8.― DOUBLE KILLER ― おもむろに腕時計をに目をやる。二十三時三十分を過ぎていた。相変わらず、落 ち着きのない散らかった街だな。 輝紫桜町の淀んだネオンの明かりが、けたたましく窓から流れ込んできてる。林 組の事務所を訪れ、黒光りする革張りのソファに浅く腰掛けながら、スーツの内ポ ケットから煙草を取り 出し、四本目の煙草に火を着けた。 河原崎の言っていた三日の猶予、遂に林組からは何の話も来なかった。 此処に来る前に一度、確認はした。話し合いはせずに――全員殺すか、と。 しかし、河原崎は先ずは話し合いをして来いと言って来た。それが少し引っかか っている。 組織の決まり事や、掟の類を何よりも重んじ、常に厳正を貫いてきた河原崎にし ては、こんな小規模のヤクザなんかに随分と寛大であると思えたからだ。 「すみませんねぇ、鉄志さん。親分は急な取引で外してまして……。夜も遅いです し、今度はそちらの御都合に合わせますんで、日を改められては?」 林組の幹部にあたる男がコーヒーをガラス張りのテーブルに差し出しながら言っ た。やはり林組は“組合”を甘く見ていると言わざるを得ないな。今日、“組合” の使者が改めて来ると知っていながら、組長が不在だと言うのだから。連中にとっ て、唯一の想定外は俺が来たと言う事だろう。 俺がどれほどの者かは知っているだけに、俺が此処へ来た時の、連中の慌てぶり は、正直なところ愉快に思えた。 「いや、待つよ」コーヒーカップを手にする。どうせ安物のインスタントコーヒー だろと思ったが、意外にも挽きたての力強い香りがした。「気遣いは不要だ。それ にしても、親分さんもこんな時間に取引とは大変だな」 「ええ、お陰様で自分達もこれで一回り大きくなれます。鉄志さんのお陰ですよ」 陳腐なお世辞だ。こいつは俺が来てから、常に気さくに振舞っているが、明らか に内心では焦っているのが見え透いている。 コーヒーを一口飲んだ後になって、毒入りではないだろうかと、一瞬不安が過っ たが、深煎りの苦みが利いた味わいで終わった。 「ところで、行方不明になってる“組合”の使者について、お前達はどう思ってる んだ?」 「それに関しては自分等も驚いてますよ。なんせこの街は物騒ですからね。その辺 をうろついてる娼婦も男娼も、隙あらば盗みも追いはぎも平気でやってのけるとこ ですから。鉄志さんもこの街で遊ぶ時は用心してくださいね」 コーヒーカップをテーブルに置き、灰皿に置いた煙草を手にする。大体、予想し ていた通りの言葉だった。しらばっくれている。 これ以上、こいつと話していても退屈なだけだな。ソファに深く座る。しばらく は緊張を解いてもよさそうだ。こいつ等も俺をどうするか、決め兼ねている様子だ った。 ドアの前に立っている男に視線を移した。スーツの袖から出るカーボン素材の様 な黒い手。こいつが河原崎が言っていたサイボーグの用心棒らしい。 「凄い技術だな、サイボーグと言うのは……。それは戦闘用だろ?」 「まぁ、そんなところです」 言葉少なめにサイボーグの男が答える。 サイボーグは見た目は三十代ぐらいの男だった。スーツ越しにも、逆三角形の引 き締まった身体つきをしている。短髪の髪型に精悍な顔立ち、おそらく軍隊上がり の人間。日本語に違和感はないが、アジア系の外国人だろう。 組んでいた手を解き、俺によく見える様に両手を開いて見せた。 ぱっと見では繊維質の黒い手だが、関節部や細かな部分まで、精巧で緻密なパー ツが複雑に組み合わさって構成されている事が分かる。一体、あの腕に何が仕込ま れ、どれ程のパワーがあるのか。 「個人的な好奇心で恐縮なんだが、感覚ってあるのか?」 「感覚も痛みもない。制御デバイスが自動で力加減をする」 「それじゃ、生活するには困らないって事でいいのかな?」 サイボーグは滑らかに手を動かしていたが、その手の動きを止める。その顔は僅 かに挑発的な雰囲気を匂わしていて、強く拳を握って見せる。ギチギチと縄が締め 付ける様な音が拳から聞こえるた。人間の手からは、まず聞けない音だった。 「これは、生活をする為の、腕じゃない……」 笑みを浮かべ「なるほど」と返えした。ならば、何の為の腕かと言えば、今夜の この状況の為と言う事だろう。 今、この部屋にいる俺を含めた三人の表情は明るいものだが、内心では歯止めの 利かない勘繰り合いが展開されている。 幹部は俺をどうするべきか考えている。二回連続で“組合”の関係者を消すと言 うのは流石に違和感がある。そして組長不在の中で、どこまで判断すべきかを。 用心棒の方は単純な雰囲気だった。何時でも戦える、その指示を待つだけと言っ た所だ。 俺に関しては、正直な所どうでもよくなっている。もう少し待ってみて、林組に 動きがなければ、明日に持ち越してもいい。 または、より明確に林組の意向が分かれば今――実行してもいい。 ただ一つ、気になっている事があった。林組が金銭的に困窮している組織である 事は、事前に分かっていた事だが、支払いを渋りながらも用心棒を雇うと言う、狂 った優先順位の理由だった。 その場凌ぎをしている雰囲気は否めないにしても、リスクしか感じられない。 それとも、そのリスクがひっくり返る程の見返りを得られる様なハイリターンが あるとで言うのだろうか。だとすれば、どんな儲け話なのか。 そんな事に考えを巡らせていると、少々乱暴にドアを開けて、男が入ってきた。 ノックもしないで入ってきたと言う事は、余程急ぎの要件らしい。一瞬、入って きた男が俺の方を見たのが気になった。 幹部に耳打ちをしている。こう言う時は聞き耳よりも、相手の目を見る方が確実 だ。幹部の男がどんな表情をするか、目を離さずに見ておく。 「ちょっと失礼します」 表情に大きな変化はなかったが、それは必死に堪えた物であった。二人とも、そ の目は泳いでいた、と言うよりも、溺れかけが踠いてパニックを起こす様な雰囲気 に感じ取れた。 二人がそそくさと部屋を出るとほぼ同時に、携帯が鳴った。出来過ぎなまでのタ イミング。 どうやら、均衡が崩れた様だ。と、直感が疼いている。呼び出し音はメールのも のだった。 『中央区内のホテルにて林組関係者が襲撃された可能性有り 詳細不明 用心され たし』 “組合”のオペレーターからのメールだった。“組合”の殺し屋は任務の内容や 規模によっては様々な援助を得られる。このオペレーターと呼ばれる役割はマンツ ーマンでリアルタイムな情報を提供してくれる。 今回の任務では“組合”からの援助は特になかったが、おそらく河原崎が手を回 してくれたのだろう。手間賃代わりと言う訳か。 「どうかしましたか?」 「別に、課金ゲームの案内メールだ……」 目ざとく聞いてきた用心棒を受け流す。煙草を灰皿に押し付け、残っていたコー ヒーを飲み干した。解いていた緊張を呼び戻す。 未だ不鮮明な情報だが、俺が林組の事務所にいるタイミングだからの情報提供な のだろう。 ここで俺が得ている情報と、このメールを照らし合わせるのなら、関係者と言う のはおそらく、この場にいない林組の組長と取り巻き連中と考えるべきだ。 あの二人の慌てぶりと、組長不在の状況から、可能性ではなく確定だ。 だとしても、一体何があった。襲撃と言う表現を使うと言う事は、戦闘があった と言う事になるが。荒神会の報復だろうか、それとも別の何か。 いや、それを今考えるのはやめておこう。これから起きる事に備えるべきだ。 数分後、または数秒後の状況になるだろう。ドアが開き数人がぞろぞろと入って くる筈だ。 この部屋の広さに十人以上は考えられない、せいぜい五、六人が入ってくる。他 は部屋の外に待機。 全員が武器を手にして俺を扇状に囲むだろう。始めから手にしていて、頭ごなし に凄んで来るか、話し合いから始まるかで、相手の初動に数秒の違いがある。その 両方でも対処可能な手段を選択するべきだ。 本来なら勝算を見出せない、多勢に無勢の不利な状況。降伏と言う最良の選択肢 を除外した上での最良の選択肢。 ヒップホルスターからグロックを引き出し、やはり一番早く撃てるのは対面する 者か。その場合、左側を狙うのが早いか、間隔によるがプラス二人が限界だろう。 それ済む頃には相手の銃弾も俺に向かってる頃だ。 その対策はセオリー通り、俺に一番近い右側を捕まえて盾にする。十九発プラス 一発の弾倉は残り十四発。 後は片っ端から二発で仕留めれば、まだ七人やれる。――必ず二発で仕留めろ。 となれば、このソファがあると右側に行けないし、座ってる今の姿勢も好ましく ないな。そして、用心棒のサイボーグ。あの腕に弾丸の効果はどれ程か、一応の対 策はあるが、少なくとも痛みも感じないと言う事は、怯む事もないのだろう。 頭を狙いが確実だが、容易ではないな。 とりあえずソファから立ち上がる。案の定、用心棒がこちらに近づいて来る。こ こで殺しておくのも良いかも知れないが、あくまで“組合”の使者と言う立場でい なければ。 「今日は話にならなさそうだな、また改める……」 「それでも、戻るまで待っていてください」 とりあえず立ち上がり、ソファから離れられた。勿論、帰る気もないし、連中が 戻って来るまで幾らでも待ってやろうじゃないか。――俺はもう決めている。 一通りの準備を終え、大体のイメージも固まったところでドアが開く。予想して いた通り、数人が入ってきた。七人、予想より一人多いが許容範囲。全員拳銃を手 にしていた。 最後に入ってきた奴がドアのカギを何気なく掛けた。と言う事は、この事務所に いるのはこれが全員なのだろうか。 何にしても、そうしてもらえるなら、増援が来ても時間稼ぎになるので、ありが たい事だ。 この時点で決まった。三日前から分かり切っていたが、林組には制裁が必要だ。 「穏やかじゃないな。思った通り、ピンハネする訳だな……貧乏ヤクザ共」 正直、理由も金もどうでもいい。今の俺には、こう言う緊張感だけが生きた心地 を感じられる瞬間だ。緊張感に事欠かなかった戦場の日々。だが日本に戻ってから は、たまにしか味わえない感覚だ。 日々、淡々と魂から何かが抜け落ちて行く様な今の俺にとっては、これが密かな 楽しみでさえある。 「どういう事だ……これが組合のやり方か!」 「何の話だ?」 幹部の男が青ざめた顔で聞いてきた。“組合”のやり方な訳がない。“組合”の やり方と言うのは、今、此処にいる俺の事だからだ。 中央区のホテルで起きた襲撃は確かに気になる話だが、今は集中力を最大限まで 高める。 サイボーグの用心棒への対策がまだ不十分だが、一先ずこの部屋の八人 の位置、距離、角度を把握しておく。 俺の右側一番近くにいるパンチパーマの男。こいつが盾だ。 「全員殺された……“組合”の仕業だな!」 もう、答えてやる気はなかった。ホルスターからグロックを取り出し、幹部の胸 と頭に一発づつ撃ち込む。そのまま隣に立つ奴の腹部と頭に一発づつ。 ヤクザ共の反応は俺の予想よりも遅かった。まだ一人やれる。 右側は、まだ無視。続けざまに左側の奴をもう一人仕留めた。徐々に集中力と精 度が上がっていく。頭に二発命中だ。 残り五人。その銃口が全て俺に向いている。その中でも、最も俺の近くにいるパ ンチパーマの男が持つ拳銃が目前に迫ってきた。正に予想通り。 パンチパーマの男に掴みかかり、素早く背後に回り込んで、左腕で首を締め上げ る。肩にグロックを押し当てて、心臓のある角度で引き金を引く。同時に数発の弾 丸がパンチパーマを貫いた。 崩れるパンチパーマに合わせて姿勢を下げながら右側にいる奴等に向かいながら 発砲する。 何処をどう狙うか。そんな事を考える必要は、この領域に辿り着いた俺には不要 だ。残り三人。 視界にサイボーグが入った。間髪入れずに頭部へ二発撃ち込んだが、扇状に展開 した左腕が頭部を守るシールドとなり、弾丸を弾いた。右腕からは刃が飛び出して いる。 サイボーグの正面に立ち、一先ず他の奴等の射線を塞ぎ、迂闊に撃てない角度を 保つ。 やはり拳銃の弾丸で、どうこうなる相手ではなさそうだ。下腹部や脚を狙い撃っ たが、それも的確に防御された。この手の攻防戦に慣れているらしい。そして俺は サイボーグを相手にするのは初めてだ。どうする――撃たれても全く怯まない奴は 初めてだ。 弾倉に僅かに弾丸は残っているが、それを切り捨てて素早く予備に再装填する。 迫りくるサイボーグ、右腕の刃が届く距離に達すると同時に、刃が大きく振り下 ろされた。 後ろには下がらず、前に出る。これは本能に逆らう行為だが、数多くの戦場、そ してこんな多勢に無勢な状況であっても、効果が高い事を俺は実証してきている。 自分と相手の位置関係を把握し、数手先の相手と自分の動きを正確に予想してイ メージさえ出来ていれば、それは正に――攻撃は最大の防御となる。 サイボーグの一撃を横に避けて、すぐさまその腕を掴み、関節をきしませる。痛 ませる事はできなくても、このまま力を加えればへし折れる。しかし、掴んでみて 抵抗するサイボーグの力の具合ですぐに悟った。この腕力は俺の力を大きく超えて いる。 やはり、あるところでサイボーグの腕を曲げれなくなった。関節を破壊できる位 置で止められた。ズボンのベルトを掴まれて、そのまま放り投げられたが、これは まだ想定内だった。 投げられた先の、残りのヤクザ二人との距離は一気に縮む。受け身を取り、起き 上がってヤクザの一人に掴みかかる。後ろにいるヤクザの射線を塞ぎつつ、抵抗す るヤクザの動きを封じて、腹部へ一発撃ち込んで、大外刈りで押し倒し、その勢い で前転する。 奥のヤクザが視界の入ると同時に、胸と頭部に撃ち込む。大外刈りで倒したヤク ザの頭部にも一発撃ち込んで止めを刺した。これで部屋の中のヤクザは全員仕留め た。 グロックの残弾は十六発。残りはサイボーグとの差しでの勝負。どう仕留める。 互いに高い集中力を保ったまま、睨み合うだけ。奴も今、数手先の俺の動きを予 測しているのだろう。近付くのも危険だが、及び腰で間合いを取り続けるのもジリ 貧だ。やはり組み合うしかないか。 少しでもこちらが有利になれるよう、撃ちながら近づき、相手の行動に制限をか けていく。 互いの手が届く距離、サイボーグが素早く刃が襲い掛かる、ここで後ろにのけ反 り、それを確実に避ける。 関節の曲がり方、腕の振り方には決まりがある。一度、ある方向に振れば、次は どの方向に振るのかが、予想し易くなる。狙いは振り上げた時だ。 弾丸は悉く左腕のシールドに弾かれビクともしない。残り六発のところで待って いたタイミングがやってきた。 振り上げた右手は、俺に目がけて振り下ろされる。 グロックを左手に持ち替えて、すかさずサイボーグに密着し、左肘でサイボーグ の右腕を受け止める。同時に右手でサイボーグの左腕を掴み抑える。 力ではいずれ負けるが、今、左手にあるグロックの銃口はサイボーグの首筋、生 身の部分に向いている。 このまま引き金を引けば、仕留められると思ったその瞬間、サイボーグの左手が カタンと音を立てて、手の平が左右に開いた。――銃口の様な物が見えた。 どっちの発砲が先だったか、反射的に上半身を沿って銃口から逸れたが、右のこ めかみに熱と衝撃を感じる。前腕に仕込める銃だ、大した口径ではない筈だが、肝 が冷えた。 それよりも、こっちの一発は外れてしまった様だ。サイボーグとは、なんと厄介 な相手なのだろう。久しく忘れていた、憎悪と言う感情が沸いてくる。 サイボーグの右腕を脇に抱えて、関節を固める。胸倉を掴み投げの姿勢に入ろう とするが、腕力に押し負けて技を解かれる。逆に首根っこを掴まれた。息苦しさも 焦りも感じる間もなく、そのまま持ち上げられ、遠心力をかけて大きく投げ飛ばさ れた。 背中と胸が内側でぶつかる様な凄まじい衝撃に呼吸が止まる。襲い掛かる激痛。 投げ飛ばされた先にあったドアを突破ってしまったらしい。 朦朧する意識の中サイボーグがゆっくりとこちらに向かって来る。放り出された 廊下にはヤクザ共が数人立っていた。崩れた身体をどうにか起こして四つん這いに なる。 疎ましい痛み、はち切れそうな心音、ままならない呼吸、それでも戦場で研ぎ澄 ましてきた本能と経験が、俺に新たな殺しの設計図を描き始めていた。 廊下、右側には四人、左側には六人。部屋からこちらに向かうサイボーグの奥に グロックが落ちている。あれはサイボーグには効かないが、あとで廊下にいるヤク ザ共を仕留めるのに必要だ。 先ず、廊下のヤクザ共は俺を撃つ事が出来ない。この位置では味方を撃つ可能性 があるからだ。 腰のホルスターから一応の対策を引き抜いた。“デザートイーグル.50AE” 安直な発想だが、サイボーグの装甲に対抗出来そうな拳銃で思い付く代物は、こ れしかなかった。俺の見通しでは、貫通こそできないが、衝撃ぐらいなら与えられ る筈だ。 何としても、あのサイボーグを手早く仕留めなくては。その後でグロックを拾っ て廊下のヤクザ共を片付ける。拾ったら直ぐに再装填。 俺が部屋に入った瞬間、ヤクザ共が動く、サイボーグと応戦する時間は出来るだ け短く。 弾は七発、様子見で二発、怯ませるのに三発、そして、何としても――残りの二 発で仕留める。 大きく酸素を吸い込み、ゆっくり吐き出す、これをあと数回、繰り返すのが望ま しいが、もうそんな時間はなかった。デザートイーグルの銃口を地面へ突き立てて 立ち上がる。 サイボーグの左腕のシールドは頭部を覆い隠す。警戒しているのか、それを確か める。引き金を引く。軽い爆発音と共に、思い通りにはならない大きな反動が全身 に響き渡る。 予想通り、サイボーグの左腕が大きく跳ねる。衝撃を吸収し切れていない。その まま二発目を撃ち込む。今度は右腕が跳ね上がった。 やはり貫く事は出来ないが、これなら押し切れると確信する。間髪入れず、質の 悪い反動に耐えながら、サイボーグとの距離を縮めつつ、三発撃ち込んでいく。サ イボーグも両手を交差させて、必死に頭部を守っていた。 まだ身体に酸素が行き届いていない感覚があったが、サイボーグに向かって駆け 寄り、半身に腕を回し、腰で持ち上げて投げ飛ばす。 その勢いを活かしながら、自らも前転して、うつ伏せに倒れるサイボーグの首を 膝で押さえ付けた。視界に入ったサイボーグの腰に一発、その叫び声が上がり始ま る頃には頭部に撃ち込んだ。 まだだ、集中力を切らすな。このサイボーグは手強かった。しかし、こいつは俺 が殺すべき者の一人に過ぎない。 デザートイーグルをその場に捨て、グロックの予備弾倉を手にしながらグロック を拾い上げて、中途半端に残っている弾倉をスナップをかけて投げ捨てて再装填す る。改めて十九発プラス一発。 ドアの向こうから数発の銃声。予想通りか、少し早いかぐらいのタイミングで廊 下のヤクザ共が発砲してきた。 向かって左側に四人いる、先ずは少ない方から減らす。 右側に移動しながら、ドアの向こうから押し寄せるヤクザに二発づつ、頭部へ打 ち込む。 最初の一発で即死なのは分かっていた。しかし二発で仕留めると言うリズムは崩 さない。人間は意外にも簡単には死なないものだ。惜しまず弾丸を撃ち込め。残り 十二発、残り六人。 ドアが大破した部屋の出入り口、左右の壁に身を隠すヤクザの一人を仕留めから 壁に背を当てる。意を決して突撃する、もう一人のヤクザの銃を持つ腕を捻り掴ん で、部屋から押し出す。 誤射を恐れる奴がいる一方で、がむしゃらに発砲する奴もいる。所詮はアマチュ ア共だ。 そのどちらも二発で仕留め、盾代わりを投げ飛ばし、間髪入れずに残りの二人に も二発づつ弾丸を撃ち込んだ。 振り返って、穴だらけになって虫の息である盾代わりに、二発撃ち込んで引導を 渡した。 弾切れ、空の弾倉を落として、最後の予備弾倉を装填する。レバーを下げてスラ イドがメリハリの利いた金属音を鳴らす。残弾十九発。 深呼吸を二回、身体の状態を確認する。全身にズキズキとした痛みが走っている が、内部からではない。被弾はしていない、骨も支障ない。打撲程度の様だ。 右のこめかみがヒリヒリしている、弾丸が皮を破き、焼けている様だ。汗に滲ん で更に不快な気分である。スーツの内ポケットからハンカチを取り出し血と汗を拭 った。 嗅覚を刺激する火薬と硝煙の匂いを味わい、グロックを構えながら出口へ向かっ た。この感じに、とてつもない――充実感を感じる。 しかし、それは数分程度で虚しさに変わるのも知っていた。この後に続く、仲間 と分かち合え合える、達成感が欠落しているからだった。それはもう、今の俺には 望めないものだ。 林組の事務所を出て、安物のドラックみたいな充実感を押し殺して携帯を取り出 す。画面には派手なヒビが入っている。あれだけ派手に動いて、投げ飛ばされれば 無理もないか。 オペレーターから新たにメールが届いていた。 『林組組長以下、十二名の死亡を確認 ホテルは現在システム障害の影響でロック ダウン中』 一体、何が起きているのと言うのだ。林組にとってはとんだ災難な夜になったら しい。これでは壊滅状態だ。オペレーターに電話をかける。 「林組の事務所も制圧した、掃除屋をよこせ。それとホテルの場所も教えろ、そこ へ向かう」 通話を切ると、すぐにホテルの情報が届いた。グロックをホルスターに収め、ス ーツの襟を正し、整える。 輝紫桜町の表通りに出ると、けたたましいネオンの光が身体を包む。止まない耳 鳴り、行き交う人の群れ。それに交わる佇む娼婦と、血走った目でふらついている 酔っ払いや中毒者。時折聞こえる悲鳴の様な声。この世の地獄だ。気の休まる余地 など何処にもなかった。 思った通り、充実感は早々に失せてしまった。靄がかかった漠然とした不安な雰 囲気を感じ取っている。煙草に火を着けて、一先ずは落ち着こうとした。 下らないヤクザ共のいざこざから始まった、つまらない殺しの依頼ではないのか もしれない。 俺の、或いは“組合”でも知り得ない何かが今、この夜に蠢いている。
コメントはまだありません