4.― PORNO DEMON ― 十一月の秋空、巻雲漂う薄い水色の空から木漏れ日が差し掛かっている。きっと 世間様ではこう言うのを、爽やかな午後とでも言うのだろうが、俺は落ち着かなか った。 歓楽街の下品で眩いカラフルなネオンライトの夜と、ビル陰に淀む灰色の昼間が 俺の知る世界だ。他の世界への憧れや興味は、とっくの昔になくなっている。 一度、地獄に堕ちたら、それっきり。抜け出す事は出来ない。 そんなクソ卑屈な思考に負ける事なく、昼間はハッカー、夜はビッチな商売に勤 しんだ日々を、相も変わらず送っていた。 森林公園のベンチに座り、補助端末のモニターを眺めている。様に見せかけてお いて、実際はこの公園の目の前に聳え立つ、高層ビルに向けて飛ばしたドローンの 映像が俺の視界を埋め尽くしている。 飛行型ドローンの視界をミラーリングするのは好きだ。ありきたりな言い方にな るけど、本当に空を飛んでいる様な気分になれた。外付けの下手なVRデバイスな んかよりも、遥かに高い挿入感を得られる。一緒にドラッグもキメて飛ばせば、チ ープで極上なアトラクションさ。 今、飛ばしているドローンは特にお気に入りだった。八種類のカメラとセンサー を蜘蛛の頭の様に装着させ機動力も抜群にいい。偵察と探索、そして分析に特化し たドローンで、安直に“エイトアイズ”と呼んでいる。 俺の脳裏に映る、三十階建ての高層ビル、アクアセンタービルこそが、その調べ 物のターゲット。いや、まさに答えが存在する場所だった。 此処が荒神会と、人身売買シンジケートにおける、日本の本拠地だと言う事は間 違いない。 林組から根こそぎ奪った情報を得る少し前ぐらいから、此処じゃないかと踏んで はいたが、林組から得た情報が決め手になった。 そして何よりも問題なのは、俺のスキルを以てしても、まるで侵入する事ができ ない。一般企業とは思えない程の大袈裟過ぎる――鉄壁のセキュリティ。此処が答 えだと、何よりも物語っていた。 既存のネットワーク越しからでは入り口も裏口も見つからない。おそらく独立し たネットワークを構築して、全ての情報もシステムも、あのビルの中に隔離してい るのだろう。抜け道もあるかもしれないが、ないかもしれない。なんにしても、そ れを探すとなると、何か月もかかる。 残された手段は、あの建物の中でサーバーに直結した何らかのデバイスからアク セスする方法が現実的だ。 または、今ドローンの目が捉えている、あの場所。アクアセンタービルの二十九 階にあるサーバールームに何からの細工をするか、自ら直結するしかない。あのビ ルに侵入するしか方法がない。 悔しいな、何をすべきか分かっているのに、その方法が分からない。 なんとかして、あのビルの二十九階に入り込めないだろうかと、そんな事を考え る間もなく、ビルの屋上から警備ドローンが三台向かって来る。 不審なドローンに向かって、お構いなしに体当たりしてくる奴等だ。盗撮に盗聴 だけでなく、爆弾を積めば立派なテロ兵器にもなるドローンだ、良いとこの企業や 御上の施設なら大体配備されている。 一直線に突っ込んでくるドローンを寸前でかわす。俺のエイトアイズは盗品でな く、ゼロから作ったドローンだ。高くついたが、性能はズバ抜けている。宙返りも 捻りも、錐揉みも自由自在だ。 安いプログラムとカメラしかない警備ドローンや、目先と指先のコントローラー 捌きでは、人間の脳の情報処理の速さに繋がっているドローンの反応速度には、遠 く及ばない。とりあえず、森林公園とは反対方向へエイトアイズを飛ばして、待機 させておこう。 腕に差し込んだ補助端末からのコネクターとメモリーを引き外し、視界を元に戻 す。単色の景色をフルカラーへ戻すと、公園は相変わらず、穏やかな木漏れ日と共 に紅葉交じりの深緑で満たされていた。 外したメモリーを眺める。この味気ない、ライターサイズの黒いメモリーの中に は、今までに手に入れた荒神会や林組のデータをまとめてある。いずれはクライア ントさんに渡す大事なデータだ。肌身離さず持っているのが安心だった。 メモリーを強く引っ張り、パキッと二つに切り離す。一方を反転して再びくっ付 ければ、プロテクトがかかる様に細工してある。 これに気付かないで接続すれば、その端末も中のデータも、破壊される仕掛けに なっている。 メモリーをズボンのポケットにしまい、前髪を掻き上げて、視線を上に向けなが ら溜息を一つ吐き出す。 アクアセンタービルの二十階付近を、今だに警備ドローンがグルグル巡回してい た。ここからじゃ黒い点にしか見えない。 さて、どうしたものか。いや、どう忍び込むべきか。煙草を咥えて火を着ける。 また身の丈に合わない事を考えている。映画の世界の凄腕のエージェントでも目 指しているのか、俺は。 それでも考えずにはいられない、人間の脳など、そんな物なのか、それとも単に 俺の性分なのか。――答えが欲しい。 周りに視線を移す、広場の方にはワゴン車が二台、珈琲屋とサンドイッチの移動 販売が陣取り、スーツ姿の連中で賑わっている。丁度、昼時になると、アクアセン タービルで働いている連中が、ここで食事と休憩をしている。最近、ここには頻繁 に足を運んでいたので、なんとなく分かる様になってた。 皆、同じ格好で同じ物を食べ、同じ様に笑っている。俺は上手い具合に、この場 に合う形に化けているのだろうかと、ふと思う時がある。 演じるのは得意だ。だから輝紫桜町には縁のなさそうな、ストレートの男性の形 を作る事は、それほど難しくはない。内心、窮屈を感じる事以外は。 本来なら周りの目なんか気にせず、気兼ねなく振舞うが、やはり今は目立たない 方がいい。周りの連中に合わせた雰囲気が必要だった。 俺にとっての落とし処となった、“本質”が分かった時から、俺の在り方は少し づつ変わっていった。 自分を男性と認識こそしているが、それも次第にどうでもよくなってきた。どう やっても、偏りが生じてしまう環境の中で、俺は常にフラットは位置に自分を置い ていたかった。 そう言う意味では、HOEで男ばかり相手してるのも、輝紫桜町の外では周りの 目を気にして、男寄りにしている今の俺も、矛盾を感じる。つくづく、複雑な自分 自身に気が滅入る。 何時からだろうか、輝紫桜町の外を歩く時に、目に見えない疎外感を敏感に感じ る様になったのは。外の人の目に変な警戒心を抱く様になったのは。 何時からだろうか、あんなに大嫌いだった地獄に依存する様になったのは。
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