10.― DOUBLE KILLER ― 敵の正体を知る事は、己の不足を知れる機会だ。 傭兵時代に誰かが言った、印象深い言葉が頭を過る。誰が言ったかは、もう覚え ていない。 皮肉な言葉だ。敵を知る事は大切な事だが、同時に勝ち目の薄さを知る事にもな ると言う意味だからだ。 ウィンストン記念図書館の地下エリアは“組合”の人間達が利用する拠点となっ ている。情報や多少の武器、長期間、身を隠す為の施設も完備されていた。 その多目的オフィスにあるデスクトップPCには、CrackerImpから手 渡された情報が映し出されている。この一連の案件において“組合”は情報ゼロの 状況だったから、中々有意義な内容だろう。そこで、例の言葉が過るのだ。 敵の正体を知る事は、己の不足を知れる機会だ。 まさか、ここまで大きな組織が絡んでいたとは、流石に誰も予想していなかった であろうから。 「災難だったな、鉄志」 「秋澄《あきずみ》……」 河原崎の秘書を務める、秋澄が両手に持った紙コップのコーヒーの一つを、机に 置く。 災難か、確かに最近の俺を表現するなら、それが適切かもしれない。 オーダー通りの仕事をこなしたのにも関わらず、ついでの様にトラブル処理まで やらされた挙句に、そのやり方が荒っぽいと評価を落とされ、慣れない人探しをす れば、ヤクザと警察のオートマタと派手に撃ち合って。追い詰めたハッカーは男娼 で、やたらと馴れ馴れしく、調子を崩されて。 つくづく、厄介な事に巻き込まれてしまった。 「ここ最近、大暴れじゃないか。爪と牙が生え変わったか?」 元々、爪も牙も生やした覚えもないし、かと言って丸くなったつもりもない。 とは言え、ここ数年の仕事の中で、この短期間に、これだけの大勢を相手に、大 量の弾丸を消費するような案件はなかった。暴れていると言われれば、暴れている かもしれない。 秋澄と俺は幼馴染である。俺達が――唯一の生き残りだ。 傭兵時代に、同じ部隊で作戦に就いていたが、戦場で負傷した秋澄は右腕と右脚 を失い、早々にリタイアした。 それからはデスクワークメインで、情報関係や潜入型の任務でキャリアを積んで いき、今では組合長の河原崎の秘書と言うポジションにまで上り詰めた。 そう言う器用さと幸運は時々、羨ましく思う。 「でも気を付けろよ、鉄志。輝紫桜町は特殊な、言わば別世界だ。昔は“ナバン” の独壇場だったが、今はあらゆる組織が独自のネットワークを共有し合って限りな く一枚岩の状態らしい。下手に目を付けられると、“組合”と言えども対処が難し いぞ」 輝紫桜町そのものが、一つの勢力。秋澄の言い振りからは、そう受け取れた。 もう随分と無法地帯のまま、放置されてきた街だが、それが今だにまかり通るの も、確かに不自然な話だ。裏社会の様々な組織が根城としていて、トラブルがない 方がおかしい。 それが外に漏れないのは、街の中で完結できていると言う事か。あの街が何かと “地獄”と比喩され理由が多すぎる。 不意にCrackerImpの事が頭を過る。そんな異様な別世界で、名の知れ た男娼で、腕の良いハッカー。 どんな理由があるにせよ、ヤツもまた、真っ当には程遠い――はぐれ者だ。 「ところで鉄志、サイボーグはどうだった?」 「どうって、何がだ?」 「最新式のサイボーグと戦ったんだろ? 機械部分の挙動とかどうだったのか、お 前に会ったら、聞いておきたかったんだ」 秋澄は近くにあった椅子を傍に置いて、食い付いてきた。戦闘型のサイボーグな ど、特別珍しくもないのに。 それとも、自分の手足よりも最新のパーツに興味でもあるのだろうか。今更、現 場復帰を考えているとも思えないが。 「生身の腕と変わりない滑らかな動きだった。お前もそうすればいいじゃないか」 「残念ながら、俺のインプラント適合率は四〇パーセント未満で、神経や小脳への インプラントは出来ないんだ……。この腕と脚も、筋肉の動きを外部デバイスが読 み取って補正してるだけ、義手と義足の域を出ない物だ。僅かだが反応に遅れがあ る、慣れる為のリハビリは本当に苦労したよ」 スーツの内ポケットから携帯端末の様なデバイスを取り出して見せた。その類い の物を身体に埋め込む事に、適合率と言う条件があったとは。 秋澄とはそれなりに付き合いは長いが、彼がサイボーグではなく、義手と義足だ った事は今知った。普段の振る舞いからは、何一つ違和感を感じていなかっただけ に、内心驚いていた。 「大変だったな。サイボーグに適合率なんてものがあったのか」 「ほとんどの人間が、三〇から五〇パーセント未満内だそうだ。その範囲内で、ど れだけサイボーグ化できるかを、世界中が競い合っている。稀に八〇パーセントを 超える者もいるらしいが、そういう連中のほどんどは、無茶な試作品の餌食になっ ているなんて、えげつない話もある」 容易に想像がつく酷い話だ。マッドサイエンスそのものじゃないか。 林組の事務所で戦った様なサイボーグ達も、自分の適合率に合わせてアップグレ ードし続けていくのだろうか。――ゾッとする。 「お互い、戦場を離れられたのは正解だな。サイボーグなんて化物、生身で相手す るもんじゃない」 それでも、戦場から裏社会へ降りて来た印象はある。世の中に適合条件を満たす 人間がどれほどいるのかは分からないが、今後の事を考えると、何か対処法を見つ けておかないと。四六時中、ショットガンを持ち歩く訳にもいかない。 「そうだな。おっと、組合長からだ、書斎へ」 「やっとか……」 秋澄の携帯端末が震える。デスクトップの電源を落とし、CrackerImp のメモリーを取り外し。腰を上げる。 メモリーの内容は既に報告済みだが、このメモリーは河原崎から返された。お前 も目を通しておけ、と言う意味だった。予想していたが、俺はまだこの一件から降 りれない。 CrackerImpから手に入れた情報から、林組が裏切ると言う明白な理由 を見出した事で、俺の行動は正当性があり、潰された面子はとりあえず回復できそ うだったが、ここまで関わると引き継ぎよりも継続が合理的だった。 今日、河原崎に呼び出されたのも、そのオーダーを正式に受け取る為なんだろう と、予想できていた。 多目的オフィスを出て、秋澄と共にエレベーターに乗り込んで、河原崎の書斎に 向かう。急な来客か、今日は珍しく待たされていた。 書斎の扉を秋澄がノックすると、古めかしい扉には似合わない電子ロックの解除 音が聞こえ、扉が開いた。書斎は一面が本棚に囲まれ、ローズウッド調のアンティ ークな家具で統一し、落ち着きのある空間になっているが、窓のない部屋は、俺に とっては息苦しく、重々しい印象だ。屋上に設けてある商談スペースの方が好きだ った。 正面の机の前に立つ河原崎は、いやに神妙な表情を浮かべている。 「久し振りだな、鉄志」 声の先には、革張りのソファに腰かける男が一人いた。がっしりした肩幅、アッ シュブロンドの髪。多少癖を感じる日本語。 どこか聞き覚えのある声だった。それも、かなり昔にだ。男がソファから立ち上 がる。こちらを振り向いたその顔を見た瞬間に、瓶から溢れる炭酸水の様に、記憶 が一気に溢れ出した。 「イワン……。イワン・フランコ」 何年振りだろうか、おそらく十三年ぐらいだ。米国の“組合”に属する傭兵。あ の頃、イワンのいた部隊と俺のいた部隊がやたらと組まされていた。お互い、分隊 長の役割で北米方面での作戦に従事していた。 その当時の事で、この男も含めて思い出すものに――良いものはない。 「まだ生きてたんだな。くたばったのは右腕だけか……」 十三年前のイワンとの違い。それは右肩から腕全てがサイボーグ化されていた部 分だ。林組の用心棒とは形状が違う。左腕よりも少し大きく、真っ黒なカーボン素 材を覆う様に、チタン合金と思われるシルバーのフレームが付いている。見た目に は洗練され力強いデザインだった。 「くたばった? 相変わらず下手なジョークだな鉄志、これは、パワーだよ」 鼻持ちならない。林組にいた用心棒もそうだったが、どことなく、自慢気に見せ 付けて来る。パワーがある事は認める。しかし、俺の中では秋澄には悪いが、義手 と同じで補う物と言うイメージが強かった。 それとも、実際それを身に着けると、こんな優越感を抱けるものなのだろうか。 数週間程前から、“組合”の傭兵が日本に入ってきているのは知っていた。安田 に大量発注があったのも、連中の為だろう。 組合長の河原崎と会っていると言う事は、その部隊の指揮はイワンと言ったとこ ろか。コイツも出世したらしい。 「紹介する必要はなさそうだな。まずはご苦労様だったな、鉄志」 「これで終わりって事じゃないんだろ?」 横目にイワンを睨みながら河原崎に言った。その後、河原崎が何を言うのかは分 かっていた。憂鬱になる。 荒神会が、ただのヤクザ組織ではないと思っていたが、外から傭兵を呼ぶ程の事 なのか。 兼ねてから気になっていた事だ。一体ここで何が起きているのか、“組合”は何 を企んでいるのだろうか。 「鉄志、今後はイワン主導の元で引き続き調査してもらいたい。例の企業と他国の 組織との繋がりや流通ルート、“組合”のお偉方が知りたがっているそうだ」 この部屋に入って、河原崎の雰囲気と、イワンの態度を見て、大体の察しは付い ていた。 始めは林組との下らないギャラの揉め事だったのに、CrackerImpから 手に入れた情報で一気に飛躍したな。 日本の“組合”は、まだまだ歴史が浅い。今だに欧米、欧州、中東等の“組合” の支援で成り立っていて、肩を並べるレベルではない。 粋がってみても、昔から変わらず、この島国は大陸の影響には頭が上がらない。 イワンも“組合”の中では、かなり名の知れた男だ。優秀な兵士で、特に白兵戦 においては、無敵と謳われている。 河原崎の言う、お偉方の橋渡しがイワンの役割。俺と河原崎に任せずに、急に入 り込んで来て、仕切って来るとは、余程の案件らしい。 日本の“組合”は結局のところ下請け。この件を“組合”の望む結末に導けたと しても、手柄は全てイワンの物になるのか。 最近オペレーターから、やたら催促が来ていたのも、おそらくイワンの仕業と思 われる。 戦場でもそうだったが、コイツとは対等な様で対等ではなかった。 日本の“組合”の立場もあり、俺達の部隊は基本的にイワン達の指示を受ける側 になっていた。 無茶な斥候や囮役を押し付けられ、仲間も数人失った。 「それが、河原崎の命令なら、従うだけだよ……」 イワンが現れたのは予想外だったが、大した事はない。俺のやる事は何ら変わら ない。冷静だよ、殺意も行くとこまで行き着くと、驚く程に冷静だ。 胸糞悪い昔の記憶が頭の中で噴き出して、グラグラと揺らぎ、吐き気すら覚えて いるのに、不思議と冷静なのだ。 これ以上、ここにいる必要はない。このまま、部屋を出ればいい。 しかし、部屋を出ようとする俺の前にイワンが立ちはだかる。何だろうな、日本 に帰ってからは、一度も起きなかった感情が起きそうな気分だった。 立場はイワンの方が上だ、俺はイワンを見上げる。 「河原崎ではなく、俺の命令だ。鈍ったのは腕だけでなく、頭の方もか?」 「イワン……。どけよ、ブチ殺すぞ」 まるで、ガキの様な物の言い方だ。自分を抑えてないとすぐこれだ。いい歳して 本当に情けないと分かっているが、――本質なんてものは変えられない。 「鉄志……」 「本音を言っただけだ、実行する訳じゃない。詳細は携帯にでも送ってくれ。定期 報告は三日に一度だ、催促の連絡はするな」 河原崎が俺の名を呼ぶと同時に、ヒリ付いた雰囲気を笑い飛ばして、イワンに要 点を伝えた。視線はイワンから外さない。 そして避けて部屋を出る気もない。何時間かかろうが、イワンがどくまで俺は部 屋を出ない。 それを察したか、イワンは身体を逸らして道を譲る。 「二日に一度だ。四日に一度、直接報告に来い」 大人しく引き下がる訳もなく、イワンは背後から力関係を示してきた。何も言わ ずに部屋を出る。 少しフラついて壁に寄り掛かると、一気に力が抜けた。体勢を直そうにも身体が 言う事を利かなかった。頭がどうかしてる。思い出してるのか、フラッシュバック なのかすらも分からない。 スーツのポケットから、効いているのかどうかも分からない、錠剤を一つ取り出 し、口に放り込んで、ただ縋るだけだった。 薬が効いてると認識できるのは、何時も副作用だけだな。猛烈な眠気に襲われて いる。 あれからなんとか、車まで辿り着き、落ち着くのを待っていた。車の中で数時間 やり過ごして、ようやく運転できるようなった頃には、もう日も暮れていた。 発作の様に所構わずフラッシュバックを起こす様になったのは、去年ぐらいから だった。手の震えも酷くなってきてる。 心的外傷後ストレス障害。そう診断されたのは、三十を過ぎた頃だった。元々そ の気がある事は、二十代後半の頃ぐらいから分かっていたけど。だからって、どう する事も出来なかった。 撃ち殺すか、撃ち殺されるか。俺の人生にはそれしかない。年々、自分が不利に なって行くだけの事だ。 どうしようもない。これが自分で選んだ道、軽率に楽な道を選んだ結果なのだ。 イワンは初めて会った時よりも、また一回り体格が大きくなっていた。腕を失っ ても、戦場で戦い続けている。兵士ではなく、戦士と呼ぶに相応しい出で立ちだっ た。迷いや葛藤など微塵も存在しない、圧倒的な自尊の心を俺に見せ付けて来た。 同い年なのに、随分な差がついてしまった。一方の俺は、本質的にあの頃と変わ ってない。イワンに食って掛かる、亜細亜のクソガキのままだった。 一気に噴き出してしまった、様々な感情がない交ぜになった溜息を一つ、車のエ ンジンを止めて、外へ出た。 もう、現状を考えるのはよそう。考えたところで良くなるとも思えない。今の状 況下で出来る事と、やるべき事に集中した方がいい。 高層ビル前の広場は、帰宅者で賑わっていた。近くの駅へ続く地下通路の出入口 に人々が吸い寄せられている。さて、何処から着手するべきか。 個人を標的に身辺調査、追跡するのとは訳が違う。標的は組織だ、狙うのはその 中、一点の情報と言う事になるが、的が多い。的絞りだけでも容易い事ではない。 本来なら、畑違いな仕事だ。一体どのタイミングで拒めばよかったのか、なし崩 しのままに、ここまで来てもう引き返す事は出来ない。 この手のリサーチを得意とする者の手助けが必要だろう。俺一人では効率が悪過 ぎる。“組合”内のツテを頼るしかないが、適任と言える者がいるかどうか。 広場の中央辺りで立ち止まり、内ポケットにある煙草を取り出し、火を着けた。 目の前には三十階建ての高層ビルが堂々とそびえ立っている。このアクアセンタ ービルを所有するのは、日本でトップクラスの貿易企業――海楼商事。 現存する日本の港で手広く事業を展開している大企業が、世界中の犯罪組織と繋 がって人身売買に手を出していたとは。 表社会では絶大な影響力を持っているが、果たして裏社会においては、どれほど のものか。“組合”のネットワークでも把握されてなかった。 強大故に、巧妙に隠れていたのだろう。小規模で知るに値しないと言う線もある が、異様に執着する“組合”の雰囲気からそれは在り得ない。 日本に戻り、殺し屋になってからは、何時も多勢に無勢の状況だった。一度に武 装した数十人を相手にする事も、ざらにあった。しかし、今回は余りにも規模が大 き過ぎる。これだけの大企業なんだ、手下がヤクザだけなんて事は絶対にない。 どう考えても、殺し屋一人でどうにか出来るレベルなんかじゃない。 気が滅入る。咥え煙草から煙を吐き出し、アクアセンタービルを見上げる。そう 言えば、一人の殺し屋には荷が重いと言うのなら、一人のハッカーならば、どうな のだろうかと、不意に奴の姿が頭を過った。CrackerImp。 奴は早い段階から黒幕が海桜商事だと突き止めていた訳だが、どうするつもりな のか。 あの夜、奴の言い振りでは、まだこの件に関わり続けると言っていた。今、この 瞬間にもパソコンのモニターと睨み合っているのだろうか。歓楽街で男相手に、色 目を使っている可能性もあるが。 “俺達はもう、同じ方向を向いてしまってる”あの時の、CrackerImp の言葉を思い返す。その時は何を言っているか、全く関心はなかったが、今になれ ば、よく理解できた。 黒幕は海桜商事、そして全ての情報が、そして答えが集約されているのが、その 総本山たる、このアクアセンタービル。 まさに、同じ方向を向いていまった様だ。そして、その先に続いた言葉も既に思 い返していた。 “案外、横を向いたら会えるかも”そんな事をほざいていたな。全く、大した伏 線だよ。数秒前から視線を感じていた先、右側に視線を移した。 「言ったろ? 同じ方向を向いてるって。また会ったね、殺し屋さん」
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