髪を掻き上げてバイクを下りると、私の方へ近づいて来た。無表情で感情は読め ない。会うのは数週間振りだが、以前よりも少しやつれている様な感じがした。身 体にフィットしたレザージャケットのせいもあるが、細く華奢なラインをより際立 たせ、目元には明らかな疲労が出ていた。 話ができる距離まで来た。ポルノデーモンは無表情なままだ。赤黒い暗紫色の目 に釘付けになる。 何か話すべきか、それを考える間もなくポルノデーモンは中指でピンッと私の鼻 を弾いてきた。驚くよりも先に、じわりと伝わってきた痛みに、思わず両手で鼻を 抑えた。 「ったく、夜は危ないから来るなっていったろ。話聞いてんの? それとも、頭と 耳に、綿でも詰めてんのか?」 無表情ではなく、ポルノデーモンは呆れ返っていた様だ。指摘された事について は、返す言葉もない。 「そんなに、この街に興味があるの? 物好きなヤツ……」 「どうして、私だって分かったの?」 ポルノデーモンは私の事を睨みつつも、上の方に視線を移していた。それから間 もなく何かがヒュッと横切った。 飛行型の少し大きなドローンが、ポルノデーモンの隣で静止してゆらゆら浮いて いる。彼の私物の様だが、幾つものカメラやセンサーを搭載した物々しい雰囲気の ドローンは、趣味の域を超えている様に思えるが。 「別に、見覚えのある綺麗な後ろ髪が見えたから。それに此処は俺の街だぜ。大体 の事は……把握してる」 浮いているドローンを鷲掴みすると、控え目なプロペラの駆動音が収まり、真っ 赤にギラ付いていたセンサーの光も消える。 ポルノデーモンはバイクの方へ戻ると、バイクのサイドバックを開いて、ドロー ンから長方形の部品を外してサイドバックへ入れると、スペアの部品をドローンへ 装着させた。バッテリーの様だ。 「まさかとは思うけど、此処で働こうなんて考えてる訳じゃないよね?」 「そ、そんなワケ!」 「なら、この街に何をお求めで? 遊んであげもいいけど、俺は高いよ」 バッテリーを交換したドローンを放り投げると、ドローンは瞬時に姿勢を修正し て空高く飛び立って言った。結局、あのドローンが何なのか、聞く間もなかった。 この街に私が引き寄せられる理由は、どことなく懐かしさを感じると言う理由だ けだ。本来なら、ロクでもない連中にも、男娼にも関わりたくはなかった。独りに して欲しいだけなのに。 それにも拘らず、この男は今、色目とそれらしい仕草で未成年の、それも女の私 に自分を買わないか、と提案してくるなんて、優しいところはあるが、モラルが欠 如している。 「貴方、本当に女性ともするの?」 「何か問題でも?」 ポルノデーモンは不快そうな表情をしながら、閉じていたレザージャケットの前 を開けた。清潔感のある白いシャツ、広めのUネックから鎖骨を見せ付けている。 そう言えば、最初に会った時に比べると、今日の服装は普通に男性的なものに感 じる。あの露出の高い派手な格好は所謂、仕事用なのだろうか。 問題などないが、冗談で人の事を誘惑するのだ、実際できるのかと、聞いてみた に過ぎない。 「だって、その……ゲイなのに」 私が発した言葉と同時に、ポルノデーモンが再び近づいてきた。 しまった、また。と思った時には、再び中指で鼻先を弾かれてしまった。今度は 強めだ。収まってきてた痛みが増していき、苛付きを覚える。 「俺が何時、ゲイです。ってアンタにカミングアウトした? 勝手に決めるな」 私の鼻を弾いた中指を突き立てながら、ポルノデーモンが言った。すぐに言い返 したいが、鼻にじわじわと滞留する痛みを抑えるのに、今は手一杯だった。 「なら、貴方はなんなの?」 「それを教えてやるほど、信用しちゃいないよ。俺は俺だよ、それ以外必要な物な んてないだろ?」 どうにか、話す事ができたが、その“俺”と言う者がよく分からないから、訪ね ているのに。 それすらも失礼に当たったと言うのだろうか。 「アンタから見れば、同性愛者なんてゲイかレズビアンの二択なんだろうな。笑え るね……。でも、お生憎様、人間の心は複雑なんだよ。そして何時も目に入る形が 惑わすから厄介で面倒臭い」 ポルノデーモンは煙草を取り出し、火を着けようとしてるが、ライターからは中 々火が出ず、手こずっていた。 彼の言う二択と複雑と言う言葉に、私は興味をそそられていた。 笑われてしまうのだろうが、確かにその二択以外に思い付くものはなかったから だ。他に何があると言うのだろうか。 「どう言う意味?」 「お前はガキだ。って意味だよ」 ライターからやっと出た小さな炎で、煙草に火を着けて、ポルノデーモンは吐き 捨てる様に言った。以前も感じていたが、彼の煙草の煙はどこか柑橘類の様な変わ った匂いも含まれていた。 どうしたら、上手く話せるのだろうか。彼を傷付けるつもりはなくても、迂闊な 言葉が漏れてしまう。それに挑発されれば、言い返したくもなる。それは単に、私 が大人気ないだけなのだろうけど。 なんか、すっかり謝るタイミングを失ってしまった。息苦しい沈黙が続く。 「ほら、付いて来な……」 「何処へ?」 呆れはてた様な、深い溜息を一つついて、ポルノデーモンは踵を返した。バイク のハンドルに小さなドローンを置き、バイクのタイヤには、ガチャガチャと金属の 固定具が独りでに駆動して、防犯ロックがかかった。 「気晴らしに来たんだろ? そんな顔してるぜ。気晴らし出来るとこ連れて行って やるよ。それとも俺が怖いかい? 未成年さん」 虫の様な六本脚で、バイクのハンドル周りを小刻みに動くドローンの赤い一つ目 と目が合う。 それからは何も言わず、歩き出す彼の後を、私も付いて行った。本当に気晴らし になれる所があると言うのなら、是非、案内してほしかった。その為にここへ来た のだから。 彼に限って、そんな妙な真似はしないと思うし、いざとなれば、対処できる。 特に会話もなく、黙々と路地を歩く。左右の飲食店はどこも混み合って賑やかだ った。建物にくっ付く赤錆びた立て看板も、ネオンの明かりで鮮やかに誤魔化され ている。 路上ではのんびりとシーシャを吸う人達が、怪訝そうに私達を見ていた。立ち込 める煙を払い、ふとポルノデーモンの横顔が目に入った。 無表情さが際立たせる、冷め切った目であっても、独特の色気の様なものを放っ ていた。軽口で不敵に挑発する時の雰囲気とは、また違う。 意図して作られたものか、無意識の雰囲気なのか、何にしても人を引き付ける存 在感があった。 何処へ連れていかれるのか、検討もつかないが、ただ歩くだけのこの時間は、謝 罪を切り出すなら良いタイミングかもしれなかった。 「もし、貴方に会えたなら、ちゃんと謝ろうと思っていたのに……また失礼な事を 言ってしまって。ごめんなさい」 私の目を物言わず見下ろすポルノデーモンと見つめ合う。その冷ややかながらも 鋭い視線が、氷柱の様になって胸に突き刺さった気がした。 「そうは言うけど、どの辺が失礼なのかも分かってないんだろ?」 口調こそ柔らかいが、私の謝罪は悉く見透かされ、かわされてしまった。だから と言って、ここでまた迂闊な事を言って悪い方向に向かうのではと思うと、何も言 えなかった。 「俺とアンタって人間同士が話し合って理解し合うのに、何故セクシュアルとジェ ンダーの情報がいるの? それでわざわざ複雑にして、理解できないからって、変 わり者のレッテル張るのは、えらく乱暴だと思うんだけど……もっとシンプルに俺 の事を見てよ」 ポルノデーモンは咥え煙草のまま、上着を脱ぎ、ウンザリした調子で話した。 人間同士のコミュニケーションにおいて、その二つの情報は外せない要素の様に 思えるが。 彼の言う事が、分かりそうで分からない。それが本音だった。 「でも、さっきは複雑だと」 「心の中はね。でも心を見る目はシンプルでよくない? 俺は俺で、アンタはアン タさ。完璧じゃなくても、間違ってる訳でもない。それを理解しない連中が大勢い て、そいつらは大人だったり親だったり、憧れの有名人だったり。そいつ等の価値 観に何となく流されてしまっただけだろ? 俺を変だとか、間違ってるとか、不自 然とか、不純だとか、そう思うのは、本当にアンタの考えなの? 自分自身の経験 や体験、思考から導き出された考えなの?」 私は彼の言葉に耳を傾け、聞く事、そして考える事しかできなかった。 確かに思い起こしてみれば、何故、私は彼の様な人々にネガティブな違和感を抱 くのだろうか。その答えは――何となく。 私が今日まで生きてきた中で、売春をする人も、同性愛の人とも関りがなかった のに、始めからそれを不自然で不健全な行為である前提で捉えている。周囲の情報 に対して、関心を持たずに、かと言って考えもしなかった。その内に、それを普通 と捉えていた様だ。 彼と話しても、ぎこちなく嚙み合わない原因は、そこにあったのだ。 「だとしても、俺に言わせれば、知った事じゃないけどね。同性だろうと異性だろ うと“愛”なら全然いいじゃない。まぁ、俺の場合は、金が目当てのフェイクな愛 だけどね……。それでも、少なからず絆や温もりを感じられるなら、俺はそれでも いいって思ってる。お前に、それを否定するだけの、自分の意思ってものがあるの なら、言ってみなよ」 返す言葉もない。ポルノデーモンの言葉の一つ一つは、全て彼自身の経験や体験 に基づいたもの。そして、常に向き合って考え抜いている。でなきゃ、私の様な若 輩者に、重みのある言葉として響いてこない。 無礼な色眼鏡で彼を見ていた私が間違っていたと、今、心底思い知らされた。 私の言葉は、何を言っても軽過ぎる。彼のとっては私の偏見も謝罪も、さぞ安っ ぽい言葉に思えたのだろう。自分が恥ずかしい。 これもまた、野狐禅だな。 「着いたよ、先に行きなよ」 ふと気付くと、目の前には高さ五メートル程の、狭くもなく広くもない、レンガ 造りのトンネルがあった。 ポルノデーモンは根元まで吸い終えた煙草の残り火で、新しい煙草に火を移して いた。あの安そうなライターよりは確実だ。 いやに自慢げな笑みを浮かべているが、このトンネルの先に何があるのだろう。 言われるまま、先にトンネルの中へ進んでみた。それほど距離はないトンネルだ った。向こう側が開けているのも分かる。トンネルの中はイミテーションのランプ が左右交互に吊るされ、ガラスの中のライトは揺らめく炎の動きを演出していた。 もうじきトンネルを抜けるが、外はかなり明るい感じがした。一体、何があるの だろうか。 トンネルを抜けて、視界一杯に広がったのは、大きな広場だった。真っ白な石畳 が一面に広がり、その中央には二十メートルを超えていそうな大樹が聳えていた。 大樹は季節的な事もあり、葉もほとんど落ちていて、薄いピンク色のイルミネー ションで飾り付けられ輝いていた。 とても立派で大きな広場だが、人はまばらで、私達を含めて十数人程度しかいな かった。それまで見て来た、雑多で猥雑な輝紫桜町の雰囲気は微塵もなく、正に別 世界だった。 「とても、静かな場所……」 思わず言葉が漏れた。そう、さっきまでの歓楽街の喧騒がここでは全くと言って 程、なかった。不自然なまでの静寂に包まれている。聞こえるものと言えば、あの 大樹の傍にある噴水の涼しげな音ぐらいだった。 本当にここは、輝紫桜町なのだろうか。 「上を見てみな」 ポルノデーモンに言われるまま、視線を上に移すと、パッと見た限りではわかり 辛いが、この広場を覆う様に囲む建物と建物から、無数のワイヤーの様な物が張り 巡らされていた。 「あのヒモみたいなのから、外から来る音と相反する周波数の音波が出てる。それ が外の音とぶつかって相殺されて無音になるんだ。広場を囲む建物の壁にマイクを 仕込んで、外から取り込んだ音はAIが絶えず予測しながら、あらゆる周波数に対 応する。ちょっと凄いノイズキャンセラーさ」 まるで自分が作ったかの様に得意げに、饒舌に話していた。さっきのドローンと いい、この手の物が好きなのだろうか。今までのイメージとは違う一面だな。 大樹へ近づいてみる。植物には特別詳しくはないが、イルミネーションの色合い からすると、おそらく桜の木なのだろう。 「この桜は町興しの一環で遺伝子改良された品種なんだ。輝紫桜町の名前に合わせ て紫の花が咲く様にね」 ポルノデーモンはプラスチックのカップに入ったジュースと瓶ビールを持ってき た。カップに入ったジュースを私に渡し、この桜の大樹について話してくれた。広 場の端にはリアカー式の小さな出店で買ってきたのだろう。 瓶ビールの栓に歯をかけて栓を開けている。そう言えば、叔父もよく歯で栓を開 けていたっけ。そう言うところに男性らしさを感じてしまうが、おそらく、そう言 うイメージを、彼は良しとしていないのだろうな。 「紫色の桜が咲くの?」 「最初の二、三年は咲いてたらしいけどね。結局、普通の桜の色に戻った。数年に 一回、紫が咲く事もあるらしいけど」 紫色の桜の花びらか。桜らしさを感じられない印象だが、興味が沸いてくる。こ の大きく広がった枝から、この大樹が紫色一色に染まる光景と言うのは。 カップの中のジュースを口にする、絞りたての果汁が炭酸水で割られていて、口 一杯に爽やかな甘味が広がった。 「見た事ある?」 「この街に十四年いるけど、一度も見た事ない。見たいとも思わない」 ビールを飲みながら、何処か遠い目をして、ポルノデーモンは言った。 まるでイルミネーションの桜に、自身の十四年を重ねている様な、その暗紫色の 目は、そんな目をしていた。 口元は穏やかでも、やはり目は本心を表す。その目はこの街に対する愛着と、憎 悪が入り混じった様な混沌とした感情。 何故だろう、時折自分でも不思議なぐらい、他人の感情の様なものを読み取れる 時がある。サイキックだからなのか、知る由もないが。 「桜が咲く頃に、この街に住む人達だけのお祭りをこの広場でやる。何処にも行き 場のない、はぐれ者達を祝福するお祭りさ。慰みかもしれないけど……。四年前か ら、六月のLGBTフェスもやるようになった。その時に広場を今の状態にリメイ クしたんだ。この街に遊びに来る連中には魅力ないとこだけど、街に住んでる連中 には大切な場所になってるんだ。地獄にも、こんな場所が一つくらいあってもいい だろ」 確かに、歓楽街で派手に遊ぶ為に来た者のであれば、此処は場違いな程に静かで 穏やかな空間だ。 私と叔父が暮らしていた街には、ここまで静かな場所はなかった。 LGBTは確か、彼等の様な少数派を指す言葉だった筈だ。その程度の知識しか ない。やはり、この街に住む人達は、そう言う人達が多いのだろうか。 「ねぇ? 好きな色ってある?」 ポルノデーモンは、唐突に私の手を引きながら訪ねてきた。急に手を握られた事 と、意図の分からない質問に少したじろいでしまった。 私の指にか細いけど強い大人の指が柔らかく絡まっていた。 「色? ブルーかな……」 他にも好きな色はあるが、パッと思い付いたのは青だった。昔から弟の持ち物に は青色が多く、私は決まって赤やピンクの物が多い事に不満があった事を不意に思 い出した。 「桜を見てみな」 ポルノデーモンは薄く笑みを浮かべて、視線を促す。振り返ると、それまで桜の 花びらに似せた薄いピンク色のイルミネーションが、一面真っ青に輝いていた。 淡い青から濃い青へ波打つ様に移り変わる桜の木に釘付けになる。 「綺麗……」このままずっと、見とれていたかったが、同時に疑問も湧き上がって きた。「でも、どうやって?」 「それはヒミツ」 何万色と色を変えられるイルミネーションライトなど、珍しい物でもないが、偶 然とは思えない、ポルノデーモンが送ってくれたサプライズのトリックが少し気に なった。 偶然なんかではなく、間違いなくポルノデーモンが何かをしたのだ。一体どんな 手を使ったのか。つくづく掴み所のない人だ。 「俺の好きな色も教えてやるよ」 ポルノデーモンは、わざとらしく手を桜にかざして見せる。どんなトリックがあ るかは知らないが、その手の動き合わせて色を変えてみせるのだろう。 案の定、その手が下がると、明るいブルーが桜の木の下の方へ移動した。 「俺もブルーは大好きな色だよ、でもそれだけじゃ、しっくりこないんだ。ピンク とイエロー、そしてブルー。これが今の俺の色。それを知るのに、随分と時間がか かった」 桜の木は上からピンク、イエロー、ブルーの三色となり、色彩鮮やかに光輝いて いた。 何か意味のある組み合わせなのだろうか。この配色は単に好きな色、と言う訳で はなさそうだった。――今の自分の色。 「LGBTQ+なんて、ただのガイドラインだけど、それのお陰で、俺は自分の事 を少し許せる様になったんだ。この街は、売る者と買う者だけで成り立つ地獄だけ ど、人を見る目は“SOGIE”を共有してる。それがなんか、居心地が良い所も あって、離れられないのかもね……」 今の私には、彼の言葉を黙って聞く事ぐらいしかできなかった。知らない言葉に 知らない価値観。それらが蓄積されて生み出された答え。 否定や肯定はおろか、理解すらできてない。ただ、そこには自分自身に向き合う 強い者がいる。それを思い知る事ぐらいしかできなかった。 そんな事を考えていると、不意にポルノデーモンの人差し指と親指が、私の鼻先 に優しく触れた。薄い笑みと何処か妖艶な目付きで。なんて――綺麗な人なんだ。 無意識に、そう感じてしまった。 「鼻が赤くなってる」 「あ、貴方のせいでしょ」 会った時に、二回弾かれた鼻先を今は優しく擦られている。それが堪らなく恥ず かしく思えて彼の指を払ってしまった。 しかし、ポルノデーモンの手は止まらない。遠慮も躊躇もなく、髪や頬に指を這 わせてくる。鼓動が激しく脈打ち、ゾクゾクとした刺激が全身を駆け巡る。 「別にアンタみたいな失礼な奴なんて、外には幾らでも転がってる。そんなの一々 相手するなんて、馬鹿らしいから無視するけど。でも、なんか……。真っ直ぐな心 のアンタを見てると、なんかムキになっちゃってさ。そう言う人には分かって欲し くて……。俺の我儘かな?」 真っ直ぐな心。私の心が彼には見えているのだろうか。その辺の他人、或いは私 のこれまでに人生の中で、出会った事のない不思議な魅力と感性を持った人。 まるで悪魔の様な暗紫色の左目と、前髪に少し隠れた、憂いに満ちた右目との距 離が少し縮まっていた。頬から首筋に伝う、か細い指先の感触。 人に触れると言う事に慣れているだけじゃなく、気持ちすらも手玉に取られてい る様な、表現しようのない耐え難い感覚に、これ以上は抗えなくなりそうだった。 「ありがと! お陰で良い気晴らしになった!」 ポルノデーモンと無理やり距離を取り、残っていたジュースを一気飲み干した。 彼を直視する事が出来ない。顔から火が出そうなくらい恥ずかしく、そして高鳴 っている鼓動を必死に抑えていた。私には刺激が強過ぎる。 「それは何より……。俺も思いの外、良い気晴らしになったよ。最近、色々と手詰 まりを感じていて焦ってたけど、前へ進むって気になれた」 私の慌てふためく様は、彼にとって予想通りの姿。ポルノデーモンは、また何時 もの不敵な笑みと、少し冷めた様な目付きに戻っていた。 桜の大樹を煌めかせているピンクとイエロー、ブルーのイルミネーションを眺め ながら、呟く様に、前へ進むと言った。 桜の大樹の色が徐々に通常の桜色に戻っていく。 「なんか食ってく? この先に、イケてるインド人がやってるケバブ屋があるぜ。 何時かカーマ・スートラで極楽にイかせてやろうって企んでるんだ」 何の話かは分からないが、少々、邪な雰囲気を見せてポルノデーモンは言った。 そう言えば、何か食べたいと思っていた。ケバブは食べた事がない。テイクアウ トなんてやってられないな。 此処で食べて行こう、もう少しの間、叔父と過ごしたあの街に、似ているようで 似ていない、この大歓楽街、輝紫桜町を眺めながら。
コメントはまだありません