事が口から漏れた。「いや、何 でもない……」 ダイナーでの蓮夢の言葉が浮かび上がった。俺はセックスワーカーから解放され た蓮夢の最初の恋人候補って事だ。――よりにもよって。 その事を大切にしたいと言っていた蓮夢を思い出していた。 言葉の重みを実感しながらも、無理矢理振り払って肩の縫合を仕上げ、ガーゼで 血を拭った。 「輝紫桜町に流れ着いてから、益々分かんなくなったよ。凛や瑛太、シオンやマリ ー。俺は一体、人の何に惹かれているのか。人の心を読み取って操る術を以ても分 からない。って言うか、それのせいで益々分かんなくなった気がする。周りのほと んどの大人が醜くて、邪な奴等ばかり。もう何も見たくないし感じたくもない。無 関心でいたいのに……。何時も唐突の様に人に惹かれていく。俺は人の何を見て感 じて、好きになっていくのか、好きでも嫌いでも、誰とでもセックス出来る身体を 弄んで……」 蓮夢は話す事に集中していた。相変わらず枕を強く握り締めているが、遠く見る 様に過去を眺めている。 今の内に、もう一ヵ所の傷に取り掛かる。こちらは鵜飼の一撃ほど深くない。手 早く処置しよう。 唐突に人に惹かれていく。その時、蓮夢は相手の性別や性指向は隔たりにならな い。だからこそ、唐突に感じるのかも知れない。 良い人と嫌な奴。本当にその感覚と基準だけなら、友人と恋人の境目も曖昧だろ うし、簡単に超えて行くのかもしれない。 だとしても――どうして俺なんかに。 「だから、俺はパンセクシュアルなんだ。それが一番しっくりくる。人によっては 違うって思うかもしれないけどさ。俺はそれでいいって、そう思える様になった頃 に、今度は違法サイボーグになっちまった。セクシュアルは定まったけど、相変わ らず人生その物は迷走中って訳……」 変化の多い人生だと思う。俺は常に変化を避けて、或いは最小限になる様に生き てきた。だから、その都度自分に向き合う強さには尊敬の念を抱く。 蓮夢には在りきたりと、何時も言われてしまうが、本当に凄い。大した奴だ。 「お前は、始めから自分がパンセクシュアルだったと思うか?」 親の虐待がなければ、蓮夢のセクシュアルはどうなっていたのだろうか。蓮夢の 過去を知った時から、それが気になる様になっていた。 「そんな気もするし、違うとも思う。もう確かめ様がないよ。無理矢理から始まっ た歪みもあるし、子供の頃は心も定まってないだろうから……」 変わるしかなかった道なき道を、自分なりに生きている。それが蓮夢って奴なの かもしれないな。 俺の様な、他人が定めた道を進むだけ人間では出会えなかったかもしれない。不 思議な縁を感じる。 残り少ない糸で出来るだけ傷口がずれないように重ねていくが、やはり大雑把な 縫合になってしまった。 「俺は、素敵だと思うよ。お前のその“在り方”を。少々ゲイ寄りな感じはするけ どな」 縫合し終えた二つの傷をアルコールで拭き取り、軟膏状の合成タンパク質を塗り 込む。傷口に埋めるように強めに塗り込む為、蓮夢は少し痛がった。 「それは認める。ゲイカルチャー大好きだもん」 振り返って俺を見る蓮夢は笑っていた。きっと大丈夫そうだ。俺も笑みを返す。 事前に傷口の大きさにカットしたシリコン質のパッドを張り付ける。縫合の必要 がない数ヶ所にも張り付けつておいた。 「終わったぞ。傷の塞がりが早くなる様に合成タンパク質を塗り込んでおいた。市 販されない軍用のヤツだから効き目は抜群だ。モイストパッドも貼ったからシャワ ーぐらいなら浴びれる」 これで一先ず安心だと思う。一気に気が抜け、緊張が和らいだ。足元に置いてい たジンを一口飲むと更に安らぐ。 生きてさえいれば、なんて言うつもりはない。相棒は傷だらけになっていた。 それでも二人で生き残れた、それは喜ばしい事だ。 「ありがとう。それにしても、広い寝室の割に狭いベットだね、一人用?」 「一人で寝れればそれでいい……」 身体を起こしてセミシングルのベッドに腰かける。笑みを浮かべていても、脈打 っている痛みに耐えながら、背伸びをしていた。 何が理由かは分からないが、俺は蓮夢から目を逸らした。 「あの時、輝紫桜町に行ってたんだ。ほんの少し早ければ、お前にさえ会えていれ ば、こんな目に遭わせずに済んだんだ……」 悔やんでも悔やみ切れず。何度謝っても晴れる事はない。口から漏れるものと言 えば言い訳がましい言葉ばかり。 「俺に隙があったんだよ、テツのせいじゃない。お仲間のHOEがスニッチしてく れたお陰でこのザマさ。落ち度は俺にある。楽な道じゃなかったし、結果論で片付 けられない事だけど、俺達の勝ちだろ? それで良しって事にしとこうよ……」 仲間内の裏切り、密告。だとしても俺自身もマークされていた。輝紫桜町の守り の硬さに油断していた。心の何処かで――あの街なら大丈夫と思っていた。 蓮夢はそう思っていても、外の人間である俺はそう考えるべきじゃなかった。 相手は列強諸国の犯罪組織が付いた大企業だ。俺も蓮夢も甘く見ていた訳じゃな いが、身の程を弁えていなかった。 思い知った時、俺の心は恐怖に満たされていた。 「考えただけで怖かった。冷静でいられなかった。俺はまた、見たくないものを見 なくてはならないのか。仲間達の死の様に、腕の中で冷たくなっていく涼太の様に お前の成れの果てを見る事になるのか……俺は……」 これ以上、下らない事を言うんじゃない。こんな事口に出して何になるんだ。全 てが自分勝手な弱さじゃないか。 鼓動が高鳴り、胸の奥底から込み上げて来る。抑えろ、抑えるんだ。 「どうせ、こんな事になるだろうから、誰とも組みたくなかったんだ……。独りに なるのが目に見えているから独りでいたんだ……。俺みたいな死神は人といるべき じゃない……」 気持ちが抑えられない。罪悪感が胸の底にあるものを押し上げて、脳を掻き回し ていた。 何も考えられない。ひたすら苦しい。どうして、こんなにも苦しいんだ。 いっそ終わってしまいたい。孤独であるべきなのに、孤独が苦しい。 失う事も離れる事も――苦しい。 「それなのに、相棒がいる日々に依存していた。信頼出来て、安心出来る奴がいて 気持ちが大きくなって、調子に乗ってたんだ……。ただでさえ、傷だらけのお前を 傷付けてしまった。俺は大馬鹿だ、何時も人に依存してばかりで……それに……」 止めどない言葉を、頬に触れる細く冷えた指が遮った。両手の先に視界が向くよ りも早く、唇に触れる柔らかい感触。 うっすらと開いた瞳は何を見ているのかは分からない。何秒程の時が経ったかも 分からない。何が起きたのか、理解するのに随分時間がかかった。 拒み様もなく、俺はただ受け入れていた。 「色欲馬鹿の悪魔でよければ、傍にいるよ。死神さん……」 触れていた感触が柔らかく残っていた。止まってしまった思考の中、高鳴りを感 じながら放心していると、互いの額が触れ合う。 冷えきった蓮夢の額は熱を帯び始めていた俺の額にその温度は心地良かった。 「ごめん……。なんか、我慢できなくて……」 頬を撫で、小さく笑っていた。少しむず痒い。 蓮夢は俺の言葉に救われたと言ってた、しかし、俺はそれ以上に多くの面におい て救われている。気付かない振りをしていた。 そして今も自分の感情から目を背け様としている。少しづつ確実に、変わりつつ ある自分の“見方”に“捉え方”に、そして――心に。 「このまま、続きする?」 「あ、安静にしろっ! 怪我人だろ」 突き放そうとする手より先に蓮夢の方から引いた。目を細めて無邪気で悪戯っ気 があり、少しだけ卑屈そうな笑顔。蓮夢の――作りのない素の笑顔だった。 その顔を見ていて、頭の中の靄が晴れているのに気付けた。鼓動は相変わらず早 かったが、殺しの後の不快感も、蓮夢に対する罪悪感も、先の不安も自己嫌悪も和 らぎ、正常な思考を実感した。 野暮ったいが、男にキスされて落ち着くと言うのもな。しかし、確かな事は他人 では出来なかった事だろう。その辺の女や男ではなく。蓮夢だから出来たのだ。 それだけはハッキリ認識していた。今は余計な事を考えず、良しとしておこう。 「もう、行くよ。帰ってサーバーに接続しないと……。暗号データの解析とデジタ ルブレインのバックアップもしないと……」 ふらつきながら立ち上がって、その場に脱ぎ捨てあった俺のロングTシャツを勝 手に着込む。普段ナイトウェアに使っている物だ。俺が着てもブカブカなのに、蓮 夢が着ると更にオーバーサイズだった。 そそくさと寝室の扉を開けて玄関まで向かう。いやに焦った雰囲気を後ろから付 いて行く。もしかして――照れているのか。 「俺に出来る事は?」 ブーツに足をねじ込んで、ドアノブに手をかける蓮夢を呼び止める。このまま行 かせていいものか。 海楼商事も荒神会も、かなりの数を仕留めた。しばらくは俺達を追う様な余力は ない筈だ。今は安全と言える。 応急処置も済ませた、そのまま行かせてもよかった筈なのに。咄嗟に蓮夢を呼び 止めたのは何故だ。 「俺に何をさせるべきかを考えておいて……。テツは立派なリーダーだよ。みんな がテツを慕っていたのがよく分かった。やっぱり間違いなかった。俺、マジでスゲ ー奴に惚れちゃったみたい」 振り返った蓮夢の顔を見て、俺が何かを納得した頃には音もなくドアが閉まって いた。 リビングの窓からは、眩い朝日が漏れている。廊下の照明を消しても、その光だ けで充分だった。 その光に吸い寄せられる様にリビングへ向かう。限界をとっくに超えた疲労がソ ファに飛び込めてと急かして来るが、無視して窓から差し掛かる朝日を受け止め呆 然と、外の景色を眺めた。味気ないビルの群れは霞んでいる。 長い夜が終わった。俺達は生き残ったのだ。そして数時間の休息の後に、やらね ばならない事が山積している。 まだ終わらない。この夜を引き継いだ――夜がまたやって来るのだ。
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