「ちょっと、ちょっと!」 奥から聞こえた声で、男共の手が寸前で止まった。 「お兄さん方、その子どう見ても素人さんじゃない。良くないなぁ、金掴ませて何 かあったら同意の上とか言うつもり? クソだね」 声の主はそのままズカズカと三人の間に割って入ってきた。迂闊に思える、囲ま れてしまっては不利な状況に陥るのに。 声の感じから、やはりとは思ったが、輝紫桜町の入り口前で私に忠告をしたポル ノデーモンと呼ばれていた男だった。 右手に煙草を持ち、相変わらず相手を舐めてかかる様な生意気な笑みを浮かべて いる。 「出しゃばってんじゃねぇぞ、クソオカマが」 私に触れようとした男が立ち上がり、ポルノデーモンの胸ぐらを掴んでドスの利 いた声で凄む。ポルノデーモンの容姿は三人の男達と比べて余りにも華奢だった。 どう見ても、不利で無謀なその状況を、彼は理解しているのだろうか。 「まぁまぁ、そう熱くなるなって。若い子がお望みなら、いいお店を紹介してやる よ。それとも、いけるクチなら俺がお相手してやろうか? ま、お前等のナニなん て、無駄な贅肉に潰れたウィンナーみたいで、つまらなそうだけどな」 ポルノデーモンの言葉が言い終わるか否かの、その瞬間、男が逆上するのと同時 に、ポルノデーモンの目付きも一気に殺気立ち、豹変した。 後頭部を掴み、ポルノデーモンの頭突きが男の鼻っ柱に直撃する。間髪入れずに 後ろの男の顔に向けて煙草ごと右手で鷲掴む。 二人がのけ反り怯んでいる隙に、もう一人の男に掴みかかりると、膝で鋭く腹部 に何度も打ち付けて反対側へ放り投げ、もう一人と共に倒れ込む。 重なって倒れている二人の男達の顔面目掛けて、ポルノデーモンは長い脚を何度 も振り下ろして踏み付けた。厚底のブーツで一切の情けも容赦もなく、踏み付けら れる男達の顔がみるみる赤黒くなっていき、戦意を失ってく。 ポルノデーモンは顔を上げ、一息吐いて呼吸を整えると、潰された鼻を抑え、そ の凶暴さに恐れている男の方へ、ポケットから取り出したバタフライナイフを、こ れ見よがしに羽ばたかせて近づいていく。 男は咄嗟の抵抗で手を出すが、ポルノデーモンは躊躇なく、その手をナイフで切 り裂く。男は叫ぶが、その声もポルノデーモンの肘で首筋を押さえ付けられ遮られ た。ナイフは男の股間へ突き立てられている。 ポルノデーモンは華奢な容姿に軟派な態度とは裏腹に、相当喧嘩慣れしていた。 「舐めてるの? この輝紫桜町で俺達プロを差し置いて、素人なんかとタダでヤる とか、在り得ないから」 私は依然、意識を集中させる事も、身体を動かす事もままならない状態で、ただ 男を押さえ付けて、ギラついた笑みを浮かべるポルノデーモンを見上げてるしかな かった。 突き立てたナイフを男のベルトに置く様に差し込み、右手で男のポケットを手探 り、財布を取り出し横目で中身を確認してる。 「免許証あるね。これでお前の正体は直ぐ分かる。今度、詫び入れに来れば勘弁し てやるよ」 ポルノデーモンは、男の財布を自分のポケットに突っ込むと、再びナイフを握り 締め、そのままシュッと引いて、ベルトを切り落とした。 男の方は完全に怯え切っていた。蚊の鳴く様な、体格に似合わないか細い声でひ たすら、すみません、を繰り返していたが、ポルノデーモンはお構いなしに、話を 淡々と進めていた。男の首を絞めてた肘を緩め、そのまま後ろ髪を掴み男の耳元に 顔を近づけた。 「でもバックれてみろ、何処にも行き場ないとこまで追い詰めてやるからな」 ヤクザの恐喝にも負けずとも劣らない見事な手際の良さだ。喧嘩の立ち回りとい い、脅し方といい、ポルノデーモンからはこの手のトラブルに手慣れている雰囲気 を感じた。 「その後は、タップリと俺がお前を犯してやるよ……」 そう言うとポルノデーモンは男の頬を、舌を大きく出して舐め上げ、男の恐怖が 絶頂に達したのを確認してから男を解放した。崩れ落ち、おぼつかない脚を必死に バタつかせながら男はその場から走り去っていった。何時の間にか他の二人の姿も 消えていた。 ポルノデーモンは冷めた目付きで、男の後ろ姿が消えるの確認して道端へ唾を吐 き捨てる。 ようやく身の安全を実感できたが、それと同時に自分の不甲斐なさが、じわじわ と押し寄せてきて、情けなくなってきた。 「だから言ったろ、ロクでもないんだって、この街はね」ポルノデーモンが手を差 し伸べる。 「触らないで!」 私は反射的にその手を拒んでしまった。一体何をしているんだ、助けてくれた彼 を何故、拒んでしまったのか。身体の震えはまだ収まらず、塞ぎ込んで身体が縮ま っていった。 ポルノデーモンの足音が遠ざかっていく。流石に見捨てるか、当然だろう。 何もかもに嫌悪感が押し寄せる、最悪の気分だった。 どうにか呼吸を整えて、身体の震えが落ち着き始めてきたタイミングで、彼が戻 ってきた。塞ぎ込んだままの私の傍にゆっくりと何かを置き、何も言わずに数歩下 がった。置かれていたのは缶コーヒーだった。 「飲みなよ、甘いものは気を落ち着かせるから」 ようやく彼の言葉を、しっかりと聞けるぐらいには落ち着いてきた。缶コーヒー の封は既に開けられている。必ず飲めと言う、意思表示なのだろう。 あまりコーヒーは好きではないが、缶コーヒーを手に取り、一口含む筈が、喉が 渇いていたのか、二口目はごくごくと飲んでしまった。ミルクとは違う、柔らかい 甘みが口の中に広がっていく。 「不思議な甘さね……」 「練乳入りの缶コーヒーだよ。ヤバい甘さだろ?」薄い笑みを浮かべながら、ポル ノデーモンは言った。「で、急かすようで悪いんだけど街の入口まで送るよ、アン タが嫌だろうと、この街には“助けたら終いまで”って決まり事もあるんでね」 再び差し出された彼の手を、今度は受け入れる事が出来た。立ち上がり、表通り へ出ると、眩い赤紫の光に包まれた街の歩道を、ポルノデーモンと共に入口の方へ 向かう。 ポルノデーモンは男から奪った財布から、免許証と現金を抜き出して、財布はそ の辺へと捨ててしまった。免許証を睨む、その暗紫色の目は、気のせいかもしれな いが、赤い瞳孔部分が僅かに光を発している様にも見えた。本当に不思議な目をし ている。 そして改めて近くで見る彼の整った顔立ちは、中性的で美形と言う言葉が相応し い雰囲気だった。――彼がそう言う人でなければ、おそらく私にとっても好みの顔 だった。 「ジロジロ見るな、ウザい」 「ごめんなさい。あの……助けてくれて、ありがとう」 そう、私は彼に助けられた。本来ならば、念動力で充分対処できた筈なのに。激 しく心を乱され、パニックを起こし、何一つ集中する事も、念じる事も出来なかっ た。 情けない、これではただの女だ。サイキックが聞いて呆れる。 しかも助けてくれたのが、よりにもよって鼻持ちならない歓楽街の男娼なのだか ら、益々情けない。彼も本心では、ほくそ笑んでいるのだろう。それでも、礼は言 わなければならない。 「別に、助けたくて助けた訳じゃないし。それに、人の事を蔑んでる奴の言葉なん て、何をもらっても嬉しくもないね」 淡々とした調子でポルノデーモンは言うと、免許証と数枚の紙幣をポケットへし まった。見事に私の心は見透かされていた。ハッキリと言ってくれる。 「なら、どうして?」 「街の外の人間がトラブルを起こすと、後で色々面倒が起こる。それが嫌なだけだ よ。それに……」 私は立ち止まり、ポルノデーモンに尋ねる。ポルノデーモンも立ち止まって答え た。ジャケットの内ポケットから、くしゃくしゃになった煙草の箱を取り出して一 本、それを口に咥える。火付きの悪いライターを何度も擦って、ようやく火を着け ていた。 「俺もレイプされた事あるから、相手がなんだろうと、ほっとけなかった」 煙草の煙を一筋吐いて、恐ろしい事をポルノデーモンは淡々と言って見せた。男 性である彼が、あんな目に合うなんて考えると、いや何一つ想像もできなかった。 私と彼の世界は違い過ぎる。 何を言うべきか言葉も見つからなかった。しかし、一つだけ矛盾を感じた。 「それでも貴方は、その……」 「そうだよ、男や女の前で裸になって身体を売ってる、それが何か?」 何一つ、臆する事も恥じる事も、微塵も見せないで堂々と彼は言ってのけた。未 成年の女性に対して、生々しくて遠慮のない言い方をする。 「辛くないの?」 ポルノデーモンはやれやれと言った調子で軽い溜息をついて、再び歩き出した。 さっきまでは私の歩幅に合わせて歩いていたが、今は遠慮なく自分の歩幅で歩い ている。 「お仕事だからね、辛い事もあるよ。悔しかったり、恥ずかしかったり、苦しかっ たり、痛かったり、でもね、気持ち良かったり、安っぽくても、心を満たされる事 もあるから、厄介なもんだよね……。結局、俺はセックスとヤクが大好物なビッチ なのさ」 ポルノデーモンの暗紫色の目は、鋭く私を睨みながらも、その口元は挑発的な笑 みを浮かべている。私が彼の一言一言に、驚愕してる様を楽しんでいる様にさえ思 えてくる。 分かっている。私は彼に対して嫌悪感を抱いている。それが少なからず彼に対し て無礼になっているのも。 それでも、自分の中で折り合いが着けられなかった。これまでの私の人生におい て、教わってきた数々の常識がまるで通用しない。 彼の様な人は本来ならば、決して交わる事のない種類の人だったのに。彼の発す る言葉の一つ一つに、彼が抱えている現実に、私の理解を超えた情報量に、今はた だ翻弄されていた。 「ま、俺もこの街で好き勝手にやらせてもらってる。それと同じで、アンタが俺を 同情したり蔑んだりするのも自由さ。俺はその程度じゃ揺るがないけどね」 ポルノデーモンは立ち止まって煙草を吸う。腕の組み方、煙草を持つ指先の繊細 さは女性のしぐさ、その物に見えた。男性らしさや女性らしさが入り乱れる、混沌 とした姿。 何時の間にか輝紫桜町の入り口前、門の所まで来ていた。彼を追い越し、門を出 て街の外へ出る。体に纏わり付く様な、ケバケバしい赤紫の光は消えて、フラット な街灯の明かりに包まれる。相変わらず人の出入りは激しかった。まるで欲望の渦 に吸い込まれているかの様だ。 私は振り向いて、門の中のポルノデーモンの方を見る。 「アンタが思ってる、真っ当とか普通とか、ストレートだとかなんて、知った事じ ゃないよ、俺のセクシュアルは、全てを愛せるんだ。だから何も恐れる事はない… …。この地獄みたいな街の欲にどっぷり染まって、心を貪る悪魔が俺さ」 門を出た輝紫桜町の外、そこから達観する位置でポルノデーモンを中心に雑多で 猥雑な輝紫桜町が聳え立っている。強烈に印象に焼き付くかの様な光景に思えた。 普通じゃない街で、普通じゃない事を誇らしげに振舞う彼の姿は、普通になりた いと嘆く私とは、あまりにも対照的な存在だった。それ故に、認め難く、許せない 存在にも思えた。 「理解できないわ……でも、貴方は多分、強い人なんでしょうね」 「帰りな、未成年さん。悪い夢だと思って忘れるんだね」 互いの目を見つめ合う、五秒くらいの間の後で、私は歩き出し、輝紫桜町を後に する。横目に見たポルノデーモンは煙草を一筋、空に向かって放っていた。 悪い夢だと思って忘れろ、か。そう簡単に忘れられる様な出来事ではなさそうだ けど。 しかし、それは悪い意味でも良い意味でもない。私はこの夜の出来事を、心に留 めておきたいと思っているからだ。 何故、そう思うのか、ハッキリとした理由はまだ見出せないが、そうすべきだと 直感で感じ取っている。 そして、前向きに考えるなら今日、不甲斐ない失敗をしたのは良い教訓だ。 この一か月、いや数ヶ月。私は念動力を使って戦ったり、破壊したりしていなか った。それとは無縁の、穏やかな時間を過ごしていた。きっと、自分でも気付かな い内に、腑抜けていたのだ。 今の私は緊張感で張り詰めている。先ほどの恐怖心も怒りに変わっているが、そ れでいて落ち着いている。 飲みかけの缶コーヒーを飲み干して、宙へ浮かべる。缶はくしゃくしゃと音を立 てて潰れていき、ピンボールの玉程の大きさになる。念じた通りの形になった。こ れを弾丸の様に飛ばす事も出来るが、人気が多いのでそれはやめておこう。 少々、不本意ではあるが、私の気を引き締めてくれた、輝紫桜町とポルノデーモ ンには感謝しなくては。 そして慎重にと言っていたCrackerImpには申し訳ないが、今、決心が ついた。――明日、荒神会の拠点へ乗り込もう。 帰ったら早速、彩子さんを説得して準備を進めねば。言わなくもいいが、後で面 倒になるのも億劫だ。彼女は既に私の力を充分知っているから、止める事はないだ ろう。 明日から全てが始まる。――邪魔する者は残らず九尾が薙ぎ払う。
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