9.― JIU WEI ― 大歓楽街、輝紫桜町。 今宵も相変わらず喧騒と妖光に包まれて、淀み漂っていた。 正面にある建物のショーウィンドウはブルーシートが貼り付けられ、閉鎖された ままだった。警察のオートマタが二機警護している。微動だにしないオートマタを 尻目に、立体ホログラフは際どい衣装の男性と女性をうねらせ、周囲を妖しく挑発 していた。 二日前に銃撃戦が起きた事など気にもせず、町行く人々は浮かれ顔で熱に魘され ていた。 雑居ビルの屋上から、これを見下ろしていると、彩子さんが嫌悪を露にするのも 理解できる。あの場を歩いていると、中々感じにくい感覚かも知れない。 多様を極める人々、モラルも恥もなく欲望を煽り、堕落に身を浸しているのが垣 間見えた。 待ちに待った連絡が来た。CrackerImpからのダイレクトメール。 こちらのメッセージに反応できない事への謝罪から始まる文面。事情を知ってい るから気にならない。そのまま続いたメッセージは、弟のジャラを救うに当たり非 常に厳しい状況になっていると言う内容だった。 “直接会って話したい。輝紫桜町の静かな場所で待つ”と締め括られる。改めて 実感する。私はこの人を知っていたと。――ポルノデーモン。 資料室に籠っている彩子さんと鷹野さん、鵜飼にも知らせていない。メールを見 てから無心で動いていた。ハッキリとした理由もなく黒衣を身に付けて輝紫桜町へ 来てしまった。 遂にCrackerImpに会える。今までずっと、会ってみたいと望んでいた 人に。私に希望を与えてくれた人に。 しかし、今は胸踊る感情はなく、心は複雑に絡まり合っていた。 どんな顔をして会えばいいのだろうか、何を話せばいいのか。不安でもない、緊 張でもない、何故かモヤモヤと浮わついた気分だった。 姿は見えなくても、何時も優しくて、寄り添ってくれたCrackerImp。 地獄と比喩される輝紫桜町で着飾り、意気がりながらも、現実に心磨り減らしな がら生きているポルノデーモン。 今までの、さりげないやり取りの中にあった、本業や仕事中と言う言葉。 良い人だと言えば、自分をそう思えた事はないと言う。今となってはその一つ一 つが重たく感じる。偽りも飾り気もない、本物の言葉だった。 きっと彼が他人に知られたくないであろう事を、私は知っている。そして私が何 者なのか、既に知っている。待ち合わせ場所を知っている前提のメッセージだから だ。あの殺し屋から情報が漏れたのだろう。 どんな顔で会えばいいのか。――こんな狐の面など、気休めにもならない。 屋上の反対側へ足を運び、約束の場所へ向かう事にする。念動力と二本の尾を使 い、建物から建物へ跳躍していく。あっという間に広場に着いてしまった。桜の木 が聳え、ノイズキャンセリングが張り巡らされた静寂の広場。 輝紫桜町で静かな場所、ポルノデーモンと過ごした共通の場所だ。 見下ろす限りでは、広場は無人だった。あのノイズキャンセリングのワイヤーを 避けて地に着いた瞬間には、この喧騒も消えてなくなるだろう。 尾をしまい、深呼吸してから飛び降りる。菱形状に張り巡らすワイヤーの隙間を 抜けて、迫ってくる地面へ向けて念動力を発動させる。僅かな衝撃を全身に受けて 降り立つ。歓楽街の音は悉く消え去り、噴水の水の音が心を落ち着ける。 周囲を見渡すが、誰もいない。煌びやかなイルミネーションが咲き乱れる、中央 の桜へ向かった。 遺伝子組み替えによって紫の花が咲く事もあるらしい立派な大木。またケバブが 食べたくなってきたな。 食欲が沸き、気が緩みかけた瞬間、ぞわりと全身に鳥肌が駆け巡った。耳元を撫 でる柔らかい吐息。 「うっ!」 反射的に念動力で押さえ込んだ。慌てて振り返ってみると、九つの念動力に捕ま れたポルノデーモンが宙に浮いていた。 咄嗟の事だったので、拘束すべき箇所がメチャクチャになっている。 「こ、降参! 降参!」 拘束していない左手を振ってジタバタと踠いていた。 胴体以外の念動力を解除して、ゆっくり下ろすと、ポルノデーモンはその場にへ たり込み、薄い笑みを浮かべていた。 レオタードの様なインナーと腰まで下ろされたボトムス。今まで見た中で一番露 出度が高い容姿、薄めのメイクで強調された目。ビビットピンクの混ざる前髪が滑 らかな流れる。――相変わらず悩ましい色気を放っていた。 「凄いな……本物のサイキックだ。しかもコスチューム、超イケてる」 本物だ、輝紫桜町のポルノデーモン。なんか、凄く久し振りに思えた。 思い返せば、この広場で彼と過ごしてから以降、常に戦いばかりの日々になって 行った様な気がする。鵜飼との衝突、港区の密輸業者に密輸船。 自分とは違う世界の人。そんな隔たりを持ちながらも、私を引き付けて離さない 存在。常にスマートで紳士なCrackerImpとは違う。剥き出しの感情と失 望を内包した妖艶で混沌な雰囲気。――故に危険な気配も常に放っている。 「また会ったね、美人さん……。いや、リィ・ユーチェン。CrackerImp は俺なんだ……」 黒衣も狐の面も全て透かされている様だった。何か話さないと、面を外して向き 合うんだ。そして――どうすればいいのか。 彼はCrackerImpなのか、ポルノデーモンなのか。どう向き合えばいい のか、綯交ぜになる自分の感情がもどかしい。 「ガッカリしたろ?」 「え?」 視線を逸らし、下ろされた右肘を掴んで、歯痒く表情を歪ませた。 「君には知られたくなかったな……。お人好しのハッカー。それだけで在りたかっ た。でも、俺はこの街で身体を売って生きてきたポルノデーモンさ……。それしか 生き様がなかったんだ。俺にとって、CrackerImpって…… 」 自分で何をしたのか、一瞬分からなかった。ただ、これ以上の彼に悲しい言葉を 言わせたくなかったのと、奥に潜んでいた感情が噴き出しまったかの様に、私は彼 に抱きついていた。 「アナタに会いたかった……。希望を与えてくれたアナタに……。他の事なんかど うでもいい、私にはアナタしか見えない……」 もう、訳が分からなった。ポルノデーモンに、CrackerImpに、抱いて いる感情は同じ様で違うんだ。――それが混ざっていくのが、恐いのだろうか。 それでも、彼に会えた事が嬉しい。今はそれだけが確かな事だった。 「ありがとう……」 優しくも、確かな力で抱き返して来る。心地良い圧迫が鼓動を高めるが、不快な 息苦しさを緩やかに落ち着けて来る。 抱き締める腕を緩ませ、実に自然に面のベルトを外されてしまう。晴れた視界に 映る彼は、相変わらず綺麗だった。 「でも、状況はかなり悪い。説明させてもらえる?」 「サイキックの兵士達の事? ジャラも兵士になっているの?」 彼からもらった海楼商事の情報は、全てを白日の下に曝したが、突飛で常識から 逸脱し過ぎた情報を正確に理解するには、私も彩子さんも随分時間がかかった。 亜細亜、欧州を中心に、海楼商事を含む巨大な組織がやっていた事は、無作為な 人攫いではなかった。――サイキックのみを攫っていたのだ。 そして無法状態の日本で秘密裏に作られた軍事施設で、強制的に兵士となる為の 訓練を受けさせ、ゆくゆくはユニット単位での売買、または民間軍事会社の運用を 計画していた。 サイキックを筆頭に人を越えた能力を持つ人達“トランス・ヒューマン”で構成 する、次世代の戦闘部隊。 幼稚に思える発想だが、実現可能な域にまで達していた。既存の戦闘ロジックか ら逸脱し、予測も対策も立てられない、最強にして混沌とした戦闘部隊。 「可能性は高い、でもそれだけじゃないんだ。行こう、俺の相棒が鵜飼を呼んでい る。四人で話したい」 その直中に弟のジャラも巻き込まれてしまったのだ。気の弱いあの子が、兵士だ なんて。何もかもが信じ難い現実だった。 相棒と言うのは、あの“組合”の殺し屋の事か。メール越しでも、信頼や好意を 寄せている様子だったけど、殺し屋なんて物騒な肩書の者だと、危うくも思える。 抱き寄せた身体を離し、狐の面を手渡された。 「鵜飼も此処へ?」 「なんでも仲間だって聞いてるけど……」 アクアセンタービルでは互いを認識できなかった、鵜飼から殺し屋へ渡った情報 だろう。 広場の出入り口である、レンガ造りのトンネルへ足を運ぶ。以前とは反対方向の 出入り口だった。彼の後ろに付いて行く。 「初めは敵同士だったけど、その後、手を組む事になった」 「好戦的だなぁ、あの忍者……。俺もアイツに刺されたよ、鎖の付いたヤッパでグ ッサリとね」 右肩を摩りながらサラッと言ってのける。アクアセンタービルでは、気を失って 担がれていた状態だったけど、今はダメージが残っていない様な雰囲気だった。そ れとも無理をしているのか。 「まったく、アイツは……」 思い起こせば、鵜飼は何時も先手必勝だな。本人なりに考えがあっての事なんだ ろうけど、乱暴だ。 話す事が大事と言われて実戦して見事に失敗した。幸か不幸か、それがキッカケ で衝撃波を発動できる様になったけど。 彼なら、あの荒くれ者も手懐ける事が出来るのだろうか。 「とにかく、今はバラバラに動いてもどうにもならない。情報も行動も共有し合っ て、問題解決に取り組まないと」 トンネルを抜けると、騒がしい歓楽街とはガラリと様相が変わった。街灯はほと んどが灯っておらず、全体的に薄暗い。車道はひび割れが目立ち、歩道を歩く人達 はまばらで、遊びに来た人間とは明らかに雰囲気は違った。この街の人間か。 「私に出来る事があれば何でもする。その為に日本へ来た」 「俺も出来る限りを尽くすよ。もう少し行った先に林組ってヤクザの事務所後があ るんだ、そこで鵜飼達と合流できる筈だよ」 気が急いているのか、結構な早歩きだった。後に付いて行くこっちは小走り気味 になる。 横道や路地裏から人の気配を感じ、緊張感が増す。頭の後ろから僅かに歓楽街の 喧騒が聞こえる。少し道を逸れるだけで、こんなにも雰囲気が変わるとは。手慣れ た感じで、歩道から迷路の様に入り組んだ裏路地を右へ左へ進んで行く。 会話できないのが少し気不味かったが、付いて行くのもそれなりに大変だったの で、あまり意識しない様にする。 裏路地を抜け、大通りからまた裏路地へ、黙々と進む十分弱の道のりで、開けた 大通りへ出た。三、四階建ての古いビルが立ち並び、まばらな明かりは朧気で薄気 味悪かった。――同じ輝紫桜町とは思えない。 モノクロームで寂しげ。街灯もほとんど壊れていて、相変わらず薄暗い。 突然、ガラスの割れる音と怒鳴り声が静寂を切り裂いた。それほど遠くない距離 から聞こえて来た。 音のする方へ、二人で駆け寄って行くと、廃ビルの前で男が二人組み合って、激 しく壁に打ち付けていた。 暗がりでハッキリしないが、あの外見は間違いなく忍者のそれだ。――鵜飼。 「この犬畜生が!」 「クソ忍者め!」 話し合う為に呼ばれた筈の鵜飼と、彼の相棒である殺し屋が揉めているのか。状 況が飲み込めなかった。 「ちょ、ちょっと! 何やってるんだよ!」 止めに入ろうとするが、中々踏み込めなかった。 鵜飼は殺し屋を投げ飛ばし、押さえ付けようとしても、殺し屋も素早く拘束を解 いて、逆に押さえ付け様と馬乗りになる。下手に近づくと、巻き添えをくらいそう だった。 「ユーチェン、お願いしていい?」 それが一番安全で手っ取り早い。鵜飼に五本、殺し屋に四本の念動力で全身を拘 束して宙に浮かせてやる。二人とも慌てる素振りを見せたが、私達を見てすぐに状 況を理解した様だ。 それにしても、サイキックの力を迷う事なく、使ってくれと頼まれたのは初めて だった。不可解な力を前にしても、警戒心を抱かない人間は初めてかも知れない。 「何してんだよ、テツ。話し合う為に呼んだのに、逆効果だろ」 拘束された相棒に近付いて顔に付いた汚れを拭っていた。殺し屋の方は私を睨ん でいるが、殺気だった気配はなかった。 「離せユーチェン!」 一方、私の相棒はまだ頭に血が上っている様だった。見苦しいな、こんな事して る場合じゃないのに。何をやっているんだ。 「頭が冷えるまで離せないな」 「やれやれ、相変わらず困った忍者くんだね」 「触ったら殺すぞ、オカマめ!」 鵜飼に顔に伸ばした手が止まる。一瞬だが、不快な表情を浮かべた。 酷い言い様だ。罵倒にも色々あるけど、差別的な言葉は頂けない。しかし、私も 知らず知らずに差別に繋がる考えや前提を抱いている事もある。 フラットに捉えて“個”を受け入れるには、私も鵜飼もまだまだ石頭だ。 過度に意識するのも良くないけど、今後の事を考えるなら慎重にならないとな。 「そう言われると、触りたくなるんだよなぁ……」 細い指先が鵜飼の頬と胸を滑らかになぞり、巻き付く様に顔を近付けていく。男 性どころか、女性だって簡単には醸し出せない程の妖艷な姿だった。私には刺激が 強い光景である。 改めて思うが、彼は本当に同性を相手出来る人なのだなと、実感した。 「ねぇ、オスなんてチョロい生き物なんだよ……。俺が何人のノンケを、その気に させたか教えてあげようか? お前みたいなチェリーちゃん、秒でイカせてやれる んだぜ。試してあげるよ、お猿さん……」 「鵜飼、冷静に。私達の目的は同じだ、もう睨み合うはよそう」 不純な言葉にはフォローしようがないが、鵜飼に折れてもらわないと話が先に進 まなかった。 早く観念しないと、望まない目に遭いそうだぞ、鵜飼。 「わ、分かった! 何もしない!」 「ユーチェン、鵜飼を離してあげて……」 鵜飼の下顎を指でなぞって離れていく。このまま念動力を解除しても大丈夫だろ うか、鵜飼の実力を知っているだけに、少々不安が残るが。 鵜飼と彼の間に割る込む様に殺し屋が立ちはだかった。相棒を守る気か。 「手を出した事は詫びる。だが、二度はないぞ、言葉を慎め……」 真っ直ぐ鵜飼を睨んでいた。重苦しい気迫がこちらにまで伝わって来る。鵜飼の ヤツ、一体何を言ったのか。 鵜飼も負けじと殺し屋を睨み返しているが、根負けして舌打ちをすると、踵を返 して空を仰いで頭を冷やしていた。 一応、私の相棒だ。鵜飼の傍へ行って肩に手を添える。一瞬睨まれたが、すぐに 瞳を閉じて気を落ち着けていた。 「テツ、もしかして俺の事で揉めたの?」 「そんなんじゃない……」 「今は堪えておこうよ、俺はそう言うの、慣れてるから」 後ろから小声で話す二人の会話に聞き耳を立てていた。テツと言うのは愛称の様 な雰囲気だが。 取っ組み合いの原因は鵜飼の差別なのだろうか。分からないな。鵜飼にそう言う 一面があったとは。 「慣れればいいって問題じゃないだろ」 「だとしても、俺と鵜飼の問題だよ」 「分かった……」 年齢と一概には言えないが、やはりあの二人は私達に比べればずっと大人に思え た。我慢強くて視野も広い。 アウトローのサイキックとハッカー、公僕の忍者、裏社会の大きな組織に属する 殺し屋か。 能力も立場も何もかも違う私達。本当に共闘出来るのだろうか。 「それで、話ってのは何だ?」 一息ついて、鵜飼が振り返って尋ねた。共闘出来るのかも重要だったが、彼の言 う、かなり悪い状況と言うのも早く知りたい。 手に入れた全ての情報を含めた、その先の情報を。 「ここで話すのもなんだから、場所を変るよ。すぐ近くにある」 「飲み屋じゃないだろうな?」 「もっと静かな場所だよ、話しも付けてあるから」 殺し屋テツの指摘をブラブラと手で払いのけて、彼は歩き出した。どこへ行こう と言うのか。 まだ警戒気味の鵜飼とを尻目に、テツが彼の横を歩いた。鵜飼と目が合うが、す ぐに彼等の後ろをついて行く。――そう言えば私。 「待って」 呼び止めた声に三人が振り向く。鵜飼とテツの間を通って彼の元へ行くと、彼も 正面を向いた。 「まだ、名前聞いてなかった……」 「蓮に夢で、蓮夢って言うんだ。よろしくね、ユーチェン」 蓮か、心の中で納得してしまった。強くて美しい花だ。 時に地獄と呼ばれる輝紫桜町で生きてきたポルノデーモン。電子の世界を駆るC rackerImp。 やっと全てが繋がった様な気がした。蓮夢、アナタに出会えて本当によかった。 「こちらこそ、蓮夢」 蓮夢は微笑むと、再び歩み始めた。その横をテツがほぼ並んで歩き、後を鵜飼と 私が付いて行く。 少しづつ、歓楽街の喧騒が近づくにつれ、街も色を取り戻していった。 この人達と共に、前へ進まねば。暗がりに差し込んで飛び交う、ネオンの彩りに 身体を包まれながら私達は前へと進んで行く。
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