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第四章 1.― DOUBLE KILLER ― 「はぁ、腹減ったなぁ……」  “複雑な相棒”蓮夢は頬杖をつきながら、この場において、最も似つかわしくな い言葉をボソリと呟いた。  アクアセンタービルの吹き抜け三階にあるレストラン。もうじき十五時を過ぎよ うと言うのに、利用客が絶えなかった。蓮夢はそれを眺めている。  俺は視線をその反対、ビルの左右にあるエレベーターを眺めた。蓮夢の話では三 つ並んでいるエレベーターが、二十二階まで自由に利用できるエレベーター。その 反対側の二つ並びのエレベーターが、海楼商事専用のエレベーター。一階から二十 三階以降へ昇れる。関係者以外は利用できない、海楼商事のテリトリー。  あそこをこじ開けて上へ昇らない事には、目的は果たせない。蓮夢は詳細を話そ うとはしないが、その為の“鍵”を手に入れようとしているらしい。地道な作業で 俺に手伝える事は特にないそうだ。 「別に俺に合わせなくてもいいのに、鉄志さんは食いたい物食えばいいじゃん」  小皿のサラダを既に食べ終えていた蓮夢は、俺の小皿に中途半端に残るニョッキ を指差した。  このレストランに入り、特にメニューも見ずに小さなサラダとトニックウォータ ーだけを頼んだ時点で、夜は輝紫桜町で仕事なのかと分かった。  目ざとく指摘してくるな。確かに多少の気遣いではあるが、それ以上に控えてい る奴の前で遠慮なく食べれる程、俺は無神経じゃない。それだけだ。 「思っていた以上に一般人の出入りが激しいな……」  残ったニョッキをフォークで突き刺して口へ放り込む。遠慮がちだが、いやに嬉 しそうな笑みを蓮夢は浮かべていた。 「一階はロビー、二階はセレクトショップにスポーツジム。三階はレストランが数 店舗。中央区のビジネス街でも、特に解放的で洗練された施設がアクアセンタービ ルって訳さ。そのビルの持ち主が、裏で人身売買だなんて、誰も想像もしないだろ うね。それとも、世の中なんて意外とそんなものなのかな?」 「一般人の出入りがなくなるのは、ここの店全てが閉店するまでか。昼間は何も出 来ないな」 「全ての店は十九時で閉店、従業員は二十時までに全員施設を出る事。契約で徹底 されてる項目だよ」  流石と言うべきか、蓮夢はこのビルの事は海楼商事の領域以外は、しっかり把握 していた。打開策を探りつつ、それ以外の部分をしっかりリサーチして備えていた 様だ。  一般人、テナント、貸しオフィス、そして会社で働く日本人ですら、迷彩の一部 として機能させているらしい。確かに手強い。 「海楼商事のオフィスやビルの管理システムがあるのは二十五階から屋上まで、唯 一の出入り口はあのエレベーターだけか。“鍵”ってのは何なんだ?」 「会社で支給してる携帯端末に専用コードを発信できるアプリが入ってる。それが ないと、あのエレベーターは開かないし、エレベーター内も常にスキャンしてるか ら押し入っても即アウト。盗もうなんて考えないでよ。数分おきにランダムでコー ドが変わるし、端末は指紋と網膜スキャンでないと開けない。不審な事が起きれば 即二十三階から警備会社が動いて対処する」  トニックウォーターを飲み干し、専用エレベーターを見つめている。こうして一 点を見つめている時の蓮夢の頭の中では、どの様な高速処理が行われているのか。  地獄と比喩される大歓楽街に染まった男娼、そして常に思考し続ける探求者。様 々な一面を合わせ持つ混沌とした男。今この瞬間にも、何かを考えている。それが 何かは分からないが、確かに何かを考えているのだ。生身の脳しかない俺には図り かねるものがある。――故に“複雑な相棒”と俺は認識する事にした。 「鉄壁だな……」 「呆れるぐらいにね……。そろそろ出ようよ。“餌撒き”したいし」  蓮夢はポケットからくしゃくしゃに折れ曲がった紙幣を一枚テーブルに放り、リ ュックを背負って、そそくさとレストランを出ていった。通路の手摺に腕を置いて 専用エレベーターを見下ろしている。  会計を済ませて店を出る。下を見下ろす蓮夢を尻目に階段へ向かうと、後ろから 付いて来た。大回りの螺旋階段を下って行く中でも、施設内の感じを出来る限り目 に焼き付けておく。  下調べを重ねるのは重要だが、このビルに仕掛ける者が頻繁に出入りする事は得 策じゃない。 「電子マネーで払った」蓮夢に紙幣を返す。 「あんなすぐに足が付くもの、よく使えるね。俺なら数十分で追跡できるぜ」  蓮夢が言うと、やたらと説得力があるな。  螺旋階段で一階まで行けるが、一通り二階も見て回った。ガラス張りのスポーツ ジム、小さな雑貨店や専門店を横目に流す。 「このブランドのアイシャドーよく使ってる。あと高いけど、化粧水が凄く良いん だ」  ショーウィンドウ前に立ち止まって、色鮮やかな化粧品を蓮夢は眺めていた。一 応立ち止まって、横目に見る。そう言えば、薄っすらとだが今日の蓮夢はアイシャ ドーを入れていた。  イタリアのブランドらしい、直輸入とある。男なのにと、癖で脳裏を過るが、そ れは一先ずしまっておく。 「行くぞ」 「ええ、ちょっと待ってよぉ」  広々としたコの字階段を下り、一階のロビーに出る。蓮夢はパーカーのフードを 被り、レザージャケットのポケットに両手を突っ込んだ。  ビル正面の出入り口は、全面ガラス張りで陽の光を程よく抑えながら、大理石の 床を輝かせていた。その広さに見合わない大きさの六角形の受付には十人程のスタ ッフがいる。蓮夢のリサーチでは二十一時以降は警備員一人での管理だそうだ。  専用エレベーターに乗ろうとしている海楼商事の社員数人を見る。皆一様に携帯 端末を取り出しアプリを起動していた。あの時点で、既に網膜スキャンと指紋認証 が済まされている様だ。 「あまりジロジロ見てると怪しまれるぜ。此処の監視カメラは、出入りする奴等の 顔をしっかり読み取ってる。当分、俺達は近づかない方がいいかもよ……」  小声で言うと、そそくさと出入口へ向かうが、俺はもう一度だけ、全体を見回す 事にした。俺は俺の分野から、このアクアセンタービルを見て、想定していた。  この出入口でも裏口であっても、あのロビーの制圧は必須だろうな。警備員の装 備は、セミオートの拳銃ぐらいだが、緊急の際はサブマシンガンやショットガンぐ らいは想定しておかないと。  専用エレベーターの付近にある警備室。時間帯にもよるが、何人ぐらいがそこで 待機しているだろうか。  専用エレベーターは高速仕様だ。これに乗れたとして、二十九階のサーバールー ムまで二十秒以上三十秒未満。  ロビーから二十九階、サーバールームまで非戦闘ならば、経験から計算するに大 体八分で到達。  そうした場合、蓮夢の作業に何分必要か。おそらく、この時点でもう戦闘は避け られない。一室を陣取っての攻防戦。その後の脱出。外部干渉、つまり警察への対 処。色々と潰し込んでおかないとならない項目が多いな。  そもそも、この選択肢を選んだとして、蓮夢はどこまでやれるか。流石に素人よ りはやれる奴だと見込んではいるが。  あれこれと思考を巡らせ、アクアセンタービルを出た先の広場で、正面に立ちは だかる蓮夢に足を止められた。  上目遣いに、薄く口角が上がっていた。一体、何を言い出すのやら。 「なんだ?」 「真剣な顔して、考え事をしてる鉄志さんがカッコイイなぁ。って見惚れていただ けだよ」  蓮夢は踵を返して、森林公園へ飄々と向かっていく。本当にコイツで大丈夫だろ うかと不安になる。  蓮夢は本当に表情が豊かな男だった。予測不能な言動や表情には、何時も不意を 突かれる。  “組合”に入る以前から俺の身の回りには絶えず人がいた。そう言う環境で生き てる内に、自然と相手の具合を見定める事が上手くなっていった。  そんな自分の中にあるパターン化された人の種類に、全く該当しないのが蓮夢だ った。  初めて会った時の様な挑発的な色目や、遜り失望した様な冷やかな視線は減って いき、会うと何時も機嫌が良かった。何故こうも懐かれてしまったのかは、未だに 分からないが。  森林公園の方も、人で賑わっていた。昼から今ぐらいの時間帯は特にアクアセン タービルで働く連中が多かった。  蓮夢は俺と組む以前から、ほぼ毎日、この公園でアクアセンタービルをリサーチ している。そして“餌撒き”と呼んでいる、何らかのハッキング作業を行っている そうだ。  公園内の小さな広場には、珈琲屋と軽食屋の移動販売のバンが止まっている。あ れが中々の人気なのと、海楼商事の社員は共有の社員食堂の使用が禁止されている 事もあって、利用者が多い。海楼商事の社員に最も近づける場所が此処だった。 「いい加減“餌撒き”って作業が何なんのか、教えてくれもいいんじゃないか?」 「悪いけど、まだ秘密だよ。この作戦は上手くいくかどうか、まだ分からないから ね。イイ線行ってるけど……。鉄志さんを信用してない訳じゃないんだよ、結果が 出たら、ちゃんと説明するから。それまでは勘弁してよ」  フードを下ろし、髪型を整えると、広場の手前にある何時もベンチに座って、リ ュックから取り出した補助端末を開いた。 「“餌撒き”の間、俺はやる事がなんいんだよな……」 「のんびりしてなよ。珈琲でも買ってきたら?」  深く座って足を組み、補助端末をタイピングしている。軽快にブラインドタッチ する姿は様になっているが、本人が言うには、大した事はしていないそうだ。ほと んど事は、脳内で行っているらしい。 「レストランで飲んだばかりだ」 「なら、話でもしようよ。俺のメモリはそれぐらいする余力は残してるよ」  人間の脳の働きをコンピューターに例える事は、誰にでも経験のある事だが、蓮 夢の場合はその物ズバリだった。  たまに、幾ら呼び掛けても反応せずに一点を見つめている時がある。そしてハッ としてこちらに気付くと、何故か顔を紅潮させる。個人的には、それをおもしろが っているが。 「“潜入作戦”の段取りはどうなの?」  蓮夢と手を組み、最初に取り組んだ事は、アクアセンタービル攻略の向けた、幾 つかのプランを共有し、効率良く同時進行させる事だった。  俺に関しては、ほとんど蓮夢にお任せと言う、甲斐性無しな状態だったが、この “潜入作戦”は俺が主体で任させている作戦だった。 「個人経営の輸入販売業者。お前が考えた肩書きとお膳立てのお陰で、海楼商事と の交渉は良好だよ。それに“組合”の中には潜入を専門にした連中もいる。貸しの ある連中に手伝ってもらってるよ」 「商談で入り込めれば、ドローンを仕掛けて隙を作れる。あわよくば、そのままハ ッキングも……」  用意してあるプランの中では一番ベターな手段である。ビジネスマンを装い正式 に入り込む。  殺し屋とハッカーが、スパイ紛いな事をするのが適任かどうかは別として、“組 合”のスパイ役“役者”連中のアドバイスもあって概ね順調と言える状況である。  とは言え。 「あの厳しいセキュリティだ。外部から入ってきた人間が、自由にできる余地があ るとは思えないが……」  海楼商事のサーバールームは二十九階全域。オフィスはその下、道に迷ったなん て装いで入り込むのは不可能だ。  そこで蓮夢のドローンに頼りたい所だが、そのドローンも、どこまでやれるかは 未知数だった。 「“飛び込み作戦”は近い内に決行可能だよ、あと数人集めて、必要機材を調達す るだけ。決行する場所も確保中」 「前に言ってた、外部ネットワークから侵入できる唯一の抜け道。ってヤツか。罠 なんだろ?」 「そうだね、やれば確実に逆探知されてバレる。それを覚悟でやるんだ。あのビル の守りも大概だけど、ネットワーク内のシステムも手強い。相当、優秀なセキュリ ティAIが潜んでいる」  こちらの作戦は蓮夢主体のものだった。独りで行うには危険があり、実行を躊躇 っていたと言うが、今は俺と言う用心棒がいて、実行可能である。  あまり詳細を聞かされてない作戦だったが、聞かされたところで、俺に理解でき るかも微妙である。こればかりは蓮夢に従うしかなかった。 「データを奪い返された時のか?」 「あんなAIは初めてだよ。数手先を予測する、と言うよりは、その時々に正確な 対応をする。まるで人間と早指しのチェスをしてる様で、面食らったよ……。ソイ ツの具合も知っておかないと、どのみち海楼商事のシステムは奪えない。運が良け れば、その日に手に入るかもしれないし」  蓮夢と初めて会った夜の事だ。荒神会の連中に囚われた蓮夢は車中で、ハッキン グで盗んだデータを奪われ、タブレット経由でデータをどこかへ転送されるのを阻 止しようとタブレットにハッキングを仕掛けたが、悉く弾かれてしまい、成す術が なかったそうだ。  蓮夢を狙って撃った俺の銃弾がタブレットを貫き、追跡も出来なくなった。もう 随分と昔の事に様に思えた。  蓮夢の懸念するところは二つ。データが戻った事で密輸が再開される可能性。そ してもう一つが、この手強いセキュリティに勝てるか。  規格外の違法サイボーグである蓮夢でさえ脅威に感じている事だ。これは相当な 不安材料と言える。 「どの作戦も不確定要素が多くて、決め手に欠けるな……」  上手くいけば、運が良ければ。そんな言葉に僅かでも期待してる時点で、プロと は名乗れない。しかし、蓮夢と同じで可能性があるのならやるしないと、信じて行 動するしか、やり様がないのも事実だ。  良くやれてると思うが、それでも蓮夢の言う通り知恵もスキルも、もう数人欲し いところだった。

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