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13.― JIU WEI ―  本当に強い。姉として、サイキックとして悔しく思う。ジャラは全ての面におい て優れ、強かった。――戦う事だけに費やした五年だ。  五階建ての居住エリアを縦横無尽に飛び交い、探る様に戦っては身を隠すを繰り 返している。正面から戦うのは危険だった。  ロックの掛かっていない、もぬけの殻となった部屋に入り込み身を隠す。衝撃波 を放ったばかりで、今は念動力が使えない。  狭い部屋に二段ベッド三つと洗面化粧台が一つ、四隅には監視カメラ。こんな所 に六人を詰め込んでいたなんて。考えただけで気が狂いそうだった。  マスクとヘッドギアを外す。そんな簡単な事が出来ずに互いに消耗していくばか りだった。  どうやらジャラの衝撃波は“拳”から発せられるものらしい。サイキックは脳波 から発せられると言う決まりはあるが、手先の動きやイメージが促進させる一面も ある。ジャラの場合は拳を突き出す時だった。  念動力は概ね私と同じ様だが、かなり大雑把で不器用に思える。同じ様で結構違 うらしい。  ジャラの戦法は、正面に敵を見据えて接近戦に持ち込み衝撃波を繰り出す。近付 かないと役に立たない。対処するなら、両腕を封じるか、後ろへ回りこんで抑える か。いずれにしても近付くしかない。でなければ、衝撃波を織り混ぜた忍者仕込み の体術が憚る。  奇襲して両腕を攻撃しようとすれば“拮抗”で防御される。そうなると最後は決 まって押し負けてしまう。  勝てないと分かってて戦うのは馬鹿だって蓮夢は言ってた。でもこれじゃ話す事 も出来ない。  今出来る正攻法では八方塞がりだった。残された方法は、思い浮かぶ限りで一つ しかない。もし――“拮抗”に勝つ事が出来れば。  ジャラの感脳波を相殺して無効化出来れば、念動力で拘束して、マスクとヘッド ギアに触れる事が出来る。  戦って逃げて、他の方法を探してみたが、やはりこれ以外に見付からなかった。  正面から仕掛けて、間合いを詰めて“拮抗”を促し、これに打ち勝つ。私にとっ て今、最も苦手な事だ。  少しづつ、コツの様な感覚は掴めているが、ジャラとは経験値が違い過ぎる。競 り負ける度にこっちの命が危うい。  これしかない。これ以外の選択肢は選びたくなかった。ジャラを傷付けて無理矢 理動きを封じて抑え込むなんて。助けてしまえばなんて言い訳はしたくなかった。  念動力が使えるようになったと感覚が知らせてくれると同時に、ズリズリと足を 引きずる音が聞こえる――ジャラが私を探していた。  息を殺して窓の下に張り付く。すぐそこまで来ていた。鼓動の高鳴りが全身の酸 素を奪い眩暈がする。また弟に向かって力を向けなくてはならないのか。この世界 で、何よりも、誰よりも傷つけたくない者に。  壁一枚を隔てて、ジャラの息遣いを感じる。早く決断しなくては、ここで小さく 蹲っていて何になる、やるしかないんだ。完全に不利な“拮抗”でジャラに打ち勝 たなくては救えないんだ。半端な想いを捨てて覚悟を決めろ。  脳裏に思い浮かべる、母と彩子さん。蓮夢や鉄志、鵜飼。そして私に、今この瞬 間までの生きる理由を与えてくれた叔父。  私がやらなくてはならない。私にしか出来ない戦いだ。――必ず助ける。  ジャラの気配がズリズリと離れていく。姿勢を起こして窓の外をゆっくり覗き込 む。もう少し距離を置いてから追いかけて奇襲を仕掛けよう。九尾の使用は移動や 防御のみ。攻めの方法はジャラに向かって直接念動力を向ける。その時に抵抗する ジャラと“拮抗”した時が勝負だ。  立ち上がり入り口の傍で聞き耳を立てる。大分離れた筈だが。鼓膜と脳を響かせ て来るのは、地鳴りの様な違和感だった。  違和感の先に視線を移すと同時に、真横の壁が派手にひび割れて吹き飛んだ。壁 を突き破っても尚、勢いが弱まらない衝撃波に身体を押し出されて、反対の壁へ叩 き付けられた。  隣の部屋から破壊した壁を乗り越え、ジャラが迫ってくる。見開いた目から冷や やかな殺意を感じた。  念動力で破片を集めて、ジャラに投げ付ける。衝撃波で弾いた瞬間に窓を突き破 って外に出た。体勢を整えてからじゃないと“拮抗”で勝てる気がしない。タイミ ングを作らねば。  九尾を使って二階、三階とよじ登って行くが、ジャラも衝撃波を利用して高く飛 び上がり、すぐに追い付いた。 「ジャラ! 目を覚まして! 私よ、ユーチェンよ!」  意味がないと分かっていても何度なく呼び掛ける。想いや絆なんて、この現実の 前には無力だと突き付けられた。  ジャラの衝撃波混じりのトンファーを九尾で捌いていく。大分、身のこなしや攻 め方の傾向が分かってきたが、速い上に一撃が重く、反撃の機会は少ない。  加減して戦う余裕はない。かと言って本気で戦う訳にもいかない。逃げ続けて好 機を見付けるしかない。  トンファーの猛攻に足技が入り始める。ここに隙があった。ナイフで刺した傷が 響いている。  おそらく衝撃波を発動する限界が近付くと、体術の幅を広げて、時間を稼いでい るのだろう。私が衝撃波を放つと、しばらく念動力が使えないのと同様に、ジャラ も衝撃波を連発し続ける事が出来ないのだ。  僅かに開いた間合いを狙って、四階の反対側まで跳躍する。ジャラも追ってくる だろう。飛び上がって向かって来た時に、念動力で拘束してやる。  振り向くと、ジャラは頭上より高く飛び上がって、無数の苦無を一斉に投げ付け てきた。九尾を盾に何とか凌ぐ。通路に降り立ったジャラは再びトンファーを構え 直していた。――本当に強い。  ナイフを手にして九尾で牽制していく。下段から上段まで、突き出しの猛攻で近 付けさせない。  横薙ぎの攻撃を加えていくが、ジャラも私の手の内に慣れてきたのか、見事に捌 いていく。なら――これはどうだ。  二本の尾を同時に振り上げと振り下ろしで挟み込む。咄嗟に両手のトンファーで 受け止めたジャラがよろめいた。  九尾から念動力を解除して、ジャラのトンファーに向けて九つ全ての念動力を集 中させる。鋼鉄製のトンファーをUの字にねじ曲げる事に成功した。  そのまま勢い任せに掴みかかって、マスクとヘッドギアを固定するベルトにナイ フを突き立てようとするが、ジャラも私の首を締め上げてきた。あと少し、あと少 しなのに。  気が遠くなりかけたところで、ジャラに投げ飛ばされてしまう。九尾が身体を支 えて、後方へ跳ね下がった。ジャラの耳から血が流れている。  丈夫に編み込まれたベルトで、なんとか半分ぐらいまで切る事が出来たが、これ 以上は限界だ。もう次はないだろう。完全に拘束して確実に外すしかない。  マスク越しに荒い呼吸を繰り返すジャラは、使い物にならなくなったトンファー を足元に落として、二本の苦無を逆手に持って構えた。ジャラは私が死ぬまで戦う 事を止めないだろう。  ジャラが姿勢を屈めると、衝撃波を地面に放ち、一直線に飛び出してきた。なん て速さだ。  九尾を繰り出しジャラの攻撃を弾くが、滑る様な身のこなしと目にも留まらぬ手 数に圧倒された。苦無が左腿を切り裂いて痛みが走った頃には、後ろに回り込まれ て背中も斬られてしまう。膝をつきながらも、九尾を振ってジャラを遠ざける。  ガルーシャで作られた黒衣のお陰で背中の傷は浅く済んだが、かなり追い詰めら れてしまった様な気がした。  これ以上、時間を使える程の余裕は私にはない。  覚悟を決めよう。最後の手段だ。ジャラを陽動して“拮抗”を仕掛ける。  私が死んでジャラは忍者共の元へ行くか、マスクとヘッドギアを外してジャラを 解放出来るか。本気の一か八かだ。  ゆっくり立ち上がり、呼吸を整えてジャラを見据える。虚ろ目に疲労感を僅かだ が感じ取った。ジャラも早く決着を着けたいと思っている筈だ。 「ジャラ。母さんも私も、貴方の事を愛してる。必ず助けてあげるから……」  私達の想いも知らずに、ジャラは再び襲いかかってくる。情け容赦なく放たれる 衝撃波が周囲の物を破壊していき、その内の一撃が大きな配水パイプを潰して、巨 大な水飛沫が上がった。水柱や飛沫に穴が開く様に衝撃波が襲いかかって来るのが 見える。  念動力で足場を破壊して、ジャラと距離を取った。物ともせず飛び越え、更なる 猛攻を浴びせて来る。――少しだけ本気を出そう。  重ねた九尾を滑らせ、上へ下へ振り回し、身を捻って薙ぎ払う。滑らかに舞う鋼 鉄の九連撃。衝撃波で多少は崩せても、完全に止める事は出来ないだろう。  こちらが押し返して来た。ジャラなら必ず間合いを取り直す筈だ。ほんの少しだ け、九尾の動きを鈍らせると、そのタイミングを逃さずジャラはバク転で一気に距 離と取った。九尾を地面へ突き刺して勢いよく飛び上がり、再び屋上へ戻る。  破裂したパイプからは尚も轟音と共に水飛沫が舞い上がり、空に虹を浮かび上が らせていた。これがこの世の見納めにならなければいいが。  背後からジャラの気配を感じる。手にしたナイフを捨てて、黒衣のベルトを念動 力で全て外して脱ぎ捨てる。――ここからは九尾は不要だ。  覚悟を決めろユーチェン。九尾の黒狐ではない、一人のサイキックとして、これ から始める事に集中するんだ。徹底的に感覚を研ぎ澄ませ。  念動力で浮いている黒衣をその場に脱ぎ捨て、振り向いてジャラを睨み付ける。  私の中にある、荒ぶる妖も“我”も、何もかも全て解き放て。 「さぁ、かかって来い! ジャラ! お前の為だけに費やした私の五年を見せてや る! 長かったぞ五年はっ!」  向かって来るジャラの足取りが重くなっていく。既に念動力で掴んでいたが、徐 々に抵抗を感じ始めてきた。ジャラがゆっくりと近付いて来る。一歩進む度にこち らが押されて行くような圧力を感じた。  脳の表から裏までピリピリとした違和感。――これがジャラなんだ。  サイキックの脳波が入り込んで来るこの感覚を拒むな。集中しろ、感じ取れ。ジ ャラの“波長”に合わせるんだ。  両足でしっかり踏ん張っているが、どんどん後ろへ押されていく。焦らずに少し ずつ、少しずつ。だんだん分かってきたぞ。  抵抗感が和らいでいく。おそらく、ジャラの“波長”から私の“波長”がジャラ に干渉してきている状態だろう。  “拮抗”はサイキック同士の感脳波を感知して“波長”を乱し、能力を無効化す る戦法の様だ。力と力の激しい衝突ではなく、かなり繊細な感覚が必要になる。  勝てない訳だ、相手の“波長”を感じながらも、力任せに自分の脳波を発してい れば、どんどん入り込まれてしまう。  拒めないのも厄介だ。受け入れて、それとなく相手の度合いに重ねて、自分の波 長を強めていく。ラジオのチューニングの様にはいかない。だからこそ、集中しな くては。  九尾で攻めるか、衝撃波を使うか、ナイフを使うか。今の私には気が散る選択肢 だった。だからこそ一か八か――己の身一つで挑むしかない。  感脳波や“波長”なんてものを気にした事なんか一度もなかった。もし、母が生 きていて、ジャラと共に暮らしていたなら、この感覚を当然の様に理解したのだろ うか。或いは母から何かを学べたのだろうか。  周りにサイキックがいなかった私には、不可抗力なハンデになった。  余計な事を考えていると、ジャラが巻き返してきた。凄まじい圧力に足元が砕け て、身体を少し沈められてしまった。集中しろ、一瞬たりともジャラから目を逸ら さずに。  小刻みな振動を全身に感じながら、ジャラの“波長”を感じ取っていく。脳内を 激しく掻き回してきそうな危うさを感じながらも、悪い気はしなかった。弟の“波 長”を受け入れられるのなら、何か――不思議な感じがした。  ジャラの足元も崩れていき、互いにめり込んでいく。このまま続いたら底が抜け てしまうかもしれない。  穏やか状況ではないにも関わらず、高めた集中力と敏感な気配、身体の感覚を忘 れてしまいそうな、ふわりとした相反する感覚におかしくなってしまいそうだ。  もっと深く、ジャラの眼の奥まで入り込む様に、あと少しで届きそうだ。  あと少し、ふと気付くとジャラは右手を上げて苦無を握り直す。このまま衝撃波 を放つつもりか。――そんな事はさせない。  あまり意味はないが、右手をかざして念動力で抑え込む素振りを見せつつ、一歩 前へ進む。恐ろしく脚が重たかった。私とジャラの間だけ重力が違う様に思える。  ジャラの目が大きく見開き、マスク越しの呼吸も少し荒かった。  実感はないが、もしかすると――私の方がジャラを追い詰めているのか。  チャンスかもしれない。しかし一瞬でも気を抜けば“拮抗”は破れ、そのままジ ャラの衝撃波を食らってしまう。逸る気を抑え、慎重に仕掛けなければ。  呼吸すらおろそかになってしまう程の緊張と集中。気が遠くなっていく。一瞬で 決めなくては、ほんの僅かな一瞬でジャラを捕らえなければ。  頭、首、両腕、胴体、両足。一瞬で掴む。ジャラの身体の位置を、しっかり頭に 叩き込んでおいた。一歩、前へ進む。  遂にマスクとヘッドギアに手が届く位置まで辿り着いた。ジャラの目に感情はな いが、必死の形相である。隙あらば即、衝撃波を放とうとしていた。  これが最初で最後のチャンスだ。私にはもう“拮抗”を続けられる余力なんかな かった。――ジャラ、どうか目を覚まして。  “拮抗”を解除して右手から衝撃波を繰り出そうとするジャラの手を左腕で弾い た。間髪入れずに念動力を放つ。ジャラの全身に向かって九ヵ所を掴んだ。捕らえ たぞ。  念動力をそのままに、ジャラに掴みかかって、マスクとヘッドギアを固定するベ ルトを外しにかかろうとしたが、留め具に電子ロックがかかっている。これじゃ外 せない。  ナイフで切り付けた箇所、ここからベルトを千切るしかなかった。残った力を振 り絞り必死に引っ張るが、ナイフでも切れなかったベルトだ。私の腕力だけではど うにもならなかった。  ジャラの首と左足首を掴む念動力を解除してベルトを引っ張る。少しづつ裂けて きた。もう少し、あともう少しだ。  突然、首に強い衝撃を受けて身体がのけ反る。その反動で頬肉を噛み、口から血 が噴き出した。――ジャラの念動力だ。  マスクを引き剥がそうとする私を横目に、殺意を剥き出しにして抵抗してきた。  呼吸器官を直接締め上げてくる。今にも気を失ってしまいそうだった。  まだだ、ここまで来て手放してなるものか。身体と口の中の痛みを噛み締めて意 識を繋ぎ止める。ベルトを掴む手は皮が裂けて血が滲んできた。――あと少し。  マスクの隙間からガスが噴き出し空気を歪める。ジャラの身体が僅かに痙攣し出 した。もう少し、あともう少しだ。  苦痛と焦り、もう叫ぶしかなかった。持てる力全てをかけて叫び、マスクとヘッ ドギアのベルトが千切れた。  反動で両腕が伸び切り、バランスを失って倒れ込む。首を締め上げる念動力から 解放され。器官に流れ込む酸素と血に噎せ返った。  ジャラは頭を押さえ、過呼吸を交えながら呻いていた。掠れ気味の低い声、私の 知らないジャラの声だった。  膝を着いて倒れ、肺を満たしていた毒を吐く様に。空を仰いで力なくジャラは倒 れた。  もう身体を起こす力もない。這いつくばって、倒れたジャラの元へ行く。震える 手を伸ばして、ジャラの手に触れた。感覚は薄れ、ジャラの手が冷たいのかも暖か いのかも分からないが、ジャラはその感触の先に視線を移し、私の顔を見つめる。  きっと、もう会えない。自分のしている事は、単に正気を保つ為の逃避に過ぎな いと、何度疑った事だろうか。もう独りで拒み苦しむ必要もないんだ。  嗚呼、ジャラ。私の弟、たった一人の家族。 「ジャラ……」 「お……姉……さん……」  ぼやける視界が漆黒に染まっていく世界の中で、この手を握る感触だけが確かな 希望だった。  早く起きないと。ジャラと彩子さんと一緒に、これからの事をしっかり考えたい んだ。――新しい家族の未来を。

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