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5.― DOUBLE KILLER ―  ぺらり、ぺらりと資料の束をめくる音だけが部屋の中で響いてる。イワン・フラ ンコとパーテーションで仕切られた部屋に二人きり。これは――生き地獄だ。  もうすぐ二十時を回ろうとしているのに、ウィンストン記念図書館のメインオフ ィスは、擦りガラス越しにもスタッフ達で賑わっているのが分かる。  ここは何時もそうだ。昼間は図書館の管理がほとんどだが、夜は完全に“組合” のオフィスになる。今宵も発注と受注、獲物と狩人、殺した殺されたを取り纏めて いく。  この苦痛極まりない沈黙は既に十分以上が経過していた。先に龍岡に連絡して蓮 夢の状況を確認していたのが救いだ。容体は問題なしと言っていた。 「随分、派手な傷だな。何かあったのか?」  堪り兼ねてイワンに尋ねた。今日会ってから一応気になっていた事だ。  顔に二か所、首筋から僅かに見えた青アザも、実際は大きなものだ。拳で殴って 出来るレベルのものじゃない。  ここ数日、連絡も催促もなく。不在が続いていたが、何処で何をしていたのか。  イワンに答える意思は全くなかった。清々しいまでに無視される。しかし、妙に 引っ掛かるな。  引っ掛かると言えばもう一つ。秋澄も組合長の河原崎も何度となく連絡しても電 話に出なかった。秋澄なら必ず折り返すぐらいだろうが、それもない。  そわそわした雰囲気。――妙な胸騒ぎを感じていた。 「ご苦労だったな、鉄志。流石だよ……」  労いの言葉など全く興味がなかったが、意外にも“終わった”と言う実感が沸い てきた。海楼商事と密輸の前後関係を調べ上げる。畑違いな仕事に、不安とストレ スで潰されそうになっていた。馴れ馴れしく寄り付いてくる蓮夢を疎ましく思った のが、遠い過去に感じる。  だが、終わりじゃない。ここから先の個人的な任務の方が遥かに困難ではある。 「と言いたいところだが、外部の人間に頼るのどうかと思うがな。それも気色の悪 い、オカマのホモ野郎なんかに。正直、ガッカリしたぞ」  読み終えた書類がデスクにハラリと投げ置かれた。いい加減、飽きてきたな。蓮 夢を悪く言って俺を挑発するのは。  しかし、何を言っても無駄だ。イワンと言う人間と、ヤツの国はそう言う価値観 で凝り固まっている。  元々イワンは殺してやりたい奴だ。その殺意が増していく。只、それだけだ。 「ほざいてろ、ロシアのクソ野郎が……」 「ここがロシアじゃなくてよかったな。お前も相棒も道端で殺されても、文句も言 えないぞ……」  蓮夢と組む俺も同類か。いや同類ってなんだ。頭に過った言葉を振り払った。  同性と関係が結べる者と組んでいるだけで、こんな言われ様とは。本当に馬鹿げ ている。だから何だと言うのだ。  蓮夢の事を見下し蔑まされると、本当に腹が立つ。蓮夢は尊敬に値する程の意思 や思考、価値観を持っている。評価されて然るべきものが、沢山あるのにも拘わら ず、そんなどうでもいい事で――悔しいな。 「それで? イワン……」  憤る思いは抑えておく。蓮夢の価値は俺が一番よく分かっている。こんな下らな い奴と、その事で押し問答する時間を、他の事に使うべきだ。 「お前等“何処まで”知ってたんだ? チンケな密輸業者の為に、わざわざ日本に は来ないだろ……。何故こんな遠回りをさせた? 情報をくれれば、こっちも無茶 する必要はなかったんだ」  言われた通りの仕事をこなした。イワンに指示をした“組合”に属する組織など 大した興味はない。  引っ掛かるのは、わざわざ殺し屋に情報ゼロで調査を一任した事だ。イワンの俺 に対する個人的な仕打ちにしても、効率が悪過ぎる。 「遠回りじゃない。寧ろ、予定通りだ……」 「一体、何が目的だ? “組合”は何をしようとしている。いや、お前は何を企ん でいるんだ?」  わざと調査に時間が掛かるのを放置していたのは、イワン個人の“狙い”がある からだ。  蓮夢と組んでから、二人で無駄なく行動してきた。危険な橋も渡ってきた。だと しても、人手も人材も不足してる。  何らかの“時間稼ぎ”そんな印象を抱いている。  罰が悪いのか、イワン。デスクを立ち上がり、俺達の仕事の成果を黒い革鞄にし まい込んで、椅子から腰を上げた。  殺気とまではいかないが、イワンから緊張が伝わってくる。――身構えている。 「任務は完了だ鉄志。報酬でも受け取って、相棒でも買って慰めてもらえ」  部屋を去ろうとするイワンの前に立ちはだかり、胸を押して壁に突き飛ばす。そ れ以上の事もしないし、怒鳴り散らす様な真似もしない。ただ見下すだけだ。 「逆上させて有耶無耶にでもする気か? その手には乗らないぞ。答えろよ、これ は俺達の仕事だ、知る権利がある」  睨み合いが続く。ここで殺し合いになるのなら、それもいいだろう。二発じゃ殺 さないからな、イワン。  良い具合に集中してきたのに、残念ながらイワンにはその気はないらしい。姿勢 を起こし身なりを整えていた。 「なら仲間になれ鉄志。お前の“超感覚”を、この日本で腐らせるな。俺の下につ くなら教えてやってもいいぞ」  ここで“超感覚”と言う言葉が出るとは思わなかった。イワンは俺をそういう目 で見ていたのか。  蓮夢も可能性を示唆していた。この俺が“トランス・ヒューマン”だと。否定す る理由もなく、肯定する必要性もない。どうでもいい話だ。――苛付く。 「仲間になって何をさせる? “トランス・ヒューマン”同士で殺し合えと? ク ソ食らえだ!」  イワンの言っていた次世代の軍隊。それが現実のものとなってきている。人間を 越えた人間が主体となって展開される戦場だ。  昨日まで、実感はおろか想像さえもできない話だったが、今は違う。  海楼商事から奪った情報が、俺の認識を変えた。或いは――目の当たりにした。 「お前は未来をどう生きる?」  結局、以前の会話を繰り返しているだけじゃないか。滅びるだの日本で腐るなだ とか、惨めな未来しかないとか。  だが、今の俺はそうは思わないぞ、イワン。 「俺に未来なんかないって、少し前まで思っていたよ。でも今は違う。未来がなん であれ、俺は戦場にいた頃と変わらず、共に戦い守り合う為に全力を尽くす。そう やって生きると、腹を決めたんでね」  この十年近く、無気力に心満たされていたが、最近はそうも言ってられない日々 に追われて、目まぐるしかった。  そのせいなのか、昔みたいに研ぎ澄まされた感覚とまではないが、冴えていた。  蓮夢と何時までいられるかも分からないし、共に戦う仲間がこれから現れるかも 分からないが、俺の性分はやはりこれだ。  昨日、アクアセンタービルで戦っていて確信した。俺の価値が証明され、活きる のは、そんな――チームワークなのだと。 「滅びゆく島国の、堕落した歓楽街で、男娼だった相棒と面白可笑しく生きてくの も、悪くないかもな……」  あの時はイワンにハッキリ言い返せなかった。  組織も居場所もどうでもいいし、何だっていい。そんな事より、信頼できる親し い者との時間の方が、価値がある事を思い出したんだ。  未来をどう生きるべきか。イワンの示す先端の未来に必死にしがみ付いて乗りこ なすよりも――俺は蓮夢と酒でも飲んでたい気分だ。  好きなだけ軽蔑すればいい。上っ面の気遣いもフォローもウンザリだ。俺が本当 に欲しい未来は、イワン、貴様からは得られない。 「また会おう、鉄志……」  悪態でもついてくるかと思ったが、イワンは不敵に笑い、あっさりと去っていっ た。何故か、清々した気分に包まれる。  イワンに対する恨みは消えないが、心の何処かで敵わない相手と恐れてた感情を 乗り越えた様な気がした。  此処にはいないが“組合”やイワンも、過去の後悔。独りではどうしようもなか った事も、傍に相棒がいるならば、恐れる事なんか何もないと思えた。  同時に深い溜息と失望も込み上げて漏れ出して来る。イワンが座っていた椅子に 腰かけ身体を沈ませて煙草に火を着けた。ライターと煙草の箱をデスクに放る。  頭の中は自分で思っていた以上に、蓮夢の事で一杯になっていた。俺は一体どう したいんだ。  今、携帯を眺めているのも、龍岡の連絡がないかの確認だ。明日、本当に蓮夢は 治っているのだろうか。  達観した事なんて一度もなかったが、仲間に囲まれていた頃の自分と、今の自分 が近く感じられるのなら、俺は親しい相手に対して、相当な依存症があるらしい。  兄弟分、親友、戦友、同志。かけがえのない存在だった。蓮夢も今、そのカテゴ ライズの中に存在している。しかも主張の激しさはダントツだ。  抵抗がない訳じゃない。意識の中の、奥の奥の方には確実に“隔たり”がある。  それに本当に蓮夢の事を想うなら、この仕事の後は距離を取るべきだ。  こんな時に真剣に悩む様な事じゃないと思いたいが、しっかり向き合わないとな らない。イエスでもノーでも、可能なのか不可能なのかでも、蓮夢の気持ちに答え るのは相棒として、義務の内だと言う事は間違いないだろう。  “深くて自由な関係”か。ダイナーで蓮夢が求めた関係。今になって思えば、な んと都合の良い言葉か。――恐れ入るよ。  益々、酒が飲みたい気分になった。あれだけのデカイ仕事をやり遂げたんだ。祝 杯の一杯や二杯やってもいい筈だったのにな。  他に考えるべき事が山程あるが、これもお座なりには出来ない。自分自身に向き 合って、明確な答えを見出ださないと。椅子から立ち上がり、煙草を踏み消す。  部屋を出る前に表情を作る。オフィス内はまだまだ忙しない、腑抜けた顔は見せ たくなかった。  オフィスを抜けてエレベーターの前に着くが先に待っていた連中を行かせて、次 を待つ事にした。連絡が取れないが、河原崎は地下の書斎にいるだろうか。  確証はない、状況から読み解く範囲の内になるが、やはり海楼商事の作り上げて きたものを“組合”は欲している様だ。  その時点でイワンの側は海楼商事が日本で何をしていたのかを事前に知っていた と言う事になる。大方、正確な位置や規模を知りたかったのだろう。  エレベーターが上がって来る、レトロデザインのエレベーター。縦と横のシャッ ターがカシャカシャと音を立てて開く。モーター音に包まれる箱の中、腑に落ちな い部分に思考を巡らせた。  “組合”が海楼商事に興味を持つのは理解出来る。その点に置いてイワンが抜擢 されるのも納得できた。  しかし、イワンからは何か別の狙いもある様な気がしてならない。海楼商事から 奪った密輸関連の膨大なデータやリスト。その中の何に関心を持っていたのか、探 りを入れてはみたが、読み取る事が出来なかった。  売り買いの為ではない人攫い、人も兵器も思うままに密輸して招き入れる海楼商 事。他国の“組合”から派遣されたイワンと奴の傭兵部隊。偽銃製造業への大量発 注と、幾つもの点が繋がっていくが、何か重要なものと繋がっていない様な気がす るのだ。  そして、その繋がらない情報はきっと多くの者にとって致命的な不利益をもたら す様な気がしてならない。かと言って、探ったり未然に防げる様な時間があるとも 思えない。――非効率な俺達の任務が時間稼ぎだったなら。  何よりも、蓮夢の目的であるクライアントの身内の救出をどうするか。  “組合”が目を付けてる状況で上手く動けるのだろうか。もっと情報が必要だ。  地下二階でエレベーターが止まる。河原崎の書斎は一番奥だ。  日本の“組合”が一切関与しないなんて事はない。必ずイワンを経由して何かし ら指示はもらっている筈だ。それを問い詰める。  内容次第で、今後の俺達の動きも決まって来る。俺と蓮夢、そして蓮夢のクライ アントの目的は人命救助だ。  イワン達と“組合”に加えて、忍者野郎の雇い主はこの街の行政機関。ピンポイ ントな任務でも障害が多い。それをどう掻い潜って目的を果たすのか。蓮夢が復帰 するまでに固めねば。  書斎の前まで来て、扉をノックする。木製のアンティークなデザインでも頑丈な 電子ロックが何重にもかかり、鋼鉄とカーボンプレートが埋め込まれた防弾仕様の 扉だ。この建物の中で最も安全な部屋だった。  何度もノックをするが反応がない。不在なのか。アポイントは秋澄を通していた のに電話にも出ないし、どうなっているんだ。 「組合長は御不在だ。何か伝言があれば聞いてやるぞ、鉄志……」  後頭部からの声に振り返る。――ワン・ルオシー。  組合長の補佐役にして代理人。中国から帰って来ていたのか。この女は正直、苦 手だった。よりにもよって話せるのがコイツだけとは。 「直接話す。河……組合長は今何処に? 連絡を取りたい。それと秘書役は?」 「秘書役も組合長に同行している。今日は諦めるんだな」  日本に“組合”の支部を設ける話が出た際に、亜細亜圏で随分な反発があったと 河原崎から聞いた事がある。  裏社会の権力者にとって、無法地帯の日本ほど旨味のある市場はなかったが、そ こを日本人主体の“組合”が仕切るとなれば、面白くもない。  ルオシーは所謂、監視役だった。大陸の同胞である、島国の“組合”を手助けす ると言う御題目で派遣された補佐官だった。  見え透いている。いずれは大陸の“組合”に取り込もうと考えているのだ。  大陸の支援はありがたい実情はあれど、河原崎にとっては気の許せない相手だっ た。勿論、俺達“組合”の属する日本人にとっても。 「約束はしていた、問題ない筈だ。今何処にいるんだ?」 「“上”のレベルでの秘匿事項だ。何時も言ってるだろ鉄志、組合長と秘書役の時 間は重要なものだ。昔馴染みと言うだけで好き勝手に出来ると思うな」  始まった。コイツだけは何時も正しい上下関係を突き付けてくる。本当に面倒な ヤツだ。確かに日本の“組合”は若いし、緩いところがある。紀元前から引き継が れてきた掟は、ある種の“プライド”であり、厳格に努める事は誉れである。  結局、組織に大いに貢献した来た手練れと持て囃されても、所詮は駒の一つに過 ぎないって事か。正しいルールってヤツを出されると、何も出来やしない。  だから何時もコイツを避けて、秋澄や河原崎に直接会う様にしていた。今日は間 が悪い。  組合長と秘書官が自ら動かなくてはならない要件とは何だろうか。余程、重要か 緊急の案件だ。 「“上”って何処の“上”だよ? お前のか、それともイワン・フランコのか?」  こんな事で時間を無駄にしたくないかったが、ルオシーが折れる事はない、どう したって取り合わないだろう。圧をかける様に迫って見せても、視線は相変わらず 俺を見下していた。  一体、何があったのか。河原崎達が直接動く様な事なんて、今は海楼商事の件以 外ない筈だ。  ルオシーはどっちの側だろうか。欧米と亜細亜も水面下で常に権力と利権の奪い 合いと牽制を繰り返している。海楼商事の秘密には興味がある筈だ。  海楼商事が無法状態の島国で作り上げた物を、遠く海の向こうにある“組合”が 欲している。この国の“組合”は――どこまで関わっているんだ。  何だろうか、ここに来て妙な胸騒ぎを覚えた。 「お前のレベルで知る必要はない。後日改めるか、伝言を残していけ」  言う事は同じだが、イワンの名前を聞いて、一瞬右眉がピクリと反応していた。  少し読めた。どうやら亜細亜の“組合”は海楼商事の件については出遅れている 様だ。もう介入の余地はない。  尤も、この国の“組合”も何処まで介入出来ているのか。そこが不安要素だ。  ここから先、勝手を通す余地がなくってしまったら。どうやって蓮夢の手伝いを 出来るだろうか。  それを確認するにも組合長がいなくては始まらなかった。 「お前さんに言う事なんて、何もない。せいぜい眺めてろ……」  他に何か出来る事はないかと考えてはみるが、秋澄から連絡が来るのを待つぐら い残っていない。今日はここまでか。  踵を返して、エレベーターへ向かう。ルオシーの視線を感じつつも、次の一手を 考えていた。  “組合”がどう動くか、おおよその検討は付いているが、詳細に関しては河原崎 から直接聞くしかない。不本意だが――二人で赴くしかなさそうだ。  携帯の画面を開く。もどかしい事に通知は何もなかった。一先ず安田に連絡する 事にした。 「安田か? 明日、店に行く。スペアの装備品を全てもらっていく。それとCra ckerImpの預かり物も全て使える様に準備しててくれ、昼には行くぞ」  相変わらず電話に出るのが遅い。あれこれと言い訳を言ってくる前に、用件を話 しておく。  安田は案の定、ブツブツと何か言ってきたが、耳に入ってこなかった。どうして コイツは何時も物事を渋るんだ。その部分にのみ腹が立った。 「いいか、急ぎだ。何よりも最優先だぞ。前も言ったが、二発で仕留めるとは限ら ないからな!」  電話を切ってエレベーターに乗り込む。いよいよやる事がなくなってしまった様 な気がするが、まだ何かやれる事があるんじゃないかと、頭の中を掻き回す。  遠く及ばないが、蓮夢は何時もこんな感じで、常に思考を巡らせていたのだろう か。瞬間的な思考は得意だが、長期的な先読みは蓮夢と違い苦手らしい。  エレベーターのボタンも押さず、壁に寄り掛かると、一気に力が抜けてきた。  沸々と沸き上がってくる不安。俺達“組合”が、俺が――蓮夢を裏切る事になる のか。  その可能性は始めから存在していた。蓮夢と組んだ最初の頃は、ハッカーなんて 都合よく利用してやれと、自分の任務が最優先と思っていたのは事実だ。  手を貸してやりたいと思った時は、組織の隙間を上手く掻い潜れる自信もあった が、前提としていた状況と実際の状況はまるで違う。  河原崎に直接、確認するまでは僅かながらの希望はあるだろう。しかし、絶望は 既に俺の片足を掴んでいた。

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