11.― PORNO DEMON ― あのシャンデリア、何時になったら直すんだろう。このホテルの何時もの部屋で 一通りヤり終わった後、何時もそれが気になる。蠟燭を模したライトが一つ切れた ままで、ガラスの装飾も千切れていた。 久し振りにマシなセックスをした様な気がするな。火照った身体も冷えてきて気 怠さを楽しめる余裕。鈍っていく思考を放置する解放感。 呼吸の乱れも収まり、無意識に吐息が漏れる。このお客はHOEとしては当たり だけど、俺の計画は失敗だった。一石二鳥とは中々いかないな。 浴室のシャワーの音が止まった。もう少しボケていたかったけど、身体にブチ撒 けられたもんをささっと拭いて、ベットブランケットを下半身に被せておく。 お客が部屋に戻って来た。歳は四十の前半ぐらいだった。あまり遊び慣れた感じ ではなかった。それもあるのだろう。抱き方が恋人にする様な気遣いと緊張感を始 終漂わせていた。多少荒っぽくても構わないぐらいだけど。まぁ、楽に済んだと思 えば、それもいい。 そう言えば、このお客。会った時はツーブロックで髪を上げていたが、シャワー を浴びて、下ろした感じがどことなく、鉄志と少し似ていた。鉄志はツーブロック に中分け、長めの髪がどことなく影のある雰囲気を醸し出していて、とても様にな っていた。 つい馬鹿な事を想像してしまった。もし、鉄志が客だったら、こんな感じなのか なと。 「綺麗な髪だね」 覆い被さって来て、シルバーアッシュに染めた髪に触れてきた。これは狙い通り だ。髪型や髪の色を頻繁に弄っていた時期で、似合う雰囲気と組み合わせを分かっ ていたのが大きい。 「ありがとう……」 頬に手を添えて、そのまま口付けをしてあげる。終わった後だ、下手に刺激しな い程度に舌を絡ませて軽く済ます。 ベッドブランケットで上手く隠しながら身体を起こし、煙草の箱と買ったばかり のオイルライターに手を伸ばした。 「煙草、吸います?」 「もらうよ」 煙草に火を着けてやり、ヘッドボードに凭れて自分の煙草にも火を着けた。客が 喫煙者なら、先に煙草は吸ってはいけない。と言う先輩から教わった謎のルール。 どうでもいいと思っていても、習慣は中々抜けない。 「何だか、凄く慣れてるって感じだね。本当に新人さんなの?」 「仕事はね、でも場数は多いから……」 フィルターの中のカプセルを潰して煙草にハッカを加えて煙を一筋。煙草は気持 ちのリセット、シャワーは身体のリセット。そして心を引きずって次へ行く。 それが何時ものルーティーン。でも今夜はこれで終わりにする。 「結構、遊んでたんだ」 「そうでもないよ」 ベットに置いてくれた灰皿に煙草を潰し、隣で凭れるお客の方を向く。しっかり こっちを向くまでは、何も話さない。 「お遊びじゃない本気だったら?」 互いの視線が重なる。含みのある安っぽい言葉に、この目に、そして微笑とも挑 発とも思える様なエロい表情ってヤツで、大半の連中は俺に釘付けになる。 とは言え、ここでポルノデーモンを出し過ぎるのも良くない。あくまでも、今の 俺は別人を演じている。遅咲きの新人ウリ専ボーイの体でいなくては。 でも、中々難しいものだ。事前に設定した人物を演じると言うのは。ポルノムー ビーに出演していた時は、上手く演じられていたのに。勘が鈍ったかな。 「楽しんでもらえた?」 返答に困る相手に助け船と言う名の誘導を促す。すると相手から来る返答は、俺 の望むものになる。 「ああ、とても良かったよ」 いいお客だ。こちらの言葉を否定する事もなく。遊び慣れしたタチ特有の自尊心 もない、公平な応対。 満たされた様な表情にも嘘を感じられない。――ちょろいよな。 あと一言、付け加えれば、思いのままだ。 「嬉しい、また会ってくれる? 高田さん」 お客の胸に手を添えて、寄り掛かり気味に上目遣いをする。 「敵わないな、君には……」 完全に落ちたな。お客の心が流れ込んで来る様な感じがした。 “ナバン”にいた頃、俺を好き勝手に抱いていたボスがよく言っていた、お前は 人の心しか見ていないから――素質があると。 その意味が何なのか、理解する間もなく望んでもない事を沢山仕込まれ、何時の 間にか輝紫桜のポルノデーモンさ。 理解するのに結構な時間が経ったが、今ならよく分かる。確かに俺には素質があ った。 俺が相手に求めているものは、ただ一つだけ。人を構成してる情報を、まるで一 足飛びで答えに辿り着く様な。距離感なんてものもない感覚なんだ。 とりあえず、今夜はこれで終いだ。本来なら今夜の一回で終わらせてしまいたか ったが。もうしばらく、このお客とは関係を続けていった方が、よさそうだ。次に 繋げていく為に、心に入り込んでおく。 ベットから降りて、テーブルに置かれたお客の携帯端末を手に取る。二つ置いて ある。一方は、かなり古く使い込まれていて私物だとすぐ分かる。手に取った方の 携帯端末は、今月発売されたばかりの最新の端末だった。 「これ、最新だね。中々手に入らないよね……」 「初めは企業が買い占めるからね。そういうの好きなの?」 在り来りな米国のベストセラーな機種だ。確かに性能は申し分ないが、本音を言 うと、この機種は嫌いだった。 例えるなら、オナホールに突っ込んで、自分はその時が来たら、相手を昇天させ られるテクニシャンだとかほざく様な、独り善がりな製品の多いメーカーの物だ。 「支給品なんだ、どうりで……」 たかが携帯と、甘く見ていたところはある。既存のプログラムでは対応しきれな かった。時間も充分にあったのに――悔しいな。 これ以上、携帯を眺めていても不思議がられるだけか。客の方も調子に乗ってき てる。後ろから俺を抱き寄せて内股に手を這わせようとしてる。嗚呼、ウザい。 携帯を手渡し、お客の頬を撫でてやる。 「シャワー浴びて、お店に帰らなきゃ。タイムオーバーはサービスしてあげる」 これじゃ大して何時もと変わらないな、もっとウブな感じにならないと。こんな の新人さんが出せるような雰囲気じゃないだろ。 一旦、間を置き、このお客とは、また相手する時間を作らないと。我ながら呆れ てしまう。何時からこんな人間になってしまったのか。こんな風に仕上がるなんて 想像していたか、想像できる訳もないよ。ホント、何やってるんだろ。俺。 やはり、異常だ。ここまで徹底したセキュリティとプロテクトを末端にまで行き 渡らせているなんて。 この手の商売で儲けてるクソなんて、この世界には五万といる。だとしても割り に合わない。 そうまでして、隠したい秘密でもあるのかと勘繰ってしまう。ならば、それは何 だろうか。 こんな考え方は良くないけど、そこまでの価値があるのだろうか。各国から無作 為に攫った人々に。そもそも何故、日本に数年も留めているのか。 人身売買と言う胸糞悪い言葉が付き纏うが、本当の目的は売り買いではないのだ ろうか。分からない事が多すぎる。 考え出すと止まらないが、止めるつもりもない。必ず全てを暴き出してやる。こ ちらもやっとプランが固まってきた。 あとは鉄志と上手くやっていくだけ。そっちの心配も大丈夫そうだ。 最初の数回はかなりぎこちなかったし、事ある事に男のくせにだ、女々しいだと ステレオタイプな事を言ってきて、正直ウザかったしキツかった。 自分の事も話さない、と言うより無口で心が見えない。そう言う人間と向き合っ た経験はそれなりにあるが、鉄志は群を抜いて見えにくい人だった。 それがどういう訳か、ある日から急に――分かってる風の態度になっていった。 SOGIハラを避け少々マニュアル的で型にハマりすぎてる様な感じだ。それも また腫物扱いで疲れるんだけど、素直に嬉しいと思う様にしている。 向き合って見てくれている。それだけでも上等だよ。それにあの、雰囲気に似つ かわしくない、不器用な真面目さが可愛い。 この前、輝紫桜で飲み明かしていたらしいが、何処で飲んでいたのか。一度、鉄 志とは一緒に酒を飲んでみたいな。ガッツリと下ネタ話しまくってやって、根掘り 葉掘り、鉄志の事を知り尽くしてやりたい。絶対、面白い筈だ。 なんだか、数時間おきに鉄志の事を考えてるな。人と組んで仕事するのも久し振 りだからかな。どっぷりと裏社会で生きて来たであろう人間と、組むなんて事は当 然、初めてで刺激的だった。 興味深い、ただそれだけの事さ。 「温くなる前に飲みなよ」 「ん? あぁ、ごめん」 ブルームーンが注がれたカクテルグラスは汗を流していた。ジンは冷えてる内に 飲まないと。 雑居ビルの地下にある小さなBAR“ETERNAL STAR”。この輝紫桜 町に数多くある酒場の中で、一番のお気に入りだ。 一旦、タスクの優先順位を落として、視界をフルカラーに戻す。綺麗な紫色のカ クテルには、三日月型にカットされたレモンピールが浮いていた。 可愛いけど、うっかり飲みそうになるのが難点だった。 「何時も思うんだけど、痛くないのか? それ」 マスターの永星(エボシ)が、コネクターを差し込んだ左腕を指差す。永星には全 ては話してはいないが、俺がサイボーグである事はとりあえず話していた。 確かに最初の頃は痛くないと分かっていても、差し込む時に強張っていた。傍か ら見れば尚更だ。鉄志もこれをやる時、何となく目を逸らしている。 「初めはね、先っぽだけでも痛かったよ。でも慣れてくると奥まで欲しくなっちゃ うもんさ……」 酒を飲みながら、永星のリアクションを伺う。案の定、きょとんとしていた。そ れが可愛くて愛おしい。永星相手に、この手のからかいは良くないのかも知れない けど。 「ここ笑うとこだよ」 「ああ、なるほどね……。ドン引きすればよかった」 永星はアセクシャルだ。店の扉にもアセクシャルのフラッグを飾って公言してい る。恋愛感情や性的感情をほとんど抱く事がないらしいが。永星はそれに少々の天 然な要素もあった。そう言う所が気に入っている。 一部周りからは、パンセクシュアルの俺と相性が良くないんじゃないかと言われ ていたが、不思議と永星とは反りが合った。歳が近いせいもあるのか、とりあえず セックスの話以外なら、大体気が合うし話していて楽しい。 俺の人生において、全くと言っていい程、無縁な――友人と言う関係だった。 今年で五年目になるこの店の合わせ木のバーカウンターやレンガ造りの壁も味わ いが出てきて、益々落ち着ける空間になっていた。 気兼ねない永星と、美味い酒。終電も終わった客のいない真夜中。プログラミン グをするには最高の環境だ。今回の反省点を踏まえて、色々仕込んでいかないと。 「最近、調子は?」 唐突に永星が訪ねてきた。こちらの調子を聞いて来るなんて、この五年間一度も なかったのに。違和感を感じる。 「何時も通りだよ。貧乏暇なしってね、夜も昼もフル稼働さ」 永星は「そうか」とあっさりした返しをして、作業に戻った。その程度なら聞く なよ。 ただ、その間ずっと永星の目を見つめていたが、二回程、目を逸らした。かと言 って、その事を言及する気もなかった。 外を監視する“エイトアイズ”が、このビルの地下を下る人間を捕捉していた。 映像を見る限りでは、怪しい感じではなさそうだ。ただの客だろう。永星には悪い が、もう少し一人でいたかったな。 店のドアが開き、小気味良い振り子ベルが鳴る。
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