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5.― DOUBLE KILLER ―  今、どうなってる。俺は今、何を見ているのだ。悪夢に耐え兼ね、ベットから跳 ね起きたのも関わらず、洗面台の鏡に映る、冷や汗に塗れた無様な自分の顔が現実 なのか、まだ悪夢の中なのかも分からない。  鏡越しの目の奥では、今だに悪夢が続いていた。もう見たくない、起きている筈 なのに、まだ悪夢が続いている。  洗面台の棚に置いてある抗うつ剤を飲み込む。今更やったところで手遅れなのは 分かっているが。まざまざと、目の奥で続いている。  冷え切った砂漠、炎に包まれる難民キャンプ、酔いに醒めても言う事を聞いてく れない身体へのもどかしさ。逃げ惑う人々、向かって来る家族までの距離は、僅か に五歩、たったの五歩だった。  間にあった筈だ、俺なら何か出来た筈なのに、俺はしなかった。  左側から衝撃波の予兆を感じて、動けなかった。身を守らなければ、どうなって いたかと言う言い訳はこれで何度目だ。  あの家族はもう駄目だ。分かり切っていたのに、俺は目を逸らさなかった。それ でこの様だ。  首や腕、脆い部位が一瞬で千切れ飛び、それを炎が包んだ。あと五歩だった。や れた筈だ、飛び掛かって全員を押し倒せば、あんな風にはならなかった。  やらなかった理由はよく分かっている、そのリスクを負って俺に何の得があるの かと、秤にかけていた。その時の感情を思い出し、全身から噴き出す冷や汗が体温 を急速に奪っていく。  寒さと息苦しさで身体を支える事も出来ず、その場に崩れた。  廊下から僅かに日の光が入って来てる。夜が明けたのだ。もう終いだ、何も出来 ない、何も考えられないまま、今日を迎えてしまった。  ここまま、じわじわと、報いを受け続けるのだろうか。このまま俺は――過去に 食い潰されるのか。 「分かってる! やってるだろ!」  吐き捨てる様な言葉と共に、車のドアを荒っぽく閉めた。運転中にかかる電話も 鬱陶しいが、東区の大通りは交通量の多く、外の喧騒の中で電話をするのも鬱陶し かった。中央区に近いせいもあり、夜の帰宅ラッシュでひしめいていた。  最悪の朝を迎え、昼間は何も出来ずに時間だけが過ぎ去っていった。そんな無気 力な一日が、日増しに日常となっていく。 「いいか、今やってる仕事は河原崎から直接請け負ってるんだ。誰の指示か知らな いが、お前等をボスにした覚えはないからな」  二日ほど前から“組合”のオペレーターから、何か分かったかと、くどい位の催 促の電話が来るようになってきた。まったく慣れない仕事である。 「そっちから連絡するな、情報はまとめてから河原崎に直接報告する」  通話を切り、煙草に火を着けた。これから行く店は、火気厳禁だから今の内に吸 っておく。  オペレーターは代弁者である。しかし、催促の内容からすると河原崎本人からの 物でないと分かる。それが余計に腹立たしかった。何処の誰だか知らないが、何故 ここまで、この一件に執着しているのか。河原崎も、そして“組合”自体も。  その、最初の一歩となるべき鍵を握るハッカー、CrackerImpの正体も 具体的な居場所も、今だに不明のままだ。と言うより、何処から手を付けるべきか も、定まっていなかった。  本来なら、輝紫桜町にもっと出向くべきだが、あれだけ派手にやった後と言う事 もあり、動き難い状態だった。警察の介入も日に日に増している。  クライアントと揉めた果ての殲滅行為。それが今回、俺のしでかしたペナルティ と“組合”は評価しているらしい。結果だけを見られた、不条理極まりない評価だ った。  庇護が過ぎるのも、あらぬ誤解を呼び寄せるだろうから。河原崎も今回は沈黙し ている。それは構わない。それもあって、今回の事件調査を俺にさせる事で挽回の チャンスを与えた。そんなところだろう。  何にしても、今の俺は“組合”の中の――はぐれ者である。  それならそれでいい、評価ばかり上げられて、割に合わない任務で期待される状 態も面倒だからな。  足元に落とした煙草を革靴で磨り潰し、安田が経営している銃器店の一つである “パラヴェラム”へ入る。  店内はローズウッドを基調としたシックな造りになっていて、壁に飾れた偽銃は 黒いダクトレールに配置されたスポットライトに照らされて壮観だった。  本来、他国の銃器のコピー品など、ご法度な代物なのに、こうもあからさまに販 売する事が、まかり通っているのが、日本と言う国の程度がこの一世紀ですっかり 地に落ちた事を物語っている。  先進国と言われる国がする事ではないが、レトロで質のいい偽銃は海外でも人気 があった。公にはならないが、かなりの需要があるらしい。 「お世話になっております。鉄志さん」  カウンターの店員が挨拶してきた。確かミャンマー出身の青年だった筈だ。銃器 製造のノウハウを学びに日本に来て、二年ぐらいだったと聞いている。 「安田はいるか? って聞くまでもないか、あの出不精が」 「どうぞ」  カウンターの中へ入り、バックヤードを通って地下の工房へ降りていく。店の商 品として並ぶ物は、俺から言わせれば、玩具の様なものだった。見た目こそ立派な 銃器ではあるが、出来て三点バースト程度で、売っている弾丸も殺傷力の低い物ば かりだった。  偽銃の面白いところは、デザインこそ何世代も前の銃器だが、オリジナルの性能 や特徴とは――違う作りになっているところだ。  民間向けに低威力にする事も、逆にオリジナル以上の性能や、短所の克服も職人 の腕次第でコントロールされている。  地下はこの店の敷居よりも広く、一般に販売できない銃器や、それを弄り倒せる 安田の遊び場になっていた。  分厚い二重扉を開けた途端に、嗅覚を刺激する火薬と鉄、オイルの匂いは、上の 店とは別世界だ。これだけで戦場にいた頃の、駐屯地や野営地を思い出す。  工房の隅の方から聞こえる物音の方へ向かうと、安田がなにやら機械弄りをして いた。集中していて、こちらに気付かない。 「おい、安田」  俺の声にしゃがみこむ安田の身体がビクリと反応して、工具を落とす。耳障りな 金属音が響く中、安田はこちらを二度見した。慌ただしい奴だ。 「ああ、鉄志さん。どうしたんですか? こんな夜に」  安田は弄っていた機械に、そそくさと布を被せて立ち上がる。見られて困る物な のか。なんとなく、行動に違和感を感じた。 「どうしたって、今日行くって昼に連絡しただろ」 「あぁ、はいはい、そうでしたね」 「装備を揃えたい。見繕ってくれ」 「新しい仕事ですか?」 「いや、延長戦だよ。念の為、手元に装備品を置いておきたくてね」  安田は作業エプロンをその場に脱ぎ捨て、両手の油汚れを濡れタオルで拭き取る と、VIPルームの電子ロックに親指を押し当てる。  VIPルームと呼んでいるのは個人的にである。扉が開かれた先は、店の内装は 違う、白を基調とした近代的でシンプルなデザインの壁一面と、ショーケースには 偽銃と密輸された銃器がびっしりと飾られていた。どう言う訳か、この部屋に来る と、何時も胸が躍る。  今日は最悪な朝を迎えた。その気晴らしにも丁度いい。 「林組が壊滅させるなんて、鉄志さんは規格外ですね」 「俺は巻き込まれただけだよ。林組をやったのは、ホテル側にいた何かの仕業だ。 一体、どんな手を使ったのか」  当然だが、ホテルでの襲撃事件はネットニュースでも、大々的に取り上げられて いて、多くの者達の間で周知の事だった。  その後も警察の調べを“役者”に流してもらい、現場の状況は把握してたが、今 だに全容が見えてこない、不思議な状況だった。 「グロックの調子はどうですか?」 「悪くない、使い易いよ」  それとなく答えておいたが、背を向けて作業する安田の、変な間に違和感を感じ た。話題も急に変えてきたのも余計に気になる。  “グロック34偽銃”に持ち替えたのはつい最近だった。安田の提案である。  俺の手癖に合わせて軽量化されたスライドに、帳尻合わせの重りでアンダーレイ ルを装着させ、十九発式のマガジンを円滑に装填できようマグウェルも装着してい る。シンプルだが、よく考えてカスタムされていた。 「それはよかった。それでは、今日はどんな物を御要望ですか?」  安田はガラス張りのショーケースの上に敷物を敷き、注文を待つ。 「長物が二丁欲しい、カービンサイズで精度の高い物、あとは装甲破りに適した物 が欲しい」  今の仕事に必要と言う訳ではないが、今回の一件を経て、この国の裏社会でも備 えは必要だと痛感した。  戦場の兵器レベルとも言えるサイボーグが、民間企業まで下りてきていると言う 事実を、把握できてなかったのは、迂闊だった。河原崎の警告もしっかり受け止め ておけばよかったと後悔している。 「それなら、丁度いい業物を仕入れてますよ」  壁に飾られた無数のライフルを他所に、安田は足元に置いてある厳ついケースか らライフルを一丁取り出し、ショーケースに敷いた敷物にライフルを置いた。  「M4A1ベースのカスタムモデル。ガンバレルはその道三十年の職人の手製、ハ ンドガードは軽量合金にハンドストップ型フォアグリップ。弾倉は強化樹脂のマグ プルスタイル、残弾も一目で分かる様になってます」  手に取って伸縮ストックを伸ばして構えてみる。予想以上に軽いが、造りはしっ かりしていた。弾倉を取り外し、装填から発射までの一通りの動作をしてみる。  安田のくせにと思う所もあるが、絶妙に良い物を提案してくる。戦闘時に、これ を使う際の立ち回りもイメージし易かった。 「悪くないな」 「それは良かった」安田が得意げな表情で言う。「さて、お次は装甲破り。やっぱ り対サイボーグで?」 「“50AE”でも怯ませるのがやっとだった」 「戦闘型のオートマタやサイボーグは基本、人間以上。ってのが原則ですからね」  億劫な話だ、人間以上の対象と戦わないならないのは。その内、俺みたいな生身 は、お呼びじゃない世界にでもなるのだろうか。  そうは言っても、現状でどうにか工夫するしかない。それは戦場でも裏社会でも 同じ事だ。 「そうですねぇ……コレとかどうですか?」  安田は壁に飾ってある銃器を物色した後、少々ゴツい一丁を選んだ。 「M4Super90か」 「セミオートショットガンの傑作ですよ。勿論、偽銃ですけど。ローディングゲー トは装填し易いように少し広めにしてます。コッキングレバーも少し大きめにして 軽く緩めです。ショットシェルホルダーとクイックホルダーも標準装備」  こちらも一通りの動作をやってみる。確かにコッキングが驚くほど緩い、かなり クセを感じる。本体を裏返し、実包を装填するシミュレーションもする。  なるほど、早く沢山撃つ。その事に特化させている訳だ。使いこなせればの話だ が。その点に関しては、俺は手慣れている。それでも、これは少し練習した方が良 さそうだった。ここ数年、ショットガンは使っていない。 「そして決め手になるのは、この実包。通称、“鉄弾き”。鋭利で大粒な鋼鉄の飛 礫が三つ入ってます。防弾ベストもズタズタになりますよ。怯ませるなら充分、貫 通するかは当て所次第ですかね。あまり散弾しないので、しっかり狙って下さい」  やはり絶妙だな、こちらの要求を全てクリアして提案してくる。安田は本気さえ 出せば、間違いなく一流だが、それは相手が“組合”の人間である、俺だからなの だろう。  業界からは相手によってコロコロと態度を変える適当な姿勢が煙たがれている。  “落ちぶれ三代目”、“恥知らずのガンスミス”そう呼ばれているそうだ。しか し、俺はそうは思わなかった。  そんな前情報から誘導される第一印象など、俺は信用しない。人の能力とは気質 から成る物が存在する。そう成るのに理由がある。それを知った上で判断するべき なのだ。  その上で、安田にはやはり適当なところが確かにあるが、それを補えるだけの仕 事をするなら、俺は大目に見る事にしている。  勿論、それに見合わなければ、償いはしてもらうが。 「光学サイト、付けますか?」 「自前のがあるからいい。とりあえずスペアも兼ねて二丁づつ買う。弾薬、弾倉も 常に常備しておいてくれ」 「毎度あり。請求は何時も通り“組合”さんでいいですね」 「弾代ぐらいは払ってくよ」  マネークリップで束ねた万券をポケットから取り出し、数枚ほど多目にして安田 に手渡した。  評価の良し悪しにもよるが、俺は“組合”にあれこれ請求しても、却下される事 は滅多になかった。今回も、おそらく大丈夫だろう。 「了解です、じゃあ、準備しますんで少々、お待ちを」  安田が奥の方へ行く。とりあえず、こちらの用事は終わった。後はこの隙に、安 田の隠し事を暴く事にしよう。  部屋を出て、工房スペースに置いてあった、安田が弄っていた機械の元へ行く。  あの慌て方、そして会話で感じた違和感。おそらくはどうでもよい事だと思われ るが、俺の仕事や、例のホテルの話で特に違和感を感じたのがひっかかる。  被された布を取ると、異様にガッシリとした飛行型ドローンがあった。ただのド ローンじゃない、厚手の装甲に機銃まで積んである。  それを見た瞬間、頭の中の靄が晴れる様な気がしたが、それでも合点のいかない ものも残っている。  それをハッキリさせなくては。どうやら俺とCrackerImpの間に、安田 が絡んでいるらしい。 「鉄志さん?」  丁度いいタイミングで安田がやって来た。 「お前、ドローンも販売するのか? それにしても物騒なドローンだな」  しゃがみ込んで、ドローンを眺めながら安田に尋ねた。下部に搭載された機銃に 触れてみる。銃口の焦げ付きは中々の物だ。相当派手に、弾倉尽きるまで撃ち続け ていた事がわかる。 「まぁ、こう言うジャンルにも手を出してみようかなと……」 「なるほど、確かに、これなら楽にやれそうだ。ホテルの最上階にいるヤクザ共を 一掃するのも……」  安田の目は明らかに泳いでいる。声色は平常を装うとしているのも感じ取れた。  さぞかし、凄惨で無慈悲な光景だったろう。ヤクザ共は成す術なく、次々に撃ち 抜かれていった筈だ。 「警察は入り口から数人が押し入って銃を乱射した。と言う事で片付けるつもりら しいが、死体のほとんどは入り口方面に寄っていた。普通なら入り口から来た連中 を避けるため窓側に寄る筈なのに」  あの夜、混乱を極めてたホテルの前で“役者”から得た情報の段階で、ずっと感 じていた違和感。今はこの手があったかと、実に痛快な気分だった。 「割れた窓の破片が外ではなく、部屋に散らばっている、飛び散っていた薬莢も窓 側が多い。このドローンが外から襲ったなら、全て説明がつくな」 「あの……鉄志さん、これは……」 「別にいいだ安田、お前が何を作ろうと、誰がコレを使おうと。今ここで俺に話し てくれれば、それでいいんだよ」  安田は何か弁解しようとしたが、その言葉を遮る。それは俺の聞きたい言葉では ないと言う事は、分かり切っている。  立ち上がり、煙草を吸う事にした。煙草の箱から一本取り出そうとすると、安田 は何かを言いたげな顔するが、それを無視して火を着けた。 「あの、勘弁して下さいよ、顧客の情報はいくら鉄志さんでも、お話しはできませ んよ」  安田の声は僅かに震えているが、これは意外に思えた。相手を選ぶ様な奴だ、簡 単に話すと思っていたのに。  商売人の意地か、それとも、密告による報復を恐れているのか。 「見上げた心がけだな、感心するよ。なあ、安田、俺が“組合”で何て呼ばれてい るか知ってるよな?」 「DOUBLE KILLER、ですか」  安田の口から出てくる、俺の通り名。聞いておいてなんだが、間抜けな名前だな と、この歳にもなると思えてくる。  この通り名を、誇らしく思ってた時期があったのも、今となっては物悲しい。 「必ず二発で殺す殺し屋、だそうだが、実際は嘘だ。確かに常々ダブルタップを心 がけてるがね。でもやろうと思えば、一発でも殺せるし、不必要でも十発以上撃ち 込む事もある。それは全て、俺の気分次第だ」  基本や基礎として教えられた事を、ただ実践し続けてきただけに過ぎないが、そ れでも秦から見ると、相当リズミカルで徹底した立ち回りに見えているそうだ。  しかし、あくまでも自分の中で定めてる基準に過ぎない。だから、必ず、と言う 言われ方が、嫌いだった。  俺自身に大した拘りはない。そう、状況と気分の折り合い次第である。 「俺が今、どんな気分か、分かるか? 安田……」

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