ダイバーシティパンク~はぐれ者達のアッセンブル~
第三章 11.― PORNO DEMON ―(2)

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「あ! いたいた。やっぱり此処だった!」  振り向くまでもなく、ドカドカと床を歩く音と馬鹿そうな声。春斗だ。一応振り 向いてやるが。 「お久し振りです、蓮夢さん!」  春斗の後ろからひょこッと笑顔を見せたのは、確かに久し振りで意外な相手だっ た。 「蒼夢(ヒロム)……」  腕に刺さってるコネクターをそれとなく外して、補助端末を閉じた。あの二人が いては、とても作業ができない。優先順位を一番下まで落とす。  蒼夢とはおそらく一年半振りぐらいになるだろうか。本当に久し振りだった。  長めのマッシュヘアーとゴシックパンクな服はいずれもジェンダーレスで控え目 だが印象深く、相変わらず蒼夢に似合っていた。 「いやぁ、今日も忙しかった。それイメチェン?」  春斗が俺の頭を指差す。仕事上がりと言う雰囲気を見せているが、春斗とは付き 合いが長いので、すぐに分かった。コイツ、今日は仕事していないと。  俺も春斗も、仕事の時は控えめに香水を纏うが、春斗からは、春斗の匂いしかし なかった。 「今日だけだよ、帰ったら戻す……」  すっかり忘れていた。髪の色もそうだったが、左目に付けた偽装用のカラーコン タクトもそのままだった。  カラーコンタクトを外して、ケースに浸し、手櫛で髪型も大雑把に戻した。同時 に、永星の方を見る。不意を突かれた永星はまた視線を逸らして、奥まった厨房の 方へ移動する。  どうでもいいけど、どうやらこのタイミングで春斗がこの店に来たのは、永星の 差し金で、春斗が蒼夢を引っ張り出して連れて来た。と言ったところかな。  何故そんな事をするのか、大体察しは付いてるけど。――全く。 「てか、春斗は向こう座れよ。隣は蒼夢がいい」  春斗は一瞬、ムッとした顔になるが、それを飲み込んで、蒼夢を俺の右側に座ら せると、自分は左側に座った。  正面にはちゃっかり永星が立っている。何、この状況。囲まれている、妙な圧を 感じた。 「最近、仕事どうなの? 結月とは仲良くやってる?」  圧力に負けず、残りのブルームーンを飲み干して、在りがちな質問を蒼夢に向け た。 「お陰様で楽しくやってます。昼のダンススクールも軌道に乗ったし、結月の方も ボチボチってとこです。試合に負けた時は、アタシがしっかり慰めてます!」  年々、蒼夢は頼もしく、しっかり者になっていくな。初めて会ったのは七年前。  ナイトクラブの売れっ子ポールダンサーだった。今でもそうだが。ふくよかで整 ったバストがなく、下着に膨らみがあっても、蒼夢の圧倒的な踊りの技術と表現力 は、客のセクシュアルもジェンダーもお構いなしに魅了していた。俺も一目見た時 から――惚れ込んだものだ。  そして、同じ時期に結月とも出会った。当時、自分が何者かと悩んでいた蒼夢の 相談によく乗っていた俺と、蒼夢と同じ様にジェンダーの悩みを持っていた結月と 三人でよくつるんでいた。結月と俺は、ちょっとした恋敵。  それから程なく、輝紫桜町お得意のトラブルってヤツが蒼夢と結月を襲った。  駆け出しのCrackerImp。或いは違法サイボーグの俺が、あれこれと世 話を焼いて解決した最初のトラブルじゃないだろうか。  結局それのせいで蒼夢の心に俺が入り込める隙はなくなり、結月と蒼夢はめでた く今日に至る。――やれやれだよ。  そうか、一人称がアタシだから、今日の蒼夢はそっちの気分か。  蒼夢は性別が揺れ動き、変わる事があった。その不思議な個性の中にでも、変わ らない確かなもの、強くていじらしい心があった。それが魅力的で大好きだった。 「それは何より……」 「蓮夢さんはどうです?」 「さて、どうかな……はした金とセックス、ドラッグには事足りてるかな」  カウンターに重ねてある灰皿を勝手に取り、煙草に火を着けて曖昧に答えた。  そう、今の俺に足りてるのは安っぽいセックスと割に合わないドラッグ。少々の 意地とか執着。  それぐらいしかないし、それ以上のものを求めるのもやめてしまった。  目先の快楽だけを求めるだけなら、満たされる事はなくても身軽なもんだ。それ はそれで、悪くない。 「永星、ノアーズミルをロック、ダブルで」  別に未練がある訳じゃない。もう昔の話だから。でも、あれだけ盛大に玉砕した 感じは忘れ難いものがある。  蒼夢は悪くないが、会うとほんの少し、それを思い出すのがキツい。上等なバー ボンで誤魔化したくなる。 「俺はギネスと厚切りベーコン」 「カンパリビアと……あれ? なんだっけ? 麺を揚げて塩かけたヤツ」 「パスタフリットだろ」蒼夢をフォローしてやる。  二人の注文をそれぞれの伝票に書き、永星はグラスに一塊の氷を放ってバーボン を注ぎ、ミネラルウォーターのチェイサーと共に差し出すと、厨房で春斗達の料理 を作り始めた。  酒と料理を同時に注文すると、同時に出すのが、この店の暗黙の了解だった。 「蓮夢は何か食べるかい?」 「ジャーキー、柔らかいのね。で、わざわざ俺を探してた理由は?」  俺の目を見た春斗は、俺が仕事上がりの雰囲気が、嘘だと言う事を見抜いている 事をすぐに察した。  春斗との付き合いは長い。始まりはいがみ合い。輝紫桜町のてっぺんに立とうと 息巻いていた春斗にとって俺は、“ナバン”のボスのお気に入りで、何かとお膳立 てされた気に食わない存在だった。  それでも、何がキッカケになったのかは忘れたが、お互いの事を知っていく内に 何となくつるむ様になっていった。  先輩と後輩なんて呼び合っているけど、実際にはどんな関係にもなれる間柄だっ た。良い意味でも、悪い意味でも。 「別にわざわざってワケじゃないですよ。多分、ヘコんでる頃だろうから励まして やらないとなって」 「へえ、そりゃありがたいね。始終ヘコんでるんで、是非慰めてもらいたいよ」 「その割りには、最近、俺達の事避けてますよね?」  適当な皮肉に反応する事なく、春斗は鋭く訪ねて来る。やはりそういう話をする 為に網を張っていたのか。俺がこの店に来たら連絡くれとでも永星に言っていたの だろう。  街に警察のオートマタや、ドローンが警戒していた時は多少の抑止になっていた ので、こちらも動き易かったが。徐々にその警戒が緩み始め、丁度、荒神会に拉致 されそうになった。あれ以降は俺自身の警戒レベルを上げざるを得なかった。  常に“エイトアイズ”に監視させ、大通りも避けて、人も避けていた。  春斗から何度か電話もメールも来てたが、その都度あしらっていた。当然、この 手の裏の仕事は、周囲にもリスクが付き纏うからだ。 「別に避けてなんかないよ。ちょっと忙しかっただけさ」  バーボンを半分ほど流し込む、力強くて荒っぽい味わい。香りや余韻なんかも悪 くはないが、こう言う解かりう易くてガツンと来るお酒が好きだった。  よく分からないのは、そう言う酒が好みと言うと、大半は意外だと言い、イメー ジと違うと言われる事だった。なんだよ、酒と人のイメージって。   「危ないハッカーのお仕事で?」 「また、その話か……」  溜息と一緒に煙草の煙も吐き出した。年々、春斗からこの手の話をされる事が増 えてきていた。放っておいて欲しいのに。 「当然だろ、ヤクザっぽいのに追われて、ドンパチに巻き込まれてたって噂になっ てますよ。一体、何やってるんですか?」  語気を強める春斗を横目に見る。だからどうしたと、平常を装っておいた。  噂が絶えない輝紫桜町。少し目立つだけで直ぐこれだ。その原因の一つが俺の作 ったアプリのせいもあるから、とんだ弊害である。  情報投稿アプリ“ヘルアイズ”の管理は俺でも出来る様にしてある。俺に関する 投稿は、定期的にアプリに反映されない様に目を光らせていたが、その監視を数時 間でも怠れば、すぐに溢れ返る。制御し切れなかった。 「何って、何時ものトラブルってヤツだろ。お前等にも街にも迷惑はかけてない」 「それが、ふざけんな。って話なんですよ」  酒を飲む手が止まる。気を病むような表情なんか見させられたら、否が応でも面 と向かい合うしかなかった。  毎度の事だが、春斗のこう言うギャップが本当に疲れる。普段は後輩面して、大 人の付き合いだなんだと、プライベートに干渉しないくせに。時々、後輩とか友達 とかじゃない、それ以上の感情をぶつけて来る。 「そうやって蓮夢さんは何時も、自分独りで抱え込んで、危険な事にどんどん深入 りして、消耗して潰れてを繰り返して。いい加減、見てられないんだよ」 「春斗……」 「ぶっちゃけ、ハッカーなんて危険な事、止めて欲しいって思ってる」  腐っても、悪い世界には行かないでくれ。それが春斗の願いだった。両脚を突っ 込めば、二度と引き返せなくなるからだ。  だかと言って、それが何だと言うのだ。この輝紫桜町と言う地獄の様な街で生き ていて今更、堅気も無頼もないじゃないかって思っていた。  根本的に俺と春斗は生まれも育ちも違い過ぎる。春斗の理屈が正しいのかも知れ ないが、俺はこの街に流れ着いた時点で――既に罪人だ。  その理屈を受け取るには、もう手遅れだった。それでも春斗は俺を引き留めよう として来る。  そんな春斗の心が、これだけ心配して思ってくれるその心が、俺には勿体無いぐ らい温かくて、眩しかった。その心は何時も俺の胸を刺して来る。  自分の弱さを、隠そうとしても隠し切れなく自分にも嫌になるけど、それでも今 は春斗の心を受け入れる訳にはいかなかった。 「悪いけど、それは出来ない相談だよ。一度関わった以上、今更、引く訳には行か ない。助けたら終いまで。だろ?」  残りのバーボンを飲み干して、煙草を灰皿に押し付けた。 「それに、その人が出来ない事が俺には出来る。だから、やるべきだ」 「正義感ですか?」 「そんな御大層なもんじゃないよ。たかが歓楽街のHOEなんかに……。自分でも どうして、こうなっちゃうのか。ウンザリする事も多いさ。でもね、春斗」  元々、成り行きで始まったハッカー業に大した意味はない。それでも俺には、こ れ以上ないってぐらいの最強の環境が脳内に組み込まれているんだ。義手や義足の 様な補助や、生きる為の延命装置として使い果たす訳にはいかない。  これは意地であり、そして――義務だ。 「俺にとってハッカーの俺は唯一、俺だけの意思だ。誰かが敷いたレールとかじゃ なくて、いや、そんなものを積み重ねて、しくじり続けた結果なのかも知れないけ ど、俺の持ってる全てを、俺の意思だけで使う事が出来る、本当の自由なんだ。だ から、意味在るものに、価値のある事に使いたいんだ……。俺の意思で」  七年前、自分が招いた結果だけど、俺は違法サイボーグになった。そして今も変 わらず、この輝紫桜町のHOEだ。  自分がどうあるべきか、何者であるべきなのか、或いは何を望んでいるのか。そ れすらも未だに分からない。だからこそ、立ち止まる訳にはいかないんだ。少なく とも、俺の心はまだ、死んじゃいないから。 「それで、蓮夢さんに何の見返りが?」 「ギャラは入るさ。まぁ、その内良い事の一つや二つ、やって来るんじゃない?」  春斗にも分かってもらいたいけど。呆れた様子だった。それでも俺の意思は変わ らない。 「アタシも結月も蓮夢さんがいなかったら、今頃生きてなかった。だから止めて欲 しいって言える立場じゃない。でも……。だからこそ、みんな蓮夢さんの助けにな りたいって思ってる。辛かったり大変な時は、もっと頼って欲しいんです」  分かってる。春斗の気持ちも、蒼夢の気持ちも。それに永星も。少し前まで本当 に参っていた上に、鉄志にまで追い打ちをかけられてボロボロだった。  そのタイミングで、今のこの状況だったら、俺はどうなっていたか。考えただけ で堪らなくなる。 「全く……。そのお気遣いに感動して涙でも流せと? 悪いけど俺は、そんな出来 た人間じゃないぜ。知ってるだろ?」  よかったよ、峠を越えた今なら、皮肉や悪態を付ける余裕があるから。どちらに せよ、俺のやる事に変更はない。つまり抱え込んでいるリスクも変わらない。  心配してくれるのは嬉しいけど、今は距離を置くのが最善だ。それで愛想を尽か されても、受け入れる。 「知ってる。お前は滅茶苦茶だし、カオスな奴だよ。それでもこの二人も僕も、頼 って欲しいって思ってるんだ。お前の心に及ばないって分かっていてもね。その気 持ちぐらいは汲んでくれてもいいんじゃないか?」  永星が春斗と蒼夢の料理を用意して、グラスにビールを注ぐ。自分でも嫌と言う 程、分かっていた。  龍岡の言う通り、俺は他人の心は敏感に感じ取るのに、自分の心は隠したり、は ぐらかしてばかりだ。捻くれてるし、素直じゃないよ。  でも、頼るって、何をどうすればいいんだろうか。そもそも、自分のやるべき事 は自分にしか出来ない事だし、それをどうにか、無い知恵を絞って、四苦八苦しな がらやっていくものじゃないのか。  ガキの頃、俺の周りにいた豚みたいな大人達やクソな父親、役に立たない学校や 役所の人間共、何もかも期待するだけ時間の無駄でリスキーでしかなかった。  そう、俺はずっと――独りだった。  そう言う性分なんだ、どうしようもない。本来なら、周りから心配されないぐら い、しっかり者であるべきだけど、そんな強さも持ってない。  鉄志は、強い弱いで考えるべきじゃないと言っていたが、それに代替えできる様 な考え方を俺は持っていなかった。 「そう言う事じゃないんだよ、それって結局、蓮夢さんにとって重荷じゃん」 「もういい! 分かったから!」  永星に突っ掛かる春斗を止める様に声を張った。疲れる。そもそも、夜遅くまで 客にガン掘りされた後に、息抜になる酒の席で億劫な事させないでくれと、冗談抜 きで言いたかった。 「せっかく集まったんだ、乾杯しよう。今は、それだけでいい……」  少し姿勢を起こして、二人の肩に手を添えた。 「俺なら大丈夫だよ。ちゃんと味方もいる。伊達に“地獄”で生きちゃいないぜ」  安い言葉と仕草。確実に見据える相手の目。“ナバン”で教わった、相手の心に 入り込む術。そして自分の心に似せた違う思惑を流し込む術。  結局、俺にはぐらかす事しかできなかった。こんな時、どうすれば丸く収まるの か。だとしても、俺の気持ちは変わらないし、変える訳にはいかない。春斗には本 当に悪いけど、俺は突き進む。  人々の人生を理不尽に奪う薄汚い奴等からリスキーな相棒、鉄志と共に答えを奪 い取るんだ。 「だからって、俺も黙るつもりはないですからね。アンタの唯一の良心は俺だって 事、忘れるなよ」  春斗も“ナバン”のHOEだ。俺の安い手は分かっているから、通じない。  心配してくれる春斗の気持ちは嬉しいが、同時に俺なんかに執着させてしまって いるのが、忍びないところもある。本当に良いヤツだよ春斗は。 「春斗、ありがとう……。蒼夢もね」  春斗との一時休戦が結ばれたタイミングで、きめ細かい泡が沸き立つギネス、鮮や で透き通った赤いカンパリビアがカウンターを賑やかした。  永星は頼んでもいない、ノアーズミルのおかわりを目分量でグラスに注ぎ、小皿に 盛ったジャーキーを差し出すと、冷凍庫から銀細工に包まれたショットグラスを取り 出して、テキーラをなみなみと注いだ。ドン・フリオ、割とお高いテキーラだった。 「僕も付き合うよ、どうせ今日はもう客来ないだろうし……」 「おい、テメェで払えよ。なんでまた俺の伝票に書くんだよ!」  永星はお構いなしに、春斗達の伝票に自分の一杯を書き足した。このやり取りはお 決まりだった。時々俺の伝票でもやるから質が悪い。それも必ず高い酒でやる。 「さてと、何に乾杯する? 地獄の住人さん達……」 「あ、久し振りに“アレ”やりません?」  何でもいいよと言おうとするよりも早く、蒼夢が“アレ”を提案してきた。横目に 見る蒼夢の楽しそうな雰囲気を見る限りでは、“アレ”って言うのは“アレ”なんだ ろうな。 「えぇ、ヤダよ、あんなダサいの……」 「そうですか? 結構好きなんだけどなぁ。丁度条件も揃ってるし」 「そう言えばそうだな。パンセクシュアル、アセクシャル、Xジェンダー。そして 最強のゲイ!」  春斗が一人づつ指差して最後に最も得意げに自分を指差した。この流れで蒼夢の に同調されると“アレ”をやる雰囲気になるのに。永星も満更じゃない顔をしてい るし。  一体、誰が考えたのか。ずっと昔から輝紫桜町に住んでる人間達だけで広く使わ れている乾杯の音頭だった。  条件は輝紫桜町の外に住む者がその場にいない事と、異なるセクシュアルやジェ ンダーの者が、三人以上いると言う物だった。本当、どうでもいい事だよ。 「最強っている?」蒼夢が春斗に指摘する。  「当たり前だろ? 俺はガキの頃から、真っ向勝負でゲイやってんだ。天下無双だ ぞ」 「春斗は一度もセクシュアルを隠した事ないんだよな。鋼鉄のメンタル」  春斗の十代の頃の話を聞いた時は、軽いショックを受けたものだ。こんな奴が存 在するとは、と。  俺は必死に隠していたクチだった。始まりが虐待と売春だったせいもあるが、自 分でも周りとの感覚や雰囲気にズレがあるのは感じていた。それを周囲に悟られな い様に身構える最良の選択、それは――孤独だった。 「おうよ! てか、これが俺の普通ですから、ゴチャゴチャいうヤツなんて、嗚呼 何か言ってる、何処の星の生物だろう? ぐらいのもんですよ。または徹底的にブ チのめす」  そう、それぞれの普通がある。つまり普通なんてない。それがこの大歓楽街、輝 紫桜町の価値観だった。故に、分からぬなら聞け、自ら語れ、そして受け入れよ。  ワケ有りの人間が、最後に流れ着く掃き溜めだからこそ。この価値観は何よりも 尊重され、共有されていた。  ありとあらゆる複雑な要素を内包した上で成立するシンプルな価値観。あとは死 ぬも生きるも自分次第って街。えげつなさと居心地の良さが混ざり合ったクソみた いな街さ。 「じゃあ、締めは蓮夢さんで」  そうなる気はしていたが、乗り気じゃないって言ってるのに、なんで俺が締めな きゃいけないんだ。  春斗、蒼夢、永星の順番だろうな。締めの言葉には何種類かあるが、大体はこの 街の事を指す言葉なので、俺はそれは使わない。  この街がなければ俺は生きてないが、かと言って感謝はしないし、好きにはなら ない。憎みはしないが、嫌いだと思う事は多々ある。  だから俺が使う言葉は何時も一つだけだった。それがとてもダサい。グラスを掲 げる腕が重かった。 「では俺から。セクシュアルに」 「ジェンダーに!」 「ダイバーシティに」 「……パンクな我等に」 「「カンパーイ!!」」  息抜きのつもりが、妙な飲み会に変わっていた。三人とも裏表のない笑顔で酒を 煽っていた。勿論、俺もそれに合わせるけど。  数年の内に何度かこの街の事を、地獄の様な大歓楽街を、好きになりそうになる 瞬間があるんだ。丁度、今の様な時に。俺はそれがたまらなく嫌だった。  孤独こそが最良と、分かっているのに、触れてしまいたく様な沢山の心に、自分 の心までもが流されてしまいそうで、それが恐かった。

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