「それからも相変わらずさ、シオンとの距離が離れた事で、モチベーションも下が って、クスリの量や頻度も増えていった。そんな時、久し振りにマリーに会ったん だ。組織が違っていても、マリーは変わらず俺の事を気にかけてくれて、救われた よ……。街でよくつるんで遊ぶようになっていった。マリーも俺と同じで、父親の 虐待が始まりで、この街に流れ着いた。同性にだけ心を開くマリー。彼女を通じて 俺は、性別を見る事をしていないって初めて気付いたんだ。元からなのか、何時の 間にかなのかは分からないし、周りの言葉に振り回されて、無理してしてきた事も あったけど、やっぱり俺にはシオンはシオンにしか見えないし、マリーはマリーに しか見えない。愛おしくて、想いが溢れれば繋がりたいと衝動に駆られる……」 輝紫桜町に流れ着いて、ここまで立ち止まる事もなく、ひたすら突っ走っていた 様な気がする。 いや、目の前の事で精一杯で、形振り構っていられなかったのは、中学高校も一 緒だった。 この時期ぐらいだった。落ち着いて自分の事を考えたり出来る様になったのは。 「同性にしか心を開かないのに、何故お前には良くしてくれたんだ?」 「分別ぐらいはあるさ、よくは知らないけど、俺には“オトコ”特有の雰囲気がな いから気楽だって言ってた事があるかな……」 バーボンを一口飲んで、包み込む香りと余韻に乗せてあの頃を思い出す。 “オトコらしい”とか“オンナっぽい”ってのが輝紫桜町に来て、いよいよ分か んなくなってきた時期でもある。周りの雰囲気にも釣られてドラァグクイーンな感 じになって“オンナ”に偏りかけてた感じもする。あれがマリーには、よかったの だろうか。そんな訳ないか。 ドラァグクイーンの先輩に言われた事がある。“アンタは女になる覚悟が足りて ない”。そう言われると、その気はなかった事に気付いて、ならどうありたいのか もハッキリしてなくて、ふわふわとしていたと思う。 「マリーが教えてくれたんだ、パンセクシュアルって言葉を。ラベルを嫌う人もい るけど、俺にはそのラベルが凄くしっくりきたんだ。俺は俺でいいんだって、やっ とそう思えるようになった。それからの俺は揺らめく事なく、したい様に振舞って “オトコ”とか“オンナ”の気に入ったものを取り込んで自分を表現する様になっ ていった。“ナバン”に縛られちゃいるけど、心持ってヤツぐらいは自由でいてや るってね」 それまでは、意気がって虚勢を張っていても、どこか中身のない空っぽな感覚が 何時も付き纏っていたが、これ以降の俺は違う。 どんなに否定されようと蔑まれようとも――それが俺、これが俺。 そう、意気がる理由を手に入れたのだ。決して鉄壁でも無敵でもないけど、恐れ はなくなった。 「シオンと金や客の事で揉める事がちょこちょこ増えて行った。負けるのは分かっ ていたから最後には従うけど。アンタの毒は抜けたって見せてやりたかった。ウリ 専の店に飛ばされて、お店のボーイ達と同じ条件で働かされた。格下げってヤツだ よね。そこには“ナバン”のナンバーツーだった奴も在籍してて、最初スゲェ仲悪 かったんだけどさ、色々あって何時の間にか一番仲の良い後輩になって、お店の人 達とも上手くやれて、正直楽しかった。時々シオンのとこ行ってVIPのお相手を して、店で働いて、先輩や後輩と馬鹿をやる。酒とドラッグ、セックスにどっぷり 溺れて、家に帰ればマリーと過ごす。悪くない日々だった。マリーとは身体の関係 はなかったし、そんなもの必要なかったけど、恋人の様な関係になっていた。でも ね、良い時ってのは、そう長くは続かないんだ。正門は閉ざされた……」 美味い酒もいずれ飲み干し、煙草もいずれ灰になる。吸い切った煙草を灰皿へ残 りのバーボンも飲み干した。 あの時は一番、穏やかな時間だったと思う。そこそこの不満と慣れたルーティン ワーク。“ナバン”だけだった俺の世界は、輝紫桜町へ広がっていって、幾つもの 居場所が出来た。――そして音を立てて崩れていく。 「“ナバン”を相手取った戦争だな」 「知ってるの?」 「あの頃、“組合”にもしばしば輝紫桜町の組織から依頼が来ていたよ。権力図が 滅茶苦茶でトラブルの元になるから“組合”は傍観していたがな」 俺が二十五の頃だから、鉄志はその時、三十一か。日本に帰っていた。なんかそ う考えると、変な気分になるな。 裏社会の一流と、歓楽街の日陰者。出会う事なんか、まずないだろうな。 ロクなもんじゃないが、そう考えると俺と鉄志がこうして同じ時間を共有してい るのは、結構な“縁”なのかもしれない。 頭の中で一瞬“赤い糸”を連想してしまったが、即座に削除する。やれやれと溜 息を付いた。 「あの頃に鉄志が来てくれて、全員仕留めてくれてたら、ちょっとはマシだったか もしれないけど……。昼も夜も、スラムも歓楽街も毎日銃声や怒声、叫び声が絶え なかった。“ナバン”が金に物を言わせて事業を拡大したせいさ、他の組織を追い やって、吸収して、保たれていたバランスを壊していった結果だよ。“ナバン”で 働いているってだけで襲われる事もあったし、最悪だった。流通も制限を受けて入 って来ないから、生活も儘ならない。外に出ようとすれば警察が止めて来る。その 時に街を隔離する為に作られたバリケードは今でも残ってるとこもある……」 「確か地下鉄やモノレールも崩壊したままだったな」 「路面電車は独立して街の中で動いてるけどね。マリーのいた組織。“ヴィオ・カ ミーリア”は“ナバン”の幹部だった奴が袂を分かって作られたギャング組織。シ ノギは性産業だけど“ナバン”よりは良心的なところだった。疲弊していく仲間達 を見てマリーが何とかしないと、って俺を“ヴィオ・カミーリア”のボスに紹介し てくれたんだ。“ナバン”の勢いを弱めない限り、終わりがないって。俺なら内部 の情報を抜き取れるとでも思ったんだろう。でも乗り気になれなかった。何だかん だ言っても世話になってたし、シオンに対する情も捨てきれてなかったから……」 歓楽街に行けば“ナバン”のヤツだと執拗に狙われ、炊き出し行けば銃撃戦に巻 き込まれ。今思い出すだけでも結構なストレスを感じる。毎日の様に行き倒れを目 にするこの街だったが、穴だらけの真っ赤な死体や、そうなる過程を目の当たりに する毎日は恐怖しかなかった。 輝紫桜町で、地獄にも色々あるって学んだが、この手の地獄まで味わう事になる とはと、心底疲れ果てた。 そんな地獄が、少しでも早く終わって欲しいと願っていても、俺は決断する事も 出来ず、ひたすら葛藤していた。 「このチョーカー、マリーのなんだ。形見にしてる……」 「それじゃ……マリーは」 「どこの組織かも分からないけど、銃撃戦に巻き込まれて流れ弾にね。ホント呆気 ないよね……。マリーの意思を継ぐ事にした。“ナバン”とこの街の戦争を終わら せる。“ナバン”が不利なる様な情報は“ヴィオ・カミーリア”に流し続けた。そ れだけじゃない、アミールの犯罪歴や不正行為も暴き、所有していた衛星もハッキ ングして破壊した。ロシアや中国が不正に横流しした軍事衛星を使って、アミール はメディア界隈のネットワークで幅を利かせていたって訳さ。両国との繋がりも断 たれ、世界屈指の資産家も、一気に弱体化していったよ……。その時に作ったマル ウェアの名前が“CrackerImp”」 プログラマーになりたい。何となく抱いていた夢は、この輝紫桜町で虚しく叶っ た。邪道なルートを歩んでいく。 「そう言う事だったのか……」 狼狽を顔に漂わせた後、腑に落ちた様な表情をして、鉄志は感心していた。俺が 軍事衛生をハッキングしたのが、デジタルブレイン搭載後だと決め付けていたのだ ろう。 少々の知識と、それができる場所に行ければ難しい話じゃない。ポルノデーモン ならちょろいもんさ、元ポルノスターが直々にまた出演したい。稼がせて下さいと 哀願しただけだ。アミールは当然、俺と話す為にオフィスへ招くし、隙を突いてサ ーバールームへ忍び込んでマルウェアを仕掛ける。 何処かの物好きなハッカーが、その後の一連の出来事を調べていく内に、マルウ ェアの存在を突き止めて、それがそのまま通り名になって一人歩きしていたのだ。 「マリーは、残念だったな……」 「ありがとう。どうしようもなかったって頭じゃ理解してても、俺がもっと早く決 断してたら何か変わっていたかもって、今でも思う」 心にポッカリと開いた穴は二度と塞がらない。時と共に慣れていっても、塞がる 事はない。そこに穴が開いてると再認識する時が一番辛かった。 また無意識にチョーカーに突いたクローバーのプレートを擦っていた。 ここから先を話すのは、なんかキツいな。やっぱり鉄志と比べれば、俺は弱いの かもしれない。 「アミールは終わった。輝紫桜町の外に出たタイミングで捕まった。“ナバン”の 一番の収入源を断ってやった。それからも街中の攻撃を受ける“ナバン”に対して 慣れないハッキングとクラッキングを繰り返して弱らせていった。安物の偽銃を買 って、シオンの所に行く。ケリを着けに……」 マリーの敵討ちなんて感情はなかった。ただ地獄を終わらせたくて、ひたすらサ イバー攻撃を続けていた。気を紛らわしていたのかも知れない。 “ナバン”もボスのシオンも最悪さ、俺の事を散々玩具にして弄んで、どんどん 歪んでいって――別物にされた。 それでも、俺は俺なんだ。俺は俺の一部を殺しながら戦っていた。 心が死に満たされ、慄然とした思考に不快を覚える。手を伸ばして鉄志の手を握 った。突然の事に鉄志はビクリを反応する。頭は沈み項垂れ、今は鉄志の顔を見る 事も出来なかった。 「“もう、やめよう。輝紫桜町と折り合いを付けて、やり直そうよ。ずっと俺が傍 にいるから”って言ったけど当然、聞く耳なんて持ってくれなかった……。シオン も俺と同じで他人の心には敏感な人だった。虜でもない俺の言葉なんて届く訳もな かった。だから……」 ほんの僅かにだが、鉄志の手が握り返してきた。その微かな感触と拒まない鉄志 の手が、死に包まれてしまいそうな思考を繋ぎ留めてくれる。 「振り向いたシオンの真ん中に一発。地面に倒れたシオンを見て、終わったと思っ たよ。でも次の瞬間、感じた事のない衝撃を受けてその場に崩れた。背中や腰に三 発食らっていた。虫の息だったシオンと目が合って、俺もシオンに向かってもう一 発撃った。それからは記憶がない……」 目が覚めて朦朧としている最中“助かったんだ、もう大丈夫”と、俺じゃない俺 が囁いたのをはっきり覚えている。――クソAI共が。 「“ナバン”のボスをお前が……。前に言ってた、頭部を撃ち抜いた三発。お前の 持っている“M93R”は……」 「それからは、前に話した通りさ。“とんでもないトラブル”だよ……」 鉄志の手を離す。自分から言い出した事だったけど、やっぱり過去の話をするの は俺には辛い事らしい。鉄志は悪くないと言っていたけど、俺は思ってた以上にキ ツかったな。紙ナプキンで目元を拭って呼吸を整える。 「蓮夢……」 「愛されたかった人も、愛した人もいなくなった。残ったのは身の丈を超えたスペ ックを持つ違法サイボーグの俺と、借金抱えたHOEの俺。街の様子が変わってい くのを尻目に、相変わらずフラフラと漂ってるって訳さ……」 “ナバン”は去り、街の各組織は再編成され、街を立て直した。その中でも“ナ バン”の下で働いていた人達を守る為、多くの事業を引き継いだ“ヴィオ・カミー リア”は、今や輝紫桜町で最も大きな組織として街の中心的存在となっている。 俺はボスの愛人、ポルノデーモンと言う行き過ぎた存在な上に、直接手を下した 事実も一部に知れていた為、どこも関わろうとしなかった。 変わりに“自由”が手に入った。多少の約束事さえ守れば、輝紫桜町“黙認”と 言う形で、良くも悪くも自由に振る舞える様になった。 好き勝手に稼ぎながら、デジタルブレインの有効利用を模索する為に本格的にハ ッカー業を始め、トラブルを弄んで生きている。 「お前も中々ハードじゃないか」 「行き当たりばったりを、四苦八苦して生きてるだけさ」 「俺に言わせれば立派だよ。逃げずに立ち向かってる」 二つのグラスに漂う溶けかかった氷を捨てて。新しい氷を入れる鉄志を見詰めな がら、煙草に火を着ける。 「鉄志は流され易いからね」 「ああ、ロクなもんじゃない……」 流されてやっているだけ。今ならその意味が分かる。環境なんかじゃない、鉄志 はそう言う人なんだ。みんなの為に、仲間の為にを第一に考える。本人は合理的と 言うが本当のところは、単純な優しさだ。 器が大きい生粋のリーダー気質。――鬱にもなるよ。 今までずっと独りでしょい込んで生きてきた。絆と責任、罪悪感も、自分の心を ないがしろにして。 それなら、誰が鉄志をしょい込んでやれるのか。今まで対等な相手がいなかった のが不味かったのだろう。 残ったライムを絞ったワンフィンガーのジンがグラスの中で揺らめいている。 「互いのクソッタレな人生に……」 二回目の乾杯がそれではシケてるな。 「これからを“しっかり生きる”為に……」 鉄志は一瞬バツが悪そうな顔をしたが、グラスを鳴らして一気にジンを流し込ん だ。俺も一気に飲み干して、煙草と共に余韻を楽しむ。 「CrackerImpってハッカーの自慢はね、一度も仕事をしくじった事がな い事なんだ。当然だけど、この仕事も必ずやり遂げるよ」 「相棒としての務めは果たす。“組合”が望む結果の先にお前が行くなら、俺も付 き合うつもりだ。個人の資格でな」 鉄志が協力してくれるなら、攫われた人達の救出はかなり有利になるだろう。手 伝って欲しいって常に思っていたから。鉄志の言葉が嬉しかったし心強い。 同時に気合もみなぎってきた。鉄志のサポートを相棒である俺がしっかりやらね ばと。 「とりあえず、明日、明後日、鉄志は輝紫桜町出入り禁止。エレベーターの鍵もそ うだし、今日のいざこざの処理もあるから。一段落したら連絡する。それまでに鉄 志はアクアセンタービルの内部を調べ上げて段取りを組んでおいてよ。数日以内に は決行する方向で頼むよ」 「了解、チームリーダー殿……。なぁ、蓮夢」 搾りカスのライムの皮をグラスに一つ入れてジンを注いでいると、鉄志がこちら を見詰めてきた。マジで好みだな、鉄志って。 「お前は俺の心の中にも、入り込もうとしていたのか? “ナバン”から教わった 毒ってヤツで……」 鉄志のグラスにもジンを注いでやる。 「何を今更……。四六時中やってるよ」 「四六時中って……」 「鉄志に限らず誰にでもやる。そう仕込まれて習慣になってるからね。でも鉄志に は入り込めなかった。傷だらけの壊れかけた心は見え難い」 この街の裏路地で、命乞いから始まった鉄志のとの関係。媚を売って色目を使っ て何もかもはぐらかして、互いに都合の良い存在になれればそれでいいって思って いたのに。 機を見図い、身体を重ねてやれば虜にだってしてやれるとすら考えていたのに。 「だから、不本意なとこはあったけど、鉄志とは本音で向き合うしかなかった。そ れを、鉄志は受け止めてくれた。流され易い性分ってヤツでね」 心に入り込むどころか、鉄志の心を自分の心の中に入れてしまった様な感覚。虜 にするつもりが、俺が鉄志の虜になりかけている。 馬鹿な奴だとシオンが地獄でほくそ笑んでいるのが安易に想像できる。ホント馬 鹿だよね。 「今日、楽しかった。ありがとう鉄志」 「まぁ……俺も思っていたよりは楽しめたかな。随分飲んだな……」 ネクタイを更に緩めながら手にした酒瓶は半分以上はなくなっていた。俺も今夜 は随分な酔いを感じている。 けど、もう少しだけここにいたかった。店の方も三次会系の連中で少し賑わいを 取り戻していた。もう少しだけ鉄志と飲んでいたい。 「せっかくだから全部空けようぜ。それとも、もうへばった?」 酒瓶を取り上げて、振って挑発する。赤らむ顔の鉄志も大分酔っているのは分か るけど、この俺と、或いは輝紫桜町の人間と酒を飲むならば、これぐらいは覚悟し て欲しいものだ。 「兵隊上がりを舐めるなよ」 今宵の輝紫桜町も相変わらずの地獄模様だ。ドローンの“エイトアイズ”が捉え る警戒対象が街をうろついて、掲示板アプリの“ヘルアイズ”からは溢れ出るトラ ブルの羅列。それを選定して脳へ流し込むデジタルブレイン。 だとしても、今だけは相棒と時間を共有したかった。明日からまた忙しくなるだ ろうさ。やるべき事はどれもこれも厄介な物ばかりでウンザリする。 だからこそ――どうか、もう少しだけ。
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