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5.― PORNO DEMON ― 「お前は、半年に一度はデカいトラブルを起こしてくれるな……」 「三ヶ月に一度よりはマシだろ」  約束の時間を二時間遅れて、“ヴィオ・カミーリア”の所有するビルの最上階に あるボスのオフィスへ出張ってきた。  オリエンタルで無駄に豪勢な内装のこの部屋で、海外のレスラーみたいな体格を した三人の黒服セキュリティに囲まれ、デカいアンティークのデスクを挟んだ先で 睨みを利かしているボスの“レディ”を見据えていた。  “レディ”の本当の名前を知る者はこの街にはいない。俺が輝紫桜町に流れ着い た頃から、中国系ギャング組織のボスとして幅を利かせていた。 「勘違いするなよ。お前に与えられた“自由”は“好き勝手”じゃない。この街の 一部だって事を忘れているんじゃないか?」  知的でありながら妖艶。両極端な雰囲気のレディ。そのルーツを知っている者は 限られている。レディは何者でもなかった頃は――“ナバン”公認会計士だった。  椿の花言葉曰く“気取らない優雅さ”、“完全なる美しさ”を兼ね備えていたレ ディも“ナバン”のボス、シオンの愛人となって汚されてしまった。  一体、どんな手を使って袂を分かったのか、“ナバン”を離れて中国系ギャング 達を束ねて輝紫桜町で事業を拡大させていった。俺がシオンの目に留まり愛人にな った頃には、性産業の面では“ナバン”の独占を妨げて、行き場のないセックスワ ーカー達の助けになっていた。  確か今年で三十六。同じ三十代なのに教養と才能に溢れていて、貫禄もある。本 当に大した人だよ。 「客とHOEが揉めるなんて、日常茶飯事じゃん。それに俺悪くないし……相手は “雄也”だよ、お店のボーイ達だって迷惑してたじゃないか。俺が汚れ役を引き受 けた様なもんさ。寧ろ、感謝して欲しいぐらいだね」  ゴチャゴチャ話す気もなかった。何度も酷い目に遭ってたのは事実だし、厄介払 いを俺とテツ、ほとんどはテツの暴走だけど肩代りしてやったんだ。  レディが腰を上げて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。厳つい三人に後ろを塞 がれて、ボスが迫って来る。さあ、いよいよ逃げ場がないな。 「そんな小物の話で済むと思ってるのか?」  指先で下顎を上げられる。ロングウェーブの黒髪は、バイオレットのインナーカ ラーが彩り、ダークローズの唇が今にも触れそうな距離にある。眼光は鋭く、レデ ィを知らない者ならば、竦んで身動きが取れなくなるだろう。レディは紛れもなく ギャングの親玉だ。 「警察のオートマタや、“林”のヤクザ共を蜂の巣にしたヤツは何者だ? 街をう ろついている荒神会のヤクザや、民間警備会社の過剰にインプラントしたサイボー グ共は? 全てお前が招いたものなんじゃないのか? “ヘルアイズ”に干渉して 情報操作もしている……。気付かないとでも思ったか?」  やはり、気になるのはそっちの方か。元々、雄也の件以上のトラブルに首を突っ 込んでいるからな。街の中にトラブルを持ち込んだのは事実だった。  とは言え、何時まで茶番を続ける気なのか。 「だから何だよ、あのアプリは俺が作って無償で提供したものだ。その後の修正も アップデートも全て無償でやってる。輝紫桜町の全てを見通せる“眼”を誰よりも 早く知れる権利を“ヴィオ・カミーリア”に渡した。俺が街の一部? それ以上だ よ……」  レディが茶番を止めるまで、俺も譲りはしない。聞きたい事には答えるものか。  “ヘルアイズ”の功績は大きい。“ナバン”がこの街を去り、固まった結束が消 えない様に、街の中で起きたトラブルや不利益な情報の隠蔽を防いで、街の人間達 で共有し合える。金で釣ってる要素はあるが、そこには優劣も格差もない、街にい るクソ金持ちとクソ貧乏人、組織も一般人もない平等な関係で、過酷な地獄を生き ていける。  混沌しかなかったこの街で、誰もが分かち合える小さな秩序だ。 「お前達、外してくれ……」  セキュリティ達が静かに退室していく。やっと、まともに話が出来るな。 「少しはビビった芝居でもしてもらわないと、示しがつかないだろ……」  レディは詰まった息を吐き出してぼやいた。ボスをやってるレディと、素のレデ ィの格差は雲泥の差だ。――それが堪らなく可愛い。  そそくさとデスクに戻り椅子に腰を下ろして溜息をする。デスクに置いてある木 製のシガーケースから煙草を一本取り出した。 「大変そうだね、相変わらず」  デスクから身を乗り出して、ライターの火を差し出した。煙草に火を着けて、背 凭れに深く座り込み、煙を一筋吐いている。デスクトップPCの傍にある写真立て が気になった。 「そう思うなら、トラブルは避けて貰いたいね」 「いやだね」  壁際にある椅子をデスク前に置いて、レディと対面した。今更ながら、輝紫桜町 で一番の権力者と“ほぼ”対等な関係だと言うのは、俺もすっかり古狸なのだなと 感じてしまう。  “ナバン”が何故、壊滅状態に陥ったのか、俺が違法サイボーグなのか、それを 正確に知っているのは、レディと龍岡ぐらいだった。 「それで? どういう事か説明ぐらいはしてもらわないと。大事なら、こちらも身 構える準備がしたい」 「ハッカーの仕事だよ、海楼商事を相手取ってる。亜細亜やヨーロッパ方面の犯罪 組織と、人攫いや密輸行為を仕切っているフィクサーだ。クライアントはその被害 者家族」 「あの海楼商事が、そんな話は初耳だな」  そう、輝紫桜町で最も情報が集約される“ヴィオ・カミーリア”でさえも、眉唾 程の噂すら入ってこなかった。それだけ海楼商事は完璧に裏稼業をこなしていた。  巨人が手の平で何かしている。足元で巨人を見上げるしかない人間には、何をし ているかなんてわからない。――大規模な密輸も、人身売買も。 「それとは別件で林組からも依頼を受けてた。海楼商事の手下で、港区の密輸業を 仕切っていた荒神会の乗っ取りを企てていてね。ま、その辺が上手い具合に噛み合 って海楼商事に繋がったけどね」 「荒神会の幹部が輝紫桜町で暗殺されたが、となると雇い主は林組だった訳か。あ の件は“組合”の殺し屋の仕業だとなっているが……。最近、お前の周りに男の影 があるって方々から聞いてるが、それが……」 「そう、鉄志って言うんだ。腕もいいし超イケてる。正直、手を組まざるを得なか ったんだ、鉄志に殺される訳にもいかないし、海楼商事とやり合うには俺独りじゃ 不可能だった」  レディには、“ヴィオ・カミーリア”には全て話しておいてもいい。味方になら ないにしても裏切る事はない。  輝紫桜町に知ってもらう必要がある。街の外で、この国で、得体の知れない悪意 が蠢いていると。そこには“組合”や多くの組織が眼を光らせている事を。 「“組合”なんて、きな臭い組織の人間と組むなんて、正気の沙汰じゃない」 「かもね、でも所詮一人の人さ。色々あったけど、上手くやれている」  テツの事を思い浮かべると、胸が苦しくなった。  断られる事ぐらい分かっていた。いっその事、それで諦めてしまえれば、それも 悪くない。なのに弱ってるテツを見ていたら、組織の影に怯えてる心を感じ取った ら、どうしようもなく――腹が立ってきた。  今後の事を考えれば、気持なんか言うべきじゃなかったし、執着なんかして答え を先延ばしになんかすべきじゃない。――完璧にミステイクだと思う。  かと言って、他に良い方法も思い浮かばない。どうして俺は何時も、知らない内 に人を好きになってしまうのだろう。本当、自分が嫌になる。 「蓮夢、お前……」  不味い、レディに勘繰られてしまう。レディは俺と感覚が似てところがある。だ から俺が相手にどんな感情を抱いてるのかなんてすぐに見抜かれる。  殺し屋に惚れたハッカーなんて、クレイジーな状況を悟られる訳にはいかない。 「出来るだけ、迷惑はかけないよ。それとHOE辞めた、案内所の写真外しといて くれる」 「龍岡から話は聞いてたよ、お疲れ様。辛い道を歩ませたね……」  俺と龍岡とレディ。それぞれが一生物の後ろめたさを引きずっている。承認と実 行、そしてやり場のない不条理だ。  頭を撃ち抜かれて死んでいた俺を龍岡のところまで運んだのはレディだった。龍 岡は提案する。そしてレディが承認した。  マリーが生かしてくれた俺を――死なせたくない。その一心のみで。  お陰様で今こうやって生きてはいるが、その事を何度も恨みたくなった事は数え 切れないし、今だってデジタルブレインを身の丈を越えた重荷に感じる事がある。 「半分は俺のせいさ、残りの半分の半分が父親で、残りがこの街のせい。その程度 のものさ。懐かしいね、この写真……」  辛かったよ。それでも、何か一つのせいには出来ない。こうなる他に道はなかっ たんだと納得させるしかない。  デスクに飾ってある写真立てを手に取った。  レディとマリー、“ヴィオ・カミーリア”のHOE達に挟まれ、肩身狭そうにし ている。“ナバン”のポルノデーモン。 「でも、この写真の俺と、今の俺は“別物”頭の中のAIが囁くんだ。この写真に 写っているのは、八年前の俺だと……。それはもう、俺の記憶ではなくデジタルア ーカイブから引っ張り出された情報。もう、違うんだ……」  過去を思い出すのは二重の意味で辛い。こうして写真の中の自分を見る度に、自 分と認識する意識と、蓮夢という人であると、あたかも他人事の様な認識が脳内を 駆け巡るんだ。  記憶と思考を同化できても――心は同化できない。 「でも俺は俺なんだ、どうすれば受け入れられるのか……。それまでは良い子でな んかいられないよ、レディ。探し続けないと」  写真をデスクに戻して、腰を上げる。俺がハッカーを続ける理由は、きっとそこ にあるのだ。  機械仕掛けの胡散臭い脳でも価値がある事を証明したい。こうなった事に意味が あって、そんな自分を誇れて愛せる様になりたいんだ。  仕事をやり遂げたら、今の自分の事を好きになれるのだろうか。何時もそんな期 待しているが、まだ辿り着けていなかった。  きっと、忘れられる逃げ場が欲しいのかもしれない。俺はテツにそれを求めてい るんだ。 「蓮夢、たまに顔を出せ。私も龍岡もずっとお前の味方だ」  踵を返したと同時に、レディからのお決まりの言葉。龍岡もよく使う言葉だ。  機械仕掛けの脳が俺達三人を複雑に繋ぎ止めてる。それは縁とも言えるし、断ち 切れない鎖なのかもしれない。  俺が今の自分を好きになれたなら、鎖なんて重苦しく思わずに済むのかな。  扉を開くと三人のセキュリティが突っ立っていて、その一人と目が合う。 「お仕置きされちゃった……真っ赤になったお尻でも見る?」  冗談は悉く無視されて、セキュリティから差し出された握手、ちょっと戸惑った けど、その手を握り返した。 「引退したんだな、おめでとう。これからも頑張れよ」 「聞き耳立てちゃってさ……」  厳つかったセキュリティ達が一様に激励の笑みを浮かべていた。その瞬間、どう いう訳か俺は初めて、HOEを辞めたんだと心底実感した。  そして改めて不安も感じる。これからどうすればいいのか。下っていくエレベー ターの圧に身体が項垂れる。  オフィス直通のエレベーターは、一階の中華レストランの厨房へ繋がっている。  夜中だと言うのに、厨房は従業員達が忙しなく動いていた。このレストランは街 中の胡散臭い連中がよく利用している。まだまだ客足は引きそうにない。“ヴィオ ・カミーリア”はまだまだ安泰だな。  裏口から外へ出る。着崩してたスカジャンをしっかり着込んで肩を隠した。肌を 見せる様な着こなしをする必要も、もうないんだよな。でも習慣は簡単には抜けそ うになかった。  出来るだけ表通りには出ないで、人気の少ない路地を選びながら歩いていく。今 夜は“エイトアイズ”をメンテナンス中で飛ばしていない分、周囲の情報が掴めな かった。歓楽街の方は避けて、適当なところでタクシーでも呼ぼう。  他人事の様な喧騒と、ネオンライトの光が隙間を掻い潜って裏路地も賑やかす。  週末の金曜日――決行まで、あと二日。  銃撃戦は避けられない。修羅場になるのは目に見えているのに、不思議と落ち着 いていた。それよりもプレッシャーに感じるのはハッキングの方だ。  今回はアクアセンタービルに直結する分、より高速にタスクをこなせるが、同時 に“ガーディアン”の土壌でもある。  前回はしてやったりだったけど、油断は微塵も出来ない相手に変わりない。  こっちは侵入と奪取、制圧と言う作業量に対して、“ガーディアン”は抹消と言 う作業のみ。何気に不利な状況だ。  今はドンパチの恐怖より、そっちの重圧の方が強かった。  携帯をズボンのポケットから取り出す。今頃、テツは何をしているだろうか。会 いたいな。  二時間じゃ足りない、二十時間でも二日間でも足りない。話したい事が山程あっ て――何時も傍にいて欲しい。  今、会ったら、やっぱり気まずくなるのかな。テツの性格ならきっとぎこちなく なるだろうな。そして俺も多分。  それでも会いたい。理由や口実を探してる、この瞬間がもどかしかった。  視界の隅で警告がなる。尾行対策の警戒アプリからだ。  顔を上げて視線の先にいる十メートルほど先の人を見据える。――雅樹。  雅樹もこっちを認識している様子だったが、一体どういう事だろうか。雅樹なら 視界に入れば気付ける筈なのに、デジタルブレインの捕捉アプリが俺の視界から補 足した映像を確認する。  確かに僅かばかり見切れるぐらいの微妙な位置に雅樹がいる事が確認できた。自 分で言うの何だが、このアプリ便利だな。  でもおかしい。偶然だとしても、今ここに雅樹がいるなんて。元“ナバン”のH OEなら“ヴィオ・カミーリア”とは極力関わりたくないってのが自然なのに。肩 身の狭い思いは少なからずしているからだ。  雅樹との距離がどんどん近づいて来る、間違いなく互いを認識し合っている状態 だった。  最近は酷く妬まれ、散々な言われ様だったけど、同じ“ナバン”で春斗達と一緒 に苦労して助け合ってきた仲だ。邪険にはしたくなかった。と、少し前まで思って いたけど――今はもう違う。  その内にと思っていたが、せっかく会ったんだ。決着を着けないとな。 「よう、久し振り……」  まずは軽い挨拶。雅樹からは特に反応はないが、待つつもりもない。 「こんな処でどうしたの? “ヴィオ・カミーリア”にでも用が?」 「そんなところよ……」  一体、どんな目的があるのか。この時点で雅樹は俺を尾行してた事がほぼ確定で ある。  “ナバン”の人間は呼び出されたりでもしない限り“ヴィオ・カミーリア”には 近付かない。春斗ですら俺に同行を頼むぐらいだ。  雅樹は自ら用事でここへ来たと言ってる様なものだ。あり得ないな。 「お前さ、本当スカート似合わないよな。肌を見せたいのか、“オンナ”に成りた いのか知らないけど、ケアぐらいしたらどうよ? 汚いヤツ……」  この際だから、以前から思ってた事を遠慮なく言ってやる。雅樹が速攻で睨み付 けてきた。  美意識の押し付けは良くないけど“オトコ”が“オンナ”とか、その逆とか、結 構大変だったりする。良く見られたいなら尚更だよ。  雅樹はアンバランスだ。内面の事ばかり主張して、外面が疎かになってる。それ も自由だけど、説得力がないって思う。  良く見られたいなら、残念ながら俺達はその辺の努力は多めにやらないとならな いのが現実だ。心だけではどうにもならない。 「喧嘩売ってんの?」 「ああ、買ってもらうぜ。散々好き勝手してくれたからな」  互いに睨み合って一歩も引かないけど、雅樹からは、僅かにしらを切る雰囲気を 察する。絶対に逃がさない。 「一体、何のはな……」 「お前がマッチングアプリで、俺のアカウントを乗っ取って雄也やNGな客を、俺 に宛がわせてたって話だよ!」  携帯端末の画面を突き付ける。見せたところで分からないだろうけど、アプリへ の不正アクセスの記録を記してある。  こんなもの、ハッカーでなくても多少の知識があれば追跡できる。浅はかさで姑 息なやり口に腹が立ってくる。 「知らないとでも思ったか? 思い出したよ、昔お前が羽振りの良い客が欲しいっ て言ってた時、俺のアカウントを教えていたのを、好きな客を見つけて自分のアカ ウントに登録すればいいってね。信じてたのに……。こんな風に悪用するなんて」  こんな状況じゃなければアカウントを放棄して、それで終わる話だった。犯人な んか探さなくても解決できた。しかし、アカウントを消せなかった。海楼商事の人 間を輝紫桜町へ誘い込む為にアプリを使い続けざるを得なかった。俺が味わって来 た地獄の代償を払わせないと、気が済まない。  雅樹は俺のアカウントを使って、成りすましや客を誘導、おそらく手引きもして いたに違いない。ホテルを出た途端、雄也に出くわすなんて出来過ぎていた。度を 越えた嫌がらせだよ。 「まだ誰にも話してない。お前がやったって証明できる情報を“ヴィオ・カミーリ ア”に渡せばお前は一巻の終わりさ。何故なんだ、雅樹……」  ぶっ飛ばしてやりたい怒りを抑えて、雅樹に詰め寄って問う。  昔から決して良いヤツではなかった。劣等感の様な感情を方々へ撒き散らし、事 ある毎にみんなに助けられて、世話の焼けるヤツだけど、どこか憎めないところも あって。少なくとも、みんなと馬鹿やって笑い合えてたのに。 「全部、アンタのせいよ……。アンタのせいだからよ!」  怒声と共に雅樹が突飛ばしてきた。逆上して殴り返しそうになる。 「“ナバン”があった頃は良かった。アタシ達は何時も我が物顔でこの街を歩けた のに、今はチマチマとストリートで客待ちして、細々とやっていくしかない……」  確かに、あの頃は華やかだった。――上っ面の虚しい煌めきと熱にうなされて。  そんな薄っぺらいものを雅樹は求めているのか。いや、そう思う人もいるのかも 知れない。  正直、俺達の稼ぎは大して変わっていない。俺は好き放題を利用して孤軍奮闘し ていたが、“ナバン”の経営店は条件をほとんど変えずに“ヴィオ・カミーリア” が引き継いでいる。春斗達にマイナスになる事はなかった。  雅樹、自分の稼ぎの悪さをそれのせいにしているのか。“ナバン”があってもな くてもお前の客受けの悪さだって変わってないのに。  自分に目を背けている。息をする様に、当然の様に自分に目を背けている。 「知ってるんだから、アンタがマリーってビッチの仇に、ボスを殺したって。街中 に知れれば、アンタの方こそ一巻の終わりよ! 何さ、“ナバン”でもてはやれて ながら“ヴィオ・カミーリア”にも取り入って、あっちの商品とデキちゃってさ」  考えるよりも先に手が出る。雅樹に掴みかかって街灯に叩き付けた。コイツ、マ ジで殺してやりたい。あの時の俺の事を何も知らないくせに。  適当な情報だけで俺とマリーを決め付けて傷付ける――絶対に許さない。  今、拳銃を持ち歩いている。その気になれば、その気になれれば。 「でもバラさないのは、立証できないからだろ?」  それでも、衝動的になれなかった。頭に入っている機械の脳がそうさせるのだろ うか。それとも生身の脳に残っている思い出が妨げるのか。  マリーとの日々や、春斗や雅樹達と過ごした日々が脳裏でぐちゃぐちゃに渦巻い てる。 「“ナバン”のHOEのくせに……。人の心の上っ面しか見てない。それに、自分 の心にも向き合ってない。妬んで陥れる事に時間を費やしてばかり……。そんなん じゃ俺がいなくなったって、お前は何も変わらないじゃないか」  どうして、俺はこんな目に会わされても、雅樹の事を心配しているのだろう。ど うして、人に痛め付けられながらも、人に依存してしまうのだろう。  ずっと孤独だった。それでいいって思っていたのに、輝紫桜町が、このクソみた いな地獄が何時の間にか孤独を忘れさせてくれた。 「仲間だと思ってたのに……。勝手にやってろよ、ポルノデーモンは終わりさ。俺 は次へ行く。お前の事は助けない」  悲しいけど、雅樹とはこれきりだ。これからどうなるのか、春斗達とどうなるの か、天秤にかければ春斗達の方を選ぶ。いずれ雅樹はこの街にいられなくなるだろ う。  雅樹を離して、その場を去ろうとすると、目の前に見た事ないスーツ姿の厳つい のが三人立ちはだかる。  何だ。――鼓動が急激に脈打ち始める。 「助けなんか不要よ、アンタこそここで一巻の終わりだから……」  何が起きているか、理解できた時には三人組に両腕を掴まれて、更に髪まで掴ま れる。いつの間にか雅樹の後ろにも一人いた。――コイツ等、荒神会だ。 「アンタを差し出せば金がもらえるって。他の連中は断ってたみたいだけどね。ア タシには美味しい話だったわ……」  その手の噂はこの街じゃありふれた戯言の様なものだ。雅樹は街との関係を捨て てでも俺を陥れようというのか。こんな裏切り、雅樹だって危険過ぎる。  常に警戒し続けて、かわしてきたのに。こんな時、こんな形で捕まってしまうな んて。  相手は四人、何かいい手はないか。動揺して考えがまとまらない。何か考えない と、焦りが恐怖に変わり思考が止まる前に。 「これは、ミステイクだよ雅樹……」 「昔っから気に入らなかった。ボスのお気に入りで着飾ってたのも、春斗達に混ざ って意気がるのも、男も女もどっち付かずの半端野郎のくせして!」  押さえ付けられて動けないのいい事に、雅樹のフルスイングの拳が右頬に食い込 む。ほどなくして、口中に血の味が広がって溢れてきた。それだけでは気が済まな い雅樹はジャックナイフも取り出す。  痛みと恐怖に、思考が支配されつつあった。 「どうせアンタは終わりよ、その前にその綺麗な顔を切り刻んでやる」  その言葉を言い終えた瞬間、籠った破裂音と共に雅樹の右目が弾け飛び、力なく 一気に崩れた。雅樹の後ろにいた奴が突き付けてる拳銃から、落ちた薬莢が呆気な く転がっていた。  何から驚けばいいんだ。頭が吹き飛んだ死体か、顔に浴びた返り血か。雅樹が目 の前で殺された事か。 「邪魔なんだよ、オカマが……」 「雅樹! 雅樹!!」  長い付き合いだったんだ。良い思い出だってあったんだ。――雅樹。  きっと、俺は後悔し続けるだろう。もっと雅樹とよく話し合えていればと。その 機会は、永遠に失われてしまった。こんな、つまらない鉛玉一個で。 「散々引っ掻き回してくれたなCrackerImp」  サプレッサーを付けた拳銃をひけらかして雅樹を殺したヤツが迫って来る。ヤク ザもどきの傭兵共め。  そうさ、俺はCrackerImp。ハッカーのCrackerImpだ。仕事 をしないと、クライアントの為に、テツの為に。――自分の為に。  CrackerImp。その言葉が、辛うじて思考を繋ぎ留めた。落ち着け、こ こまで手間をかけているんだ。この場で殺される筈はない。まだチャンスはあるか もしれない。  首筋に走る激痛と共に薬品を流し込まれるの感じた。途端に身体が羽根の様に軽 くなった様な感覚に陥る。間もなく気を失うのだろう。  それでも、俺のデジタルブレインはタスクを開始していた。止まるな、処理し続 けろ。――鉄志、テツ、テツ。

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