7.― DOUBLE KILLER ― 「いやぁ、お待ちしてましたよ、鉄志さん! 蓮夢さんもお久し振りです! さぁ さぁ、ラボの方に、準備してますので、どうぞ!」 安田が張り切っている。こんな珍しい事もあるんだな。聞いた事ない声色だ。 相棒の方は案の定、しかめっ面になっている。勘の鋭い蓮夢の事だ。既に気付い てる様子だった。 カウンターに置かれていた雑誌を手に取って丸めると、安田の頭めがけてフルス イングする。安田、悪く思うなよ。 「イッタァ! 何するんですか!?」 「この裏切り者! お前だな、CrackerImpの事をバラしたのは!」 安田にとっては不本意極まりないところだろうし、本来なら配慮して、蓮夢を連 れてくるべきじゃなかったが、今はそんな事言ってる場合ではなかった。時間は無 駄には出来ない。 「で、でも、鉄志さんと上手く手を組めたじゃないですか!」 「お前が結果論を言うなよ! こっちは殺されかけたんだぞ!」 俺と蓮夢が手を組んで、今のところは良い結果を産み出せているが。その一つ一 つは偶然や選択の連続だったし、お互い結構なエネルギーを使ってきた。 安田が思う結果オーライと言う様な、容易い事ではなかった。 「か、勘弁して下さいよぉ! 俺だって鉄志さんに脅されたんです! “組合”に は逆らえないですよぉ。鉄志さんからも何か言って下さいよ……」 「俺は仕事だから尋ねたんだ。話すか話さないかを決めたのは、お前だろ……」 怒りの矛先が向けられない様に、安田を突き放した。悪いが、今はお前よりも蓮 夢の方が優先だ。 とは言え、このまま見捨てるのも気の毒なので、蓮夢をなだめ様と肩に手を添え ると、暗紫色の左目が――待てと訴えてきた。 「そんなぁ……」 「お前に提供したAIを、俺のコントロール下に戻す事だって出来る。削除も出来 るし、商談やデモンストレーションのタイミングでトラブルを誘発させる事だって 出来るんだぞ」 「そ、そ、それだけはホントに勘弁して下さい!」 安田の慌て振りは本物だった。俺が思っている以上の価値が、蓮夢の創ったAI にはあるらしい。 武器屋の商談相手なんて、大半が悪党だ。不都合や失態なんてやらかせば、その まま死に繋がりかねないトラブルだ。 蓮夢もそこまで望んではいないだろうけど、安田に弱みと貸しを突き付け脅しを かけていた。 「今後、俺のドローンのメンテナンス、燃料、弾薬。全てお前持ちだ。あと屋上に 発着場を作っておく。それで水に流してあげる。ついでにAIのバージョンアップ もしてやるよ……。どう、呑む?」 「わ、分かりましたよ! やりますよ……」 たくましい限りだ。手にした機会は卑しさも厭わず最大限に利用する。輝紫桜町 の人間はタフだ。 それでも、あながち一方的な要求にしない辺りは、蓮夢の優しさと言ったところ か。安田には下手にAIを弄れない分、蓮夢を頼るしかない。 それとも、安田が“組合”と関りがあるので、加減したのだろうか。 「それと改造案があるから、今すぐ対応してくれよな」 丸めた雑誌をカウンターへ放って、地下のラボへ降りて行った。安田が恨めしい 目で見てくるが、気付かないふりをしておく。 「相手が蓮夢でよかったな。ギャングや殺し屋なら、お前殺されてたぞ」 「お陰様でこっちは大損ですよ……」 蓮夢に叩かれてズレた眼鏡を外して、ぶっきら棒に吐き捨てる。 武器とメカニックにかけては安田は一流だ。今後、蓮夢がどこまで安田を利用す るかは分からないが、優位に立っていて損はないだろう。 「説得力ないな、大量発注で大儲けだろ? その辺の話も詳しく聞かせてもらうか らな」 結局、秋澄とは連絡が取れず。今日、改めるとメールで送るだけに留まった。 今の所、安田の方が内部事情に詳しい筈だ。義銃の大量発注はかなり早い段階か ら進んでいた。問題は日本の“組合”からなのか、他国の“組合”の意図なのか。 それをハッキリさせておきたい。河原崎の立場と、置かれた状況によっては俺と 蓮夢が――身動き取れなくなる可能性も出てくる。 「分かってますよ、仰せのままに……。ところで鉄志さん」 ラボに向かう足を止められ、安田の方を向く。何をニヤ付いているんだ。 「蓮夢さんとはもうヤッたんですか?」 とりあえず、カウンターの雑誌を手に取り、再び丸めてスパンと安田を叩いてや った。拳を使ってもよかったが、安田の動きを鈍らせる訳にもいかない。 「馬鹿な事言ってないで仕事しろ!」 ラボに向かう安田の後頭部をもう一発叩いてやる。俺の相棒を安っぽく、そうい う目で見るな。本当に困った奴だ、安田は。 ただでさえその手の事でナーバスになっているのに、どいつもこいつも。 地下への階段を下りきってラボに入る。相変わらずガンパウダーとオイルの臭い が充満している。 蓮夢は既に、安田のデスクトップを使って作業に取りかかっていた。素早く小気 味良いタイプ音。何時もの調子に戻っている事を実感した。 「安田ぁ! 早く!」 「ハイハイ……。ええと、これは“レインメーカー”の機銃を二連にするって事で すか? 特に問題はないけど、機動力は落ちますよ」 横目に二人の会話を聞く。林組を襲った機銃付きのドローンの事か。蓮夢の扱う ドローンの中では大型の物だ。 モニターにはドローンの中央に装着された機銃を、そのまま二列にした様なデザ インになっていた。 「見立てでは、十五パーセント程落ちるけど、元々、上空からターゲットに近づい て強襲するドローンだ。速さよりも戦闘力を上げたい。飛行システムと補正プログ ラムも、それ用に修正したものを既にダウンロードさせた。何時間かかる?」 「スペアパーツを流用出来るから、人を呼べば夜までには仕上がりますよ」 「お願い。仕上がったら屋上に置いて待機させといて」 蓮夢と安田が話している間に、奥の方に用意してあった黒バッグを引っ張り出し た。ジッパーを開けて中身を確認する。 以前、安田がコーディネートしたライフルとショットガンのスペア。買い取った 弾丸の残り。 使い勝手は抜群に良かった。あれのお陰で、アクアセンタービルでの戦闘はかな りスムーズに進行できた。――感覚にピッタリとハマっていた。 「“組合”が発注した物の納品書を見せてもらおうか」 蓮夢との会話が終わったタイミングで安田に催促する。 バックのジッパーを閉めてしばらくすると、安田が分厚いバインダーファイルを 開いて、シャカシャカとページをめくり上げる。該当のページ開いてを手渡してき た。何年分の情報なのか許容量を超えて膨らんだバインダーファイルはかなり重た かった。 知りたいのは送金元だ。当然だが“組合”は世界中に幾つもの大企業とダミー会 社を構えて資産運用している。 もう、随分と長く組織にいるせいで、何処の企業が“組合”の物なのかは大体把 握してあった。 「このダミー会社は日本の“組合”じゃないな……。やはり欧米から直接のオーダ ーか」 「組合長からは、くれぐれもよろしくと言われてましたけどね」 俺が林組の件で訪ねた時、居合わせた安田から大量発注の話を聞いた。あの時点 で欧米からオーダーが来ていた。 これと言った理由など話す事もなく、一方的にオーダーしてきたのだろう。イワ ンと傭兵共も派遣して。 河原崎、これじゃ――欧米の言いなりじゃないか。 ページを数枚めくっていると、不意に蓮夢と目が合う。何を言うまでもなく、再 び作業に戻る。その数秒で何かを読み取られた、そんな感じがした。 「この追加発注は?」 「それが急なヤツで大変でしたよ。昨日どうにか納品出来ましたけど……」 昨日、河原崎と秋澄に連絡が取れなかった原因はこれか。 つい最近の物だった。最初の注文とほぼ変わらない量の武器と装備品だが、一部 違う武器が紛れているのは、安田が揃え切れなかったと伺える。 それでも、この短期間で間に合わせたのなら、大したものだと言えるが。 「それ、日本の“組合”が参加するって意味じゃない?」 蓮夢が口を開く。こっちの考えが纏まったタイミングで、見事に同じ答えを言っ てみせた。事情は全て把握してると言っていたが、本当の様だ。 「例の施設には六〇〇人近くいる。発注された武器や装備品の合計もそれと同じぐ らいの数。欧米の“組合”の不足を、日本の“組合”が補強した……」 デスクトップのモニターには安田の帳簿データだけでなく。ダミー会社と複数の 銀行の送金履歴まで表示し、尚も大量のコードを処理していた。 僅な話を小耳に挟んで得た情報から、止めどなく情報を引っ張り出してくる。そ れも恐るべき速さで。 でも、参加ではない。無理矢理、駆り出された様なものだろう。補強なんてレベ ルじゃなかった。 この国に土足で入り込んで来るだけでなく、肩代わりまで要求してくるとは。 何時の世もこの島国にとって、欧米は厄介な存在だ。 「およそ、一個大隊同士の衝突……」 “あの施設”の規模を考えれば、それぐらいの人員は投入すべきだが、相手のポ テンシャルが未知数だ。妥当と言えるかどうか。 かと言って、これ以上の人手も望むには日本の“組合”は小さい。外の“組合” では時間が足りない。 イワンはこの体制で、勝算があると思っているのだろうか。俺にはリスクが大き 過ぎる気がしてならない。 それとも、やはりイワンには何か別の狙いでもあるのだろうか。裏がある様な気 がしならなかった。 「テツは何を確かめたいの?」 「それを聞く為にこれから向かうんだ。潜り込む方法を探す為に」 「“組合”が、全て奪い取るの?」 違う、俺達じゃない。奪おうとしているのは外の“組合”だと、つまらない言い 訳が噴き出してきそうだ。 全くの無意味だ。イワンの下で任務に就いていた。俺も日本の“組合”も、蓮夢 に言わせれば“組合”でしかない。 蓮夢のどこか落胆した様な目はやり場なく、俺に向けまいと必死だった。いっそ 憤って罵倒してくれた方が楽だろうか。 「何が始まるんですか?」 間の抜けた事を聞いて来る安田に視線を逃がす。俺は勘繰りこそしても、気付く 事も出来なかった。安田も儲けのチャンスと言う認識だけで偽銃を掻き集めた。俺 達は皆――目的の先に潜むものから目を背けていたのか。 「分からないか? 戦争が起きるんだよ、それもかなり近くでな……」 空気が重い。蓮夢と一緒にいて、こんなに気不味い雰囲気は久し振りだった。こ んな状況ではこれと言った会話も出来ず、出来ても長くは続かなかった。 蓮夢は肩肘をついてずっと考え事の姿勢を保っている。カーブの多い山道を走ら せて“組合”の拠点、ウィンストン記念図書館まで間も無くと言うところで、よう やく蓮夢の興味を引く話題を持ち出す事が出来た。 「サイキック……」 「そいつが乱入してくれたお陰で、俺達もなんとか脱出できた。忍者野郎の仲間ら しいがな、真っ黒なコートに鋼鉄の尾を九本付けて、狐の面をしていた。イカれた 女だ」 アクアセンタービル脱出の時に、蓮夢は気を失っていて詳しい状況をほとんど覚 えていなかったそうだ。 そのまま会話が続くかと思ったが、蓮夢は相変わらず黙り込んで、何かを考えて いた。 「どうかしたか?」 「ん? ちょっとね……」 歯切れの悪い返答のまま、車中は再び沈黙に包まれる。横目に見る蓮夢の瞳は奥 深く、あらゆる情報を検索して処理している事を感じ取れた。 打開策を探しているのだろう。海楼商事と“組合”を相手取って、どうやって攫 われた人々と、クライアントの身内を救出しようかと。 “組合”が動く前に先攻しようかとも考えたが、それは“組合”に対する妨害行 為になりかねない。そんな事すれば、俺も蓮夢も命はない。ならどうすればいい。 図書館の駐車場へ入り、送迎バスを追い越して入り口から気持ち離れた辺りのス ペースへ駐車した。エンジンはまだ切らない。 「行かないの?」 「時間まで、あと二十分ある」 「この図書館も“組合”の物だったんだ。何処にでもいるね……」 皮肉なのだろう。至るところに“組合”は存在している。警察もホテルも、銃器 店も。強いて“組合”の息が掛かってない場所があるとすれば、蓮夢の根城である 大歓楽街――輝紫桜町ぐらいだ。 窓を下げて、煙草に火を着けた。煙草の箱は蓮夢が吸うかもしれないので、ダッ シュボードに放る。 「この世の裏側は、全て“組合”の糸で繋がっている。俺の手足も、人形みたいに 糸で繋がってるのさ。失望したろ? 忍者野郎の言った通りさ、俺は犬畜生だよ」 無意味な卑下が零れ落ちる。ハッキリ言って、気分は最悪だった。 海楼商事のやっていた事が余りにも想定外だった上に、長く属していた組織であ る“組合”の意図を推し量る事が出来なかった。 そして蓮夢が最も望まない展開を“組合”がやろうとしている。俺と日本の“組 合”にはどうする事も出来なかった。 「“組合”のしようとしてる事で、テツを責めても何にもならないし、時間の無駄 だよ。海楼商事や関連組織はハナから“組合”にマークされていたんだから。今起 きてる事は起こるべくして起きてる事」 シガーライターを仕込み、当たり前の様にダッシュボートの上にある煙草を手に した。 「大切なのは今、俺達はその直中にいて“見てる”事だよ。必ずバックドアがある 筈なんだ……。何か出来る筈なんだ」 咥え煙草に赤熱を押し当てて、一筋の煙と共にシガーライターを戻した。 八方塞がりで内心は憤っているくせに、蓮夢は苦肉を重ねている。腐った思考の 俺よりはマシなのかもしれないが、痛々しく思える。 何とかしてやりたいが、何が出来ると言うのだ。海楼商事やその黒幕なんて、ど うだっていい。この国以外の“組合”を敵に回して勝てる訳がない。 「どうしようもない現実だって本当は分かってるんだろ?」 「それをひっくり返せたら、こんな“頭”でも誇れるんだけどね……」 壮大なる欲求。蓮夢の望みは自らの力で強大な体制に立ち向かい。価値観も認識 も、凝り固まった常識すらも破壊する事。意思の変革。 過激にも思えるが、蓮夢の望みはそこに在る。 蓮夢。そこまでしないと、お前は満たされないのか。 「随分、弱気だけど、どうしたの? 何時もみたいに埒が明かないなら突撃! み たいな、マッチョな案はない訳?」 「ツーマンセルでは掻い潜れない。この案件はもう、日本の“組合”に介入の余地 はない。結局、俺はちっぽけで無力だった。システムの一部に過ぎなかった。それ が現実だ」 挑発的な言葉に返せるのは、煙草の煙と、自暴自棄で真っ当な状況だけだった。 蓮夢の目的なんて、最初どうでもよかった。自分の任務さえ果たせればよかった と思っていた。 なのに、今は手を貸してやりたいと思うだけじゃなく、俺のいる組織が蓮夢の目 的を破綻させようとしている。止める手だてもない。最悪の結末が目前にある。そ う思えた。 「俺は現実を把握していない奴かな? でも俺は諦めない。金とか権力とか、教養 とか、そんな上っ面の物を少し多く“持ってる”だけの連中の、都合のいい理屈ば かりで勝手に物事を進められて堪るかよ。テツだって分かるだろ? 人にとって本 当に大切なものって他にある。こんなクソみたいな生き方しか出来なかったけど俺 は信じたいんだ、馬鹿みたいだけど、それでも……」 「お前……どうして俺なんかを好きになった?」 互いの考えが真逆な上に、具体案もない。俺の腐った気分も、理想論止まりの蓮 夢の言葉も、このまま平行線を辿るだけだった。 「なんだよ、突然……」 流石の蓮夢もたじろいでいた。この話を出てくるとは思ってなかったろう。 しかし、どうしても聞いておきたかった。今を逃したら、もう聞く事が出来ない 様な気がしたからだ。 「出会い方、最悪だったじゃないか。お前の事、撃ったんだぞ」 灰皿に煙草を押し潰して放り込む。 人を好きになった経験もなければ、機会もなかった。他人に慕われるだけの度量 は持っていたいと思っているが、ここまで慕われた事もない。 正直、どう受け止め良いものかも分からならなかった。 蓮夢は目を背けて、言葉を探している様だったが、次第に口元が緩んできた。 「メチャクチャ恐かったよ。マジで殺されるって思った」 荒神会のヤクザと、警察のオートマタを蹴散らして蓮夢を追跡した。あの時は大 分気が立っていた。 蓮夢の出方次第では、殺してしまおうと思っていたのは確かだった。 「その後も必死だった。何とか気に入ってもらおうと、慕って懐いて、情をかけて もらわないとって。テツが恐かった。心が見えないのも辛かった」 時折、蓮夢の言葉に含まれる心。始めの頃、蓮夢は度々、俺の心が見えないと歯 痒そうに吐き捨てる事があった。あれは嫌味じゃなく、本気だったと言うのか。 「人を好きになって惹かれていく事に、目に見える様な理由が必要なのかな?」 「目に見えない理由って何だよ?」 話す事を渋っている様な素振りだった。言っても他人に理解してもらえない。そ んな諦めと苛立った雰囲気を見せている。 それでも知りたかった。蓮夢の口からハッキリと聞いておきたい。それまでは譲 るつもりはなかった。 しばらく沈黙が続いたが、諦めの溜息が蓮夢から漏れた。 「これ言うと、キザだとかロマンチストだとか笑われるから、話したくないんだけ どなぁ……」 咥え煙草のまま、普段よくやる前髪を掻き上げる仕草から、ワシワシと後ろ髪を 掻きむしって、観念して天井を見上げて一呼吸した。 「俺はさ、人の“心”を、ただ見てるだけだよ……」 “心”。確かにキザったらしくも思えるが、これまで蓮夢の価値観や捉え方に説 明を入れるなら、これ以上ない言葉かも知れなかった。 龍岡の言っていた“核”とは心の事だったのか。そんな不確定で流動的なものだ けで蓮夢は他人に情を寄せるのか、性別も性指向も問わず、心だけで人を見ている と言うのか。 「殺気立ってるだけの壊れた心の何処に魅力があるんだよ」 「関係ないよ。テツは根は優しいし、何時も俺の事を肯定して認めてくれた。俺達 お互いの心に触れ合った機会は沢山あったじゃん。それじゃ駄目なの?」 返す言葉を探していた。俺にとって心なんてものは、当てに出来ない不確かなも のにしか思えなかった。 しかし、複雑な蓮夢に限って単純な感度でそれを図っているとも思えなかった。 「仕方ないじゃん、見たくもないモノばかりで溢れ返ったこの世界で、俺にとって 確かなモノなんて心しかないよ。それ以外なんか見たくもない……」 生まれ持った感覚なのか、環境と時間がそうさせたのか。 蓮夢が心と解釈するものを、完全に理解する事は出来ないが、パンセクシュアル と言う言葉がシックリきていると言うのは納得した。 不憫だな。不自由で理不尽な世界に囚われて生きてるのに。心は何にも囚われな い自由を持っているなんて。 「そんな事聞いてどうするのさ? 龍岡先生と何話してたの?」 蓮夢に言わせれば、野暮ったい事だ。それよりも、話すべき事を話さないと。 真っ直ぐと蓮夢の目を見据える。蓮夢も逸らす事なく見つめてきた。 「これ以上、俺と関わり続ければ、いずれ“組合”に取り込まれてしまうぞ。それ でいいのか? 間違いなくそうなる。千人規模の戦闘をやってでも、欲しいものは 手に入れ様とする組織だ。お前の価値は“組合”が飼い殺しにする……。それじゃ “ナバン”と何も変わらないじゃないか」 「テツの傍にいられるなら、それでも構わない」 「蓮夢……」 「今更、馬鹿な選択を恐れても手遅れだろ? それに生活を保証してくれるなら願 ったりさ。貧乏とオサラバできる」 吸い終えた煙草を灰皿へ捨てて、冗談っぽく言ってみせるが、その先に何が待ち 構えているかは理解している様だった。 拒んでも、受け入れても、俺と言う存在は蓮夢を不幸にするだけなのか。今こう して蓮夢を隔てる事すら、不憫さに荷担しているのか。――どうすればいい。 「使い捨ての消耗品だぞ。セックスワークと違って、しくじれば死に繋がる。価値 がなくなっても同じだ。俺は嫌だ、お前が道具みたい扱われるところなんか見たく ない」 ガタゴトと、急な揺れと衝撃を受けた。俺が油断し過ぎているのか。 「なら、どんな俺なら見てくれるの?」 こいつは何時も不意を突く。急に身を乗り出してきて両肩を押さえ付けてきた。 またキスでもされそうな距離感。幾らでも反撃出来るが、化粧っけのある色白い 肌と、暗紫色の目を見ていた。 「もっとテツに褒められたいよ、もっとテツに触れたい。テツの事を救いたい。未 来や理由なんか、どうだっていい。もう独りはヤダよ、テツだってホントはそう思 ってるんだろ?」 俺はどうしたらいいんだ。本心も見透かされても受け入れて通じ合えている筈な のに。それを心地良く思っているくせに、何時も胸の奥深くで激しくぶつかり合っ ている。 均一な力でぶつかり合い、均等に破片と火花を散らし続ける。 変わりたいと願いながら――変わる事を恐れている。 「俺は……お前の様に見る事は出来ない……」 この言葉が本心なのか嘘なのかさえも分からない。自分にも周りにも、何もかも がもどかしくて憤りを覚える。 蓮夢から失望の溜息が漏れる。静かに助手席へ戻り、開いた窓から景色を眺めて いた。 「いいよ“組合”には入らないし、求められても拒むって約束する。テツの心労に はなりたくないし」 会話はなく、外から聞こえる風の音と、図書館へ向かう学生達の声に紛れる様に 互いの息遣いだけになる。 風に擦れる枯れ葉に、さめざめとした息遣いがか細く混ざる。また、傷付けてし まった。胸が張り裂けそうな、身勝手な感情に沈んで行く。 意味もなくハンドルに手をかけて、数分を浪費していると、蓮夢は大きく深呼吸 を二回した。 「そろそろ時間、いいんじゃない?」 「そうだな……」 気付けば五分程オーバーしている。窓を閉めてエンジンを切った。蓮夢はそそく さと車を降りた。 ウィンストン記念図書館を眼前に指先で目頭からすくい取って、背伸びをした。 「生きてる限り思考し続ける。時間は前にしか進めないから、立ち止まっても意味 がない。俺達は出来る事をするんだ……」 冬空を仰ぎ、蓮夢は前へ進んで行く。凄いよ、本当に――強いな、お前は。 この数年、この図書館と家の往復ばかり。此処をこんなにも、重々しく感じた事 はなかった。 蓮夢の後を付いて行く俺は、相変わらず拭い切れない不安と、妙な重圧感に包ま れていた。そして、それを上回る程の――集中力が湧き上がっている。 もどかしいけど今、蓮夢の味方は唯一、俺だけであると言う事だ。
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