作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

9.― PORNO DEMON ―  いい景色だな、丁度、風も落ち着いてきて気が休まる。と、悠長に夜景を楽しむ にはイカれた状況だ。今のところ下の方に騒がしさもない。ホテルのシステムは乗 っ取ったままだ。  今、この建物の全ての電子ロックは閉ざされ、すべてのシャッターが閉じ、通信 もシャットアウトされている完全な孤立状態。警察が来たところで、入口で数時間 はもたつく状態だ。  焦らない程度に程よく時間を使える。林組とのクソみたいな仕事の仕上げに取り 掛かる事にしよう。  竹藤の死体をソファからどかして、うなだれる松田の前に運ぶ。松田の前に奪っ たノートPCを見える様に置いた。PCには解いたブレスレッドのコネクターを接 続してある。  腰に付けていた補助端末も起動して、下部からコネクターを引っ張り出す。 「松田さんもイジワルだよねぇ、こう言う時は他人行儀だなんて、俺の事、隅々ま で知ってるくせにさ……」  ソファに腰を掛け松田を見下ろす。つれない態度は別にどうでもいい。どうして も理解できないのは、散々舐め回して何度も貪った相手に対して、平気で銃を向け るその感覚だった。  客とHOEの関係だとしても、無情過ぎる、これだからヤクザは嫌いなんだ。 「素直に二〇〇万払えば、こんな事せずに済んだのに……」  左腕の袖を捲り、PCと補助端末から伸ばしたケーブルのコネクターを前腕部の 裏側に埋め込んであるポートへ差し込む。その瞬間、接続した端末の情報が頭に一 気流れ込んでくる。頭痛の元でもあるが、この感覚が中々快感だったりもする。  松田を見下ろす視界に被る様に、PCの情報がモニタリングされた。先ずはオン ラインの履歴と並行して、あらゆるログデータにも探りを入れる。 「何が起こった? 何をしてるのか? こっからの作業は地味で暇だから。教えて やるよ」  補助端末を床に置き、ソファに脚を組んで深く座る。安物ライターは珍しく、素 直に煙草に火を着けてくれた。  暇とは言ってみたが、実際には頭はフル回転している。かと言って無言で作業す れば、その分、速くなると言う訳でもないし、それ以上の集中は負荷が酷い。少し 気を紛らわすくらいの、別の事をしていないと、どんどん作業に引き込まれて行っ て、結果ダメージになるのだ。 「そこに転がってるサイボーグ、あれと同じさ、俺もサイボーグなんだ。笑えるだ ろ? 輝紫桜町のポルノデーモンが、機械仕掛けになっていたなんてさ……。しか も、その辺のサイボーグなんかよりも、ずっと質が悪い」  煙草を一筋吹く。松田は虫に息だが俺の話を聞いている。  サイボーグと言う技術は元々、様々な理由で身体の一部を失った人達の為の技術 だ。とは言え、技術なんてものは高まれば高まる程、本来の用途とは異なる、血生 臭い事にも利用されるのが世に常だ。そこでスクラップになってるサイボーグがそ の例だ。  そして俺が、そんなサイボーグよりも質が悪いのは、今の時代でも、超えてはな らない一線を越えてしまっているからだった。 「昔さ、とんでもないトラブルが起きてね。頭に弾丸を三発食らって、脳死したん だ。左目も派手にぶっ潰れたよ……。数日後、目が覚めたら、損傷した大脳の一部 が機械に挿げ替えられていた。強制的に蘇生させた大脳に直結させたのは、恐ろし く高性能な電子計算機と自律思考型のAIが二機。それが思考と記憶を復元させた 状態で、俺は生き返った」  今でもハッキリ覚えている。目が覚めた時、自分の物じゃない目が見た違和感だ らけ自分と、それを得体のしれない誰かが、俺だと認識させようとしている一連の 処理を。その時の混乱が引き金になって右目の人口眼球に血液が漏れて変色した。  幸い見た目だけで、視界には何一つ支障はないが、それは、今までの蓮夢ではな い――今の俺になった瞬間だった。  不意に思い出した記憶を閉じて、意識をPCへ戻す。オンラインの履歴から探し ていた、お目当ては見つかった。林組の使っている秘密口座だ。この手の連中は口 座を作れないから、別物に上手く化けている。  幾つか口座を持っているのだろうが、流石に全てを漁る時間はない。履歴から見 て利用頻度の多いものに目星をつけた。 「ある時、ふと思ったんだ……。俺の頭の中には、こんなに優れたコンピューター が入っているのに、それをオフラインで俺を生かす為だけに使ってるなんて、宝の 持ち腐れなんじゃなかってね。わかるだろ? 輝紫桜町で生きるなら何でも利用し なきゃ生きていけない。そう言う貧乏性がね、ちょっとしたアイディアを思い付い た」  生かされた事を、命拾いした事を呪いたくはないが、たかだか歓楽街のHOEの 命を救うには高すぎる値のパーツの数々。何の価値もない、こんな俺なんかにと。  それでも、腐って塞ぎ込んでもいられない。何であれ、俺がこうなったのは、紛 れもない現実だったからだ。  あの頃は焦っていた。今もそれは変わらないが、今の自分に相応しいだけの価値 を作りたかった。 「改造したんだ、色々とね。自分の脳を外へ解き放つ為に、目や一部の骨に、外部 機器と直結できるデバイスや送受信機を埋め込んで……。今の俺は、世の中の全て のデバイスに侵入できる。ほぼ無制限に、有線でも無線でも、思いのまま」  煙草から煙草へ火を移し、吸い殻を捨てる。仕上げの作業も順調に進んでいた。  光速にも思える様な、膨大な二進法の羅列を瞬時に理解できるなら、暗号化もプ ログラム言語も意味はない。並のハッカーが数週間は費やす地道な探りも、遠回り しながら見つけるの裏口も、俺は感覚的に〇と一をかき分けながら、必要な一と〇 を拾い上げるだけで目的を果たせる。  漁っていたログデータからも、お目当ての情報も手に入れた。 「ドローンは手足の様に操れる。サイボーグは内側から破壊できる。そしてお前等 の口座にアクセスして有り金を奪うのも訳もない」  松田は勝手に動き続けるPCに釘付けになっている。  林組のオンライン口座に正規ルートでアクセスした。探っていたのは林組の秘密 口座とログインに必要なパスワードの類。落ち目のヤクザでも、金がないなんて事 はないんだ。  とは言え、口座の総額は二〇〇〇万そこらだった。一部の資金だろうが、シケた 額だな。  龍岡への残りの借金と、この補助端末の製作費、そして事前に作ってある、複数 の海外の架空口座への振り込み巡回でかかる手数料を差し引いて、ギリギリと言う 所か。 「金も払わない上に殺そうとした、そのペナルティーとして全部もらっとくよ」  そう、ペナルティーである。俺にはこれをやる権利がある。当然の対価だ。Cr ackerImpは言われた通りの仕事をキッチリやった。その行為を踏み躙った 上に、殺されそうになったんだ。  そして、このトラブルを俺は切り抜けたのだ。自分の命を守る為に。だからこの 非道徳な行いには罪はないんだ。そう自分に言い聞かせた。  ここからは少し意識を集中させる。二〇〇〇万を細かく不均一に五等分して、各 架空口座へ送金する。  明日はそれぞれ、その口座から他の口座に送金して万が一の追跡に備える。金の 洗浄と言うヤツだ。  後は、数日かけて龍岡の口座に振り込めば、めでたく完済するだろう。  自分の口座にも少し入れたいと言う、邪な欲望もチラッと過ったが、それは堪え ておく。それをやり始めたら、この能力を汚す様な気がするからだ。  俺をこうした龍岡や、輝紫桜町に生きる人達が、俺の死を望まなかった結果が今 の俺であるならば、せめて最低限のモラルは保っておかないと。  この能力はそんな薄汚い欲の為に、利己的な欲の為には使わない。そう決めてい た。  何だってできる筈さ、俺はこの世界のあらゆる中枢神経に、そして心臓部に入り 込んで、思い通りに書き換えて、思い通りに壊す事が出来る。  自分が成ってみて、つくづく思う。大脳の機械化が世界中で禁じられているのは 正解だと。  俺の身体を貪る、汚い金持ち達の様に、際限ない欲望に身を委ねて、世界中を敵 に回し、この世の王に成ってみるのも、やってみる価値はあるかもしれない。  でも、馬鹿みたいだけど、俺はそうはならない。ちっぽけで悪戯者なインプで上 等さ。  どんなにこの身体を汚されても、この心だけは汚せない。時に揺らめく事があっ ても、そう信じて、今まで生きてきた自分の為にも、俺は俺でい続けなくてはなら ないからだ。  送金作業が一通り終わった。ついでに役立つ情報でもないか、PCのあらゆるデ ータを漁り散らす。  林組と荒神会の関係は、単純な縄張り争いや、怨恨の類なんかじゃない。裏で大 きく物事が動きかけている。輝紫桜町の高級クラブで、荒神会の幹部が暗殺された あの日から、今まで巧妙に隠し通されてきた大きな闇が、少しづつ頭を出し始めて 来た。  今、CrackerImpが香港の子から請け負っている依頼は間違いなく、今 までの依頼の中でも、一番大きなトラブルだ。  このぶっ壊れた日本じゃ、世界中の国が札束を見せびらかして、やりたい放題を している。  まあ、政治には全然興味がないから、俺にはどうでもいい事だけど、そのせいで 世界中のきな臭い物が流れ込んでいるのは事実だった。勿論、そのおこぼれに、俺 を含め大歓楽街の輝紫桜町が、しっかりと吸い取って潤わせてもらってる。救いよ うのない地獄さ。  とは言え今、俺の住むこの地で、この街が、世界規模のネットワークで構築され た、人身売買の隠れ蓑と化している。  林組も荒神会も、それに比べれば、ただの下っ端に過ぎないのだろう。その先に 何がいるのか、考えるだけで気が滅入る。  それでも、着実に情報を手には入れている。問題なのは、その先をどうすべきか だが、そればかりは、どうにもならない様な気がしてならない。壊れた国の壊れた 警察や軍で何ができると言うのだ。ましてクライアントの子に、そして輝紫桜町の HOEに。  それでも歩みを止める訳にはいかない。腕が良く、人脈に長けたハッカーは世界 中にごまんといる中で、俺が選ばれた。それに応えたい。   先の見通しなんてつかない。それこそ貧乏人の苦手とするところだ。ならばせめ て、集められる情報を掻き集める事は続けなくては。  遠くの方からサイレンが聞こえてくる。ここに向かっているのだろうか。そろそ ろホテルの異変に気付かれても、不思議じゃないくらいだ。  念の為、今の内にドローンを外へ飛ばし退場させる。自動操縦で帰路へ着くよう にプログラムしてある。  林組のPCの中にある情報も全て奪い取った。俺もまだ知らない、気になる情報 も幾つか手に入った。後日、ゆっくり眺めさせてもらう。結局、林組からは仕事の 報酬以上の収穫を得る事になった。暴力に訴え、野蛮な手段を使う方が、何事も手 っ取り早いと言うのは、本当に皮肉を感じる。理性よりも本能なんて、そんなのセ ックスだけで充分だよ。  煙草を捨てて、ソファから腰を上げる。補助端末を拾い、腕からコネクターを外 す。ケーブルがシュルシュルと補助端末へ巻き戻った。  同じくPCからもコネクターを外す。腕からコネクターを外す時、僅かに骨の奥 でビリっと電気が走る感じがある。時々、それが不快に感じる事がある。  松田は虫の息だが、この調子だと、しばらく死ななさそうだった。気が乗らない が――終いまで面倒見ないとな。  使い道はなさそうに思えたが、腰に手を回しジーンズに突っ込んでいた拳銃を取 り出す。 「松田さん、さっき言ったよね? 上の人間と下の人間って。言っとくけど、お前 等が下なんだぜ。誰のお陰で輝紫桜町に人が来ると思ってんの? 俺達セックスワ ーカーが色欲ばら撒いて人を呼び寄せてるんだ。お前等はそのおこぼれでシノギを してるだけだろ?」  俺も輝紫桜町に流れ着き、飼い犬のHOEだった頃は松田の言う、上と下と言う システムを受け入れていたが、実際は違う。そもそも、そんな物は輝紫桜町にはな い。  欲と業が渦巻いている地獄に、上も下もある訳がない。俺を含めて等しく罪深い だけ。  ただ、何処も一緒で、金を持ってる奴が小賢しく妙なルールと、勝手な価値観を うさるく騒いで押し付けているだけに過ぎない。  悔やまれるのは、その事に気付くのに時間がかかってしまった事だ。そう言うも のに対して、歯向かって、俺達にも価値があると主張できる筈なのにそれをしなか った。現実に潰され、思考が止まっていたのだ  きっと、一番罪深いのは、知恵がない事、知恵を付けようとしなかった事なのだ ろうな。  松田の目に、そして心にも、もはや恐怖や抵抗はなかった。諦めか、思考力の低 下か。それを感じた俺にも迷いが消えていた。引き金を引き、弾ける音が三回、松 田の息の根を止めた。  粉々に割れた窓から入り込む、強めの風に反響するサイレンの音が、少し近づい ている様に思えた。  前髪を掻き上げながら天井を眺める。深い溜息なのか、深呼吸なのかも分からな いものを吐き出して、乗っ取っているホテルのシステムへアクセスする。  この部屋と非常階段までの間の防火シャッターのみを解除した。床に落ちている 誰かのオイルライターを拾い、火を着けてカーテンへ投げ込む。  数分後には火災報知器が反応するだろう。これでホテルのシステム異常の原因は 火災によるものと解釈される。  部屋を出て、非常階段を下る。十五階から黙々と階段を使うのは億劫だが、地下 の駐車場まで直通だった。  非常階段越しにも、客室からのざわつきが聞こえてくる。ドアのロックがかかっ て開かないのだから当然か。蹴破ろうとしているか、乱暴な音も聞こえてくる。  大昔のウイルスパンデミック以降、ホテルの隔離性を高める為に電子ロックの開 閉をホテル側でコントロールできる様に義務化されているそうだ。俺にとっては都 合が良かった。  申し訳ないが、もう少し俺の都合に合わせてもらうよ。七階まで下りた辺りでホ テルのシステムから火災報知器の反応が現れた。今は俺が抑え込んでいる。もう少 し俺が階層を降りた辺りで全てを開放するつもりだ。  階段を下りるペースを上げていき、三階まで下りた辺りで、ホテルの全てのシス テムを解き放つ。その数秒後に火災警報が鳴り響いた。  そこら中から宿泊客の罵声に怒声、悲鳴が飛び交っていた。地獄絵図だな。唯一 開放していないのは、非常階段の扉のロックだけだ。  やっと地下駐車場まで辿り着いた。呼吸を整えて、安堵に浸りながら愛車のバイ クまで向かう。  そそくさとバイクのサイドバックに拳銃や補助端末を放り、ジャケットのジッパ ーを首元まで上げて、ヘルメットを被る。  エンジンから容赦ない爆音が鳴り響いたタイミングで、駐車場のシャッターも上 げる。  そして、ホテルの全てのシステムを放棄した。勿論、ハッキングプログラムの痕 跡も全て消し去って。  バイクのタイヤが力強く、地面を切り付けて飛び出す。スロープを上がり切って 地上へ登り出た。  広がる視界の中で、ホテルの正面には既に野次馬とそれを抑える警察がいた。  向かいから迫る、パトカーと消防車を何食わぬ雰囲気でかわす。  脳の機能を通常へ戻し、無線シグナルも閉ざした。妙な解放感と共に疲労感が押 し寄せてくる。可能なら、直接脳に指を当てて、揉み解したい様な、そんな気分だ った。何時もの頭痛がやって来るのも時間の問題だろう。  大金も手に入った。仕事も一つ終わり、もう一つの仕事だって前進した。にも拘 らず、俺の気分は沈んで行く一方だった。一体何時から、こんなにも弱くなってし まったのか。この数年で明らかに心の擦り減り方が違う。  これは時間が解決してくれるものなのだろうか、それとも何かで紛らわすか。何 がいい。  何時もより高い酒でも浴びるか、分量なんか無視して、手当たり次第にドラッグ をキメるか、それとも、その全てをやった後で、その辺の安っぽい心に――身体を 委ねようか。  夜もぼちぼち深まってきた。輝紫桜町はこれからがお楽しみの時間だ。あそこな ら何でも揃ってる。より取り見取りの業と欲に塗れてしまおうか。  疲れた、もう戻ろう、根城の地獄へ。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません