7.― JIU WEI ― また懐を許してしまった。凄まじい連撃が襲いかかる。こうなっては、もはや絶 望的だった。 情け容赦ない猛攻に切り裂かれ、禍々しい紫色の炎に焼き尽くされる。 そして、鼻持ちならない勝ち台詞を言い放つのだ。 「うぅ……。また負けた」 「子供の頃、こればっかり遊んでたからね。オンライン対戦でも世界中の大人を負 かしてたんだから。今は子供達だけどね」 「大人気ない……」 彩子さんがこの手のゲームを遊ぶ人だったとは。まだまだ、私が知らない一面が あるな。 ここ数日は驚く程、穏やかに過ごしていた。と言うより、彩子さんの情け容赦な い監視の元で、軟禁状態だった。 無敵のサイキックサイボーグとの命懸けの戦い。荒れ狂う銃弾の嵐、船首を抉り 巻き上がる大爆発。どれも一生忘れられない出来事だったのに。――ただの通過点 になってしまいそうだ。 「他ので遊ぶ?」 「他と言っても、全て格闘技系ばかりじゃないですか」 「エミュレーターじゃない本物のデータで、ヴィンテージ物なんだよ。集めるの苦 労したんだから。これとかどう? 対戦じゃなくて協力戦よ。ヒロインを助けるイ ケメンと親父と友達の忍者」 彩子さんが段ボールから引っ張り出したハードウェアには、一〇〇〇タイトル以 上のゲームが保存されているそうだ。どれも一世紀以上前の作られた物ばかり。こ こまで古いと、古臭さすら感じなくなる。むしろ斬新に思えた。 叔父と香港にいた頃、町の小さなゲームセンターにも違法エミュレーターで色々 揃っていたな。同年代の男共が占領していて遊んだ事はなかったけど。 そう言った物の公式のデータを彩子さんは持っていると言う事か。警察官らしい 拘りと礼儀に思えた。 「いいのかなぁ、毎日こんなダラダラ過ごして……」 コントローラーをテーブルに置いて、薄味の花茶を一口飲み、ソファに身を投げ る。日本に来てこんなにゆっくり過ごしたのは初めてかもしれない。ずっとバタバ タしてたし、必ず何かやっていた。暇が出来ても外を出歩く様にしていた。母の生 まれ育ったこの国に、早く慣れたかったから。 何かをしなければと落ち着かない反面、慣れた場所と慣れた人だけの空間で過ご すのも悪くないと、相反する気持ちに揺さぶられていた。 「今の内だけよ。明々後日になればCrackerImpから情報が手に入る。そ うなれば、いよいよだよ」 「それまでの間、何かすべきでは?」 「今はCrackerImpを信じて待ってよう。ここまで来たら、下手に動かな い方がいい。そうだ、明日はどこか美味しいものでも食べに外に出ない? ユーチ ェンは何か食べたい物ある?」 呑気だな。それとも、わざとそう振舞っているだけなのだろうか。 密輸船の一件以降、彩子さんは一、二時間程度の外出こそしているが、それ以外 はずっと私と過ごしていた。今まで以上に付きっきりで、良くしてくれた。外には 出させてもらえなかったけど、ホールのケーキを買ってきてくれたり、手料理も振 舞ってもらえた。――まるで家族であるかの様に。 分かっている。この後の事が気掛かりなのだ。鵜飼達がどう出るのか。海楼商事 の悪事を暴き、攫われた人々を救い出して、港区が解放された後、私達に残る肩書 は破壊行為を重ねたアウトローだ。 鵜飼は公僕の忍者だ。必ず正義を行使してくる。例え私達に情があったとしても 止める事は出来ない。 「最近、鵜飼は頻繁に輝紫桜町に出向いてる。忍装束で……」 開いていたノートパソコンの画面を彩子さんに見せた。マップに表示されている 輝紫桜町周辺から、数分おきに更新される鵜飼の位置情報だ。 「発信器は外されたのに。どうやって」 「発信器を外されたあの日に、コッソリ予備を付けてやったんです。念の為……」 咄嗟の思い付きだった。また気付かれる可能性とその後のリスクもあったが、協 力関係であっても立場の違いもあるので、保険をかけたのだ。以前と違い、鵜飼は 隙だらけだったから簡単に付ける事が出来た。 鵜飼とは簡単に連絡を取り合える関係になれたが、常に一緒にいる訳でもない。 今後の事を考えれば、鵜飼の動きには警戒すべきだ。 「抜け目ないわね。輝紫桜町か、あの街の悪党共は海楼商事とは不釣り合いね。で も、この時期に鵜飼が動いているなら、何かがあるのかも……」 犯罪組織が密集している悪名名高い輝紫桜町でも、海楼商事の底知れぬ闇を抱え られる様な組織はいないと言う訳か。 分かる気がする。輝紫桜町には危険な雰囲気こそ漂っているが、その一つ一つは 小規模な感じがする。各国の組織と連携して緻密に動く海楼商事とは毛色が違う。 大歓楽街、輝紫桜町か。すこし窮屈を感じている今なら、気晴らしに持って来い の場所なんだけどな。もうすぐ〇時だけど相変わらず賑わっているのだろうか。 「彩子さん、様子だけでも見に行ってみません? 何もなければ、ケバブ食べて帰 るとか……」 駄目元で彩子さんに提案してみた。再三に渡って輝紫桜町には近づかない様にと 言われていたが、私は相変わらずあの街に興味が尽きなかった。 また運よくポルノデーモンに会えないかって期待もある。チンピラだけど、妖艶 で知的、不思議な魅力を持った人。 「ねぇ? ユーチェン。これからジャラを救い出して、その後はどうするの?」 輝紫桜町に拒否反応を示すのかと思っていたが、そう言う事もなく彩子さんは唐 突な質問を投げかけて来た。ジャラを救い出した後の事。 「全然、考えた事なかったな……」 お粗末だと自分でも思うが、彩子さんに尋ねられた今この時まで、本当に考えた 事がなかった。 叔父と共にサイキックという力に向き合う術を学び、アイデンティティを構築し た後は、僅かな望みにすがる様に弟の行方を追う様になった。それだけが自分を走 らせる為の唯一の原動力だった。CrackerImpが掴んでくれた希望、ジャ ラ生存の可能性、その一点のみに今も全力を注いでいる。私の望みは、生きて弟に 会う事だけだった。 その後か、何処から始めればいいのか。彩子さんの顔を見つめる。 「出来る事なら、しばらくは彩子さんと一緒にいられたらな。って思います。ジャ ラもパスポートなんて持ってないだろうし」 具体的な事なんて、この場ですぐ考える事も出来なかったが、要望はあっさりと 思い浮かんだ。 これからどうするか、ゆっくり考える時間は必要だ。彩子さんには申し訳ない気 もするが、まだまだ頼らざるを得ない。 「こっちはかなり混乱するし、すぐにでも中国へ戻った方がいいんじゃない? あ る程度、お金さえあれば安全に密入国だって出来る」 密入国だなんて、彩子さんらしくない提案だったが一理ある。 今の協力関係が終わり、鵜飼達が敵に回る前に、この地を去るというのも悪くな いのかもしれない。 一緒にいたいって言ったのに、その逆ですぐに中国へ戻れだなんて。そんな助言 を素直に受け入れる気にはなれなかった。 「それじゃ、彩子さんが一緒に来てくれるなら……。うん、それがいい。きっとそ れが一番いい。三人で行きましょうよ!」 中国に戻ったところで帰る場所なんてない。上海は家族を失った故郷で戻りたく ないし、北京では親戚達に化物呼ばわりされて行きたくない所だ。 叔父と過ごした香港か、台湾辺りが妥当だろうか。でも三人ならやっていけそう な気がする。 急な提案には急な提案で返した。でも分かっている、彩子さんがこの提案を受け 付けない事は。それで彩子さんが考えている事と私が勘繰っている事が同じだって 事が決まる。 「私は……駄目よ。一応家族もいるし、その後の状況を見ておかないと。日本から は離れられない」 やはり、私を拒んだ。ジャラを救い出したら、さっさと帰れ。そんなつもりはな くても、そう感じ取れてしまうから、悲しいし切なくなる。でも、彩子さんが何故 そんな事を言うのか、大体察しは付いていた。 何時も一緒に過ごして、それが当たり前。そんな関係がもうすぐ二ヶ月になる。 ここに来て私は、自分の気持ちに気付いてしまった。 私は離れたくないんだ。――彩子さんの傍にいたいんだと。 「中国へ帰っても、私とジャラに居場所なんてない。父方の親戚達は、皆が私の事 を化物呼ばわりした。無能な日本人の血が混じった化物と……。私を受け入れてく れたのは唯一、叔父だけでした。その叔父ももういない……」 胸の中を、ぎゅうっと締め付ける様な苦しさが襲いかかって来る。ジャラを助け た後の事を考えると、何もかもが不安でしなかった。 自分の人生を何も考えてこなかったツケが回って来た。かと言って、そんな生き 方しかできなかった。――なんて厄介なのだろう。 「母国ですが、愛着なんかないんです。息苦しくて、辛い思い出ばかり。私達がい ると、迷惑ですか?」 きっと日本より安定した生活と保証は得られるだろう。この島国は何もかもが不 安定で、あやふやだった。 それでもハッキリ知ってしまった。私が望んでいるのは、国や場所じゃない。ジ ャラと彩子さんの三人がいる未来だけを望んでいる。 「そんな事ないよ。私だってユーチェン達と一緒にいたい。三人で新しい人生を生 きれたら、どんなに良いだろうかって、考えるだけでワクワクする。でも……」 「彩子さん、私達だけ逃がして自分だけ罪を被ろうとしているんですか? 何故そ こまでしてくれるんですか? 母と親しかっただけで。いや、そんな事どうでもい い。だからこそ、彩子さんを独りなんかさせたくない」 身動出来ない鬱憤のせいなのか、自分の気持ちに気付いてしまったらなのか。彩 子さんに対して溜め込んでいた感情も漏れ出してしまう。 ずっと引っ掛かっていた。何故ここまでしてくれるのか。母と彩子さんはただの 親しい友人なんかじゃない事は確かだ。――それが恐かった。 上辺だけの情報だけでは解約できない、今だってそうだ、私にはまだ、それを彩 子さんから聞く勇気なんてない。 それでも確かな事は、母の死によって私は彩子さんに会えた。荒らされた家の中 から持ち出せた母のスケッチブック。その中にあった一枚の写真。 私にはきっと役目があるのだと思う。陽葵の血と能力を受け継いだ私には、彩子 さんと向き合うと言う役目があると。 「ユーチェン……」 「私では母の、陽葵の代わりにはなれませんか?」 時折、彩子さんが私にする様に触れてみる。覆い被さる様に両手で頬に触れ、見 透かす様に距離を縮めていく。――どうなっても構わない。彩子さんなら。 でも、自分でやっていて驚く程、様になっていないと痛感する。ポルノデーモン の様な色気には足元にも及ばないな。 「嬉しいけど、陽葵の代わりなんていないよ。どんなに面影があっても、ユーチェ ンはユーチェンだよ。初めて会った時から……。私にはアナタしか見えない……」 彩子さんの額が、私の額に触れる。少し冷たかった。胸が高鳴っている。 やっぱり嫌だ、彩子さんと離れたくない。例え鵜飼と戦う事になっても、私の心 はジャラと彩子さんを守ると決めていた。 私の心は、彩子さんに何を求めているのだろうか。未だに心の在り方が分からな いままだった。 九尾の狐の様な荒ぶる妖になりたかった。何もかも薙ぎ払って、運命を変えられ るだけの強さが欲しかった。化物と罵られれば、そうだ、化物だと言い返してやれ る様になりたかった。 でも今は、人として人を受け止められない自分がもどかしかった。 彩子さんには私はどう映っているのか。 額が離れていき、無言が続く。自分から漏れる溜息が、やたらと大きく感じた。 「ちょっと待って、鵜飼が移動している」 彩子さんが視線の先にあるノートパソコンは、まだ鵜飼の動きを映したままだっ た。マップは輝紫桜町から大分離れていた。 「中央区の方へ向かっているの?」 「この先にあるのって……」 マップの端の方に表示される高層ビル群の中には、アクアセンタービルが含まれ ていた――海楼商事のビルだ。 鵜飼はその方向へ向かっていた。道をそれる気配もなく、情報を更新する度にア クアセンタービルへ近づいていった。 何故、今このタイミングで。それも私達に知らせる事もなく。 何かが起きてる。彩子さんと目が合い、その目も私と同じで異変を感じ取ってい た。 「行きましょう、彩子さん」 「分かった、でも目立たずに様子を見るだけ。いいね?」 彩子さんの目は既に相棒の目になり、コートを手にしていた。私も気持ちを切り 替えないと。 「出来る限り、そうします」 目立たず様子見か。鵜飼が動いているこの状況で果たして何事もなく済むのだろ うか。 妖の勘が疼いてる。背中からうなじまで一直線に、獣の毛が逆立つ様なヒリヒリ とした感覚を。
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